お知らせ

卒園生、転園生のみなさんへ21

2023.05.31

5月31日【食料輸入依存国 日本】
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おはようございます。東海地方は5月に何十年ぶりかの梅雨に入ったことが発表されました。季節訪れにも環境変化の影響が表れているようです。雨は農家にとっては待ちに待った天からの恵みです。気象予報士は「あいにくの雨」という言葉は禁句だということです。大雨による災害は危惧されますが、過去の災害を忘れることなく備えながら、雨の季節に豊作と情緒を楽しめる感性も持ちたいものです。
【七十二候が小満の末候に変わり、初冬に蒔かれた麦が小麦色に熟す頃になりました。刈り取りを待つ麦畑は、一面黄金色に輝き、新緑がまぶしいこの頃にコントラストが際立ちます。収穫期を迎えたこの時期を「麦の秋・麦秋 (ばくしゅう)」といい、旧暦4月の異名にもなっています。麦がたわわに実り、麦にとっての収穫の「秋」であることから名付けられました。雨が少なく乾燥した季節ですが、まもなく梅雨が始まります。そんな麦秋の候には、「麦」に因んだ言葉がたくさんあります。この頃に麦の穂を揺らしながら吹き渡るさわやかな風は「麦嵐」「麦風」「麦の秋風」、また、そよぐ穂を「麦の波」、降る雨を「麦雨 (ばくう)」といいます。麦の種蒔きや刈入れにぴったりな日は「麦日和」。そろそろ麦わら帽子も大活躍と、まさに ”麦尽くし” の季節です。】
麦にも様々な種類(大麦、小麦、ライ麦、エン麦)があります。日本人に馴染み深いのは、小麦と大麦でしょうか?小麦はおよそ2000年前に日本に伝わりましたが、製粉技術(うす)が発達していなかったため、普及するのは江戸時代以降になります。うどん、和菓子、すいとん等今も人々の食生活を支え、栄養価も高く、大麦は健康食としても知られています。
ところが日本は小麦をほとんどを輸入に頼っており、高値となり家計を圧迫しています。直近のウクライナ、ロシア戦争によって世界でも輸出入が滞おり、貧しい国では飢餓も発生しているのが現状です。日本は元々米食文化ですしアレルギー問題も考えると、コメの自給率をあげ、同じく栄養価が高い米粉パンなどへの転用も考えていくべきかもしれません。食文化が多様となり何でも手に入る日本社会ですが、世界の事情を考えると、少しばかり我慢や忍耐をしていくのは「恕(思いやり)」の心を大切にしてきた日本人がなすべきことだと思います。行ってらっしゃい。


【自己中心でないとならない時期】 夕刻
まだまだ自己中心性を充実している途中ですので、おもちゃは一つでなくて二つあっても物足りません。譲ることができるのは満足しきったときだけ、発達から考えると、同じ物を二つ持っていても譲ることができない場面は多々あります。この発想は年長以降の子どもには通用しますが、2歳前後では分からなくて当たり前と考えたほうが良いです。
しかし、集団生活をしていると、他者が泣いているのを見て、「かわいそう」と感じることも、経験を重ねることで芽生えてくる感情のようです。不完全ですが、小さい子に優しくする、泣いている子を労わろうとする姿勢も見受けられるようになります。圧倒的に強い自己中心性を無理に「他者の中の自分」に引き込んでしまうと、逆に我慢が心の傷、欲求の不満足となり年長を越えても、自己中心性から抜け出せない心を作る場合もあります。「いけないことはいけないこと」ですが、強いトーン、口調で否定することは極力避ける必要があるのが、今の乳児期です。強く否定されると子どもたちは安心感を持てません。恐怖感は心の「臆病」への道案内であると心得ておく必要があります。友だちに手が出る、力づくで物を奪う等ケガや相手を傷つけてしまうことが予想される時は、直接止めに入らなければなりませんが、落ち着いた時にしっかりとお話しする、叱った後はしっかりと抱きとめる、絵本を読む、一緒に遊ぶなどを必ずしてあげることが大切です。子どもは叱られれば心がしぼみますが、自分が間違ったことを分かってもいます。大人への信頼はこのバランスある対応につきます。要するにダメ押しやしつこい叱責は、逆効果になるということです。
子どもも大人も心のバランスを保つことで、毎日を楽しく有意義に過ごすことが可能となります。そのバランスを欠いた時、心も体も病となってしまいます。子どもたちは未熟であり、うまく保っていくことができない対象と考えましょう。最近では大人もバランスを崩し心の病を発症しています。子どもはなおさら大切に、寛容に、おおらかにが必要な対象だと思います。

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卒園生、転園生のみなさんへ20

2023.05.30

ネパール 遊動民 ラウテ(森の王)に学ぶ

おはようございます。はるか南の海上では、台風2号が巨大な勢力を保ったまま北上しようとしています。日本列島に近づくことも予想され、地震も起きている最中、大きな災害とならないように祈るのみです。
さて、5月も残り2日です。子どもたちも環境に慣れ、それぞれに安定しつつありますが、気候の変化に対応しきれず、体調を崩される方も増えています。お気を付けください。
撮りだめたBS放送でドキュメンタリーを観ました。ネパールの奥地に「ラウテ」という遊動民(一定の期間で生活の場を変え生きる民)が生活しています。ラウテは900年前に戦いに敗れ、山深くで隠れて目立たぬように生きるため、必要以外はできるだけ外部との接触を避け、ヤギ、豚、鶏などの他定住民族が口にする家畜を食べず、サルのみを食べています。これは同じ食べ物による争いを避けるための知恵だそうです。また、他の食物は移動生活のため育てるということはせず、一時的に居留地の木材を少量伐採し、独特な手斧技術で器や家具を作り、村々を巡り物々交換をすることで食材を得ていました。木の伐採も15年周期くらいで元の場所に戻ってくるため、そのころには樹木が復活していることで、再び糧を得ることができる合理的な行動原理とも言えます。徹底的に他者と争わず、自然を痛めつけない生き方をすることで、民族の継承を図っています。
国は人権保護(生活レベルの向上)、環境保護(樹木伐採の禁止)、文明化政策(狩猟生活の否定)により補助金を渡し、定住生活をさせようとしています。本来のラウテとしての誇りあるシンプルな生活、祈り、自然への畏怖の念、争いを避け他者と協力する生き方・・・。現代社会が学ぶべき生き方は、消滅の方向へ流れつつあります。
最近は文明と接点が増えたことで、生活に悪い影響も出始めています。市販のアルコールを手軽に大量に口にし酔いつぶれる(子どもまでも飲酒に染まる)、政府から支給された現金をすべて使い果たしてしまう。文明について知識がなく、限度や疑うことを知らずに閉鎖的環境で生きてきたことは、文明の風にさらされ痛めつけられてしまいます。先住民族の問題は日本、アメリカ、ブラジル、カナダ等々他国でも不幸な結末が少なくはありません。
私たちは「ラウテ」から学ばなければなりません。「連帯、協力、隠す、移動、再生、伝統、継承」等々、様々な生きる知恵を、過酷な生活だからこそ豊かに培ってきた民族の力を侮ってはいけません。
今日も自分自身の知恵を使い、生活していくことを心がけていきましょう。行ってらっしゃい。

5月30日 夕刻 偉大な自然物 水
やはりお水は偉大ですね!昨日の大量の雨は子どもたちの遊び、眼が光り輝く環境を作っておいてくれました。重みのある土は自分のイメージ通りの形を表し、細かな指使い、物の選択眼、分量のおよその理解等々、潜在している子どもの能力をたくさん引き出してくれます。お顔は真剣そのもの、これ以上に勝る素材はありません。自然は災害をもたらしますが、代えがたい人間の知恵を引き出し、「創造しなさい」と言わんばかりの勢いで私たちに語り掛けてくるようです。この想像力をあらゆる自然からもらうことができる器を持っているのが人間です。
涵育薫陶(かんいくくんとう)吉田松陰 ー孟子の言葉解説ー【「涵は綿を水でひたすという意味。育は幼児を乳で育てるという意味。薫(くん)はお香をたきこめるという意味。陶は土器を焼き固めるという意味である。人を養う場合も、この涵育薫陶のように行い、人々が自然に化せられて行くのを待つだけである」と記している。】少し難しく感じますが、人を育てる上の極意が自然になぞらえて現わされています。私はこの解釈を「自然環境が大切」と読み替えます。過干渉の弊害は、人を育てるうえでその妨げとなる可能性があります。過保護でないと子どもは育ちませんが、過干渉は子どもの成長の芽をつぶしかねません。
ありのままの環境を体験できる機会は、子どもの成長にとって、なくてはならないものなのです。文明化されていない「ラウテ」の世界は、今日の園庭の子どもたちの姿と同じように、「自分で考える」に満ち溢れた環境だと考えます。汚れは子ども時代を生きる精一杯の証(勲章)です。でもね「お母さん 汚れ物いっぱいでごめんなさい!」「あらってくれて ありがとう!」子どもたちの心のなかは、きっとこんな思いのはずと思い込みましょう。

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卒園生、転園生のみなさんへ19

2023.05.29

目覚ましい2歳児クラスの発達 5月29日
昨年までは出来上がっている素材(エビフライの形、リンゴの形)を使っていましたが、発達が進み素材を見立てる、ちぎる、などのイメージと動作を組み合わせることで、自分のオリジナルな形を作り上げる欲求と力がついてきました。色や形、軽い重いなどの素材そのものの性質が分かるようになってくると、自分の手足で作りたい、操作したいという思いが強くなっていきます。その自分自身が描いたイメージに、どこまで自分だけの力で近づいていけるかが、個々の子どもたちの遊びへの粘り、達成感を育てていきます。だからこそ様々な素材を指先、足の裏、手の甲、掌等様々な感覚器官を使って感じていかなければなりません。園庭はそのような意味でも、子どもたちにとって多種多様な素材の宝庫なのです。したがって雨の間を縫ってでも、外で遊ぶ価値は大きいのです。子どもたちがとても外の活動を好むのは、おもしろい素材と環境がたくさんあるからなのです。もちろん気候が厳しい時、体調がすぐれない時は別ですが。
さらにその思いは室内に戻ってもつながっていきます。保育士が用意した新聞や色紙は、土や粘土ほど変化にとんだ(可塑性)素材ではありませんが、幼い子どもでも自分の力で変化を与えることができ、しかも様々な色、形、性質を備えています。どんな性質を用意するかで、子どもたちの遊び、指先使い、心の躍動、頭使いは変わっていくのです。保育士が今現在の発達の状況を的確にとらえる重要性は、この適時を見逃さないようにするためです。現在の発達より少し上の目標を提示することで、子どもたちは「がぜんやる気が湧く!」そこを狙っていきたいのです。

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泉人まつり2023×にこにこママフェスタ

2023.05.29











おはようございます。昨日「泉人」にて「泉人まつり2023×にこにこママフェスティバル」が開催されました。本園からも園長含め3名の職員が参加し、多数の卒園された皆様、来場者ご家族と「うちわ工作」を楽しみました。用意した50枚はすべてお持ち帰りいただき、本園の保育内容広報もさせていただきました。
保育園も幼稚園同様まもなく選ばれる時代へと変わっていくと思います。これから乳幼児施設へ通うことを検討される保護者の皆様も、ぜひ「お子様の発達年齢に沿った養護、教育内容」を正しくご理解いただきました上の選択を、お願いしたいと考えております。6歳までは心と体の発達の土台を作り上げる大切な時期です。安全は第一に優先されるべきことですが、それだけでは「子どもの成長に寄与している」とは言えません。ご相談などありましたらお気軽にお尋ね(お訪ね)ください。
なお、園庭開放も6・7・9・10・11・12の各月第三週火曜日と水曜日(午前9時30分~11時)に行っております。詳細はお電話でお答えしております。ご参加をお待ちしています。

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泉人まつり2023×にこにこママフェスタ 5月28日(日曜)

2023.05.25

5月25日 朝
おはようございます。今週末「泉人(せんと)」にて「泉人まつり2023×にこにこママフェスタ(https://niconicomamanetwork.org)」が開催されます。すでに過去10年近く継続している、子育て世代、多世代を対象としたイベントです。「泉人」が新築されて以来、内容は増々充実し、行政、NPOが一体化した事業として春、秋に年2回開催されています。元々は東日本大震災の窮状を何とかしたいと立ち上がった、市民の願いが運営の主旨となっています。今は、それだけにとどまらず子育てに苦心する多くのママ、パパに大きいな支持を得て、来場者は毎年2,000名を下らない状況です。
内容、出展者はチャリティーバザー、子どもたちのダンスイベント、アナログゲーム、会社紹介、占い、子育て支援施設(幼稚園、子育てカフェ等)もブースを設けています。もちろん「キッズガーデンカリヨンの杜」も参加していますよ。様々な情報、子育て仲間にも出会える機会です。ぜひのぞいてみてください。
子育ての苦しさは皆で分かてば半分に、楽しさは数倍にもなって、充実した子育ての方法が見つけられるきっかけにもなると思います。「頼り頼られる」、「救い救われる」関係性こそ、真の自立であることは人間社会では当たり前でなくてはなりません。

夕刻 虐待報道について
子どもたちは安心して自信がついてくると、大人から見て、「やってもらっては困る」、「危険が伴う」、「お友だちが使っているおもちゃを取り上げる」等様々な問題が起きてきます。そのことは人間の成長過程では当たり前に起こることであり、大切なことはその言動に対し、大人がどのような対応をしているかです。
最近保育園での虐待や事故がクローズアップされ、よくニュース報道されています。すべてとは言いませんが、興味本位、投げかけだけの報道も目につきます。報道は子ども問題以外でも、恐怖心、嫌悪感だけを煽るような内容、方法であれば、間違ったメッセージを子育て中の親、地域の住民に伝えてしまうこととなります。報道、表現の自由は保障されなければなりませんが、影響力の大きい報道機関としての「考えと主張」を責任をもって語るべきだと感じます。ただでさえデジタル社会で、かいつまんだような受け止め方をする視聴者も増えています。文字、映像が信用性を欠くようなAI生成画面が横行するような世の中で、ますます規制が厳しくなり、人間同士の不信感が増幅し、子育ても狭い捉え方が横行し、コミュニケーションの幅を欠いていくのではないかと心配になります。
そんなことを思いながら、例えばおかずを中々食べてくれない子どもに、「では、もういいよ」とあっさり切ってしまうのか、成長、習慣のことを考え「このひと切れ、ちょっとだけでも食べてみない」と誘うのかでは大きな違いです。後者を何回もくどく言うのもどうかと思いますが、本人のやる気を誘う言葉は、とても大事だと思います。
反対に「○○を食べないとデザートは食べられないよ」等は、厳しいというよりも、条件づけて子どもを思うままに動かそうとする、大人の意図的な誘導であり、子どもの自発性や人権をくんでいない投げかけと判断されても仕方ないです。プロの保育士が躾と称し、この方法を選択しているならば、子どもにとっては大人の権威に左右され、物事を考える方法を植え付けられていることとなります。要は細かく詳細な配慮があっての保育現場ですので、報道されているような大まかな見方、そして決めつけで「虐待」という言葉を使うのは、詳細を調査していない乱暴な表現と言えます。
子育ての問題は少子化に伴い増々注目を集めています。その状況の中で冷静な気持ちで、浮ついた報道、ネット情報に振り回されることなく、現実の人間同士の関係性の中で考えていく必要があります。視聴者は細かなことよりも「虐待」という言葉に飛びつきそれを鵜吞みにします。「虐待」は身体面ばかりではありません。言葉や何でもない方法に、「子どもを一人の人間として見ているかどうか」、という視点を心に準備しておけば、子ども心を踏みにじり、発達を阻害していくようなことにはならないと思います。

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