タライを囲んで遊ぶ素晴らしさ!
2023.07.12
さあ 今日は洗濯あそび!
7月11日 タライを囲んで
今日も朝から異年齢混合クラスでスタートです。保育環境は安心できる慣れた人、好きな物的環境ばかりではありません。生活が安定してくれば、変化も必要になってきます。泣いて登園するときは、最も安心できる場(家庭、父母)からの分離が、最大の泣き所であることが多いです。しかし、次に安心できる保育士、さらに気の合った仲間がいることで、自分の気持ちを切り替えその楽しさに没入することで、だんだんと寂しさから楽しさへと心が移っていきます。
ですが、人間同士は必ずしもぴったり合う(相性)相手ばかりでないことは周知の事実ですね。だから小さい子を面倒見たい子は、小さい子といることで、自分の役割、やりがいを見つけ自己実現し安定します。保育士に対してもリズムや性格が合わないこともあります。我々は感じても、一切表に表すことができない職務であることは言うまでもありません。しかし人と人との相性は必ず存在していますので、積極的に様々な人間関係の量の確保をしていった方が良いと考えます。友だちや信頼できる人を最終的に選択するのは本人です。子どもたちが親、生まれ、先生を選ぶことができないとすれば、せめて他の人、環境が世の中にはたくさん存在していることを、幼い時から知らせていくことが、ひとりの人間の成長にとって大切であると思います。子どもの人生は親や教師のものではなく本人のものです。自立、自律のためには、子どもの成長に合わせた選択可能な環境が大切です。
そして、今日行った洗濯などの生活習慣は、今の時代は一切見受けられなくなりました。しかし昭和の初めころまではタライを囲んで日常的な対話(ぐち、子どもの成長、不安のやり取り)が存在していたはずです。子どもたちの様子を視てください。顔を見合わせ同じことを行い、楽しさや気持ちよさを共有するにはもってこいの環境だと思いませんか?「たらい」だからこそなせる業なのです。昔の人々はこのように毎日の生活空間の中に、隣近所とのコミュニティーの時間を必然的に持っていました。「くらし」は煩わしさもありますが、すくわれることもあるのです。だからこそ「利他」の心を持った生活を持続できたのだと思います。
今の時代同じことはできませんが、隣近所、同じ保育園、幼稚園、学校、地域、そのすべてにおいて関わる人々が「意識するだけで世界の見え方は変わってきます。」
この子どもたちの姿は、疎遠になる人間社会、争い続ける人間社会への訴えだと思います。「みんなと生活したい」、「みんなとあそびたい」、「私はつながりたいの!」、そんな素直な人間らしい思いが、子どもたちの姿から伝わってきます。教えられます。
カテゴリ:子育て