お知らせ

長嶋茂雄さん追悼

2025.06.15

alt「お客さんを第一に考える」 ジョーディマジオ 

おはようございます。
長嶋茂雄さんと師弟関係にあった松井秀喜さんが4日の葬儀で弔辞を述べました。王さん、中畑さんも弔辞がありましたが、長嶋氏とのエピソードを含め、人となりを表す素晴らしい内容だったと思います。
【監督、今日は素振りないですよね。その眼を見ていると「バットもってこい、いまからやるぞ」と言われそうでドキッとします。でも今はその声を聴きたいです。ドラフト会議でわたしを引き当ててくださり、満面の笑みで親指を突き上げてくれました。タイガースファンだったわたしは、心の中でちょっとずっこけました。しかしそのすぐあと電話で「松井君待ってるよ」と言ってくださり、あっという間に私の心は晴れました。監督はひとたびユニフォームを着てグラウンドに出ると、強烈な光を発し、私と2人で素振りをするときは、バットマン長嶋茂雄になりました。それが私の日常でした。監督が引退された年に生まれた私は、監督と現役をともに過ごした方々と同じ気持ちになりたくても、なることができません。その時代を生きていません。ですが逆に私はその野球の神様・長嶋茂雄というものを肌で感じていないからこそ、普段のふつうの自分自身で接することができました。それが私にとって非常に幸運だったと思っております。監督を退任する日、私は最後の素振りだと思って、振っている途中、涙が止まりませんでした。これが最後の素振りになると思ったからです。「何泣いてるんだ。タオルで涙を拭いてほら振るぞ」。そう声をかけてくださいました。それが最後だと思っていましたが、翌日もやりましたね。そして次の年も次の年もやりました。私は長嶋茂雄から逃げられません。これからもそうです。それが私の幸せです。監督、私が現役時代、一度だけ監督にお願いしたことを覚えていますか?私はセンターを守っておりましたが、「監督、どうせなら私、サードやらせてくださいよ」とお願いしました。そしたら「お前はサードじゃないよ。お前はやっぱりセンターだ。俺はお前をジョー・ディマジオにしたいんだ」とおっしゃってくださいました。私は全くピンときておりませんでした。ある日、素振りで監督のご自宅におじゃましたとき、私はそこにジョー・ディマジオのバットとジョー・ディマジオの大きな写真があることに気づきました。見逃しませんでした。監督は本当にジョー・ディマジオが好きなんだなと思って、またその選手のようになれと言ってくれたことに、本当にその時幸せに感じました。それから私は喜んでセンターが大好きになりました。その時、監督は私がジョー・ディマジオと同じユニフォームを着て、同じグラウンドでプレーすることを夢にも思ってなかったと思います。もちろん私も思っていませんでした。私が引退して監督に挨拶に行ったとき、「監督がジョー・ディマジオって言ったから私ヤンキース行ったんですよ」と言ったら、この笑顔をみせてくださいました。その時、はじめて私は大好きなジャイアンツを去ることになりましたが、これで良かったんだと思いました。そして、今も遠く離れた場所にいます。日本に帰ってくる度、監督にご挨拶に行くと、監督の言いたそうなことを、言おうとするのに言わない、でもその気持ちはいつも受け取っておりました。これからも、監督がなぜ私だったのか、なぜ私にたくさんのことを授けてくださったのか。その意味を、その答えを自分自身の心の中で監督に問い続けます。今度は私が監督を逃がしません。ですから今日はありがとうございましたもさようならも私は言いません。今後も引き続きよろしくお願いします。そしてその強烈な光で、ジャイアンツの未来を、日本の野球の未来を照らし続けてください。】

カテゴリ:スポーツ

長嶋茂雄さん逝去

2025.06.09

alt豪快で一途なプレーが日本人の心をとらえた!
alt病気と闘う姿も伝えた 決してファンを裏切らない

昨日3日に現役時代は「長さん」の愛称で親しまれた長嶋茂雄さんが、肺炎のため89歳で亡くなられました。最後まで病や老いと闘い続け、闘志とユーモアにあふれた生き様は、プレーと同じで、豪快、一途、笑いに溢れた生涯でした。
私の少年時代中日ファンでありながら、長嶋茂雄だけは大好きで私自身も三塁手を何度も経験し、あの華麗なスローイングをまねたものです!そしてユニフォームの背番号は「3」、少年野球でも背番号「3」が重なり笑えるチームだったことを覚えています。過去のインタビューで「あなたは天才ですか?」の質問に「普通の人間です」と答えられた姿が印象的でした。プロ野球選手としてファンには苦しい練習を一切見せることなく、黙々と闘志あふれる一流の姿を見せ、生涯一途で懸命、誠実に生きた方だったと思います。だからこそ国民は「長嶋茂雄」を人間として愛したのだと感じます。今も懸命に1日2時間もリハビリに励む姿が目に浮かびます。私たちはそんな素晴らしい生き方が、人知れず地道な努力にあったことを忘れてはならないと思います。心からご冥福と感謝の気持ちをお伝えしたいです。

カテゴリ:スポーツ

大の里 快進撃!

2025.06.01

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おはようございます。
大関「大の里」が歴代横綱昇進者の最短記録を塗り替えました。昨今アメリカ大リーグの若手日本人選手の活躍が目覚ましいですが、野球ばかりではなくチームスポーツから個人競技まで目覚ましい結果を出し、世界の選手に並ぶ若い力が育ってきていると思います。食や鍛え上げる環境などすべてが恵まれているからだとも言えます。
しかし、大の里、大谷、佐々木等の選手は共に能登、東北の出身であり、被災した人々の希望も背負っています。環境が恵まれているだけではありません。心の中に「人を励ます」、「強い奉仕の心」が存在していなければ、このような偉業は達成できないと感じます。
人は自己の力だけで上り詰めていけるのではないと思います。「運」、「タイミング」等がうまくかみ合うためには、日頃からの努力と、強い他者への思いも育っていなければ、千載一遇のチャンスを生かせるものでもないはずです。起こるべくして起きた事実は、人間が発する「気」や「天」をも動かす力を時に発揮するものです。理屈では表現できない「奇跡」のような出来事は、本人の努力はもとより、様々な力が動いての結果であるように思えてなりません。

カテゴリ:スポーツ

オリンピック 日本選手の活躍

2024.08.05

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おはようございます。
パリオリンピックが開幕しました。初めてのセーヌ川での船による参加国紹介、フランス革命、聖火台の斬新な表現、開催前にTGVのトラブルはありましたが、無事開催され何よりだと思います。フランス語に「セラヴィ」という言葉があるそうです(7.28中日春秋)。「これも人生」、「人生バンザイ」など良い時も悪い時も使われます。コラムにもありましたが、警備、選手、国民の安全が脅かされないことが優先されなければならないと思います。期間中争いや事故がありませんように願うばかりです。
さて日本もスポーツでは様々な競技において、世界と渡り合えるようになってきました。サッカー、バスケット、バレーボール、ハンドボールなど発祥が海外のチーム競技についても良い成績を残せることは喜ばしいことです。開会2日目?の柔道角田選手の「ともえなげ」、すごかったですね!お家芸でもある柔道は世界各国に伝わり、競技人口も多く今では誰もが知っているスポーツです。ただ日本人であっても「礼」の意味をしっかりと実践できている選手がいない中、角田選手は試合後も決して勝利の喜びを相手の目前で表す(笑顔やガッツポーズ)ことはありませんでした。聞けば何度も柔道を止めたいと思ったときもあったそうです。苦しみがあったからこそ相手の心への思いやりは形を成すと納得です。敗者に対する究極の思いやり、「日本人の心」を世界の場で伝えた角田選手は、本当の意味で金メダリストにふさわしい人格者だと感じました。

カテゴリ:スポーツ

オリンピック選手の苦悩

2024.07.28

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おはようございます。
政治家の不祥事は慣れてしまうほど、毎日のように報道され呆れてしまいますが、スポーツ選手については何とも言えず考えさせられます。
喫煙、飲酒によってパリオリンピック代表を辞退した体操女子キャプテン、19歳、日本チャンピオン、様々なプレッシャーを背負いオリンピックに挑もうとしていた心は崩壊寸前だったのかもしれません。

【日本体操協会の藤田直志会長は「本人の責任だけでなく、協会全体の責任で、宮田選手に新たな一歩を踏み出してもらうためにサポートしたい」と話しました。宮田笙子選手が所属する順天堂大学の監督で日本代表の原田睦巳コーチは、「ものすごいプレッシャーと、結果を残さなくてはいけないということを胸に抱えながら日々を過ごしていたということはご理解いただきたい」と涙ながらに話しました。恩師で、鯖江高校女子体操部の田野辺満監督は「事実が明らかになったがまだ整理できていない。今は悔しいし、残念だ。キャプテンを任され、メダルも期待されて、本人からは相当な覚悟と強い意志が伝わってきていたが、けがも抱えていて、極度のプレッシャーもあったと思う。本人が反省して、次の一歩が踏み出せるよう、私や所属の大学も含めてサポートしていきたい」と話していました。】
未来ある人であり選手です。若さゆえの挫折はつきもの。彼女の人生がこのことで曲がっていくことがないように祈ります。精進、忍耐厳しい道を選択した人だからこそ、レールの上を踏み外して得た、欠け替えのない思いを大切にしていってほしいと願うばかりです。

カテゴリ:スポーツ

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