お知らせ

「長崎原爆の日 記念式典」

2023.08.09

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原爆詩集「八月」 合同出版編集部-編
ピカドン 橋本弘美(広島市千田小学校二年)
ピカドンのときは、ぼくはちいさかった おかあちゃんおかおや からだのけがはしらない いまごろになって、かおのきずからガラスがでてくる、もう三べんもでてくる、二へんまでは 小さかったからしらない いまは二年生です。いまごろかおから またがらすがでてくる ときどきおかあちゃんがさわっている。ぼくはそれを見ると もうピカドンが なければよいとおもう。

十八の姉と別れる 西田郁人(広島市崇徳高校二年)
乳と乳との間に 深傷を負うて 更に記憶喪失して 水を・・・水を・・・と叫びながら 哀れに死んでいったあねの姿 十八の姿は美しかった
静かな蚊帳の中で 「これが最後の姿ですよ」 母の声も涙をおびて 親子兄弟は 姉の逝くのを見守った 十三であった僕も そこに伏せて大声で泣いた。 やさしかった 美しかった 正直だった 吾姉よ。
天よ 汝は姉に十八の年月しか与えていない それは運命と云っても 平和の先導者と云っても あまりにも悲しい出来事ではないか。
原子爆弾 その言葉こそ 全人類の破滅のことばだ。

おはようございます。冒頭から心が重たくなる詩を載せました。「今日があってよかった」この気持ちを忘れないようにしなければならないと思います。
【長崎に原爆が投下されて9日で78年です。被爆地・長崎は9日一日、犠牲者への祈りをささげるとともに、ロシアのウクライナ侵攻で核兵器の脅威が高まる今こそ、核兵器のない世界の実現と「長崎を最後の被爆地に」という願いを国内外に発信します。ことしは6月に核兵器を全面的に禁止する初めての国際条約、核兵器禁止条約の締約国会議がオーストリアで開かれ、長崎の被爆者は現地を訪れ、核軍縮の機運を高めようと悲惨な被爆体験を証言しました。一方、ことし2月以降はウクライナに軍事侵攻したロシアが核兵器をちらつかせる威嚇を続けていて核の脅威が高まっています。このため長崎市の田上市長は、ことしの平和宣言で核兵器の使用は現在進行形の危機だとして、今こそ核兵器のない世界を実現しようと訴えることにしています。ことし、被爆者の平均年齢は84歳を超えました。長崎ではことし3月、主な被爆者団体の1つが高齢化を理由に解散しました。被爆の記憶をどのように若い世代に引き継ぎ、世界に訴え続けていくかは被爆地・長崎にとって差し迫った課題となっています。】
残念ながら今日の「長崎原爆の日 記念式典」は台風接近のため、被爆者をはじめ各国首相、関係者の出席はなく大幅な縮小となりました。しかし、どれだけ年月を経ようと、私たちは残酷な事実を各々の年齢によって学び記憶し、考え続けていく義務を持っていると思います。年齢によって「人が死ぬこと、苦しみ」に対しては、それなりに心が動きます。苦しみ、喜びは自らの経験の中で積み重ねられてきた思いです。戦争という負の経験、あってはならない経験を伝えることは、とても苦しい事でもあります。しかし幼児、小学生、青年期それぞれに響く言葉や思いの中で、伝えていくことがやはり大切だと思います。一つとして同じ命はありません。その尊厳を教え伝えることに年齢はないはずです。行ってらっしゃい。

カテゴリ:戦争

「ヒロシマ原爆の日 8月6日」を忘れない!

2023.08.07

はだしのゲン


おはようございます。台風の影響が心配されます。備えを怠らないようにしましょう。
昨日は広島市に原子爆弾が投下され78年が経った日です。戦争の記憶も世代の交代によって薄れていきます。人間は記憶を忘れることで生きていけるのも確かですが、戦争による多大な犠牲が存在した事実は、努力することで決して忘れ去ってはならない記憶です。
教科書問題では「はだしのゲン」が教材から削除されました。クローズアップ現代(はだしのゲンはなぜ消えたhttps://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/episode/te/L5JNVQJYWQ/)では独自のアンケート調査を実施し、その疑問に客観的に答えを見つけようとしました。【広島市は平和教育を教育の原点、最重要課題と掲げています。10年前からは独自に平和教育プログラムをつくり、「ひろしま平和ノート」という副教材を使った教育を年間3時間、実践しています。プログラムが始まった背景には、広島市教育委員会が行った調査で、原爆投下の年や日時を正確に答えられる小学生が全体の33%にとどまるなど、被爆に関する知識や平和に対する意識が、子どもたちの間で希薄化しているという課題がありました。】
そこには教育現場が抱える様々な問題があります。この教材は小学校3年生で扱っているため、発達段階や現代にそぐわない(残酷性、犯罪、天皇の責任、浪曲などの描写)という意見もあります。確かに78年前の事実は、今を取り巻く文明社会からすれば臨場感はありません。理解もしにくいです。しかし、歴史はすべて現代文明から理解を試みても分からないのが当然です。当時の時代背景、日本の政治体制を理解できる年齢でなければ意味をなさないともいえます。「二度と起こしてはならない戦争、核爆弾使用」をどの年代にどのように伝えていくかは考えるべきことだと思いました。行ってらっしゃい。

カテゴリ:戦争

クラスター爆弾の非人道性

2023.08.01

8月になりました。毎年やってくるこの季節に、思い出さなければないことは戦争の記憶です。虐殺、玉砕、原爆投下、終戦、シベリア抑留、残留孤児、特攻隊等数々の忘れてはならない出来事があります。人間は歴史に学ぶことで、二度と起こしてはならない戦争について振り返る時間を持たなければなりません。なぜなら「忘れやすい」からです。そして戦争体験者がいなくなることで、その悲惨さ、悲しみを語り継ぐことが難しくなる時代が迫っているからです。目の前で人が殺し殺されることは、生きている期間その衝撃と悲惨さに苦しめられることとなります。これは経験者、様々なメディアからの情報を、「知ろう」という小さな努力をするだけで機会を持つことができます。私自身も戦時下体験はもちろんありません。ですが、名古屋で言えば「ピース愛知資料館(名東区)」、愛知県護国神社、広島、長崎は原爆資料館、沖縄には数々の住民集団自決碑、壕等が「数多くあります。現地に行かなくてもネット検索するだけでも歴史は学ぶことができます。
悪魔の兵器 クラスター爆弾 【オスロ条約(120ケ国が加盟)製造・保有・使用が全面禁止されている】

広範囲の人の命を奪い、施設を破壊する 不発弾は地雷にもなり替わる

ウクライナの戦争は泥沼化し、とうとうアメリカはクラスター爆弾を供与するまでに至りました。その悲惨さ、住民を巻き込むことを承知の上で、民主主義を掲げる大国が行うこととは思えません。私たちは悲惨な歴史を知る必要があります。そうでなければ再び同じことが起きてしまいます。行ってらっしゃい。

カテゴリ:戦争

権威者の間違い

2023.07.04

おはようございます。今日も暑さが続きます。適度に汗をかき体の内液を循環させ、無理のないように冷やしながら、バランスの良い生活が必要な時です。
ワグネルを率いたプリゴジン氏が、ルカチェンコ大統領の仲介によりベラルーシに亡命?しました。2日付け中日新聞(視座 内田樹)では、いずれプーチンの刺客によって暗殺されるだろうと書かれています。我々民主主義国家においては信じられない予測だと思います。理由はロシアを脅かした反逆者である、いち私的軍事組織の首謀者を国家は許さないからです。戦闘で大きな成果をあげたワグネルに対する国民感情に表向きは配慮しながら、実は敵対しようとしたことが、プーチンの権威を貶めたからだと述べられています。あれほど強権的な政権に対し、異を唱えるような団体が出てきたことは、他にも国家や政治体制に関わらず、民間の軍事保持者が存在する現状がなくならない未来を予測しています。
一方中国では一帯一路を掲げる習近平政権の独裁化が進み、国民に文化大革命時におきた「密告(教師や近くに反国家的考えや発言を擦る者の報告)」が起きています。学校に「学生情報員(共産党に協力することで様々に優遇される)」を任命し、反逆の芽を摘んでいるとのこと。まるで太平洋戦争中の憲兵や特別高等警察(特高)のような世界です。一般市民の中に同胞を監視するような仕組みを作ることは、とても恐ろしいことです。これも過去に目を向け反省をできない、愚かな権力者の姿だと思います。
この2つの事実から考えても、国民を翻弄し、ないがしろにしようとする権威はあってはならないと思います。人間は確かに限度を知らず、放っておけば何をしでかすか分からないのが本性でもあります。だからと言って権力を握ったものが、多様な考えを踏みにじり統率していくことが、人権尊重を叫んでいる現代社会において許されてはなりません。行ってらっしゃい。

カテゴリ:戦争

「沖縄慰霊の日」と自衛官候補生銃乱射事件

2023.06.23

平和記念公園

「沖縄戦終焉の地」糸満市摩文仁の丘


おはようございます。今日は不安定ですが、晴れ間もうかがえる1日となると良いのですが。
今日6月23日の「慰霊の日」は、沖縄戦犠牲者の霊を慰め世界の恒久平和を願う日です。沖縄県が条例で記念日として定めました。沖縄戦は、太平洋戦争の末期である1945年に、日本軍と、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍を主体とする連合国軍との間で行われた戦いです。日本軍は沖縄を本土防衛の最後の拠点とし、連合国軍は日本本土に攻め入るための基地として、沖縄諸島を攻略しようと試みました。沖縄戦では、連合国軍と日本軍を合わせて20万人以上の犠牲者が出たといわれています。そのうち、一般の犠牲者は推計で約10万人です。沖縄県民の4人に1人が命を落とした壮絶な戦いで、甚大な被害がありました。「慰霊の日」は、アメリカ軍が主体となった連合国軍と日本軍との間で起こった組織的な戦闘が終わった日とされています。1945年6月23日に、沖縄現地に配備された日本軍の牛島満司令官と長勇参謀長が自決し、組織的な戦闘が終結したことから、この日が「慰霊の日」に定められました。
さて、現代日本では銃によって尊い命が奪われる事件が起きました。それも日本を他国からの侵略、災害発生時にいち早く国民を守るために組織されたはずの自衛隊内部での事件です。殺傷能力のある武器を扱う特別な場所で人の命を奪う行為が公然と行われたことに衝撃が走ります。なんとも恐ろしいことです。日本では銃の所持は厳しく規制されていますので、アメリカのように学校で銃の乱射があることは、確立としては低いと思います。しかし、昨今は狩猟用の散弾銃などで身内や夫婦間で起こる殺傷事件も相次いています。
一見銃がなく安全な日本で、今回無差別に近い自動小銃(連続発射できる銃)の乱射事件が起きたことは衝撃的です。しかも18歳の青年が手を下したという事実は、それまでの育ちに何かしら原因があると考えざるを得ません。弾を込め外部に持ち出そうとしていた節もあるということで、日本の社会が抱える大きな闇を感じます。たとえ銃がなくても「人を殺してみたい」等の願望が、理性によってコントロールできない若者が事件を起こしている事実は、氷山の一角にすぎないと思います。そのように考えると、おちおち外出もままならなくなると感じます。絶対の安全などあり得ないのが生き物の世界、理解できないのが人の心でもありますが、「信じる」を失えばもはや人間ではなくなってしまいます。命の尊さや人間が起こす過ちについて、身近なところから警鐘を鳴らしつつ、記念日を通じ過去の戦争と過ちに対し目をそらさず、風化させない気持ちを失ってはならないと考えます。行ってらっしゃい。

夕刻 「身近に生き物がいること」
身近に生き物を見て触れられる機会があると、生き物への関心が様々な所に現れてきます。どうして子どもたちは生き物に関心が強いのか、これは本能的なものとしか答えようがありません。今日も園庭でミミズやナメクジを探す子どもたちの姿が見られました。ミミズ一匹で20分、関わる子どもが4人もいました。これが蝶やトンボ、バッタが現れたら世界はさらに広がるのです。室内であればイメージや思いが膨れ上がるものは、絵本や歌その他の玩具に限定されます。だからこそ室内は素材そのものと準備の仕方に工夫が必要となるのです。
数年前子どものキャンプ活動をしていた時、子どもから「このカブトムシは電池で動いているの?」と信じられない質問を受けたことがありました。どれだけ自然環境から遠ざかる生活をしていたのかを、象徴する言葉だと思います。子どもは屋外にいるだけで様々なことを学んでいます。それは屋外が変化に富んだ世界だからです。変化は子どもたちにとっては、新しくて面白い体験と、様々な自然物の変化を得ることができ、また自分の力で変えていくことができる主体性発揮の場でもあります。私が屋外での活動を積極的に行うのはそのためです。今は中々効果が現れるものではありません。5年単位くらいで子どもたちの心の中と身体能力は確実に変わったことが分かるようになります。
親や教師は教育の効果を短期間で確かめたい欲求にとらわれがちですが、人間の発達はそんな簡単にはいきません。比較的分かりやすいのが、知識と技術的成果ということなのです。しかし、この教育に専念すると心の発達は置き去りになる危険性があることを心得ておいてください。本当に今子どもたちに必要な環境と力は何であるのかを、大切にしなければなりません。

カテゴリ:戦争

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