お知らせ

もらう わたす喜び 素材の楽しさ不思議からの学び!

2025.06.29

altもらうことは うれしいこと そのきもちを こころにやきつけて・・・

今日のつくし組さんは、誕生会の「もらう渡すよろこび」、素材「水」の楽しさ、室内遊び「ころがる」が主なテーマですね!1日の中でもし家庭だけで生活していれば、今日のような環境が必ずしもあるとは限りません。このような意味においては、決してお子さまにとって一番大切な安心感である保護者様の存在に勝るものではありませんが、子ども本来の「あそびを通した成長」という観点から見ると、家庭で過ごすよりも刺激的で、子どもたちの力になっていると言えます。

たくさんの仲間の前で「プレゼント」をもらうことは、もちろん緊張を伴いますが、「嬉しさ」を皆で分かち合う(みんなに喜んでもらうという形だけでも)ことは、喜びや自覚も2倍以上い膨れ上がっていると思います。また、皆の前で「立つ」、「表現する(言葉動作)」ことは、恥ずかしい気持ちを乗り越え、心を強くしていくことに繋がっていきます。

ころがるものは世の中にたくさんありますが、ボールは四方八方にころがる可能性を秘めていること、ころがっている様子を目で追う喜びに満ちている対象であることなど、子どもたちにとってとても驚きの対象物であるはずです。円筒形の物はころがすこともできますが、一方向のみでそれよりも積みやすさの性質が興味の対象としては勝っていると思います。

このようにモノが持っている性質に働きかけていくことで、子どもたちは楽しさを通じて様々なことを学んでいるのです。「慣性の法則」、「バランス感覚」、「空気の弾む力」等々、きっと大きくなってから理科や化学、物理で知識として習うことを、実体験をもって心と体にしみ込ませているのだと考えます。

「お水」は素材としては、中でも可塑性(変化しやすい)に富む素材であるため、子どもたちの興味がとても大きいことは当たり前だと言えます。水に慣れ親しみその性質で十分に遊びこむことは、分量の把握や生活習慣への順応にも深く関連しています。思い切り触れさせてあげたい素材です。

このように子どもたちは1日の生活時間を集団で過ごすことによって、新たな学び、同じことの繰り返しによる身体や頭脳の成長を自分自身で行っているのです。0歳児から4歳手前までの大切な時期を、「今現在の精一杯」で過ごしていけるように、配慮していきたいと考えています。

カテゴリ:発達

育児の科学的目線!

2025.06.15



ほうきは掃除をする道具、タイヤは車を走らせる部品、円筒形のプラスティックは元は海苔の容器等、本来の役目とは異なる使い方を子どもたちは行います。

タイヤは丸くて転がる、積めば自分がすっぽり入る隠れ家に、横に並べればアスレチックやバランスを味わう遊具に、ほうきは地面をなぞれば砂模様を描き、時にはバットや刀に、海苔の容器は砂や葉っぱ、生きもの観察ケース、はたまたシジミ蝶を捕まえる道具へと変身するのです。

これらは大人がやることをまねる場合もありますが、自分自身の手足と頭を使い見つけた扱い方法です。どれも道具を手に取り、様々な作用を仕掛けることで、物の性質が明らかになり「おもしろい」といった、心の充足感へも繋がっていきます。だから物と素材の準備は大切だと思います。

人類が初めて小枝を手にした時、その葛藤は始まりました。知恵と工夫、何度もの試行錯誤、数々の失敗と成功を繰りかえすうちに、最も面白いまたは生活の役に立つものとして、固定した使用方法へと落ち着いていきます。

子どもたちはまさにその「人類の進化の過程」を体感しています。室内外の様々な遊具と比較してみてください。元々決まった使い方を狙ったものは、子どもたちの試行錯誤をどの程度引き出しているでしょうか?限定された目的をもって作られている物には自ずと広がりに限界があります。

よってあまりにも目的が明確なおもちゃは、すぐに飽きてしまったり、より強い動機が持続できるもの以外は使われなくなっていきます。何度やっても遊びたくなる強い動機を持てる遊具は、滑り台、ブランコなどがあげられます。「揺らぎ」と言われる浮遊感は何度体感しても気持ちが良いからです。

手先指先で遊ぶものは、遊びの汎用性が高く、素材自体に変化に富むといった性質があります。砂、土、泥、水、自然物などが典型です。ブロックなども知育玩具として様々な種類のものが販売されています。

もう少し大きくなったら名古屋市の科学館に行ってみてください。世界の木製玩具のコーナーがあり、多くの児童が群がっています。ネフスピール(ドイツ)、キュボロ(スイス)、パロ(イタリア)等世界のブロック、木製玩具も中々面白いです。

育児や保育にこのような「科学的目線」を持つことで、本当に子どもたちにとって必要な物や体験が見えてきます。

カテゴリ:発達

欲求の満足こそ つぎへのステップ!

2025.06.09



最近急速におにーちゃんっぽくなってきたYくん、幼き者たちにとてもやさしいですね!しかも決して自分の思うようにできないと無理をするのではなく、しっかり相手の出方を待ち丁寧に対応しています。実をいうと入園当初はかなりのツワモノで、次から次へとやりたいことを間髪入れず行い、隙があればイタズラ?を行う「自己中心性(何度もお伝えしているとおり我慢せず行う自我を作る発達)」を謳歌する様子が多々ありました。しかし、1年足らずでこのように他者への繊細な視方と、優しく接する力の成長につながっています。

もちろんご家庭でもご苦労が多かったのではないかと思います。ですがやはり思う存分思いをぶつけてきた子は、ある成長の点において、他者、様々な事物に大きな関心を寄せ、関りを慎重に求めていけるようになります。その時に思い切りその時点の発達をやり切ることが、このような状況を生むものと考えます。

ハイハイ、つかまり立ちを十二分に行う、自らの過去の発達を歩んでいる仲間に合わせ自分も楽しむ等の行動は、自身の発達の度合いを確かめながら、自分の成長を楽しんでいるように見えます。なかまの様子に合わせたり、反対に自分だけの世界(ブロックや絵本)にひとりで没頭することもとても大切な時間です。

そして、普段は園庭を歩いて探索している子どもたちが、バス見学ツアーのように皆で一緒の箱に納まって、同じものを見る、聴く、触れる経験をすることも、たまには知らず知らずの間に一体感、共感力を持つことに役位だっているのではないかと思います。

時々説明しなければ、子どもたちへの園生活の視方や方法について、誤解を招くことがあるかもしれません。例えば「避難車になぜ『つくし組さん全員』がのっているの?」、「園庭は歩けばいいのでは?」、今日も園庭開放で来ていたママが「どうしてカーテンをおろすの?」、「私たちがお邪魔なのかな?」と誤解される前に説明します。「食事、午睡時は気が散らないように情報をあえて少なくします」とお伝えすれば正しい視方で理解ができます。

どのような情報なのか?またどうしてルールは必要なのか?においても、一歩踏み込んで、しっかりと正しく受け取ってもらえる情報を自らが発信(言葉、対話)できているだろうか?等を私たち職員は振り返る必要があると思います。相手の気持ちを考えた上で、誤解を受けないような言葉を選び「情報」をお伝えすることが大切ですね。

今朝の「中日春秋」に1950年代以降の日韓交渉停滞期について、時の外相大平正芳氏が次のように述べています。【「一方は二階で四股を踏んでおるし、片方は一階で四股を踏んでおる。相撲をとろうとしても呼吸が合うはずがない」と振り返った。意見が違っても、同じ階にいて顔を合わせるのが大事。礼節を重んじ、息を合わせて四つに組みたい。】

人間同士は考え方や見解の相違をどのように乗り越えていくかに心を配らなければなりません。「分かり合いたい」といった尊い気持ちを、どのように現実の社会である「保護者と保育園」、「同僚間、先輩後輩」「役所と民間、住民」、「客と営業マン」、「契約者間」等の関係性において理解し合っていくかです。

その初歩的、基本的で大切な意味を含む行動は、幼い子どもたちの純粋な心の表れと行動が見事に見せてくれています。子どもの姿に学ぶ気持ちがあれば、戦争などいつまでも継続していくことはあり得ない事であり、悲劇としか言いようがありません。

カテゴリ:発達

子どもの自我と自己中心性

2025.06.01

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「自分を強く主張する」、人生の中でこれほど「自己中心性」を発揮できる、また発揮しなければならない時期は、これから先それほど経験できるものではありません。自己主張は自分の言いたいこと、表現したいことをたとえ言葉が未熟な時代でも、自発的に自分を伝える意欲的な態度と言えます。

だから「しっかりと自分をつくり始めている」と捉えることが必要だと思います。親様として大人として「こまったな」と思うこともあるかと思います。しかしこの場面でもしトラブル以前に大人が止めてしまえば、自己の思いを主張する前に「大人の力」で気持ちのぶつかり合いすらなく事は通り過ぎていきます。

その事は子ども自身が頭を使い、感情が動き考えることを必要としません。つまりは大人が全部やってくれるので、今後も自己の感情を動かす必要もなくなるのです。これは「他律」を助長していくこととなります。「自立」し「自律」できる人格を持つためには、自分自身を自分勝手だろうが一度は表出することが必要です。

その行動によって反応する相手の行動は写真の通りです。「取り合い」が起こることでお互いが「怒り」、「悲しみ」といった感情に出会い味わうことが出来るのです。そして自分が抱いた感情(取った爽快感、取られた悲しみ)や立場がいつの日か逆転したときにこそ、何回かの場面の積み重ねで、はたと「気付き」が生まれます。しかし相手の身体を傷つけてしまいそうなときは放ってはおけません。ある程度争う場面を経験すれば十分です。

その後大人からの語り掛けも大切です。双方の気持ちに耳を傾け受け止めた上で、「こんな方法(ほかにも車があったよ、少し待ってみようか)もあったね」と目をしっかりと視て語り掛けてあげることは、大人の大切な支援だと考えます。たとえ言葉として伝わっていないにせよ、次も同じ行動であったとしても、真剣な大人の表情と目線、口調は幼い子どもたちにもしっかりと伝わっているはずです。

良くはない例です。大人が大きな声で叱る時、子どもたちは一瞬凍り付きます。大人の真剣で強い「怒り」が伝わってくるからです。子どもたちは何に恐怖を感じているかは一目瞭然です。「大人の強くて恐ろしい権威」です。大人の権威は子どもの心を委縮させ、大人に逆らえない弱さを思い知らせてしまいます。大きな声は必要ありません。真剣に「いけない」を伝える、「自分や友だちを傷つけるから」を表情と目線で伝えるので十分です。

でなければ「大人の権威」に従順で、顔色をうかがう癖が身についてしまいます。「自分で考える」がなくなり、権威ある人の言われるがままの人格となっていきます。極端な事例ですが最近の事件で「親に試験、勉強と言われ続けてきたことが、事件を起こした原因だ、親が悪い」と言い放った若者がいました。

「他律的に育つ」の恐ろしさを伝えています。だから自我の芽生え、本人の自己中心性が起こすトラブルは、とても貴重な体験なのです。誰にも左右されず自分自身の感情で起こした行動なのです。大人はそのような学びの機会を十分に尊重しながら、心身が必要以上に傷つかないようにすることにこそ心を向け、子ども心に寄り添うべきだと考えます。

カテゴリ:発達

子どもの目線!

2025.06.01



子どもたちの思うままの行動には心から驚き嬉しくもなります!私たち大人が「ここであそぶ?」と思うような場所(園庭の端のの段差)を巧みに利用する力を元々持ち合わせているのが子どもです。便宜上物をひっかける場所をDIYで作っても(もちろん保育園の写真、道具箱横のフックは計算し設置したものです。)、子どもたちは「ひっかける」そのものの行為を遊びとしてとらえているのです。

ですが大人が何もせず放っておけばその突起物は、子どもが気づいて利用するものとしては遊びが発展していきません。ところが一か所でも何かが吊るされていれば、子どもたちが認識しやすくなリ、次々と穴の開いている物をもってきてひっかけようとするのです。段差も同じです草を刈らず放置すれば、まずは段差を視認できず、踏み外すことによってケガに繋がります。

ですが、見えるように端だけでも草刈りをしておけば、安全であるばかりか子どもはあそび場に変化させてしまうのです。子どもは隙間が大好きです。そのことで事故も起こっています。なぜ隙間が好きなのでしょう?「はいってみたくなる!」これ以外にありません。でしたらその場所を安全な場所にしておくことが大人ができる環境設定なのです。

これを私は「環境準備」、「人的配慮」と考えています。子どもたちの発想、特に乳幼児期についてはこのような「仕掛け」を用意しておくこと、できれば「視覚」に訴えていく必要があります。子どもが気づけばあとは見守ればよいのです。大人が教え伝えることなど何もありません。何かに利用しようとする発想力は子どもの方が長けていることも多々あるのです。

この仕掛けの目的は?もちろん手指を何度も使い、全身をコントロール(背伸びをする・車から座った状態で手を伸ばす等)して身体能力を身につけていくこと、この穴とフックの大きさは?等の大きさの認識、諦めずに何度も挑戦しようとする心の強さを身につけていくために作り、そして子どもたちが園庭にやってくる前に吊るしておくことで「気づき」を狙った環境設定なのです。計算をすることが保育の神髄とも言えます。

子どもたちが環境のどんな面白さに「気づき」、「働きかけているか」を読み取る力を保育者や教育者は持つ必要があります。そのことが手に取るように理解出る時、子どもを心と身体の両面から支援できる方法は必ず見つかるのです。何となく過ごしていては、子どもの素晴らしい発達に対する希求を知ることはできません。

カテゴリ:発達

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