関東大震災(映画 福田村事件)を問い直す
2023.10.02
「福田村事件」
おはようございます。
今から100年前の大正12年(1923年)9月1日関東で大きな地震が発生し、10万5千人ほどの死者行方不明者を出しました。地震が日中に起き、食事のため火を使っていたことも被害を大きくした原因でした。さらに民衆は自警団と称し「朝鮮人、共産主義者が井戸に毒を入れた、放火した」等のうわさが広がり、数百から約6000名の朝鮮人、共産主義者が虐殺されたといわれています。現在もその詳細、責任は闇に葬られ公的機関は具体的調査、情報開示も実施していないのが現状のようです。
当時は大陸での日本の植民地支配が進み、朝鮮半島における反日運動、共産主義者の摘発が行われており、民衆は恨みを根拠とした恐れの矛先を主に在住の朝鮮人に向けてしまいました。映画「福田村事件(森達也監督)」が現代社会に問うていることは、人間が集団化したとき、そこに働く心理状況の恐ろしさを描いています。また、被害者側からではなく加害者の立場から描いていることで、人間は窮地に追い込まれたとき、とんでもないことを行う存在であることを示しています。加害者となった人たちも普段は善良で普通の人間でした。ひとたび集団化することで、「安心感を得たい」心理が働き暴走し間違いを起こします。
この事件をなぜ今考える必要があるのでしょうか。「いじめ問題」、「戦争の引き金」、「孤立化社会」のシステムと共通する問題だからです。「一人称単数」、「自分の主語を保つ」大切さが分かります。詳しくは【クロ現取材ノート「福田村事件」森達也監督 100年前の“虐殺” が現代に問うもの」】をご覧ください。
行ってらっしゃい。
おはようございます。
今から100年前の大正12年(1923年)9月1日関東で大きな地震が発生し、10万5千人ほどの死者行方不明者を出しました。地震が日中に起き、食事のため火を使っていたことも被害を大きくした原因でした。さらに民衆は自警団と称し「朝鮮人、共産主義者が井戸に毒を入れた、放火した」等のうわさが広がり、数百から約6000名の朝鮮人、共産主義者が虐殺されたといわれています。現在もその詳細、責任は闇に葬られ公的機関は具体的調査、情報開示も実施していないのが現状のようです。
当時は大陸での日本の植民地支配が進み、朝鮮半島における反日運動、共産主義者の摘発が行われており、民衆は恨みを根拠とした恐れの矛先を主に在住の朝鮮人に向けてしまいました。映画「福田村事件(森達也監督)」が現代社会に問うていることは、人間が集団化したとき、そこに働く心理状況の恐ろしさを描いています。また、被害者側からではなく加害者の立場から描いていることで、人間は窮地に追い込まれたとき、とんでもないことを行う存在であることを示しています。加害者となった人たちも普段は善良で普通の人間でした。ひとたび集団化することで、「安心感を得たい」心理が働き暴走し間違いを起こします。
この事件をなぜ今考える必要があるのでしょうか。「いじめ問題」、「戦争の引き金」、「孤立化社会」のシステムと共通する問題だからです。「一人称単数」、「自分の主語を保つ」大切さが分かります。詳しくは【クロ現取材ノート「福田村事件」森達也監督 100年前の“虐殺” が現代に問うもの」】をご覧ください。
行ってらっしゃい。
カテゴリ:教える・伝える
保育学生への自然教育の必要性
2023.09.21
キャンプファイアーは楽しさを通し命を伝える機会
おはようございます。
週末から週明けにかけ保育学生の自然教育活動支援に出かけてきました。学生に限らず現代人は自然から遠のき、野外での生活に慣れていません。そういう自分自身も体力の低下、日常の利便性への依存、気候変動に伴う酷暑で身体と心をコントロールすることが難しい4日間でした。
人間は心身が苦しくなると「自分自身の本性」が現れやすくなります。戦場、飢餓等極端な状況でなくても、心と身体の病はもちろん、「怒り」、「欲得」、「自己保身」と最も醜い部分が露見してしまうことさえあります。仕事を持ち育児に追われ、思うようにならなくなってしまうことで起きる事件が物語っています。そのような状況を打ち破り、変えていかなければ人類の未来は危ういものとなっていきます。
若いうちから様々なストレスに耐性を持っておくことは、機会を持ち努力して自らに課すべきトレーニングだと思います。「社会人として仕事の継続に耐えうる力」、「育児との両立に耐えうる力」、「窮地に立った時こそ冷静でいられる精神力」、求めなければ「苦」を経た達成感は訪れません、避けるばかりでも身につきません。最近の学生気質は「ことなかれ主義」、「不干渉主義」で自分自身を守ろうとしている傾向が見受けられます。主張すれば炎上し、自分は難を避けるため同調する。そんなことでは「希望」、「勇気」、「優しさ」、「強さ」を子どもたちの心の中に育てるに相応しい心持は育ちません。もちろんその様な若者ばかりではありませんが。私の年代はそんな時代を作ってきた責任も感じます。何とか踏ん張り、たとえ年齢を重ねようが、心と身体を動かし、今の若い世代、子どもたちを導いていかなければならないと痛感する機会となりました。美しさと試練を与え、私たちが快適に生きる上で欠くことができない崇高な存在である自然を、「子どもたち自身が残したい」と思えるように、苦難、喜びを与えていくことを使命と心得ています。
おはようございます。
週末から週明けにかけ保育学生の自然教育活動支援に出かけてきました。学生に限らず現代人は自然から遠のき、野外での生活に慣れていません。そういう自分自身も体力の低下、日常の利便性への依存、気候変動に伴う酷暑で身体と心をコントロールすることが難しい4日間でした。
人間は心身が苦しくなると「自分自身の本性」が現れやすくなります。戦場、飢餓等極端な状況でなくても、心と身体の病はもちろん、「怒り」、「欲得」、「自己保身」と最も醜い部分が露見してしまうことさえあります。仕事を持ち育児に追われ、思うようにならなくなってしまうことで起きる事件が物語っています。そのような状況を打ち破り、変えていかなければ人類の未来は危ういものとなっていきます。
若いうちから様々なストレスに耐性を持っておくことは、機会を持ち努力して自らに課すべきトレーニングだと思います。「社会人として仕事の継続に耐えうる力」、「育児との両立に耐えうる力」、「窮地に立った時こそ冷静でいられる精神力」、求めなければ「苦」を経た達成感は訪れません、避けるばかりでも身につきません。最近の学生気質は「ことなかれ主義」、「不干渉主義」で自分自身を守ろうとしている傾向が見受けられます。主張すれば炎上し、自分は難を避けるため同調する。そんなことでは「希望」、「勇気」、「優しさ」、「強さ」を子どもたちの心の中に育てるに相応しい心持は育ちません。もちろんその様な若者ばかりではありませんが。私の年代はそんな時代を作ってきた責任も感じます。何とか踏ん張り、たとえ年齢を重ねようが、心と身体を動かし、今の若い世代、子どもたちを導いていかなければならないと痛感する機会となりました。美しさと試練を与え、私たちが快適に生きる上で欠くことができない崇高な存在である自然を、「子どもたち自身が残したい」と思えるように、苦難、喜びを与えていくことを使命と心得ています。
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桐生悠々
2023.09.15
おはようございます。晴天が続きます。
9月10日に80年目の命日を迎えた桐生悠々は、気骨あるジャーナリスとして毎年社説を飾っています。言論人として戦時下何度も弾圧されました。しかし軍部を批判し、新聞報道の神髄を貫いた氏の功績は偉大です。有名な言葉として「言いたいことを言うのは権利の行使、言わねばならぬことを言うのは義務の履行」があります。心に留めておくべき名言です。遺言ともいわれる最後の個人誌「他山の石」に掲載された「科学的新聞記者」原稿です。政府、報道等マスコミに対しても、常に批判検討の目線を外してはならないと思います。
【《この頃の新聞に至っては、…全然社会を無視して、時の政府の反射鏡たらんとしている。輿論(よろん)を代表せずして、政府の提灯(ちょうちん)を持っているだけである。そして彼等(かれら)は矛盾極まる統制の名の下に、これを彼等の職域奉公と心得ている》《今日の新聞は全然その存在理由を失いつつある。従って人はこれを無くもがなのものとしているけれども、他に代(かわ)ってその機能を果たすものなきが故に、彼等は已(や)むを得ずなおこれを購読しつつある。…今日のだらしない状態である》《将来の新聞は科学的でなくてはならない。現在に於(おい)て、全くその態度を一変しても、決して早くはあるまい》《神秘主義を尊奉するに至っては、その存在理由を失うのは明である。見よ、彼等は既にその存在理由を失わんとしつつある。試みに街頭に出て、民衆の言うところを聞け、彼等は殆(ほと)んど挙げて今日の新聞紙を無用視しつつあるではないか》】
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クマ手を通じてできること「心の養護と教育」
2023.07.19
自分の背の高さの倍ほどあるクマ手 おまけに 先はすぐ草に引っかかる 扱いにくい道具
ともだちもやりたい ぼくもやりたい こんな場面に出くわしていきます
おはようございます。今日は曇り?午前中は気温も低めで午後は雨空模様 ちょっと一息できると良いのですが‥‥
先週の朝、草刈りの枯葉をクマ手で集めていると、目ざとく私と道具を見つけたなのはな組の子どもたちが、一人また一人と集まってきました。時々この作業を子どもたちの前で「わざわざ」行います。園庭で子どもたちが遊んでいれば、必ずやってくることはわかっています。見たことがない道具、やったことがない事は、彼らにとってすべて好奇心の対象となるからです。子どもが持つには長い柄、クマ手の先は針金でできているため、多少の危うさはあります。ですが、私は危険には配慮しながらやりたいことをやらせます。扱ってみなければ何も学べないからです。引きずったり、草に引っ掛かりうまく草を集めることはできませんが、この経験が道具をうまく操作する力や試行錯誤する頭脳を育てます。
また、4人もの子どもが集まれば順番を待たなければなりません。どのように1本のクマ手に関わっていくかは、大人にも配慮と知恵が必要なのです。相手は自己中心的世界から「誰かと繋がりたいな」と葛藤し、自分だけの世界から抜け出そうと、もがき始めている子どもたちです。「10数えたら変わろうね」、「○○さんは○○さんの次の次、3番目ね!」と言葉(数)を伝え、一緒に大きな声で数えながら待ちます。もしこの簡単なルールからはみ出しそうになったら、「10数えたら終わりだね」、「次は○○さんだね」などと気付ける言葉を何度も丁寧にかけていきます。月齢が高くなってきた子どもたちは、ほとんどこの簡単なルールを守ってクマ手を扱うことができました。何回も何回も行う子もいます。ですが、異なる場面で同じようにうまくいくかと言えば、そうでもないのがこの発達段階の特徴であることは忘れてはなりません。
「これは大人の仕事」と決めつけてはいけないと思います。クマ手1本で養護的配慮(心の安心・体の安全・気持ちや健康の安定)と教育的効果(決まりを守る・友だちを傷つけない・物を大切にする)を作り出すことは可能なのです。今はなぜ草刈りが必要か(蚊の発生を防ぐ、段差や石ころを見やすくする、同時に適度に残すことで昆虫と共生する)などということは理解する必要はありません。自然、道具を通じ、「やってみたい」と思う意欲を育て(自己実現)、大人、子どもの心のつながり(人間関係)を学ぶ(教育)ことが大切なのです。あるがままの自然に触れることはそれだけで学びですが、そこに「人」が介在することで、人間として生きていくための「繋がり」を学ぶ環境を創り出していかなければならないと常日頃から思っています。行ってらっしゃい。
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差別への戒め
2023.07.18
宮澤賢治「よだかの星」
よだかは、実にみにくい鳥です。顔は、ところどころ、味噌みそをつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。足は、まるでよぼよぼで、一間いっけんとも歩けません。ほかの鳥は、もう、よだかの顔を見ただけでも、いやになってしまうという工合ぐあいでした。たとえば、ひばりも、あまり美しい鳥ではありませんが、よだかよりは、ずっと上だと思っていましたので、夕方など、よだかにあうと、さもさもいやそうに、しんねりと目をつぶりながら、首をそっ方ぽへ向けるのでした。・・・・・・
第三十三候「鷹乃学習 (たかすなわちわざをならう)」 7/17~7/21頃
おはようございます。猛暑が続きます。最高気温が38度!地球温暖化もとうとうこまで来てしまいました。
【七十二候が小暑の末候に変わり、鷹のヒナが巣立ちの準備をする頃となりました5~6月に孵化したヒナは、この頃に飛び方や狩りの方法を覚え、独り立ちに備えます。鷹は、飛翔力が優れており、空中を自由自在に飛び回ることができますが、獲物を捕まえる時のスピードは、最高で時速80キロにも達すると言われています。また、「能ある鷹は爪を隠す」「鳶が鷹を生む」などの諺が言い表すように、知能指数が高いことでも知られています。鷹狩りに用いられるなど、猛禽類の中では昔から人に身近な存在でした。鷹を巧みに扱い狩りを行う「鷹狩り」は、紀元前およそ一千年前から、中国やインドで行われていたそうです。そして、鷹を操る「鷹匠」は、古事記にも登場するほどの長い歴史を持っています。】
鷹を使った狩りは古来より行われています。その姿、数百メートル上空から獲物を狙い、すばっしっこいウサギ、ネズミも捉えてしまう急襲の狩りは、圧倒される迫力がありますね。ソフトバンクホークス、楽天イーグル(鷲)スなどプロ野球のチーム名にも採用されるほど勇ましさの象徴でもあります。一方夜鷹(ヨタカ)という鳥をご存じでしょうか。名前に鷹はついていますが、この鳥は保護色で灰色や黒の多い、目立たない姿です。食事も昆虫が主食で夜行性、宮澤賢治の童話でも同じ仲間の鳥たちからも差別される鳥として、しかし「よだかの星」という悲しくも気高い心を持った生き物として扱われています。差別、区別は優越感から生まれる心です。人間は心に嫉妬や羨望、憎しみ、怒りという醜い感情を必ず持っています。そんな負の心を自分自身で戒め、言葉や行動で決して表さないように心がけていく必要があります。本当の醜さとは見た目や着飾った外見に翻弄され、心を磨こうとしない人間の心に住まうのです。日々気を付けなければいつの間にか支配されてしまうかもしれません。気を付けるべきです。行ってらっしゃい。
夕刻
今日は朝7時から30度を変える気温のため、室内遊びで過ごしています。湿気も多く、子どもの身長では屋外でまともに輻射熱(地面からの熱)を受けるため、ほぼ頭の先まで高温となってしまいます。本園の園庭で地面と周りに緑があるとは言え、今日のリスクはあまりにも大きすぎます。明日からは最高気温が今日から3,4度下がる見込みですので、外へ出られる時もあると思います。
さて、子どもたちの室内環境設定は、普段何に興味を持っているのかを、よく観察していればわかります。今日は「タイヤ(車輪)」がそのヒントとなりました。必ずと言っていいほど、丸い、黒いはタイヤ(車輪)を連想します。そこでガムテープに線路を書いて、遊びが発展していくように導いています。黒が目立つ黄色のガムテープに道路や線路を書くことは、木製あるいはプラ製レールのようにリアルではありません。だからこそ子どもたちのイメージは大きく膨らみます。写真でも分かりますように、子どもたちはタイヤ(車輪)だけで、自分のイメージを見立てる力を持っています。タイヤの上にはどんな車体が乗っているのでしょうか?心は遙か遠くに行っているのでしょうか?
そんな豊かなイメージを膨らませ、環境を用意していくことも、大人の大切な役割だと思います。外で思い切り体を動かすことが叶わない時は、室内にある素材を子どもたちがどのように見立てるかを予測し、より豊かな遊びが展開され、自己の想いを遂げ、なおかつ仲間や先生とのつながりが豊かになっていくように配慮したいものです。そのことを思うとやはり自然環境の豊かさが子どもたちに与える影響は、果てしなく大きいものと感じざるを得ません。
カテゴリ:教える・伝える