発達に応じた対応
2025.08.24
1歳児クラスのあそびは、まだまだ「ひとり遊び」の充実が目標ですが、少しづつ仲間とのやり取り、特定の仲間(遊び方が合う)との連合あそび(4,5歳で盛ん)の兆も見られるようになってきます。しかしあくまで兆であることを超えません。
速いからゆっくりだからという見方ではなく、自然に任せ見守ることが大切です。1日のうち断片的に現れる仲間とのこうした遊びは、「見立て」や「つもり」が充実してきた時、次に必要な「ごっこ」あそび、「やくわり」あそびの橋渡しとなります。
今はまだ「たまに見られる」という程度で良いのです。要は「この日から」ごっこ遊びができるようになるのではなく、少しづつ準備を始めていくのが人間の発達です。おおらかに子どもたちの成長を見ていくことが大切です。
ブロックあそび、おもちゃの電車遊び、素材(水)への十分な関り、三項関係(自分、物、大人)の充実(指差しに声、表情で豊かに応答する)等、個々の取り組みの充実を図っていくことが、後の発達の重要な「部品?」となっていきます。
この時期は知識、技術のお仕着せではなく、「考える」、「指先と全身をたくさん使う」、これらの基本を繰り返していくことが大切です。
分かりやすく言えば、小学生になった時45分?の授業で机に向かい、じっと集中し持ちこたえる力、考え続け、仲間と協力し、お互いの良さを認め合う力を身につけるための土台、基礎を作るのが乳幼児期なのです。
その時期に知識や技術偏重的生活を送ってしまうと、学童期に伸ばすべき力に到達しにくくなり、少年期、青年期での順応力にさえ問題が生じてしまいます。効果や反応が見えにくい乳幼児期の「怖さ」です。
乳幼児期は見えにくいからこそ大人は大切に扱う必要があります。「大切に」とは何でも認めてしまうことではありません。基本的道徳観念は、やはり大人の言動に左右されますので、理屈で分からなくても子どもの傍若無人に対しては諭す(線路を示し導く)必要は大いにあります。
その諭し方が大切です。感情的に叱る、否定するは最もよくない方法です。分からなくてもその年齢なりに分からせる努力が大切です。繰り返し大人が粘り強く諭していくことは、いつの日か子ども自身の気づきを生み出します。
感情的に抑え込むこと、放任することは、恐怖で何も分からないか、何が良い悪いのか気付けず、どうしたらよいか分からず、永遠に子どもが苦しんでしまうことになりかねません。「諭す」という言葉には、とても深い意味があります。
愛情をもって、粘り強く、「大好きだよ」というメッセージを心の中に持ち、面倒がらず応答していくことこそ、乳幼児期に最も必要な育てる者の姿勢だと思います。
この時期は生まれて3、4年程度しかありません。長い人生の中で最も手がかかる時期を、子どもにとって大切な大人(親、家族、保育者)に愛情(認められ、抱かれ、諭され)の中で関わってもらえた子は、心置きなく幼児期、学童期へと成長を進めていけるのです。
速いからゆっくりだからという見方ではなく、自然に任せ見守ることが大切です。1日のうち断片的に現れる仲間とのこうした遊びは、「見立て」や「つもり」が充実してきた時、次に必要な「ごっこ」あそび、「やくわり」あそびの橋渡しとなります。
今はまだ「たまに見られる」という程度で良いのです。要は「この日から」ごっこ遊びができるようになるのではなく、少しづつ準備を始めていくのが人間の発達です。おおらかに子どもたちの成長を見ていくことが大切です。
ブロックあそび、おもちゃの電車遊び、素材(水)への十分な関り、三項関係(自分、物、大人)の充実(指差しに声、表情で豊かに応答する)等、個々の取り組みの充実を図っていくことが、後の発達の重要な「部品?」となっていきます。
この時期は知識、技術のお仕着せではなく、「考える」、「指先と全身をたくさん使う」、これらの基本を繰り返していくことが大切です。
分かりやすく言えば、小学生になった時45分?の授業で机に向かい、じっと集中し持ちこたえる力、考え続け、仲間と協力し、お互いの良さを認め合う力を身につけるための土台、基礎を作るのが乳幼児期なのです。
その時期に知識や技術偏重的生活を送ってしまうと、学童期に伸ばすべき力に到達しにくくなり、少年期、青年期での順応力にさえ問題が生じてしまいます。効果や反応が見えにくい乳幼児期の「怖さ」です。
乳幼児期は見えにくいからこそ大人は大切に扱う必要があります。「大切に」とは何でも認めてしまうことではありません。基本的道徳観念は、やはり大人の言動に左右されますので、理屈で分からなくても子どもの傍若無人に対しては諭す(線路を示し導く)必要は大いにあります。
その諭し方が大切です。感情的に叱る、否定するは最もよくない方法です。分からなくてもその年齢なりに分からせる努力が大切です。繰り返し大人が粘り強く諭していくことは、いつの日か子ども自身の気づきを生み出します。
感情的に抑え込むこと、放任することは、恐怖で何も分からないか、何が良い悪いのか気付けず、どうしたらよいか分からず、永遠に子どもが苦しんでしまうことになりかねません。「諭す」という言葉には、とても深い意味があります。
愛情をもって、粘り強く、「大好きだよ」というメッセージを心の中に持ち、面倒がらず応答していくことこそ、乳幼児期に最も必要な育てる者の姿勢だと思います。
この時期は生まれて3、4年程度しかありません。長い人生の中で最も手がかかる時期を、子どもにとって大切な大人(親、家族、保育者)に愛情(認められ、抱かれ、諭され)の中で関わってもらえた子は、心置きなく幼児期、学童期へと成長を進めていけるのです。
カテゴリ:子育て
孫とスーパーボール
2025.08.09


おはようございます。
孫が我が家にやってくると、最近たくさんのスーパーボールを使い、2階の空き部屋で遊ぶのがパターン化しています。その遊び方は、合計数十個のボールをフローリング床に一気に弾ませ、反発し次々と跳ね上がる様子、感触や音を楽しみます。そしてそのボールを孫がゴミ収集車に見立てられた押し車(アンパンマン号)で、座席下のトランクに集めます。車を「ピーピーピー・・・」とバックさせながら、次々と積みこんでいく楽しさを味わいます。観ていてこちらも楽しくなり、より一層イメージの世界と様々な仕掛け(言葉と物で遊びを深める)を仕込んでいきます。子どもは自分の見たこと聞いたことを、器用に自らの遊びに取り込んでいきます。このような遊び方はいつまでも続けられるものではありません。幼い頃のほんのわずかな時期の楽しさを、子ども自身、そして私たち祖父母も楽しみ切っておきたいと思います。年をとってからこのような機会を与えてくれる孫にとても感謝しています。働く身でありながら、休日に孫の世話をすることで、身体は悲鳴を上げる時もありますが、やはり心の嬉しさ、充実感があるからこそ乗り越えていけます。
カテゴリ:子育て
子育ては「てをかける!」
2025.07.12
子どもたちは様々な活動にこだわりをもって取り組みます。保育士ももちろんこだわりを持ち写真を撮影します。今日の枚数も実は234枚からの一部分です。子どもたちの場面を連続撮影で撮っています。そこは子どもたちのこだわる様子であることが多いのです。
保育士も子どもの成長を願っています。そしてプロとしての目線を子どもたちの活動を通じて磨いています。だからこだわります。そして「発達の様子」を保護者の皆様に画像を通じて伝えたい気持ちでいっぱいです。それが連写に結びついています。だから同じ子どもさんがたくさん映っている偏りはご容赦ください。
私たちは保護者の皆様に、「発達」をお知らせすることを大切な価値観として位置付けていたいです。そのことで二度と戻ることができない乳幼児期を、どうぞ親御様の心にも刻んでおいていただきたいのです!こんなにかわいい時期はあっという間に過ぎ去ってしまいます。年長、学童期になれば、少しづつ無条件なかわいらしさから離れていかなければならないのも子育てです。
だからこそ今は最も「てがかかる」、いえ「てをかける」必要があるのです。この時期を豊かに育たなけれ人間性が乏しくなってしまいます。子どもは三等身のかわいらしさを持ち、はち切れんばかりのパワー、愛らしい心を持っています。身近な人に「かわいがってもらいたいから」しか理由などありません。大人の力がとても大切なのです。
どうぞ1枚1枚の写真から、こどもの伸びていこうとする意欲を感じ取ってあげてください。「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」最澄の言葉に、真っすぐ「今」を見つめ照らす子どもらしさと、親御様の思い、そして私たち保育者の心を見て取ります。それぞれの「宝」を大切に丁寧に育て扱っていくことが、人間社会の使命でもあります。
保育士も子どもの成長を願っています。そしてプロとしての目線を子どもたちの活動を通じて磨いています。だからこだわります。そして「発達の様子」を保護者の皆様に画像を通じて伝えたい気持ちでいっぱいです。それが連写に結びついています。だから同じ子どもさんがたくさん映っている偏りはご容赦ください。
私たちは保護者の皆様に、「発達」をお知らせすることを大切な価値観として位置付けていたいです。そのことで二度と戻ることができない乳幼児期を、どうぞ親御様の心にも刻んでおいていただきたいのです!こんなにかわいい時期はあっという間に過ぎ去ってしまいます。年長、学童期になれば、少しづつ無条件なかわいらしさから離れていかなければならないのも子育てです。
だからこそ今は最も「てがかかる」、いえ「てをかける」必要があるのです。この時期を豊かに育たなけれ人間性が乏しくなってしまいます。子どもは三等身のかわいらしさを持ち、はち切れんばかりのパワー、愛らしい心を持っています。身近な人に「かわいがってもらいたいから」しか理由などありません。大人の力がとても大切なのです。
どうぞ1枚1枚の写真から、こどもの伸びていこうとする意欲を感じ取ってあげてください。「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」最澄の言葉に、真っすぐ「今」を見つめ照らす子どもらしさと、親御様の思い、そして私たち保育者の心を見て取ります。それぞれの「宝」を大切に丁寧に育て扱っていくことが、人間社会の使命でもあります。
カテゴリ:子育て
親子関係の大切さ!
2025.07.06

つくしさんよりも月齢が上の子どもたちは、自分よりも幼い子や同じ月齢の仲間に、何かしら関心があって関りを持とうとします。しかし、月齢が低い子は「たまたま同じ関心対象物」であったため、その場を共有していることが多いと思います。
砂場でよく見かける遊び方が、室内外でも見かけられます。「並行あそび」、「平行あそび」と言われる発達段階に現れる状況です。人間の発達は一足飛びに進みませんので、集団で過ごしているといかにも一緒に遊んでいるように見えることがありますが、お互いが関心を強く持っているわけではないのです。
しかしその係わりの中に確実に次への「準備」も行われています。発達は連続しているため「くぎり」はつけにくいです。気づいたら寝返りを打つ、歩いていた、といったこともよく起こります。
このことは子どもの、特に乳幼児の発達スピードの速さを物語っています。うかうかしていると「発達の節目」を確認しそびれてしまいます。最も大切と言われる0歳から3歳前後の成長を、どうぞお見逃しありませんように。
もちろん身体の発達と並行して「こころ」の発達も進んでいきます。様々な感情が生まれてくる初期段階に、強く寂しい思いを体験してしまうと、大切な人に対する信頼はもとより、児童、青年期と進むにつれ他人を受け入れにくくなる、自分に閉じこもって表現できなくなる等、性格にねじりや落ち込み、感情の起伏の激しさを持ってしまうこともあります。
0歳~3歳は自己表現が未熟ゆえの恐ろしさがあります。「分かりにくい」、「分かっていない」から大丈夫は、とても危険な捉え方です。
もしもお子様の「表情」や「目つき」等に「うつむき」、「疑い」、「我慢」などの変化が見られたら、その「心の闇」を修正していくのは今しかありません。脅かすような言い方をして申し訳ありませんが、無抵抗な年齢であるからこそ注意が必要なのです。
どうぞこの時期の子どもたちの心をたくさん受けとめてあげてください。「なかま」との関係性にスムースに入る発達以前に最も大切なのは「親子関係」です。
カテゴリ:子育て
自律 自立 への第一歩!
2025.06.22



いつもの保育室とは異なる場所に行き、異なる仲間と共に過ごすことは、何かと刺激が増え新たな楽しさに繋がることもたくさんあるようです。直接の接点はそれほど多くはありませんが、お互いは視て、聴いて、感じ合っています。
人格、発達等様々な違いが、多様な接点を生み出し、自分にはできないこと、思いつかなかったこと、難しいことに対して興味を持つようになり、「やってみよう」と行動を起こすこともあります。
だから異年齢、人同士の交流は大切な「自分自身を広げる」チャンスだと捉えていくことが大切です。大人でも何事もひとりで考えひとりで行おうとする人は、人に左右されることなく、独立独歩の精神を日ごろから磨き上げていると言えます。
子どもの頃は何でもひとりで行っていても、大人になって仲間や好き嫌いの関係、教師に依存的になってしまうのは、自分自身に自信を見出せない結果だとも言えます。失敗も成功も身一つで感じ取り、自らの責任としていく覚悟があれば、「真実」は近づいてきてくれます。
子どものころからたくさんの様々な人と接点を持つことは、新たな世界への抵抗感や躊躇を減らしていきます。過去の日本政府は障がいを持つ人を山里、離島に隔離し、「自分とは異なる」を排除してきました。現代のような情報が行き交う時代になってもその名残は今もなお人々を苦しめています。
「人間」であることの意味は、まさに「ヒト(生物学的)」を超える存在でなければ、人間と呼ばれるにふさわしいとは言えないのです。冒頭に登場した「雨森芳洲」は、まさに異国人との違いで人や物事を見るのではなく、同じ人間としての善意と尊厳に訴えかけた人だと思います。皆様も承知の西郷隆盛も「シナ(中国)を理解するには、シナ人にならなければならないならない」と述べているほどです。真の国際人とはどのような人を言うのでしょうか?それは知識や技術、言語優先ではなく、「相手の心に対する誠意」だと思います。誠意があれば住み分けや干渉しない等の知恵で争いは回避できるはずです。
子どものころから様々な「違い」と接していくことは、大人になってからにしか分からない、「他者、違い」を自分事として考えられる人格を作り出す大切な経験だと思います。できるだけ「違い」を感じられる環境(もちろん人見知り、場所見知り、ある程度の小さな範囲が必要な発達段階もあります)を用意していくことが、ひとりの人間の世界を広く大きくし、分け隔てをせず、平等感を大切にする人格の育成につながっていくことは間違いないと考えています。
カテゴリ:子育て