お知らせ

権威者の間違い

2023.07.04

おはようございます。今日も暑さが続きます。適度に汗をかき体の内液を循環させ、無理のないように冷やしながら、バランスの良い生活が必要な時です。
ワグネルを率いたプリゴジン氏が、ルカチェンコ大統領の仲介によりベラルーシに亡命?しました。2日付け中日新聞(視座 内田樹)では、いずれプーチンの刺客によって暗殺されるだろうと書かれています。我々民主主義国家においては信じられない予測だと思います。理由はロシアを脅かした反逆者である、いち私的軍事組織の首謀者を国家は許さないからです。戦闘で大きな成果をあげたワグネルに対する国民感情に表向きは配慮しながら、実は敵対しようとしたことが、プーチンの権威を貶めたからだと述べられています。あれほど強権的な政権に対し、異を唱えるような団体が出てきたことは、他にも国家や政治体制に関わらず、民間の軍事保持者が存在する現状がなくならない未来を予測しています。
一方中国では一帯一路を掲げる習近平政権の独裁化が進み、国民に文化大革命時におきた「密告(教師や近くに反国家的考えや発言を擦る者の報告)」が起きています。学校に「学生情報員(共産党に協力することで様々に優遇される)」を任命し、反逆の芽を摘んでいるとのこと。まるで太平洋戦争中の憲兵や特別高等警察(特高)のような世界です。一般市民の中に同胞を監視するような仕組みを作ることは、とても恐ろしいことです。これも過去に目を向け反省をできない、愚かな権力者の姿だと思います。
この2つの事実から考えても、国民を翻弄し、ないがしろにしようとする権威はあってはならないと思います。人間は確かに限度を知らず、放っておけば何をしでかすか分からないのが本性でもあります。だからと言って権力を握ったものが、多様な考えを踏みにじり統率していくことが、人権尊重を叫んでいる現代社会において許されてはなりません。行ってらっしゃい。

カテゴリ:戦争

「沖縄慰霊の日」と自衛官候補生銃乱射事件

2023.06.23

平和記念公園

「沖縄戦終焉の地」糸満市摩文仁の丘


おはようございます。今日は不安定ですが、晴れ間もうかがえる1日となると良いのですが。
今日6月23日の「慰霊の日」は、沖縄戦犠牲者の霊を慰め世界の恒久平和を願う日です。沖縄県が条例で記念日として定めました。沖縄戦は、太平洋戦争の末期である1945年に、日本軍と、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍を主体とする連合国軍との間で行われた戦いです。日本軍は沖縄を本土防衛の最後の拠点とし、連合国軍は日本本土に攻め入るための基地として、沖縄諸島を攻略しようと試みました。沖縄戦では、連合国軍と日本軍を合わせて20万人以上の犠牲者が出たといわれています。そのうち、一般の犠牲者は推計で約10万人です。沖縄県民の4人に1人が命を落とした壮絶な戦いで、甚大な被害がありました。「慰霊の日」は、アメリカ軍が主体となった連合国軍と日本軍との間で起こった組織的な戦闘が終わった日とされています。1945年6月23日に、沖縄現地に配備された日本軍の牛島満司令官と長勇参謀長が自決し、組織的な戦闘が終結したことから、この日が「慰霊の日」に定められました。
さて、現代日本では銃によって尊い命が奪われる事件が起きました。それも日本を他国からの侵略、災害発生時にいち早く国民を守るために組織されたはずの自衛隊内部での事件です。殺傷能力のある武器を扱う特別な場所で人の命を奪う行為が公然と行われたことに衝撃が走ります。なんとも恐ろしいことです。日本では銃の所持は厳しく規制されていますので、アメリカのように学校で銃の乱射があることは、確立としては低いと思います。しかし、昨今は狩猟用の散弾銃などで身内や夫婦間で起こる殺傷事件も相次いています。
一見銃がなく安全な日本で、今回無差別に近い自動小銃(連続発射できる銃)の乱射事件が起きたことは衝撃的です。しかも18歳の青年が手を下したという事実は、それまでの育ちに何かしら原因があると考えざるを得ません。弾を込め外部に持ち出そうとしていた節もあるということで、日本の社会が抱える大きな闇を感じます。たとえ銃がなくても「人を殺してみたい」等の願望が、理性によってコントロールできない若者が事件を起こしている事実は、氷山の一角にすぎないと思います。そのように考えると、おちおち外出もままならなくなると感じます。絶対の安全などあり得ないのが生き物の世界、理解できないのが人の心でもありますが、「信じる」を失えばもはや人間ではなくなってしまいます。命の尊さや人間が起こす過ちについて、身近なところから警鐘を鳴らしつつ、記念日を通じ過去の戦争と過ちに対し目をそらさず、風化させない気持ちを失ってはならないと考えます。行ってらっしゃい。

夕刻 「身近に生き物がいること」
身近に生き物を見て触れられる機会があると、生き物への関心が様々な所に現れてきます。どうして子どもたちは生き物に関心が強いのか、これは本能的なものとしか答えようがありません。今日も園庭でミミズやナメクジを探す子どもたちの姿が見られました。ミミズ一匹で20分、関わる子どもが4人もいました。これが蝶やトンボ、バッタが現れたら世界はさらに広がるのです。室内であればイメージや思いが膨れ上がるものは、絵本や歌その他の玩具に限定されます。だからこそ室内は素材そのものと準備の仕方に工夫が必要となるのです。
数年前子どものキャンプ活動をしていた時、子どもから「このカブトムシは電池で動いているの?」と信じられない質問を受けたことがありました。どれだけ自然環境から遠ざかる生活をしていたのかを、象徴する言葉だと思います。子どもは屋外にいるだけで様々なことを学んでいます。それは屋外が変化に富んだ世界だからです。変化は子どもたちにとっては、新しくて面白い体験と、様々な自然物の変化を得ることができ、また自分の力で変えていくことができる主体性発揮の場でもあります。私が屋外での活動を積極的に行うのはそのためです。今は中々効果が現れるものではありません。5年単位くらいで子どもたちの心の中と身体能力は確実に変わったことが分かるようになります。
親や教師は教育の効果を短期間で確かめたい欲求にとらわれがちですが、人間の発達はそんな簡単にはいきません。比較的分かりやすいのが、知識と技術的成果ということなのです。しかし、この教育に専念すると心の発達は置き去りになる危険性があることを心得ておいてください。本当に今子どもたちに必要な環境と力は何であるのかを、大切にしなければなりません。

カテゴリ:戦争

終戦の日(戦後77年)

2022.08.15

今日8月15日は「終戦の日」。太平洋戦争から77年です。今年も沖縄慰霊の日(6/23)、広島原爆の日(8/6)、長崎原爆の日(8/9)と記念行事を経て本日を迎えました。毎年この機会を通じて戦争のことを考えるようにしていますが、今年はもう少し深く歴史に刻まれた事実を見つめてみようと思いました。
戦争に関するテレビ番組はこの時期多いため、録画し観ています。その中でも兵士の立場からの番組「歩兵第11連隊の太平洋戦争」に今までにはない戦争の深い傷跡と悲しみを学びました。「陸軍 歩兵11連隊」は精鋭部隊と言われ古くは西南戦争、日清戦争、日露戦争に参加実績がある伝統ある部隊です。しかし、中国戦線では便衣兵(べんいへい)【一般市民と同じ私服・民族服などを着用し民間人に偽装して、各種敵対行為をする軍人のこと。協力民間人の華僑を含む。】の存在により、多くの一般市民をも虐殺した事実、病院船偽装事件【橘丸事件(たちばなまるじけん)は、1945年(昭和20年)に日本陸軍が国際法に違反して病院船「橘丸」(東海汽船、1,772トン)で部隊・武器を輸送した事件。日本陸軍創設史上最も多い約1,500名の捕虜を出した。】などに関係しました。
兵士は、上官からの命令により、やむを得ず虐殺に手を染める。感覚は麻痺し、人を殺すことさえ何とも感じなくなっていく。追いつめられれば赤十字船を装い兵士と武器を移送する。理性や人間らしさを失い、自らの精神を守るため「感じない心」を作り上げる。そうでもしなければ精神は破壊されてしまう。おそらくこの部隊に限られたことではなく、戦場のあちこちで起こっていたことだと考えられます。番組では、戦後生き残った元兵士、罪を問われ処刑された兵士、戦争参加への動機、戦争指導者のあいまいさ、責任逃れ、保身等、幅広く伝えていました。
「やむを得ず戦争を行う(太平洋戦争開戦の日、昭和16年12月8日に放送された、開戦にあたっての東條英機首相の演説。)」ことがもたらした結果は、余りにも惨い結果をもたらしてしまいました。敵味方とは言えお互いに家族がある、恨みがあるわけではない者同士が殺しあう悲惨、兵士ばかりではなく東南アジア(中国、台湾、ベトナム、インドネシア、マレーシア、タイ、シンガポール等)の一般市民の命を直接あるいは間接的(米軍のアジア日本基地、資源工場の爆撃)に奪い、皇民化政策を押し進め、民族の独立をも妨げました。自存自立の目的を超え、欧米からの植民地解放を掲げた大東亜共栄圏とは名ばかりとなり、侵略、虐殺、略奪、強姦などを行い、新たな憎しみを生んだのです。しかし、戦場で「人が人でなくなる」ことは昨今のウクライナとロシアをはじめ、数々の紛争を振り返っても明らかなことです。極限の状態が理性を奪うのです。
為政者はいつも言います。「国を守るための軍備増強」、「攻められる前に防衛が必要(敵基地攻撃)」、「憲法を改正し自衛隊を合法化する」。これらの法案を簡単に許してしまうことは、二度と起こしてはいけない戦争に大きく接近することです。
冒頭の首相発表「やむを得ず・・・」は、自己を正当化し、野心と国家主義のため国民を欺く理由付けに他ならないと思います。都合のいい言葉、一見納得できる説明に決して惑わされないためには、太平洋戦争を良く学び、許されるべきではない主張を認めてはなりません。兵士として従軍したほとんどの人が訴えます。「戦争はやるものじゃない。」、「二度と起こしてはならない。」体験者の言葉を重く受けとめ、我々は用心深く政治を監視していかなければなりません。

カテゴリ:戦争

ウクライナに思いを寄せて

2022.04.01

ウクライナでは今も多くの市民や兵士が傷つき、亡くなっている人、家族と離れてしまっている人々がたくさんいる。30日の中日新聞15面にて【「島唄」に込めた沖縄への尊厳】と題したレポートを読んだ。30年前ヒットした「島唄」は、作詞作曲した宮沢和史さんの戦争、沖縄に対する切実な思いがこもった楽曲であった。皆さんも一度は耳にしたり、口ずさんだことはおありかと思う。宮沢さん自身が本土出身(ヤマトンチュ)。これもなんとなく沖縄出身者(シマンチュ)ではないことを感じてはいたが、深くは考えていなかった。「風を呼び嵐が来た(米軍が来て戦争がはじまり)ウージの森(集団自決の場所)で千代のさよなら・・・、このまま永久に夕凪を(平和を願う)」一見男女の恋愛をうたっているように思えるが、実は戦争の悲惨や残酷さが込められていたのだ。宮沢さんは語る。(引用、要約)「日本の平和は多くの犠牲があってもたらされた。勝手に来たのではない。決して忘れてはいけない。島唄をつくってから決めたのは、歌手として、人として、沖縄を通りすぎるのではなく、根を生やすことでした。」、(解説)「それがヤマトンチュである宮沢さんの沖縄への尊厳の証だとも考えている。」沖縄を通し平和の意味を問い直し、今やれることは何かを考え実行していくことが、私たちの祖先が過去に行った過ちから学んだ貴重な経験のはずだ。遠い国で家族を守るため立ち上がったウクライナの人々、そして自国の代表者が他者の命を奪う戦争に踏み切った事実に、自己の命も立場も顧みることなく反対の姿勢を示す勇気ある一部のロシア市民を後押しし、やれることを見つけ訴えていくことが、武器を持たず平和を持続していくための最大の武器であると心打たれる。宮沢さんの活躍を応援し益々のご活躍を祈っていきたい。ヤマトンチュ、シマンチュ、日本人、立場や生きる次元、時代が異なってはいても、専制的な為政者の力よりも人民の力は根強く、そして忍耐強いと信じている。戦争そのもの、戦争にいつの間にか巻き込まれるような制度改正には踏み込んではならない。

カテゴリ:戦争

太平洋戦争が始まった日~真珠湾から80年~

2021.12.09

日米が開戦したのは1941年12月8日午前6時、日本のハワイ真珠湾奇襲攻撃が始まりだったことはご存じのとおりです。連合艦隊司令長官の山本五十六は、当初アメリカの国力を熟知するものとして戦争反対を訴えましたが、軍部と世論の勢いにはかなわず先陣の命を受諾します。苦渋の選択とはいえ日本の運命はこの時から悲惨な結果へと進んでいくこととなりました。この節目を迎え、戦争に巻き込まれた人々の様々な想いが新聞やニュースで報道されています。我々戦争を体験していない日本人は、よく耳目を傾け、真実を知ることに努める必要があります。戦争の悲惨は、原子爆弾、空襲、玉砕、虐殺、略奪、強制労働、PTSD (Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)等数え上げれば恐ろしい程のキーワードがあります。日本の各地、そして中国大陸、朝鮮半島、台湾、ユーラシア、東南アジア、アフリカ諸国等において、今もなお癒えない痕跡を残しています。その一つ一つを紐解く情報や場所もその気になればたくさん見つかります。名古屋市名東区にある「ピース愛知」もその一つです。時間があれば是非訪ねてみてほしい場所です。折に触れ見聞きすることで、たとえ同じ内容やお話しだったとしても、頭に入れていくことで思いを新たにすることが出来ます。人間は忘れやすい生き物です。半面苦しかったことも忘れるからこそ今生きていられるのも事実です。しかし、戦争への無知だけは避けなければなりません。もともと好戦的な本質を持っているからこそ記憶を辿り思い出し、心の戒めとしていく必要があるのです。東日本大震災などの災害についても同様だと感じます。地震や津波は人的力ではありませんので、過去を忘れず、災害に備えることを心掛け実行していくことが必要です。戦争は、人間同士の争いであるため、努力次第で防ぐことは可能なはずです。対話や多様性が世界で叫ばれている今だからこそ、軍事力などの暴力的、破滅的、脅迫のような政治活動、軍事行動、武器の所有は避ける必要があるのではないでしょうか。自国を自分たちで守ることは大切です。その方法については、過去の悲惨を知れば、当然いつ誤った操作で偶発的に起きてしまうかもしれない軍備を増強するなどという愚行は為すべきことではないと考えます。我々が行えることは、選挙によって選ばれる代表者にそのような考え、政治利用を間違っても行わせないように監視することが責務であると思います。また、現代は日常生活の中で孤立する人々が増えています。孤立は、育児、社会生活、学校生活、高齢生活を送るうえで大敵です。少しでもお互いが良く知っている関係性を作り上げていき、いつでもちょっとした会話や助け合いをできるよな社会を目指していかなければなりません。貧しくても100年前にはそのような世界がありました。今のやり方で良いから繋がりを紡いでいける場所を作り出し、誹謗、中傷、分断、差別、排除等負の関係性が生まれないようにしていかなければならないと思います。戦争の大元は、このような人間の心に潜む悪しき思いがコントロールできないことにあるのかもしれません。

カテゴリ:戦争

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