お知らせ

自分作りの真っ最中よ!

2026.03.01













自我を作っている発達段階の子どもたちは、「あげる」、「もらう」、「する」、「してもらう」等、対極に位置する行動に関し、複雑な心が働いています。

「あげるのはいいけれども、2つだけだよ!」、「もっとほしいわ、2つだけじゃいやだわ!」、「はい たべさせてくれる?」、「いまはじぶんでつくっているのよ!だからあげないわ!」等々、過去に経験したことに、相手は必ずしも素直に応じてくれるわけではないため、当然ですがお互いの心に波風が立ちます。

そんな状況に戸惑いを感じながら、仲間とのやり取りで自分を試している姿が、あちらこちらで視られます。今の段階は「必ずしも期待通りではない」相手の言動に右往左往し、「おかしいな?」、「どうしてかな?」を感じ取ることが出来れば、それでよいと思います。

ドングリをあげるあげない、わたすもらうの場面が、お互いの思いがうまく合えば「笑顔」になり、合わなければ「悲しいさや怒りの表情」となって相手に発信されます。同じ園庭活動の中で、人が変わればそれぞれの発達段階や性格によって、上手くいったりいかなかったり、そんな時間を重ね過ごしていくことで特定の相手は見つかっていくものです。

「誰とでも仲良く」は一見良さそうに思えますが、実は「嫌な思い」の経験を省いてしまうことを勧めているようなものです。子どもは長い人生を歩き始めて間もないですが、ひとつ一つの経験を感じていくことが必要です。もちろんその経験の中には、本人が嫌がることも含んでいます。

よくありますよね、「あの人は物事をはっきり言うが、裏表はない」、「彼らは徒党を組んで私を陥れようとする」、自分自身をしっかりと持っていれば前者となり、自信がなければ後者になってしまうこともある。幼い頃は成長する過程の中で、決して後者にならないように「自己選択」、「自己決定」を行うことを体験していくことが必要です。

その選択がたとえ間違っていたとしても、相手から返ってくる反応で相手の気持ちを慮り、いつの日か理解できることを期待し、大人はあえて子どもが嫌な思いをしたり、泣いてしまう場面が予測されていたとしても、大人の力で避けてしまえば子どもはその小さな大切さに気付くことが出来ないのです。

子どもは間違いを犯しながら「正しさ」にたどり着きます。それは物事だけではなく、人同士も同じことなのです。いえむしろ人と人の関係こそ失敗が必要です。間違ったと気づけば修正していけばよいのです。この曲がりくねった道を歩む勇気こそ、子どもたちの心に育てていくことが大切です。この積み重ねでやっと「人間らしさ」が芽生えていくのです。

カテゴリ:発達

特定の二人 自然  

2025.11.09













行き当たりばったりに見える子どもたちの行動も、実はそれなりに意味があり、その道程を追っていくとおもしろさが見えてくることもあります。もちろん本当の思い付きでそれ以上あそびが膨らまないことも多々ありますが・・・・。

とにかく思った通り自分の身体と頭をフル回転させながら、行動の結果で考え直していることは確かだと思います。今日の写真を見ても所々にそんな様子がうかがえます。

例えばトラックに花りんを積みおもむろに車を走らせますが、どこっていう目的地や「こうしたい」という目的はなかったと思います。ですが頭の中には映像や実際にダンプカーが、土砂を満載した荷台を持ち上げ落とす場面を記憶しているのか、その様子を再現したい気持ちがあるのだと想像します。

砂場で型に詰められた砂は、きっとたこ焼きか何かしらお店で売られるものなのでしょうか?だからこそプーさんハウスをお店に見立てお店屋さんを楽しもうとしているのかもしれません。その事を実感するために、砂場ではなくプーさんハウスである必要があったと思います。

ともだちと二人で手をつないでいる姿(特定の2人)は、右手(利き手)であるいは仲間を自分の右側に置きたいのか、決まった形を作ろうとしています。「こうでなければ」といった自分中心の視方ですが、お互いがその行動を認め合えるからこそ「特定の仲間同士」と言えると思います。他者を受け入れていく初歩の段階は、この「特別な2人(気が合う、許しあえる関係性)」でないと育たないものがあるのです。

そしてバッタ、カリン、キンモクセイ等の様々な自然を通じ、命に触れていく機会がたくさん写し出されています。私たち人間ももちろん生き物ですが、人間以外にも「命」があることを感じ、共に地球で生活している原点を肌身で理解していく機会を得ています。人間だけがすべてでないことを知ることは、例えばミツバチがいなくなれば、果物や野菜を食べられなく日が来るのを、いつの日か理解することに繋がっていくのです。

このように子どもたちはいかにも偶然の毎日の中で、実は必然的な出来事に出会い、様々な人間性会、生物界の約束や順番、弱肉強食等を学んでいるのです。だからこそこれらの機会を保障する必要があるのです。子どもたちに小さくても「豊かな自然環境」を用意することは、何もないのっぺらなグランドを準備することよりも、数百倍大切なことであると考えています。

自然の一部である人間は、在りのまま、たとえ作られた自然であったとしても、自然を感じながら生きることが出来る環境に過ごすことで、他者、他の生き物を尊重する心を自らの中に育て、本来持っているべき人間性を保ち続けることが出来るはずです。その機会が少なくなっている人類は、自らでその危機を招いているとも言えます。

カテゴリ:発達

子育てと発達

2025.11.03

子どもたちの成長は早いものです。あっという間に過ぎ去ってしまう乳児期をより大切にしたいと思うばかりです!

大人からすれば簡単なことも、子どもたちにとっては冒険だと思います。たとえば「あるく」、こんな当たり前の動作さえ、一歩一歩が喜びの瞬間であるはずです。だから「もう一歩すすみたい」のです!その一歩の感動を一緒に分かち合っていきたいものです。

発達は子ども自身にとっては「未知との出会い」、「嬉しさの体験」に他なりません。心も成長してくるとその中に「不安」や「疑い(だいじょうぶかな?)」などの感情が芽生えてきます。そこを一つひとつ大人の手も借りながら進めていくことで「安心」して冒険を楽しんでいくことができます。

「あるく」、「ける」、「いれる」、「すくう」など、自分自身の身体そのものを使う動きと、道具を媒介し獲得していく動きがあり、それは並行して行われていきます。常に発達しようとする心身は、年長者や大人の「砂の扱い等々・・」高度な方法(大きなバケツに砂を入れひっくり返す)にとても大きな関心を示します。

そのことが心の中で大きな「憧れ」となって自分自身を育てる種になります。「あんなふうにやりたいなー」、「ステキだなー」、このような環境を意図的に作り出すことも、保育園という様々な年齢が過ごす施設の役割でもあるのです。

もちろん「自己中心的時代」、特に乳児期は親御さん、ご家族様との関係性を充実することが第一に優先されなければなりません。ですが発達の特徴(平行して進んでいく)を考えると、「自己中心的時代」にも、次の発達段階の要素が環境(タイヤで遊ぶ、砂場であつまる集団)として存在することも必要に感じます。

3歳まで自宅で過ごすお子様が、時には児童館や子育て支援施設、本園のような「園庭開放」に行くことを勧められるのも、「子育てが孤立する要因」となる大人都合を予防するだけではなく、子どもにとって関わる同世代(同じくらいの発達の仲間又は近い)の存在が必要だからです。もちろんお母様の家庭生活が孤立することなく安定していることが、最も大切な前提条件であることは代えられません。

カテゴリ:発達

子どもの何を育てるべきか!

2025.09.20







つくし組さんの発達は4人の個別性がとても強く現れています。つかまり立ち押し車歩き、ひたすら強く速く歩く、物(かばん)をもってバランスよく歩く、自由自在に難しい場所(1本橋)を歩く、4人4様で視ていて面白いです!

このような発達の個別性で必要となる支援は、つかまり立ちの段階に関しては転倒時に頭を打たないようにすること、つまりは安全確保、物を持ち歩く時も同じ目線が必要ですが、それは足腰の発達具合で変わります。安定して歩けるかは日頃様々な場面に対する歩行を観てキャッチしておく必要があるのです。だから一律な支援ではありません。よって大変です。

最大の初期発達における子ども自身の喜びは、視線や見えるものの見え方の変化です。寝返り、お座り、ハイハイ、つかまり立ち、だんだんと視界は高く広がり、「もっとみたい、さわりたい」といった欲求は高まりを見せます。この「こころ」の発達が身体使いをより活動的にしていくのです。

心と体の発達不一致が起きたとき、「ころぶ」等の事態が発生します。ですが転ぶことも学習機会ですので、今現在の身体能力や経験数で小さなケガで済むと判断できれば、むやみに助けることを避けることも必要となります。小さなケガを経験するからこそ大きなケガをしなくて済みます。

担任保育士に手をつないでもらい1本橋を渡っている様子は、おそらく本人が望んだ結果だと考えます。その判断(怖いから手をつないでもらう、もしくは自分で判断し止める)が、「今」の発達段階なのです。その姿がいずれ一人でも大丈夫と、落ちそうでも頑張る姿に変わっていきます。

このような判断に至るには、一人で挑んで平均台から落下し、「なんだ、あしでじめんをつかみ、ちょっとひざのクッションをつかえばだいじょうぶなのね!」といった経験を積み重ねることで、きっと早歩きで渡るほどの自信につながっていくと思います。

対照的にすべり台を滑り降りる姿は自信に満ち溢れています。保育園では室内でも、たぶんご家庭でもどこかでたくさん経験されているものと想像します。この経験の積み重ねの差異が、子どもの「ひとりで」または「てつだって」の判断材料になっていくものと考えられます。

そして新しく搬入した山砂(2トン車 2車分)、保育士との話し合いでも柔らかく、さらさらした感触は子どもたちの興味、関心、意欲を高め、結果砂場での集中時間が増していることが話題となりました。用意する環境の「質」が発達を促していることがよく分かります。丁度涼しくなるころを見計らい用意することが大切です。

子どもたちに用意されるべき環境、これは大人が考えていくことが必要です。それも個々の発達に見合った取り組み方を応援し、大人の思った通りの線路を行わせるような方法、内容ではなく、自発や挑戦意欲を自らの中に作り出していけるような成長を願ってでなければならないと考えます。

子ども自身の心と体が納得し腑に落ちてこそ、「自信」、「粘り強さ」、「立ち直りの心」が育っていきます。どんな技術や知識の教え込みよりも乳幼児期に身につけるべき力は、この様な力強い非認知能力(物事に対する姿勢や取り組み、他者との関係性構築の力)であることは、間違いなく今後の心身成長の土台となっていくのです。

カテゴリ:発達

発達をみつめるまなざし2!

2025.07.20



子どもたちの発達は「準備の期間」という捉え方があります。準備が整ったことを「レディネス(特定の状況に適応する準備が整う)」という心理学用語で表しています。

ただし発達は連続しているため、「さあここからは・・・」のように、はっきりと区切りをつけられるものではありませんね。だからおよその目安を意識しておき、もちろん誤差はありますが、子どもの動きや取り組みを観ていて、「まだこの子には早いね!」と評価、判断することによって遊びの提供内容を変えていくことも大切になってきます。

つくしさんですとハイハイやつかまり立ちはその目安となってきますが、あまり早く立つことに気持ちが移行してしまうと、気持ちに体がついていかず、大腿部の筋肉や部位の可動の質が上がらないうちに、二足歩行へと気持ちが偏りがちとなります。

抱っこしたときにしっかりと足に力が入り、挟み込みのような力を感じられるか、ぶら下がりは可能か、ハイハイはスピードを上げて進むか、膝をあげライオン(高這い)の姿勢で四つ這いで進めるか?このような動作をたくさん行ってきたかどうかが足腰の強さの目安でもあります。

あまりできなかったとしてもまだ十分間に合いますので、広々とした、凹凸のある床や地面、障害物などのある環境での「まてまてあそび」など信頼できるご家族が子どもたちを誘うことで、充分にそれらの動きは引き出せますのでお試しください。

子どもたち特に乳児期の3年間は、その時はよく分かりませんが、長い目で見ると学童期、青年期に影響を及ぼします。心理的には十分な欲求の満足を得て、身体的には欲求に応じた身体活動を十分に経験することで、「うまくいかなくても立ち直る心と身体の基礎、土台」を培う時代なのです。

乳児期の子どもたちは「何もできない存在」ではありません。この3年間で自分なりの猛スピードで、「発達しよう、発達したい!」と頑張っている時代であることをしっかりと見据え育てていきたいですね!幼くてもひとりの人格を備えた貴重な存在であることを私たち大人は再確認する必要があると思います。

カテゴリ:発達

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