お知らせ

長崎被爆80年 長崎平和宣言

2025.08.09


原爆投下後の浦上天主堂
alt
山王神社 被爆クスノキ
alt
再生後のクスノキ
alt
山王神社 片足鳥居

おはようございます。
8月になると戦争の新聞記事、映画、テレビ番組は増えます。今年は戦後80年の節目でもあることから、いっそうその機運に満ちています。戦中世代も少なくなる中、いよいよ戦争の直接体験者が不在となっていきます。一人の人間として日本人として戦争を子どもたちや青年に伝え残していく機会を大切にしていかなければなりません。

「クスノキ」作詞作曲 福山雅治(長崎県出身)
我が魂は この土に根差し 決して朽ちずに 決して倒れずに 我はこの丘 この丘で生きる 幾百年越え 時代の風に吹かれ 片足鳥居と共に 人々の営みを 歓びを かなしみを ただ見届けて
我が魂は 奪われはしない この身折られど この身焼かれども 涼風も 爆風も 五月雨も 黒い雨も ただ浴びて ただ受けて ただ空を目指し 我が魂は この土に根差し 葉音で歌う 生命の叫びを 

【被爆から80年となる今月(明日)9日の「長崎原爆の日」の平和祈念式典で、長崎市の市長が読み上げる平和宣言の骨子が発表されました。各地の紛争の即時停戦を求めたうえで、人種や国などの違いを超えた「地球市民」の視点に立った行動の重要性を訴えることにしています。「長崎平和宣言」は被爆者の代表や有識者などで作る起草委員会の議論をもとに作成され、長崎市長がまとめていて、1日、鈴木市長が骨子を発表しました。それによりますと、宣言では、核戦争への危機感を表明するとともに、世界各地で起きている紛争の即時停戦を求めることにしています。また、去年、日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞したことに触れ、人種や国などの違いを超えた「地球市民」の視点に立った行動の重要性を訴えることにしています。そのうえで、日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求めるとともに、各国の指導者に対し、来年、開かれる予定のNPT=核拡散防止条約の再検討会議で核兵器廃絶への具体的な道筋を示すよう要請することにしています。鈴木市長は会見で「被爆者の血のにじむような努力で確立した核のタブーが、世界においても、被爆国・日本においても揺らぎ始めている。いま一度、被爆の実相についてしっかりと認識してもらい、思いを新たにしてもらいたい」と述べました。】

カテゴリ:戦争

広島被爆80年

2025.08.09

alt
死んでしまったきょうだいの火葬を待つこども

広島、長崎に原爆が投下され,2025年で80年となります。世界では相変わらず核兵器を保有する国々が存在し、保有をちらつかせて他国の領土を侵略する行為がまかり通っています。しかも世界で1,2位を誇る大国ロシアがその有様です。この現実こそ人間の愚かさであり真っ先に変えるべき人間社会の悪と危機です。
被爆体験者が次々とこの世を去ることで、核兵器、戦争の恐ろしさを生々しく伝えることもできなくなります。人間は欲にまみれた恐ろしさを持っていること、【誰もが心の中に「ナチス的」残虐性を内包していることを忘れてはならない。】と言った、映画監督ジョージ・スティーブンスの言葉(映像の世紀プレミアム 8.14日放送)が心に焼き付いています。

カテゴリ:戦争

ノーベル最年少委員長の来日

2025.08.03

alt

おはようございます。
ノベール平和賞の選考委員長ヨルゲン・フリードネス氏が来日しています。ノーベル財団の職員が受賞先の国を訪問し、受賞者(団体)と会見するのは初めてのことです。注目すべきは彼が学生時代に学んだ広島長崎の悲惨さを忘れず、考え続けてきたことにあります。様々な考えを聴けますが、ここでは抜粋して掲載いたします。詳しくは【https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241210/k10014663801000.html NHKニュースウェブ】をご覧ください。
【フリードネス委員長1「私はこれまでの仕事のほとんどの時間を、テロの犠牲者、トラウマ、証言活動に関わることに費やしてきました。その中で、追悼や記憶、証言の力が、意味のある新しい未来をどのように生み出すかを学びました。意味のある未来を見つけるには、トラウマと向き合わなければなりません。私たちは何が起きたかについて、真実を語らなければなりません。私たちは出来事に意味を与えるだけでなく、学ぶこともできます。そして、それが日本被団協と被爆者が成し遂げてきたことです。彼らは『核なき世界』に向けて進むための道徳的な羅針盤を与えてくれました」2 ノーベル委員会は、世界の安全保障が核抑止力に依存している状況で、私たちの文明が生き残ることができると信じていること自体が甘い考えだと思っています。核兵器は存在すべきではありません。すべての政治指導者、特に核保有国には一歩一歩前進する義務があります。世界の核弾頭を削減し、私たちが抱く『核なき世界』というビジョンに到達するまで必要な措置を取るべきです」3 「核保有国や、核の傘によって保護されている国々は『核のタブー』を守るために必要なすべての措置を講じることに特別な責任があります。核保有国が不確実な事態に踏み込まないよう圧力をかける責任もあります。ノルウェー、日本、そのほかの政府が取るべきは、緊張を緩和し、軍拡競争をやめ、核保有国や別の国が新たに核を持とうとすることを許さないことです。核兵器の脅威を増大させるべきではなく減らす必要があります」4 「これらの肖像画(過去のノーベル平和賞受賞者)が物語るのは、悪、戦争、それに不正義はなくなりませんが、私たちは決して諦めるべきではないということです。核軍縮に焦点を当てることで、政治指導者に圧力をかけると同時に、世界中の何百万もの人々を教育し、努力するよう促すことにもなります。日本被団協、そして、高齢である被爆者が、核廃絶に一生を捧げてきたことが伝えているのは、決して諦めないというメッセージだと信じています」】

カテゴリ:戦争

「沖縄慰霊の日」

2025.06.29

alt沖縄 摩文仁(まぶみ)の丘 美しい崖から多くの民間人と日本兵が身を投げた

おはようございます。
昨日23日は「沖縄慰霊の日」でした。毎年この日にこの話題に触れるのは、戦争の悲惨を忘れず戦争を知らない世代に「決して起こしてはならない戦争」を引き継いでいくために重要だと思うからです。
太平洋戦争の終戦日は8月15日であることを知らない人はいないと思います。しかし日本で唯一の地上戦があり、多くの島民の命が奪われた戦争、対馬丸の沈没、終戦日以後の特攻隊員の死等々、様々な悲惨な状況がかってあったことは時代の変遷で忘れ去られていきます。だからこそ「慰霊の日」は、埋もれかけた負の歴史を忘れてはならないことを想いだすことができる歴史として、未来を生きる人々の心に、永遠に記憶にとどめておく必要があるのです。
22日の中日新聞社説には、慰霊の日がどのような日なのか、政治家の誤った認識と発言(自民党西田昌司氏)、過去の政治家の大切な見解(初代沖縄開発庁長官山中貞則氏の本土復帰と沖縄振興、小渕恵三氏の反対された沖縄サミットの開催、野中広務氏沖縄戦を忘れてはならない理由の発言)を掲載し、沖縄を忘れないことの大切さを伝えています。
心配なことがあります。「ひめゆり記念館」等の来場者数の減少、各地の戦跡や戦争にまつわる記念館が運営者の高齢化により維持できなくなってきているという事実です。原爆記念館は逆に来場者数が増えていることは喜ばしいのですが、戦争はもっともっと身近な悲惨もあったことを伝えるための場所が廃っていくことは見逃せません。名古屋にも「ピースあいち」という施設が名古屋市名東区にあります。とても小さな施設ですが、戦争のことを細かく伝えている場所です。一度は来館いただくことをお勧めします。(https://peace-aichi.com/)

カテゴリ:戦争

戦後(アジア太平洋戦争)80年

2025.05.17

alt開聞岳を仰ぎ 母への思いを断ち 若者は散っていった
alt迫りくるアメリカ軍から逃れ最南端の糸満へ兵士と共に・・・ 最後まで献身的に看護し命を散らした女学生
おはようございます。
先日ロシアで第二次世界大戦でナチスドイツに勝利したことを祝う軍事パレードが行われました。中国、北朝鮮、ベトナム、ブラジル、スロバキア、セルビア等からも何らかの形(代表者、兵士行進)での参加がありました。戦勝を祝う風習は日本にはありません。戦争が国民の命を奪い何も残すものではないことを敗戦、原爆投下などを通じて思い知ったからです。世界の国々ではいまだ国の誇りのため、犠牲になった人々を英雄として、国民を鼓舞する手段として利用するような風潮が根強く残っています。日本は「戦争」そのものを永遠に放棄する誇るべき憲法9条を定め、国が二度と過ちを起こさないように歯止めを作っています。
5.11中日新聞に「知覧」から特攻隊として出撃し、南方戦線で戦死した若き日本人の「母親への手紙(遺書)」が掲載されていました。九州鹿児島にある「知覧特攻平和会館」には、散り行く思いを母に宛てた手紙が数百人分展示されています。私も数年前に訪れましたが、涙なしではいられない場所でした。沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」、「広島平和記念資料館」、「長崎原爆資料館」と共に戦争の悲惨さを後世に語り継ぐ神聖な場所ですので、将来ぜひ大きくなったお子様と共にご覧になることをお願いいたします。
そして政治家の言論が問題になっています。【西田昌司議員の「歴史を書き換えるとこういうことになってしまう」という発言は、ひめゆりの塔の展示が日本軍を悪者とし、アメリカ軍を解放者として描いているという彼の「印象」を批判したものでした。しかし、資料館側がそのような記述の不存在を明言し、発言が事実に基づかないとして、沖縄県民や研究者から強い反発を受けています。この問題は、歴史認識の重要性や政治家の言論責任を改めて考えさせるものです。】多くの人命が奪われた過去に対し、責任ある立場の者が軽々しく持論を述べることは、とても影響力があることを肝に銘じ、戦争が起きてしまいかねない環境が、日本に作られることがないように注意していく必要があると思います。

カテゴリ:戦争

記事検索

RSSフィード

- CafeLog -