お知らせ

世界陸上 女子走り高跳びニコラ・オリスラガーズ(オーストラリア)選手

2025.09.27

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おはようございます。
世界陸上のすべてを視聴したわけではないのですが、たまたま女子走り高跳び決勝、ニコラ・オリスラガーズ(オーストラリア)選手のセルフコントロールに目を見張りました。
記録や優勝したこともですが、何よりも跳躍するまでの「準備」と結果への「振り返り」が一流だったのです。画面を通じ伝わってくるのは、反省、ポジティブ思考の繰り返しでした。いつも表情に笑み(もちろん意識して笑顔を作る)を浮かべ、自分が前向きになれるように「形」から入っていました。跳躍寸前まで自分に言い聞かすかのように笑顔で言葉をつぶやき、寸前には手拍子を求め最後は集中、そして気合一発大きなかけ声「いくわ!(たぶん)」を耳からも自分に浴びせ力を鼓舞するかのような表現!その姿に素晴らしさを感じます。そしてバーを越える越えないの結果に関わらず、すぐさまマイノートに文字で記憶を掘り起こす姿は、一流のアスリートを超え人間性のすばらしさが伝わってくるのでした。失敗しても決して落ち込む様子を見せず、観客に「大丈夫よ!」、「皆さんの応援に深く感謝するわ!」といった謙虚な姿勢も感動です。いろいろな評価をされているでしょうが、自分だけでは頑張っていけないことを深く心にとめ感謝の心を忘れず、世界で活躍するアスリートの一挙一動は、多くの人々に勇気と感動を与えてくれるものだと改めて思いました。

カテゴリ:スポーツ

沖縄尚学高校がもたらした心

2025.09.07

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23日に行われた夏の甲子園大会決勝で、沖縄尚学高校が強打の日大三校を破り優勝しました。2年生投手二人の奮闘、勝負強かった4番打者、そしてキャプテンの言葉通り、素敵な仲間で助け合ったからこその勝利だったと振り返ります。また、3塁側スタンドを埋め尽くした、沖縄から駆け付けた大応援団(知事も含む)の声援も素晴らしい一体感を作り出していました。
今年は戦後80年の節目にもあたり、唯一の悲惨な地上戦を経験した沖縄県民にとって、全国制覇し優勝旗を沖縄県に持ち帰ることは、とても意義深いことだと感じます。過去には沖縄水産、興南高校が優勝していますが、ずらりと並ぶ沖縄由来の選手名に故郷で生まれ育った高校生たちの思いの強さと、インタビューで答える言葉一つひとつに、素直で一途な高校球児のすがすがしさを感じました。地方戦で敗退してしまったすべての高校球児たちも含め、代えがたい素敵な姿を見せてくれたことに「感謝」です!

カテゴリ:スポーツ

陸上 田中希実の走り

2025.07.12

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おはようございます。
陸上女子で注目されるのはやはり田中希実選手ではないでしょうか。小さな体で先日の日本選手権5,000m優勝は圧巻でした。終盤まで前を走る廣中選手に我慢強くついていけたことも勝因であったようです。
【今日は、廣中選手(璃梨佳、JP日本郵政G)の走りを見ながら…と思っていたが、もし、そのなかで(自分に)余裕があった場合は、ラスト4周をテーマにしていこうと考えていた。廣中選手と走るなかで、ラスト4周に余裕を残せていたので、そこからしっかり(ペースを)上げることはできたと思う。<ペースメーカーより前を走る場面もあったが、の質問に>(一緒に走っていた)廣中選手が「さすがの走り」というか、本当に安定した走りをしていて、まるで彼女自身がペースメーカーかのような余裕を、背中で見せてくれていた。その彼女の余裕度が私に伝染してきたような面があって、ペースメーカーより前を走っているという焦りや怖さというのが拭えたのかなと思う。】
陸上競技は個人競技でありながら、他者の影響もとても強く受けるのだなと感じました。いずれにせよ世界選手権東京大会内定を決め今後の活躍が期待されます。田中選手の走りはいつも感動させられます。淡々と走りに集中する姿に教えられます。

カテゴリ:スポーツ

長嶋茂雄さん追悼

2025.06.15

alt「お客さんを第一に考える」 ジョーディマジオ 

おはようございます。
長嶋茂雄さんと師弟関係にあった松井秀喜さんが4日の葬儀で弔辞を述べました。王さん、中畑さんも弔辞がありましたが、長嶋氏とのエピソードを含め、人となりを表す素晴らしい内容だったと思います。
【監督、今日は素振りないですよね。その眼を見ていると「バットもってこい、いまからやるぞ」と言われそうでドキッとします。でも今はその声を聴きたいです。ドラフト会議でわたしを引き当ててくださり、満面の笑みで親指を突き上げてくれました。タイガースファンだったわたしは、心の中でちょっとずっこけました。しかしそのすぐあと電話で「松井君待ってるよ」と言ってくださり、あっという間に私の心は晴れました。監督はひとたびユニフォームを着てグラウンドに出ると、強烈な光を発し、私と2人で素振りをするときは、バットマン長嶋茂雄になりました。それが私の日常でした。監督が引退された年に生まれた私は、監督と現役をともに過ごした方々と同じ気持ちになりたくても、なることができません。その時代を生きていません。ですが逆に私はその野球の神様・長嶋茂雄というものを肌で感じていないからこそ、普段のふつうの自分自身で接することができました。それが私にとって非常に幸運だったと思っております。監督を退任する日、私は最後の素振りだと思って、振っている途中、涙が止まりませんでした。これが最後の素振りになると思ったからです。「何泣いてるんだ。タオルで涙を拭いてほら振るぞ」。そう声をかけてくださいました。それが最後だと思っていましたが、翌日もやりましたね。そして次の年も次の年もやりました。私は長嶋茂雄から逃げられません。これからもそうです。それが私の幸せです。監督、私が現役時代、一度だけ監督にお願いしたことを覚えていますか?私はセンターを守っておりましたが、「監督、どうせなら私、サードやらせてくださいよ」とお願いしました。そしたら「お前はサードじゃないよ。お前はやっぱりセンターだ。俺はお前をジョー・ディマジオにしたいんだ」とおっしゃってくださいました。私は全くピンときておりませんでした。ある日、素振りで監督のご自宅におじゃましたとき、私はそこにジョー・ディマジオのバットとジョー・ディマジオの大きな写真があることに気づきました。見逃しませんでした。監督は本当にジョー・ディマジオが好きなんだなと思って、またその選手のようになれと言ってくれたことに、本当にその時幸せに感じました。それから私は喜んでセンターが大好きになりました。その時、監督は私がジョー・ディマジオと同じユニフォームを着て、同じグラウンドでプレーすることを夢にも思ってなかったと思います。もちろん私も思っていませんでした。私が引退して監督に挨拶に行ったとき、「監督がジョー・ディマジオって言ったから私ヤンキース行ったんですよ」と言ったら、この笑顔をみせてくださいました。その時、はじめて私は大好きなジャイアンツを去ることになりましたが、これで良かったんだと思いました。そして、今も遠く離れた場所にいます。日本に帰ってくる度、監督にご挨拶に行くと、監督の言いたそうなことを、言おうとするのに言わない、でもその気持ちはいつも受け取っておりました。これからも、監督がなぜ私だったのか、なぜ私にたくさんのことを授けてくださったのか。その意味を、その答えを自分自身の心の中で監督に問い続けます。今度は私が監督を逃がしません。ですから今日はありがとうございましたもさようならも私は言いません。今後も引き続きよろしくお願いします。そしてその強烈な光で、ジャイアンツの未来を、日本の野球の未来を照らし続けてください。】

カテゴリ:スポーツ

長嶋茂雄さん逝去

2025.06.09

alt豪快で一途なプレーが日本人の心をとらえた!
alt病気と闘う姿も伝えた 決してファンを裏切らない

昨日3日に現役時代は「長さん」の愛称で親しまれた長嶋茂雄さんが、肺炎のため89歳で亡くなられました。最後まで病や老いと闘い続け、闘志とユーモアにあふれた生き様は、プレーと同じで、豪快、一途、笑いに溢れた生涯でした。
私の少年時代中日ファンでありながら、長嶋茂雄だけは大好きで私自身も三塁手を何度も経験し、あの華麗なスローイングをまねたものです!そしてユニフォームの背番号は「3」、少年野球でも背番号「3」が重なり笑えるチームだったことを覚えています。過去のインタビューで「あなたは天才ですか?」の質問に「普通の人間です」と答えられた姿が印象的でした。プロ野球選手としてファンには苦しい練習を一切見せることなく、黙々と闘志あふれる一流の姿を見せ、生涯一途で懸命、誠実に生きた方だったと思います。だからこそ国民は「長嶋茂雄」を人間として愛したのだと感じます。今も懸命に1日2時間もリハビリに励む姿が目に浮かびます。私たちはそんな素晴らしい生き方が、人知れず地道な努力にあったことを忘れてはならないと思います。心からご冥福と感謝の気持ちをお伝えしたいです。

カテゴリ:スポーツ

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