トランプ政権の行方
2025.03.16

おはようございます。
相変わらずの強いリーダーシップで国民の半数以上の支持を得、世界を混乱させているトランプ大統領ですが、支持される理由や世界の情勢に影響を与えている外交や経済手法、メディア戦略については冷静な目線で分析する必要があると思います。熱狂するアメリカ気質に踊らされているとも言えますが、すべてが悪いわけではないからこそ国民の「信」を得ているのも事実です。
紛争を終結させるための駆け引きは、強引でロシアの出方も注視しなければなりませんが、ウクライナは交渉のテーブルにつこうとしています。不本意であったとしても停戦にこぎつければ、これ以上犠牲者を出さない状況は生まれます。イスラエルとハマスについても同様です。もちろんお互いに絶対譲れないことがあるにせよ、結論を持ち越すことで一旦平和は訪れると思います。
経済政策はアメリカ第一主義で、多額の関税を相手国に課しています。これについては自国の利益を優先し、アメリカの経済を立て直そうとする目的があるため、他国との関係性が良くなるとは言えません。また、世界保健機構や多額の寄付金の出費をなくすことも、アメリカが福祉や治安に対し世界のリーダーシップをとり「グレートアメリカ」と呼ばれてきた真の意味から逸脱する政策となっていると思います。
メディアをさんざん利用し、フェークな情報で挑発あるいは混乱させ、世界の民衆を混乱に陥れている事実は決して正しい方法だとは思えません。
人命が奪われないことに関しては成果があることは事実ですが、その手法、その他の問題(環境、ジェンダー)については、独善的で偏った問題が大いにある政策が目立つと言わざるを得ません。なにがしかの反論や負の反応が生じてもおかしくないと思います。極端な揺り動かしが新たな火種を生まないとは限りません。
カテゴリ:政治・国際状況
B29の記憶
2025.03.16

おはようございます。
太平洋戦争末期日本全土でB29による無差別爆撃(焼夷弾-通常の銃砲弾・爆弾とは異なり、目標を爆発で破壊するのではなく、攻撃対象に着火させて焼き払うために使用する。そのため、発生する爆風や飛散する破片で対象物を破壊する爆弾と違い、焼夷弾は中に入っている燃料が燃焼することで、対象物を火災に追い込みすべてを焼き尽くす)がありました。名古屋も1945年3月12日に空襲があり500人以上が犠牲となりました。
この空襲にB29の搭乗員として関わった米兵の息子(ロバート・フレミングさん)が、一般市民を犠牲にした爆撃に罪の意識はなかったのかを映画製作を通し問い続けています。父親は戦争について多くを語ってはいませんが、1枚のレーダー写真(名古屋空襲時の写真)を大切に持っていたこと、弁護士としてのベトナム反戦運動への参加で自己の贖罪や戦争に対する思いを持っていたことがうかがわれます。自己の制作した映画をぜひ名古屋の人々にも観てほしいという願いを持ち、アーティストであるフレミング氏は、ピース愛知(名古屋市名東区)での上映を望み、実現の運びとなったようです。時間を作り私もぜひ観に行こうと思っています。
戦争、核、原発、山火事、地震、津波、火山噴火、人がもたらす災害や残虐性、自然がもたらす災害等、人の力によって災害を防ぎ、備えることができるならばその道を進まなければなりません。世界で起こっている戦争、日本のエネルギー政策はすべて逆方向を向いています。同じ過ちが繰り返される危険性は、数千年前から変わっていないとも言えます。残念な人間ではいけないと思います。
カテゴリ:戦争
あそびの様式化と脱様式化
2025.03.16

子どもたちの遊びは様式化(この遊具はこのあそび方)と、脱様式化(この遊具はこんな遊び方もあるのではと試してみる)の間を行き来しています。特に乳幼児は様式化の観点よりも、自分の発達してきた手足を使って、様々な方法で物質を扱うことで「どうなるだろう?」と試してみることに懸命になります。
例えば今日のパズルなどは様式化された遊びと言えます。決まった位置でないと完成とはなりませんね!その様式化を見つけ、ある程度できるようになると、興味は失われていきます。このような対応の玩具はこのような運命にあるのです。ブロックはBブロックのように形が決まっていても、脱様式化(同じやり方でなくても見立てによって変化は何通りもある))の要素も多く含んでいます。何通りもの道筋を体感するまでは飽くことなくブロック遊びが続いていくことでしょう。
ここまで説明すれば自然物がどれほどの「脱様式化」の力をはらんでいるかは、お分かりいただけるのではないでしょうか?砂、花びら、葉、土、水等々、見方、使い方によっては変幻自在に、ひとつ一つの自然物が持つ無限の可能性を見出すことが出来るのです。子どもたちは子ども時代だからこそ、このような「気付き」の最前線に存在することが出来ると言えます。
ということは、子どもたちにとって日頃からどのような環境が大切であるかも見えてきますね。そうなんです!子ども心を刺激し様々な発想を導き出す素材がいつも近くにある環境、これこそ子どもたちには必要な存在なのです。
素材の使い方を「脱様式化」によって、たくさんたくさん試してきた子は、この先の人生で様式化された数、質量、長さ、法律、言語、絵画などについて、より独自で個性的な考えや取り組みを行う力が備わっていくに違いありません。
だからこそ知識や技術にだけ着目した教育に偏重すれば、子どもの発想力、想像力、独創性が育っていかない結果が見通せます。指示待ち、型通り、様式化された事物だけへの適応、自ら考える力や習慣の欠如に繋がっていくことは想像できます。
人間として真に必要な力は、与えられた問題をただ単に回答するだけの力ではないのです。現代社会で問題になっていることに目を向けてみてください。続く紛争、環境の悪化、利他の喪失等々、人間同士が平和裏に過ごしていくための知恵が実践されていると言えるでしょうか?私たち大人が子どもたちに残していくべき社会は、自己中心的で我がままで他者を顧みない醜い人間社会ではないはずです。そのためにも生まれ落ちた瞬間から、大人は何を守り伝え育てていくべきかに真摯に向かい合い、子どもたちを正しい道へと導いていかなければならないと考えます。
カテゴリ:発達
消える書店と新たな書店
2025.03.16


おはようございます。
3.9中日新聞の「ニュースを問う」5面に「書店の灯消さないために」という記事がありました。ネットで本が買える時代となり(私も中古本をAmazonで買います)、街角の書店が次々と閉店に追い込まれています。ネットは興味ある分野の本を、安価にしかも素早く買い求める場合に重宝します。反面偏った知識や興味に陥りやすくなるという欠点もあります(エコーチェンバー)。
一方書店では思わぬ出会いもあります。自分の興味以外の出来事を表現した本は、並べられた書棚だからこそ見ることができます。ネット情報はフェークニュースもあり情報誘導されることもしばしばあることを考えると、自分自身の公正な目線を保ち続けていくためにも、能動的な視点を持ちやすい書店での情報収集は、価値が高いと考えられるのではないでしょうか。
営利を目的とした旧スタイルの書店の数は減少していますが、「人が集まる場所」としての個人経営の小さな書店や共同経営、ボランティアによる運営等、営利を必ずしも第一としない様々な書店を開業している例もあります。また中日ビルに開店した「文喫 栄」の様に大規模で喫茶店とのコラボで入場料で本が読める新しい本屋さんも登場しています。今の世の中に必要かつマッチした新しいタイプの書店が増えていくことを期待したいです。
安城市 七坪書店(https://nanatsubobooks.com/)
【はじめまして。愛知県安城市にある小さな本屋さんです。本は読む人をあらゆる世界へ連れて行ってくれます。ある教師は歴史の謎を解明するべく過去へ行きました。あるピアニストはアドリブ主義の気軽さで未来へ行ってしまいました。ある詩人は天国と地獄を旅していました。ある子どもは魔法学校へ入学してしまいました。ちょっと疲れたな・・・・、どこかへ行きたいな・・・そういう気分のときこそ七坪書店に足を運んでみてください。小さな店のなかにいくつもの世界をギュウッと詰め込みました。コーヒーも提供していますので、ゆっくりじっくり、あなただけの一冊を探してみてください。】
カテゴリ:宗教・文化
発達の境目
2025.03.16

それぞれの発達段階の中で個々の力を伸ばしている様子が見受けられます。今遊んでいる様子がまさしく、本人にとって必要な遊びの内容であることを認めることが大切です。
一人で遊びこむ時が必要な時期、気の合う仲間となんでも一緒が良い時、この遊びのときはこの相手等、様々な遊び方のステップがあるのです。心と身体が発達する途上は当然の如く個人差が生まれます。ここを他の子と比較しても意味がありません。先を行く子もゆっくりじっくり歩みを進める子も、それなりに自分らしさの中で進む幅を持っています。これこそ個性だと思います。
小学生になるとなぜか発達は一並びになっているとも言えます。身近なご家族様は心配が尽きませんが、もうしばらく様子を視ていこうと、気を長くして生活していきましょう。大好きなご家族様が不安や苛立ちを子どもたちに感じさせてしまうことは、子どもたちにとって良い事とは言えません。
また子どもたちは子ども同士で上手に関係性を作っていくものです。ここに大人が必要以上に介入すると、これはこれで話がややこやしくなることもあります。人間は自然の一部ですから、たとえ幼くても「自分の力」で一歩を踏み出す必要があります。その一歩は心で感じていることを、どうしても言葉や行動で表したくなった時に自ずと踏み出すはずです。
子どもたちを観ていると「立ち止まり、ジーと見つめる」瞬間があります。その時きっと心の中で葛藤しているのだと思います。「どうしよう、やってみようか」、「いっしょにあそぼうと言おうか」、子どもなりの「迷い」、「判断」を待つことは、忍耐が必要かもしれませんが、この子ども心の葛藤がとても大切であると思います。
カテゴリ:発達