お知らせ

ガザ越境(侵攻)作戦?

2023.11.01

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おはようございます。
「人間は何のために生きているのでしょうか?」生きる、死ぬという自然現象は、本来「宇宙」、「神」の領域だと思います。人間の力で人の生死を左右するようなことはあってはならないはずです。戦争は罪もない一般市民が巻き込まれ多くの犠牲を伴います。政治家は間違いなくその事実を予測しているにもかかわらず、いったい誰のために戦うというのでしょうか。強い怒りを感じます。
「地上侵攻」という事実を、諸外国との関係性悪化を防ぐため見え過ぎた詭弁を並べても、隠しようのない事実が明らかとなっています。どんな理由があるにせよ人の命を奪う行為は、必ず自国、自己に跳ね返っていくことになるでしょう。異民族相互はお互いの風習や生き方を融合させることは難しいと思います。だからこそ共存するための住み分け、約束も必要となります。まして宗教が元となる戦争は首をかしげずにはいられません。人生において宗教心はとても大切だと思いますが、他者に強制すべきものでもなく、洗脳されるべき存在でもありません。「本末転倒」これ以外述べる言葉が見つかりませんね。できるだけ早く双方が合意し即時停戦すべきです。これ以上自然ではない死を作り出してはなりません。行ってらっしゃい。

カテゴリ:戦争

繰り返される悲劇

2023.10.17

破壊された家屋で一人で食事する少女
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ガザ地区への爆撃

おはようございます。
ハマスがイスラエルを奇襲し、またも多くの市民が巻き込まれ、命を落とす、人質となるという状況が生じています。土地、宗教をめぐる人間の欲望、憎しみは終わりがありません。とても悲しく情けないことですが、人間の愚かさを認めざるを得ません。
アメリカをはじめ先進国は戦争回避のため奔走してはいますが、今までの付けが巡っているようにも感じます。戦争に介入することが正義なのか、私欲のなせることなのか、人としての存続が問われているような破壊的行動が世界中で勃発していることに危機を感じます。
【昔から、地中海の一番、東の沿岸にある地域のことを「パレスチナ」と呼んでいました。南にエジプト、東にヨルダンがあって、北にはシリアやレバノンがある場所です。このパレスチナの地にあるエルサレムには、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、それぞれの聖地があります。宗教上とても重要な地域です。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、3つの宗教の聖地エルサレム、この地では、1948年にイスラエルというユダヤ人の国家ができました。その後は、この土地の中で“将来、パレスチナ人の国家になりたい地域”(東エルサレム・ヨルダン川西岸・ガザ地区)を総じて、パレスチナと呼んでいます。イスラエル、パレスチナがそれぞれ国として共存するのが理想ですが、イスラエルの建国を発端に対立しているのがパレスチナ問題です。
パレスチナ問題の根源は「2つの悲劇」にあるとも言われています。1つは、ユダヤ人が2000年の長い歴史の中で世界に離散し、迫害を受けてきた悲劇です。やっとの思いで悲願の国(=イスラエル)をつくり、それを死守していきたい、二度と自分たちが迫害されるような歴史に戻りたくない。そんな強い思いをユダヤ人はもっています。もう1つは、パレスチナの地に根を下ろしていた70万人が、イスラエルの建国で故郷を追われたという、パレスチナ人の悲劇です。いまパレスチナ人が住んでいるのは、ヨルダン川西岸とガザ地区という場所です。国にはなれないまま、イスラエルの占領下におかれているのが現状です。周辺の国にも多くが難民として暮らしています。-クロ現取材ノート】
深刻な問題提起ですが、週初めに少しだけ考えてみるのも大切ですね。行ってらっしゃい。

カテゴリ:戦争

忘れない 学ぶ

2023.08.29

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サイパン島 バンザイクリフの美しい自然

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多くの日本人が自決した丘には慰霊碑が立ち並ぶ チョモロの人々にとっては聖なる海であるはず

おはようございます。朝夕の気温は低くなったとはいえ、日中は猛暑が続いています。引き続き熱中症には注意していきましょう。
8月の終わりに今一度太平洋戦争を振り返っておきたいと思います。軍人だけではなく日本人の過ちを真正面から見据えることで、子どもたちの未来に二度と起こすべきでない戦争を、心に留めておかなければなりません。
サイパン、テニアンは戦況が劣勢に変わった時「絶対国防圏」として日本が死守しようとした南太平洋の島々です。戦前は日本の貧しい農民が新天地として一家を挙げて移住し、サトウキビの栽培と製糖に従事しました。大東亜共栄圏という国策(資源確保)に煽られた国民は、中国大陸、東南アジア等方々に移住し、指導者は原住民を二等、三等人と差別し、日本の皇民化教育を強制しました。後にアメリカ軍が日本本土爆撃のためサイパン、テニアンに上陸したことで、日本兵は多くの民間人、原住民(チャモロ、カロリン人)をも巻き込み死者を出しました。戦陣訓「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」を叩き込まれた日本兵は、住民にも日本軍への隷属を強制、この事実は沖縄等地上戦があった他の地域でも同様に行われたのです。「泣き声で位置を知られないため赤ん坊を家族に殺させる」、「手りゅう弾で自決する」、「住民の従軍(盾にされる)」このような同胞同士の悲惨な殺し合いまで招いたのです。重く口を閉ざした生存者は、自責の念と許されざる自己の行為を語ることができなかったのです。人間は殺戮の常態化、飢え、病などで究極な状況に追い込まれることで、人間性を失い信じられない行動を平気で行ってしまう本性があります。自己の心を保つために、人の生き死に対し無関心であろうと動きます。その様な状況を生んでしまってはならないのです。「最愛の子どもを自分の手で殺さなければならなかった思い」は想像を絶する悲しみだと思います。この事実をしっかりと受け止め、今の平和な生活が成り立っていることを決して忘れないためにも、夏が来るたびに思い出し学んでいかなければなりません。行ってらっしゃい。

カテゴリ:戦争

戦争回避不能点

2023.08.22

2016年 佐藤正明 政治風刺画
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おはようございます。
「回帰不能点を超えぬため 戦争と平和を考える(中日新聞社説8.13)」は、現代の日本人が深く心に留めておくべき内容だと思いました。「回帰不能点」とは航空用語で「point of no return」出発地に戻る燃料がなくなる地点を言うそうです。日本が再び戦争に向かっているのでは、と危惧する不安は、タレントのタモリさんの言葉「(今年は)新しい戦前になる」にも象徴されています。戦争への「回帰不能点」へ近づいているのではないかと、警戒し続けなければなりません。
PKO協力法(自衛隊をカンボジア、ルワンダ、南スーダンへ派遣)参加、イラク戦争に際する米国への支援、他国同士の戦争に参加する集団的自衛権の行使容認、敵基地攻撃能力の保有、防衛予算の拡大が周辺諸国に及ぼす不安、さらに台湾有事に備えた軍事力整備や米国への支援強化など、平和国家としての歩から外れ、憲法に基づく専守防衛は形骸化していると考えざるを得ません。燃料とは異なる目には見えない「回帰不能点」を見誤ることがないように、国民ひとり一人が、「戦争の火種を作ってはならない」と声をあげ為政者に意見表明していくべきだと思います。

また、15日は「終戦の日」でした。この期間NHK,BS1放送でも数々の過去の放送、戦争問題を扱った番組が流れていました。中でも2011年NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」4回シリーズは、世論の熱狂、メディアの煽り、指導者の責任回避等、様々な要因が開戦への道筋であったことを明らかにしています。また、分かりやすく戦争の全体を理解するには「NHK日本放送協会 NHK戦争を伝えるミュージアム 太平洋戦争をわかりやすく」で検索してください。まずは戦争を始めることがどのような悲惨な結果(理屈では通らない)をもたらすかを知り、次に私たちひとり一人が、戦争を起こさないようにするために何が必要なのかを理解し、実践する、将来日本人、人類が誤った道を進まぬためにも、ぜひご覧いただけたらと思います。行ってらっしゃい。

カテゴリ:戦争

「長崎原爆の日 記念式典」

2023.08.09

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原爆詩集「八月」 合同出版編集部-編
ピカドン 橋本弘美(広島市千田小学校二年)
ピカドンのときは、ぼくはちいさかった おかあちゃんおかおや からだのけがはしらない いまごろになって、かおのきずからガラスがでてくる、もう三べんもでてくる、二へんまでは 小さかったからしらない いまは二年生です。いまごろかおから またがらすがでてくる ときどきおかあちゃんがさわっている。ぼくはそれを見ると もうピカドンが なければよいとおもう。

十八の姉と別れる 西田郁人(広島市崇徳高校二年)
乳と乳との間に 深傷を負うて 更に記憶喪失して 水を・・・水を・・・と叫びながら 哀れに死んでいったあねの姿 十八の姿は美しかった
静かな蚊帳の中で 「これが最後の姿ですよ」 母の声も涙をおびて 親子兄弟は 姉の逝くのを見守った 十三であった僕も そこに伏せて大声で泣いた。 やさしかった 美しかった 正直だった 吾姉よ。
天よ 汝は姉に十八の年月しか与えていない それは運命と云っても 平和の先導者と云っても あまりにも悲しい出来事ではないか。
原子爆弾 その言葉こそ 全人類の破滅のことばだ。

おはようございます。冒頭から心が重たくなる詩を載せました。「今日があってよかった」この気持ちを忘れないようにしなければならないと思います。
【長崎に原爆が投下されて9日で78年です。被爆地・長崎は9日一日、犠牲者への祈りをささげるとともに、ロシアのウクライナ侵攻で核兵器の脅威が高まる今こそ、核兵器のない世界の実現と「長崎を最後の被爆地に」という願いを国内外に発信します。ことしは6月に核兵器を全面的に禁止する初めての国際条約、核兵器禁止条約の締約国会議がオーストリアで開かれ、長崎の被爆者は現地を訪れ、核軍縮の機運を高めようと悲惨な被爆体験を証言しました。一方、ことし2月以降はウクライナに軍事侵攻したロシアが核兵器をちらつかせる威嚇を続けていて核の脅威が高まっています。このため長崎市の田上市長は、ことしの平和宣言で核兵器の使用は現在進行形の危機だとして、今こそ核兵器のない世界を実現しようと訴えることにしています。ことし、被爆者の平均年齢は84歳を超えました。長崎ではことし3月、主な被爆者団体の1つが高齢化を理由に解散しました。被爆の記憶をどのように若い世代に引き継ぎ、世界に訴え続けていくかは被爆地・長崎にとって差し迫った課題となっています。】
残念ながら今日の「長崎原爆の日 記念式典」は台風接近のため、被爆者をはじめ各国首相、関係者の出席はなく大幅な縮小となりました。しかし、どれだけ年月を経ようと、私たちは残酷な事実を各々の年齢によって学び記憶し、考え続けていく義務を持っていると思います。年齢によって「人が死ぬこと、苦しみ」に対しては、それなりに心が動きます。苦しみ、喜びは自らの経験の中で積み重ねられてきた思いです。戦争という負の経験、あってはならない経験を伝えることは、とても苦しい事でもあります。しかし幼児、小学生、青年期それぞれに響く言葉や思いの中で、伝えていくことがやはり大切だと思います。一つとして同じ命はありません。その尊厳を教え伝えることに年齢はないはずです。行ってらっしゃい。

カテゴリ:戦争

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