お知らせ

増税 年収の壁 政策

2023.10.04

せごどーん!
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おはようございます。さわやかな秋が深まっていきます。イネ科の植物も最盛期です。花粉症、喘息などの方は注意が必要です。
さて、インボイス制度、物価高、円安、年収の壁等、日本の経済状況は低迷を続け、庶民生活も圧迫を受けています。政府が行う政策が場当たり的、一時的でない事を願うのですが、状況は国民に負担を課していく方向性が強いように思います。西郷隆盛の唱えた原点に立ち返り、考え直す必要があります。
【13条 租税を薄くして民を裕にするは、即ち國力を養成する也。故に國家多端にして財用の足らざるを苦むとも、租税の定制を確守し、上を損じて下を虐たげぬもの也。能く古今の事跡を見よ。道の明かならざる世にして、財用の不足を苦む時は、必ず曲知小慧の俗吏を用ひ巧みに聚斂して一時の缺乏に給するを、理財に長ぜる良臣となし、手段を以て苛酷に民を虐たげるゆゑ、人民は苦惱に堪へ兼ね、聚斂を逃んと、自然譎詐狡猾に趣き、上下互に欺き、官民敵讐と成り、終に分崩離析に至るにあらずや。※『西郷南洲遺訓』
意訳
税負担をなるべく軽くして国民生活を豊かにすることが、国力増強には不可欠である。だから政府が何かと入用だからと言っても、税を取りすぎぬよう戒め、財政負担を国民に押しつけてはならない。歴史を振り返ってみるがいい。ビジョンが明確でない国家は浪費を続け、財政が苦しくなると必ずと言っていいほど、小賢しい役人が国民から搾り取ろうと悪知恵を巡らすものだ。そして国民から搾取するほど評価され、ますますエスカレートした結果、国民は苦悩をこらえかねて租税回避に悪知恵を巡らせるようになるだろう。かくして政府と国民の間には不信感が増幅し、まるで敵同士のようにいがみ合い、ついには国家が崩壊してしまうのだ。】
今日本は「ひとかどの人物」を必要にしているようにも感じます。議会制民主主義が真に協調、少数の考えを含み正しく執行されればよいのですが。日本人の特徴は様々な分野において、世界で活躍している人たちが伝えてくれています。諸外国、風評に流されず、懸命に日々を生きる姿勢を持たなければなりません。行ってらっしゃい。

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関東大震災(映画 福田村事件)を問い直す

2023.10.02

「福田村事件」
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おはようございます。
今から100年前の大正12年(1923年)9月1日関東で大きな地震が発生し、10万5千人ほどの死者行方不明者を出しました。地震が日中に起き、食事のため火を使っていたことも被害を大きくした原因でした。さらに民衆は自警団と称し「朝鮮人、共産主義者が井戸に毒を入れた、放火した」等のうわさが広がり、数百から約6000名の朝鮮人、共産主義者が虐殺されたといわれています。現在もその詳細、責任は闇に葬られ公的機関は具体的調査、情報開示も実施していないのが現状のようです。
当時は大陸での日本の植民地支配が進み、朝鮮半島における反日運動、共産主義者の摘発が行われており、民衆は恨みを根拠とした恐れの矛先を主に在住の朝鮮人に向けてしまいました。映画「福田村事件(森達也監督)」が現代社会に問うていることは、人間が集団化したとき、そこに働く心理状況の恐ろしさを描いています。また、被害者側からではなく加害者の立場から描いていることで、人間は窮地に追い込まれたとき、とんでもないことを行う存在であることを示しています。加害者となった人たちも普段は善良で普通の人間でした。ひとたび集団化することで、「安心感を得たい」心理が働き暴走し間違いを起こします。
この事件をなぜ今考える必要があるのでしょうか。「いじめ問題」、「戦争の引き金」、「孤立化社会」のシステムと共通する問題だからです。「一人称単数」、「自分の主語を保つ」大切さが分かります。詳しくは【クロ現取材ノート「福田村事件」森達也監督 100年前の“虐殺” が現代に問うもの」】をご覧ください。
行ってらっしゃい。

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保育学生への自然教育の必要性

2023.09.21

キャンプファイアーは楽しさを通し命を伝える機会
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おはようございます。
週末から週明けにかけ保育学生の自然教育活動支援に出かけてきました。学生に限らず現代人は自然から遠のき、野外での生活に慣れていません。そういう自分自身も体力の低下、日常の利便性への依存、気候変動に伴う酷暑で身体と心をコントロールすることが難しい4日間でした。
人間は心身が苦しくなると「自分自身の本性」が現れやすくなります。戦場、飢餓等極端な状況でなくても、心と身体の病はもちろん、「怒り」、「欲得」、「自己保身」と最も醜い部分が露見してしまうことさえあります。仕事を持ち育児に追われ、思うようにならなくなってしまうことで起きる事件が物語っています。そのような状況を打ち破り、変えていかなければ人類の未来は危ういものとなっていきます。
若いうちから様々なストレスに耐性を持っておくことは、機会を持ち努力して自らに課すべきトレーニングだと思います。「社会人として仕事の継続に耐えうる力」、「育児との両立に耐えうる力」、「窮地に立った時こそ冷静でいられる精神力」、求めなければ「苦」を経た達成感は訪れません、避けるばかりでも身につきません。最近の学生気質は「ことなかれ主義」、「不干渉主義」で自分自身を守ろうとしている傾向が見受けられます。主張すれば炎上し、自分は難を避けるため同調する。そんなことでは「希望」、「勇気」、「優しさ」、「強さ」を子どもたちの心の中に育てるに相応しい心持は育ちません。もちろんその様な若者ばかりではありませんが。私の年代はそんな時代を作ってきた責任も感じます。何とか踏ん張り、たとえ年齢を重ねようが、心と身体を動かし、今の若い世代、子どもたちを導いていかなければならないと痛感する機会となりました。美しさと試練を与え、私たちが快適に生きる上で欠くことができない崇高な存在である自然を、「子どもたち自身が残したい」と思えるように、苦難、喜びを与えていくことを使命と心得ています。

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桐生悠々

2023.09.15

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おはようございます。晴天が続きます。
9月10日に80年目の命日を迎えた桐生悠々は、気骨あるジャーナリスとして毎年社説を飾っています。言論人として戦時下何度も弾圧されました。しかし軍部を批判し、新聞報道の神髄を貫いた氏の功績は偉大です。有名な言葉として「言いたいことを言うのは権利の行使、言わねばならぬことを言うのは義務の履行」があります。心に留めておくべき名言です。遺言ともいわれる最後の個人誌「他山の石」に掲載された「科学的新聞記者」原稿です。政府、報道等マスコミに対しても、常に批判検討の目線を外してはならないと思います。
【《この頃の新聞に至っては、…全然社会を無視して、時の政府の反射鏡たらんとしている。輿論(よろん)を代表せずして、政府の提灯(ちょうちん)を持っているだけである。そして彼等(かれら)は矛盾極まる統制の名の下に、これを彼等の職域奉公と心得ている》《今日の新聞は全然その存在理由を失いつつある。従って人はこれを無くもがなのものとしているけれども、他に代(かわ)ってその機能を果たすものなきが故に、彼等は已(や)むを得ずなおこれを購読しつつある。…今日のだらしない状態である》《将来の新聞は科学的でなくてはならない。現在に於(おい)て、全くその態度を一変しても、決して早くはあるまい》《神秘主義を尊奉するに至っては、その存在理由を失うのは明である。見よ、彼等は既にその存在理由を失わんとしつつある。試みに街頭に出て、民衆の言うところを聞け、彼等は殆(ほと)んど挙げて今日の新聞紙を無用視しつつあるではないか》】

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クマ手を通じてできること「心の養護と教育」

2023.07.19


自分の背の高さの倍ほどあるクマ手 おまけに 先はすぐ草に引っかかる 扱いにくい道具

ともだちもやりたい ぼくもやりたい こんな場面に出くわしていきます

おはようございます。今日は曇り?午前中は気温も低めで午後は雨空模様 ちょっと一息できると良いのですが‥‥
先週の朝、草刈りの枯葉をクマ手で集めていると、目ざとく私と道具を見つけたなのはな組の子どもたちが、一人また一人と集まってきました。時々この作業を子どもたちの前で「わざわざ」行います。園庭で子どもたちが遊んでいれば、必ずやってくることはわかっています。見たことがない道具、やったことがない事は、彼らにとってすべて好奇心の対象となるからです。子どもが持つには長い柄、クマ手の先は針金でできているため、多少の危うさはあります。ですが、私は危険には配慮しながらやりたいことをやらせます。扱ってみなければ何も学べないからです。引きずったり、草に引っ掛かりうまく草を集めることはできませんが、この経験が道具をうまく操作する力や試行錯誤する頭脳を育てます。
また、4人もの子どもが集まれば順番を待たなければなりません。どのように1本のクマ手に関わっていくかは、大人にも配慮と知恵が必要なのです。相手は自己中心的世界から「誰かと繋がりたいな」と葛藤し、自分だけの世界から抜け出そうと、もがき始めている子どもたちです。「10数えたら変わろうね」、「○○さんは○○さんの次の次、3番目ね!」と言葉(数)を伝え、一緒に大きな声で数えながら待ちます。もしこの簡単なルールからはみ出しそうになったら、「10数えたら終わりだね」、「次は○○さんだね」などと気付ける言葉を何度も丁寧にかけていきます。月齢が高くなってきた子どもたちは、ほとんどこの簡単なルールを守ってクマ手を扱うことができました。何回も何回も行う子もいます。ですが、異なる場面で同じようにうまくいくかと言えば、そうでもないのがこの発達段階の特徴であることは忘れてはなりません。
「これは大人の仕事」と決めつけてはいけないと思います。クマ手1本で養護的配慮(心の安心・体の安全・気持ちや健康の安定)と教育的効果(決まりを守る・友だちを傷つけない・物を大切にする)を作り出すことは可能なのです。今はなぜ草刈りが必要か(蚊の発生を防ぐ、段差や石ころを見やすくする、同時に適度に残すことで昆虫と共生する)などということは理解する必要はありません。自然、道具を通じ、「やってみたい」と思う意欲を育て(自己実現)、大人、子どもの心のつながり(人間関係)を学ぶ(教育)ことが大切なのです。あるがままの自然に触れることはそれだけで学びですが、そこに「人」が介在することで、人間として生きていくための「繋がり」を学ぶ環境を創り出していかなければならないと常日頃から思っています。行ってらっしゃい。

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