お知らせ

子ども同士の関係性と大人の役割

2024.10.11

1歳児クラスの世界
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この頃の子どもたちは夢中になってしまえば、自分だけの世界(自己中心性)に没頭します。またこの世界観を充実させることが大切です。しかし、異年齢や同年齢が同じ場所に存在すれば、それはそれなりに何かしら影響しあいます。

1歳児の中に一人だけ大きなおにーちゃん(オレンジ帽子)がいます。それだけで子どもたちの心の中は何かしらざわついているのです。大人や自分より年齢が高いひとは、必ず新しい事や楽しいこと、挑戦性があることを自分の心に届けてくれることを知っているかのようです。

椅子から平均台へ場所を移動しただけのように見えますが、ただこれだけのことが子どもたちにとっては、新しい経験のように見受けられます。大人が楽しいと感じることと、子どもたちが心動かされることは次元が異なっているように感じます。最初に座っていた椅子(机)は、幅広で座ることに怖さを感じるものではありません。しかし平均台は座るところが細いため、自分の身体を真っすぐに保たないと後ろへ転がることになります。そんな挑戦もはらんでいるかのように感じます。その世界へ導いてもらったのは、他でもなく大きなおにーちゃんなのです!

様々な勇気を体験しながら、目の当たりにし子どもたちは自分だけの挑戦、遊びを展開していきます。山、砂場、生きもの等々同年齢の中で思うままに自分の世界を創造し作り上げようとします。そのお互いの世界は、時にぶつかり合ったり、邪魔しあったり、同調したり、同じ年齢だからこそ遠慮なく様々な感情をぶつけ合うことができるのです。これが異年齢だと遠慮や関心、優しさ、思いやりといった感情や行動を沸き立たせていく関係性になるのです。

よって異年齢と同年齢、その両方の環境は子どもたちにとって必要不可欠な関係性であることが分かります。そしてさらなる発達のカギとなるのはそこに関わる保育士(大人)の存在なのです。どんな働きかけが大切でしょうか?働きかけない働き(見守り)もあります。しかしそのすべてにおいて、私たち保育者は個々の子どもたちの成長に目的をもって関わる必要があります。放っておいては単なる安全確保者でしかありません。もちろん安全は何よりも大切です。しかし一歩踏み込んだ見方、働きかけをしてこその専門家なのです。

カテゴリ:発達

乳幼児期の大人の関りの大切さ

2024.10.11



今日から3日間は園庭開放日です。お天気が心配でしたが何とか持ちこたえ、涼しい園庭環境でたくさん遊ぶことが出来たようです。一般の親子様も2組参加され、園の説明もさせていただきました。

雨上がりのしっとりと湿り気の残る園庭は、乾ききった時と異なりそれなりの魅力が感じられます。穴にたまった水、泥、湿った重みのある土は、様々な入れ物、型抜きにしっかりと食いつき、きれいな形を再現できます。大人が作る土の型に子どもたちは大きな瞳で見入っています。「もっと もっと 作って!」と言わんばかりに、アイスクリーム、魚、アンパンマン、コップ、おわんなどを持ってきます。本人の力ではまだ完全な形を作る技術がありませんので、大人の作るものは憧れでもあるのです。

一気にたくさんの異年齢が集まって欲求を叶えようとすると、交通整理がとても大変です。それぞれの発達を大切に思いながら関わりますが、間に合わない時、自分の持ってきたものの区別がつかず未発達の子は、しばしば自分が使おうとすることではっきり主張するようになった大きな子とぶつかります。何を言われているのか分からない0,1歳児クラスの友だちは、怪訝そうな顔つきで動きを止めます。そんなやり取りの中にも、今は分かりませんが、自分の行動が他者が嫌がる場合もあることを学んでいきます。でも「遊びたい」、「おもしろい事、人」に関わりたい気持ちはどの年齢の子も同じです。発達の違いを感じながら精一杯調整し、しかしぶつかることも学びと捉え、嫌な気持ち(色で言えばグレー?)から何かをつかみ取ってほしいと願います。

そのようなやり取りの大切さも含め、園庭開放と説明を聞きにいらしたお母さまに保育園が大切にしていることをお伝えします。「0~3歳までの発達」、「親子の愛着形成」はどんな知識、技術を学ぶことよりも優先されなければなりません。その重要性はまさに人間になるための土台形成に他なりません。

この結論にたどり着くために私もずいぶん時間がかかりました。幼児(年小、中、長)、学童(小学生)、中高生、保育の専門学校生、様々な人々と関わる中で、「どうしてこのような考え方、言動になるのか?」といった、青年期を迎えた人たちの様々な問題に出会った時、遡ってたどり着いたのが乳児期でした。

乳児期がとても大切であるという結論は、人間としての土台を作る時期だからこそ、その初期段階において「人に頼る」、「愛されている感覚」、「自分自身を信じる気持ち、自己肯定感」を育てなければなりません。身近な人(親、祖父母、隣近所、多世代の人々)との親密な関係性から生まれる安心感は、出会う物事、人との関係性が広がって行く時に必要な土台になるのです。
言葉がない時代こそ、実は言葉、表情、スキンシップ等あらゆるコミュニケ―ション手段を駆使し、子どもたちとの関りを大切にしなければならないのです。コミュニケーションは言葉に潜む思いやニュアンスこそ伝わります。子ども時代を尊重するとは、もち得る能力を存分に使い、見たい、聴きたい、触れたい、嗅ぎたい等の感覚器官の欲求、好き、嫌い、怖い、寂しい等の正負の感情に十分に寄り添い、応答していくことで得られる安心感でもあると思います。

カテゴリ:発達

親子 仲間 人間同士の関係性

2024.10.06



さて今日は少し汗ばむ程度のさわやかな秋空の元、子どもたちは本格的にお外遊びができることを、体いっぱい感じている様子が随所に見られました。虫を捕まえるため走る、築山に登る、押し車を思い切りよく押して走る、砂場で集中する等、気候の良さはどの活動をも後押しする力になります。

そして2歳児クラスのみんなは、そろそろお友だちが気になる発達段階を迎えています。大人に甘える時間もまだまだ必要ですが、仲間の遊ぶ場所に一緒に居たい、少し手伝ってみたい、同じことをしたいなどの思いがちらほら見え隠れするようになってきました。「いっしょに」の具体的な方法は、思い付きが多く相手の考えと一致しないことも度々あるため、中々言い出せなかったり、伝えたとしても拒絶されたり怒らせてしまったりもあります。

人間同士はたとえ幼くても「相性」の良し悪しは大人と同じように存在します、だから自然に同じあそびであつまっている2人ないしは集団は相性が良いと考えて問題ありません。まずはその「小さななかま」からが、他者を知っていく、他者を慮る優しさを身につけるためのスタート地点だと言えます。無理に気の合わない集団で、うまくやれる力を求めるのは大人のエゴです。その年齢と発達に見合った仲間集団があればそれでよいのです。

ただ少し考えさせられるのが、その年齢だから「こうあらねばならぬ」といった考えです。必ずしも同じ年齢だから同じことが出来て当たり前と考えることは危険です。子育てはまずは「親子の関係」、「愛着関係の成立」が基本であり土台です。その関係性に不足があれば当然、仲間の行為行動を受け入れることよりも、自分の欲求を満たすことを本人は優先します。できるだけ幼い時にこの愛着関係をしっかりと作っておくことが、結局は仲間を受け入れる、他者の立場に立つ、これらをひっくるめて自律することが早くなることが分かっていることです。

子育て、保育の肝心なところに決して手を抜いてはなりません。手を抜いた分だけ親から離れられなくなるのが、子どもという「ちいさなひと」なのです。0~3、4歳までは親、家族との愛着関係を重点的に育てる期間です。大切なお子様をお預かりする保育園ですが、親の代わりはできません、また集団生活は個人の欲求を完全に満たせるわけでもありませんので、ご家庭でたくさん、たくさん「見つめる」、「スキンシップする」、「話しかける(言葉が理解できなくても)」、「言葉で応答する機会」を確保してあげてください。そんな時間=愛情をたくさん受けてきた子は、とても寂しいですが早く自立していきます。親も子離れの時期が訪れるのです。

カテゴリ:発達

孫からのメッセージ 2

2024.09.25

アクアトト カエルコーナー
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近くの公園のベンチにて
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おはようございます。
先週金曜日から我が家へ孫が初めて2泊しました。共働きのため、今回の第二子出産の際も嫁の祖父母に孫は毎日お世話になっています。どちらにおいても孫であることに変わりはありませんが、せめて連休中は我が家でみようと考えました。1日目はアクアトト、2日目は朝から散歩へと出かけ「お外へいきたい!」と玄関まで手を引く子どもの欲求に応えたのです。アクアトトは全国でも数少ない?淡水魚専門の水族館のため、朝10時到着にもかかわらず、一番近い駐車場は満車、結構歩く裏口駐車場に止めざるを得ません。うまく抱っこをせがむ姿に負け、駐車場への行帰りだけでもヘトヘトになる始末!体力維持は日頃からっと反省しました。それでも魚にいちいち大きな声と表情、指差しで感動を伝える姿には元気をもらいました。
2日目は自宅周辺のマイ散歩コースを、昨日の学びを元にベビーカーで散策!日陰伝いにまるで寅さん(「男はつらいよ沖縄編」電柱の影つたい)のように行動、お陰で1時間という長い時間も、自然を2人で楽しみあっという間に感じました。様々な葉っぱをちぎったり、ツル状の植物をちぎり棒にして遊んだり、野花を摘み花びらを吹くなどし自然遊びを伝えながら歩きました。すると保育園の子どもたちと同じように、濡れたベンチの上にあらたに自分でちぎってきた葉っぱを載せ水分と混ぜ合わせたり、葉っぱを並べる、吹いて遊ぶなどを楽しんでいる様子、子どもはやり方さえ伝えれば、何かと組合せ自分でやってみるようになるものだと、改めて感じました。敬老の日に孫と過ごしたことは、「いつまでも元気でいてね!」のメッセージのようです。
孫とのステキな時間は有意義ではあるのですが、翌日に尾を引く疲れは致し方ありません。世の祖父母様にも心からご苦労様、でも充実ですね!とお声掛けしたいものです。

カテゴリ:発達

からだのぶつかり合い

2024.09.17



あそびの最中に仲間と体を寄せ合う、ぶつけ合う、重なり合うなどの触れ合いは、保育士、大人に抱っこしてもらう触れ合いとは少し意味が異なります。

大人は全面的に子どもの身体と心を養護しますが、仲間はそうではありません。遠慮がない、対等、ライバル、そんな言葉が適していると思います。「わらべうた」、「伝承遊び」で考えてみても、乳児さんの年代は「あそばせうた」といって、大人が子どもの手や足、全身をくすぐったり、優しくタッチするなどを伴いながら、子どもとのスキンシップを楽しく、気持ちよさを与えるといった意味合い(愛着と安心を確保)が強いのですが(一本橋こちょこちょ・いないいないバー・おつむてんてん等)、年中以降になれば子ども自身が仲間との競い合い、ぶつかり合いなどを含んだ、子ども同士の関係性ある遊び(かごめかごめ・おしくらまんじゅう・力技術比べ・チーム競技)を欲し、自然に遊び方が変化していきます。

この体の触れ合いは、人間にとって大切な信頼、協同、依存、相互扶助などを行うための土台を培う大切な遊びだと考えます。幼い頃はぶつかり合うことでしか、相手の身体の感触や自己の弱い場所、大切な体の場所を知る手掛かりがありません。時にはケンカをし、手の出しあいなどで激しくぶつかり合うことで、体と心の大切さを理解することもありますが、多くは遊びの中で痛みを感じていくことで、相手に対する思いやりの心も育っていきます。

年長ともなれば自分たちでルールや約束を作り出し、あえてその制約を楽しみながら、「行き過ぎ」、「善悪」、「協力」などの大切な関係性を学んでいきます。仲間を欲するといった自然な発達は、人間がひとりでは生きていけないこと、ひとりで生きていってはならないことを物語っています。他者との交わりを避けることは、自分以外を理解しようとしない姿勢にもつながります。どこまで他者を頼らず生きていけるのかとは異なる問題です。

だから乳児期に大人からのスキンシップと語り掛け、同調と共感、そして大人以外の仲間との身体接触による触れ合いの機会はとても大切です。仲間との接触は分からないこそその機会を持つ必要があります。理屈などは後付けで構いません。それよりも機会を保証し、感じることを優先する必要があるのです。

カテゴリ:発達

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