大儀であった!?「解散」・「グリーンランド問題」
2026.01.24


おはようございます。
「大儀」とは「面倒なこと」を意味している言葉です。高市氏は「信を問う」、トランプ氏はロシア、中国からグリーンランド(西半球=ドンロー主義)を守るを大義名分としていますが、果たしてこれは大義と言えるのでしょうか?むしろ大儀でしかないようにも思います。国民のためを掲げながら実は党利党略、国益(自分たちだけ)の優先が第一のように見えてしまいます。規模の差こそあれ日米が妙な共通点で動いているような気がしてなりません。本当に自国のことばかり考えているだけで、地球上の民の生活はよくなっていくのでしょうか?
豪雪地帯の人々にとって選挙は大きな負担となります。1日に5時間以上の雪かきをする人々に選挙へ行く時間などあるのでしょうか?真に国民すべてのことを考えるのであれば、一部を犠牲にしてまでこの時期に行うことなのかと疑問を感じます。
トランプ氏はノーベル平和賞からグリーンランド、ベネズエラ大統領拘束、イラン軍事介入、ガザ、パレスチナ問題、、移民排斥、関税発動と次から次へと歴代大統領が行えなかった政策を実行しています。まさしく「分断の象徴」とも言うべき手法は極端な考え方の人々には受け入れられています。
世界が大国の思惑と一部の極論者の手に渡ってしまえば、第三次世界大戦が起こらないとも限りません。「寛容」、「共存」、「平和」等のきれいごとこそ、今求められる思想だと思います。メディアは公正で自由な報道を守り、国家権力に介入を許してはなりません。国民は「平和」を損なうような言論、行動を許してはなりません。武力なき言論による公正、平等が保たれてこそ人間の知恵ある生き方であるべきです。
カテゴリ:政治・国際状況
児童発達支援・放課後等デイサービス施設餅つき大会!
2026.01.24

fululunagoya.com
おはようございます。
先週の日曜日に中川区にある児童発達支援・放課後等デイサービス施設が行った餅つき大会に、来賓として参加させていただく機会がありました。「FululU(フルル)」という名前の施設です。【FululUの「lulu」には「宝石」・「貴重な」・「可愛い」という意味があります。fulには「Future」・「powerful」・「colorful」の3つの意味を込めています。未来に向かってそれぞれが自分の色を放ちたくましく生きていく!そんな全てのパワーの土台にある根っこを育てる場所。そんな療育を目指したいという想いが込められています。U =you 「あなた」の個性を生かし、子ども一人一人と向き合うという意味でUを大文字にかえ、表しています。そして、両サイドを挟む大文字には、大人がずっと見守っている・寄り添っていくよ、という気持ちが込められています。】
この施設の管理者さんは、実は私の教え子でもあるのですが、卒業後に母校のホームカミングデイ(同窓会)で再会し、施設を立ち上げたことを知りました。ご本人は若い時から様々に海外を旅し、その国ならではの「教育」を自分の目で見て体験し、各々のメリット、デメリットを現在の職場に生かしています。学校以外の居場所、療育が必要なこどもたち、保護者の皆様と共に歩む姿勢はとても素晴らしいものがあります。自らの足で役所や銀行を回り、門前払いが何度あっても諦めなかったそうです。そんな教え子(今は同等の立場です)がいることに私も誇りを感じます。会社組織で実践していくことは、自由もありますが、しっかりと採算も考えていかなければ事業を安定させていくことも叶いません。
代表には本園の園庭について、先日の焼き芋大会にお越しいただき環境を体験してもらいました。FululUの子どもたちが園庭に遊びに来てもらうようにお願いしたところ、「ぜひ遊びに来たい!」とお話されていました。様々な機会に様々な環境で生きる人たちと関わることはとてもよい経験です。本園の子どもたちもそんな出会いの機会を得られることで、これからの長い人生の中で必ず何かの役に立つはずです。人と人との前向きな関係性は、お互いが学びあい楽しさを分かち合い、自分の人生を豊かにしていくことに繋がると信じます。
カテゴリ:教育
ノーベル平和賞の譲渡
2026.01.24

おはようございます。
【(1月17日 AFP)昨年ノーベル平和賞を受賞したベネズエラの野党指導者マリア・コリナ・マチャド氏が同賞のメダルをドナルド・トランプ米大統領に贈呈したのを受け、ノルウェー・ノーベル委員会は16日、ノーベル平和賞は受賞者と切り離せないものだと強調した。マチャド氏は15日、ノーベル平和賞のメダルをトランプ氏に「贈呈」したと述べた。ベネズエラでニコラス・マドゥロ大統領が排除されて以来、かやの外に置かれていることから、トランプ氏の歓心を買おうとしたものとみられる。だが、ノーベル委員会はノルウェーの首都オスロで声明を発表し、「メダル、賞状、賞金がどうなるかにかかわらず、最初の受賞者が歴史に記される受賞者であり続ける」「たとえメダルや賞状が後に他の誰かの手に渡ったとしても、ノーベル平和賞の受賞者が変わることはない」と強調。「平和賞受賞者や彼らが関与する政治プロセスについては」コメントしないと付け加えた。】
以前から「自分こそ適任者」と言い放っていたトランプ氏、「私たちの自由に対する比類なき貢献をたたえるため」とマチャド氏、どっちもどっち、「いいかげんにせーや」と言いたいですね。一部の人間が厚遇されたとしても、平和はすべての人間が実感できてこそだと思います。武力で他国を抑え込もうとする力に対し、「平和への貢献」と評価してはならないはずです。極右化する世界、いったいどうなっていくのでしょうか?「人間の退化」としか思えない暴力による支配は、「野蛮」で「醜悪」な人間の悪の本性です。この力が人間社会で正当化されることは、人間の破滅への第一歩と理解しても良いと考えます。「仕方ない」で済ませていては、子どもたちの将来は暗闇です。
カテゴリ:政治・国際状況
冒頭解散
2026.01.24

おはようございます。
政策実行優先を掲げていた高市首相の発言が変わり波紋を投げかけています。2月初旬投開票が実施されることにより、野党立憲民主党と公明党は新党「中道」を結成、これもまた与党からは互助会政党などと揶揄され、政策なき票集めの手段と批判されています。国民生活にも豪雪地帯で、この時期の投票準備に大童(おおわらわ)となることが見込まれ、何のためにこのリスクを背負わされるのかに戸惑います。
高市氏は外交状況の緊迫化に伴い、日本が軍事費を増額する、改憲などへの考えを日本国民に「信」を問うことを目的とする。と述べていますが、首相の支持率が高いうちに、一議席でも与党票を増やしたいといった魂胆が垣間見えます。自民党の支持率は決して高いわけではなく、しかも他党が政権を担うにはあまりにも脆弱であり、国民は仕方なく考えている事実もあるように思います。
以前マラティール氏(元マレーシア元首)の日本への思いを掲載しましたが、日本の経済が低迷し、防衛に関してもアメリカに依存、追随している政治を、日本独自の方法に方向転換しなければならない、との考えにどのように向き合っていけるかが、「戦後日本の独自性」へ回帰できるか否かの分かれ目だとも思います。
しかし今の日本の「教育」、「社会」、「家族」、「地域」は、様々な意味でその勢いを失い、さまよっている状況でもあります。根本からの「日本人として独自性」を「日本の歴史」から学び直し、立て直していかなければ、安易な西洋化、テクノロジーだけに身を任せてきた風潮を変えるには大きな困難を伴います。日本は今外国人からその文化的特異性を注目されています。しかし真に日本人としての誇りを持てる状況であるかどうかは疑問にも感じます。明治期まで持っていた気骨ある人格は、果たしてまだ残っているのでしょうか?自分自身にも問いかけていく必要があります。
カテゴリ:政治・国際状況
子どもに寄り添うとは?
2026.01.18



子どもたちへの保育者の寄り添いには様々な方法があります。一言で「見守る」といっても、ただ子どもを見ているだけではなく、子どもの発達やその時の心の状態を探りながら、最も子どものためになる方法で寄り添うことを心がけます。
最初の写真の様に隣に座り、とにかく同じもの(バケツの中)を見るだけもありです。築山の寄り添いの様に、地面の砂を集めたり、一緒の行動をする、より積極的に「やってみせる」もあります。時と場合によってその関りは子どもの「邪魔」にならぬよう、行き詰っているときは「ヒント」となるような、遊びへの試行や言葉かけも行っていくのです。
そして「自転車タイヤで一緒に子どもと電車ごっこ!」これこそ子どもと同じ目線で遊びこむ大人の共有、同調的姿勢です。この寄り添いは、子どもにとって同じ遊びの楽しさを受け止めてもらい、思う通りに自分の考えと行動を行う満足感に繋がります。大人はその意図を最も良く分かってもらえる頼もしい存在(寄り添い)なのです。
さらに「うまくいかない時」、「泣けて悔しい時」、「おもちゃをとられて怒ってしまった時」等の負の気持ちが子ども心を支配したとき、寄り添って受け止め、収まるまでそばにいてもらうことは、「どうしようもならない自分の気持ち」を「安心」へと変えていきます。一見放っておくように見える時もありますが、保育士は子どもを陰からそっと観て心を探り、タイミングを見計らって声がけします。この声がけがとても大切です。
子ども心は動いています。その時に何を「望んでいるのか」をキャッチし、遊びが楽しく発展していくように、あるいはマイナスの心を受け止め理解しようとする姿勢を見せていくこと、何気なく手伝っていくことが私たちの職務です。その目的はこどもの「自発」、「心の立ち直り(レジリエンス)」を支援し、子ども自身が自分の手足と頭を使いきる満足に他なりません。そのための私たちの労力は、プロとしての誇りでもあり、疲れは充実感へと昇華されます。
子どもの成長は連続しています。最初に先生になって絵本を見せている子、それを懸命に見ている子同士は、「特定の仲間関係」と言えます。その後の園庭活動を見れば一目瞭然ですね!常に一緒に行動しています。ここが最初の集団行動(仲良い2人集団)と言えます。「だいすきだから」が理由で、おもちゃを譲る、我慢もする・・・・・等々、自分をコントロールする能力が芽生えてきます。
この育ちを大切にする必要があります。一般的に様々な関係性(嫌いな子・見知らぬ相手・関係性が薄いクラスの子)に対して柔軟な態度で臨めるようになる力は、この特定の関係性がある「気の合う子」、「気心が知れた子」との遊びを、十分に満足するまで行わなければ、次の小グループにおける「平等」、「公平」、「均等」等の考え方にたどり着きにくくなるのです。
心の発達は見えにくいですが、しっかりと手順を追う必要があります。その一つ一つを確認し不足があれば立ち止まり、補い体験を繰り返していく根気ある見方をしていく必要があるのです。人間の成長には様々な環境を必要とします。できるだけ公平で民主的な人間に育っていくためには、幼い時の環境こそしっかりと見つめていく大人の姿勢が大切です。幼児期の発達は見えにくいですが、「土台を作る」ために最も大切であるといっても過言ではありません。
カテゴリ:教育
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