お知らせ

太平洋戦争が終わった日

2021.08.15

 今日は中国戦線、南方戦線、本土唯一の地上戦があった沖縄戦、広島原爆、長崎原爆を経て、大勢の人命が失われ戦いの終わった8月15日です。今ある日本の平和のために落命された皆様に感謝するほかありません。
 この戦争には様々な呼称があります。大東亜戦争(日本の戦時下での呼称)、日中戦争、第二次大戦、立場や含まれる国の数により呼称は様々です。もちろん亡くなったのは日本人ばかりではありません。どうしてこのような事態になってしまったのか。その場にいた人間の心や組織の状態を紐解いていかなければなりません。軍人、政治家ばかりではなく、世論を後押しした国民の意識もあったことを、痛切に反省する必要もあります。戦争は終わったけれども生き残った人々の心の中は、いまだ戦争は終わっていないのです。
 人間の個人思想は様々な情報によって左右されます。国家権力に自由を奪われ、統制が行われていた時代においては、間違った考えが世論になってしまうことも当然ありました。しかし現代は思想を見聞きし、自己選択が可能な時代のはずです。国家権力も普通選挙等で監視することが可能です。戦前戦中の宰相であった犬養毅(5.15事件で暗殺)は、普通選挙法を成立させ、命を懸け戦争を回避しようと働きかけ、国民がその判断をできる環境を用意してくれました。大いに先人に感謝するとともに制度を守っていかなければならないと思います。
 さて、今を生きる私たちは今を真剣に考えることができる環境を用意しているでしょうか?様々な思想に触れていくことも、二度と悲惨を起こさない責任を作っていく大きな力となります。スマートフォンやネット環境で、好きな情報だけを選択できる今の時代にこそ、新聞、ニュース、過去現在の思想家の書物にも触れていかなければ、個人の考え方は限りなく偏っていくと危惧します。一部メディア、国家は自国や世界情勢について事実を隠したり、自分に都合の良い考えにすり替えてしまっています。それを見抜き、正しさを見据える力を持たないといけません。終戦の日は毎年訪れます。そのたびに特攻、空襲、原子爆弾の話は特集されます。その体験を語り、報道される真実から私たちは国のあり方や国民としての責任について、ほんの少しでも考えを深められるように努力していくことを忘れてはならないと思います。

カテゴリ:戦争

長崎に原爆が投下された日です。

2021.08.09

おはようございます。今日は長崎に原子爆弾が投下された日です。日本列島の最西端に近い長崎は、異国情緒あふれるとても素敵な街です。幕末には坂本龍馬が、亀山社中(後の海援隊)という会社組織に近い団体を設立した先進的な地域でもあります。数年前にこの地を訪れましたが、長崎原爆資料館を訪れることを優先できなかったことに今も悔いを感じています。長崎は当時のアメリカ軍にとっては第二目標でした。小倉が第一目標だったのですが、天候不順で第二目標の長崎に投下された事実があります。HPなどを見るとその詳細について記載があります。私が最初に思いを持ったのは、福山雅治が歌った「クスノキ」でした。この地に生まれ育った魂は一部が燃えつくされても決して朽ちない。そんな尊厳を伝えています。世の中に訴える力を持った人はそれなりに、被爆者の立場になってしまった人も、それぞれが長崎を懸命に伝えようとしています。自力ではできない人々は支援者が引き出す努力をしています。知らないことはある意味罪なことです。新聞で名古屋へ引っ越した若い方が、8月6日にサイレンが鳴らないことに不思議を感じ、知ってもらう努力を始めたお話が掲載されていました。オバマ大統領、ローマ教皇フランシスコ訪問、対極にあるのは核拡散防止条約に批准しない日本、オリンピックで6日の黙祷を許可しなかった組織委員会、原子力発電の継続です。これらの矛盾をどのように捉えたらよいのでしょうか?理解しよう、広げたいという思いは国策にはならないのでしょうか?どんな理由があるにせよ断固として、最終破壊兵器はこの世からなくさなければならないし、現状で最終処分が不可能な核を使用した文明の維持は、一時停止しなければならないと考えます。人間は間違いを犯します。それは単純な操作ミス、悪意を持った者のボタン操作によって簡単に起こり得ることである怖さを、見つめなおさなければならないことです。

カテゴリ:戦争

広島原爆の日

2021.08.06

おはようございます。今日は広島に原爆が投下された日です。たくさんの方が爆弾のため命を亡くしました。戦争を体験された人々は高齢となり、その悲惨を語る方も少なくなってきましたが、だからこそ忘れず考えていくことは平和な世界に生きることを許された者の使命だと考えます。広島平和記念資料館には数年前に訪れ、伝えられる悲惨な映像や遺品に込められた家族の思いに衝撃を受けました。戦争の惨さや人間の犯す過ちを直視することは、二度と同じことを繰り返してはならないという人間社会への戒めを強くしてくれます。亡くなった皆様ひとり一人の生きた証は、当地に行かなくても容易に得られる世の中です。原爆詩集、原爆体験記等出版物もたくさんあります。また、「はだしのゲン」などアニメでも見ることは可能です。どうぞこの日だけは広島に思いを寄せ、戦争を考える日であってほしいと願っています。一人一人の国民が戦争について見聞きすることが、人間同士の組織的殺し合いを否定し、和をもって理解しあう努力をやめない人の心を育んでいくことと信じます。戦争を知らない私たちも伝えられることを発信していくことが必要だと思います!

カテゴリ:戦争

沖縄慰霊の日

2021.06.23

今朝の中日新聞社説は、6月23日が沖縄慰霊の日(アメリカ軍との組織的戦争が終結した日)であることを告げていた。ご承知の通り沖縄戦は本土の捨て駒として扱われたと評される。日本で民間人を巻き込んだ唯一の地上戦が行われた地である。戦後生まれの我々は、どちらかというと青い空、碧い海、輝く太陽、美しいハイビスカス、そんなイメージの方が強いのではないだろうか?しかし、ひめゆり学徒隊、集団自決、艦砲射撃等一部の戦争遂行者の判断で多くの人命が奪われた歴史には目をつぶるわけにはいかないのである。沖縄の言葉に「ちむぐりさ(肝苦りさ)」という言葉があります。新聞にも説明がありましたが、沖縄には自らが悲しいという気持ちを表す直接の言葉がないそうです。この言葉は「他者の痛みや苦しみを我こととしてとらえる(「あなたが苦しいと私もとても悲しく苦しいです。」)」を意味しているとのこと。唐、江戸幕府、薩摩藩、アメリカと次々に支配者が変わっていく時代の流れと共に、巧みな外交と芸能により乗り越えてきた沖縄の人々にとっては、自分一人の利益を考えていたのでは、沖縄そのものが滅んでしまうと感じたのではないでしょうか。その壮絶さは想像に絶する苦労だったと思いますが、だからこそ「ちむぐりさ」という言葉に込めた深い思いが生まれたのだと感じます。「なんくるないさ(何とかなるよ)」も、精一杯努力し、これ以上何もできなくなった時に使う言葉です。私たちは戦争の悲惨や残虐さを決して忘れてはならないのです。日頃の生活の中でも人を責める前に自らを省みて、話すべきことは話し、威圧的、暴力的な発言を避け、冷静に問題を解決する姿勢を心掛けていかなければならないと思います。これから夏にかけ広島、長崎原爆の日、終戦の日等戦争の話が増えていきます。未来の日本が戦争を起こさないように、身近な人間同士が争いを問答で解決できるように努力するためにも、戦争の話を積極的に知る機会としなければならないと考えます。

カテゴリ:戦争

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