ウクライナに思いを寄せて
2022.04.01
ウクライナでは今も多くの市民や兵士が傷つき、亡くなっている人、家族と離れてしまっている人々がたくさんいる。30日の中日新聞15面にて【「島唄」に込めた沖縄への尊厳】と題したレポートを読んだ。30年前ヒットした「島唄」は、作詞作曲した宮沢和史さんの戦争、沖縄に対する切実な思いがこもった楽曲であった。皆さんも一度は耳にしたり、口ずさんだことはおありかと思う。宮沢さん自身が本土出身(ヤマトンチュ)。これもなんとなく沖縄出身者(シマンチュ)ではないことを感じてはいたが、深くは考えていなかった。「風を呼び嵐が来た(米軍が来て戦争がはじまり)ウージの森(集団自決の場所)で千代のさよなら・・・、このまま永久に夕凪を(平和を願う)」一見男女の恋愛をうたっているように思えるが、実は戦争の悲惨や残酷さが込められていたのだ。宮沢さんは語る。(引用、要約)「日本の平和は多くの犠牲があってもたらされた。勝手に来たのではない。決して忘れてはいけない。島唄をつくってから決めたのは、歌手として、人として、沖縄を通りすぎるのではなく、根を生やすことでした。」、(解説)「それがヤマトンチュである宮沢さんの沖縄への尊厳の証だとも考えている。」沖縄を通し平和の意味を問い直し、今やれることは何かを考え実行していくことが、私たちの祖先が過去に行った過ちから学んだ貴重な経験のはずだ。遠い国で家族を守るため立ち上がったウクライナの人々、そして自国の代表者が他者の命を奪う戦争に踏み切った事実に、自己の命も立場も顧みることなく反対の姿勢を示す勇気ある一部のロシア市民を後押しし、やれることを見つけ訴えていくことが、武器を持たず平和を持続していくための最大の武器であると心打たれる。宮沢さんの活躍を応援し益々のご活躍を祈っていきたい。ヤマトンチュ、シマンチュ、日本人、立場や生きる次元、時代が異なってはいても、専制的な為政者の力よりも人民の力は根強く、そして忍耐強いと信じている。戦争そのもの、戦争にいつの間にか巻き込まれるような制度改正には踏み込んではならない。
カテゴリ:戦争
太平洋戦争が始まった日~真珠湾から80年~
2021.12.09
日米が開戦したのは1941年12月8日午前6時、日本のハワイ真珠湾奇襲攻撃が始まりだったことはご存じのとおりです。連合艦隊司令長官の山本五十六は、当初アメリカの国力を熟知するものとして戦争反対を訴えましたが、軍部と世論の勢いにはかなわず先陣の命を受諾します。苦渋の選択とはいえ日本の運命はこの時から悲惨な結果へと進んでいくこととなりました。この節目を迎え、戦争に巻き込まれた人々の様々な想いが新聞やニュースで報道されています。我々戦争を体験していない日本人は、よく耳目を傾け、真実を知ることに努める必要があります。戦争の悲惨は、原子爆弾、空襲、玉砕、虐殺、略奪、強制労働、PTSD (Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)等数え上げれば恐ろしい程のキーワードがあります。日本の各地、そして中国大陸、朝鮮半島、台湾、ユーラシア、東南アジア、アフリカ諸国等において、今もなお癒えない痕跡を残しています。その一つ一つを紐解く情報や場所もその気になればたくさん見つかります。名古屋市名東区にある「ピース愛知」もその一つです。時間があれば是非訪ねてみてほしい場所です。折に触れ見聞きすることで、たとえ同じ内容やお話しだったとしても、頭に入れていくことで思いを新たにすることが出来ます。人間は忘れやすい生き物です。半面苦しかったことも忘れるからこそ今生きていられるのも事実です。しかし、戦争への無知だけは避けなければなりません。もともと好戦的な本質を持っているからこそ記憶を辿り思い出し、心の戒めとしていく必要があるのです。東日本大震災などの災害についても同様だと感じます。地震や津波は人的力ではありませんので、過去を忘れず、災害に備えることを心掛け実行していくことが必要です。戦争は、人間同士の争いであるため、努力次第で防ぐことは可能なはずです。対話や多様性が世界で叫ばれている今だからこそ、軍事力などの暴力的、破滅的、脅迫のような政治活動、軍事行動、武器の所有は避ける必要があるのではないでしょうか。自国を自分たちで守ることは大切です。その方法については、過去の悲惨を知れば、当然いつ誤った操作で偶発的に起きてしまうかもしれない軍備を増強するなどという愚行は為すべきことではないと考えます。我々が行えることは、選挙によって選ばれる代表者にそのような考え、政治利用を間違っても行わせないように監視することが責務であると思います。また、現代は日常生活の中で孤立する人々が増えています。孤立は、育児、社会生活、学校生活、高齢生活を送るうえで大敵です。少しでもお互いが良く知っている関係性を作り上げていき、いつでもちょっとした会話や助け合いをできるよな社会を目指していかなければなりません。貧しくても100年前にはそのような世界がありました。今のやり方で良いから繋がりを紡いでいける場所を作り出し、誹謗、中傷、分断、差別、排除等負の関係性が生まれないようにしていかなければならないと思います。戦争の大元は、このような人間の心に潜む悪しき思いがコントロールできないことにあるのかもしれません。
カテゴリ:戦争
太平洋戦争が終わった日
2021.08.15
今日は中国戦線、南方戦線、本土唯一の地上戦があった沖縄戦、広島原爆、長崎原爆を経て、大勢の人命が失われ戦いの終わった8月15日です。今ある日本の平和のために落命された皆様に感謝するほかありません。
この戦争には様々な呼称があります。大東亜戦争(日本の戦時下での呼称)、日中戦争、第二次大戦、立場や含まれる国の数により呼称は様々です。もちろん亡くなったのは日本人ばかりではありません。どうしてこのような事態になってしまったのか。その場にいた人間の心や組織の状態を紐解いていかなければなりません。軍人、政治家ばかりではなく、世論を後押しした国民の意識もあったことを、痛切に反省する必要もあります。戦争は終わったけれども生き残った人々の心の中は、いまだ戦争は終わっていないのです。
人間の個人思想は様々な情報によって左右されます。国家権力に自由を奪われ、統制が行われていた時代においては、間違った考えが世論になってしまうことも当然ありました。しかし現代は思想を見聞きし、自己選択が可能な時代のはずです。国家権力も普通選挙等で監視することが可能です。戦前戦中の宰相であった犬養毅(5.15事件で暗殺)は、普通選挙法を成立させ、命を懸け戦争を回避しようと働きかけ、国民がその判断をできる環境を用意してくれました。大いに先人に感謝するとともに制度を守っていかなければならないと思います。
さて、今を生きる私たちは今を真剣に考えることができる環境を用意しているでしょうか?様々な思想に触れていくことも、二度と悲惨を起こさない責任を作っていく大きな力となります。スマートフォンやネット環境で、好きな情報だけを選択できる今の時代にこそ、新聞、ニュース、過去現在の思想家の書物にも触れていかなければ、個人の考え方は限りなく偏っていくと危惧します。一部メディア、国家は自国や世界情勢について事実を隠したり、自分に都合の良い考えにすり替えてしまっています。それを見抜き、正しさを見据える力を持たないといけません。終戦の日は毎年訪れます。そのたびに特攻、空襲、原子爆弾の話は特集されます。その体験を語り、報道される真実から私たちは国のあり方や国民としての責任について、ほんの少しでも考えを深められるように努力していくことを忘れてはならないと思います。
この戦争には様々な呼称があります。大東亜戦争(日本の戦時下での呼称)、日中戦争、第二次大戦、立場や含まれる国の数により呼称は様々です。もちろん亡くなったのは日本人ばかりではありません。どうしてこのような事態になってしまったのか。その場にいた人間の心や組織の状態を紐解いていかなければなりません。軍人、政治家ばかりではなく、世論を後押しした国民の意識もあったことを、痛切に反省する必要もあります。戦争は終わったけれども生き残った人々の心の中は、いまだ戦争は終わっていないのです。
人間の個人思想は様々な情報によって左右されます。国家権力に自由を奪われ、統制が行われていた時代においては、間違った考えが世論になってしまうことも当然ありました。しかし現代は思想を見聞きし、自己選択が可能な時代のはずです。国家権力も普通選挙等で監視することが可能です。戦前戦中の宰相であった犬養毅(5.15事件で暗殺)は、普通選挙法を成立させ、命を懸け戦争を回避しようと働きかけ、国民がその判断をできる環境を用意してくれました。大いに先人に感謝するとともに制度を守っていかなければならないと思います。
さて、今を生きる私たちは今を真剣に考えることができる環境を用意しているでしょうか?様々な思想に触れていくことも、二度と悲惨を起こさない責任を作っていく大きな力となります。スマートフォンやネット環境で、好きな情報だけを選択できる今の時代にこそ、新聞、ニュース、過去現在の思想家の書物にも触れていかなければ、個人の考え方は限りなく偏っていくと危惧します。一部メディア、国家は自国や世界情勢について事実を隠したり、自分に都合の良い考えにすり替えてしまっています。それを見抜き、正しさを見据える力を持たないといけません。終戦の日は毎年訪れます。そのたびに特攻、空襲、原子爆弾の話は特集されます。その体験を語り、報道される真実から私たちは国のあり方や国民としての責任について、ほんの少しでも考えを深められるように努力していくことを忘れてはならないと思います。
カテゴリ:戦争
長崎に原爆が投下された日です。
2021.08.09
おはようございます。今日は長崎に原子爆弾が投下された日です。日本列島の最西端に近い長崎は、異国情緒あふれるとても素敵な街です。幕末には坂本龍馬が、亀山社中(後の海援隊)という会社組織に近い団体を設立した先進的な地域でもあります。数年前にこの地を訪れましたが、長崎原爆資料館を訪れることを優先できなかったことに今も悔いを感じています。長崎は当時のアメリカ軍にとっては第二目標でした。小倉が第一目標だったのですが、天候不順で第二目標の長崎に投下された事実があります。HPなどを見るとその詳細について記載があります。私が最初に思いを持ったのは、福山雅治が歌った「クスノキ」でした。この地に生まれ育った魂は一部が燃えつくされても決して朽ちない。そんな尊厳を伝えています。世の中に訴える力を持った人はそれなりに、被爆者の立場になってしまった人も、それぞれが長崎を懸命に伝えようとしています。自力ではできない人々は支援者が引き出す努力をしています。知らないことはある意味罪なことです。新聞で名古屋へ引っ越した若い方が、8月6日にサイレンが鳴らないことに不思議を感じ、知ってもらう努力を始めたお話が掲載されていました。オバマ大統領、ローマ教皇フランシスコ訪問、対極にあるのは核拡散防止条約に批准しない日本、オリンピックで6日の黙祷を許可しなかった組織委員会、原子力発電の継続です。これらの矛盾をどのように捉えたらよいのでしょうか?理解しよう、広げたいという思いは国策にはならないのでしょうか?どんな理由があるにせよ断固として、最終破壊兵器はこの世からなくさなければならないし、現状で最終処分が不可能な核を使用した文明の維持は、一時停止しなければならないと考えます。人間は間違いを犯します。それは単純な操作ミス、悪意を持った者のボタン操作によって簡単に起こり得ることである怖さを、見つめなおさなければならないことです。
カテゴリ:戦争
広島原爆の日
2021.08.06
おはようございます。今日は広島に原爆が投下された日です。たくさんの方が爆弾のため命を亡くしました。戦争を体験された人々は高齢となり、その悲惨を語る方も少なくなってきましたが、だからこそ忘れず考えていくことは平和な世界に生きることを許された者の使命だと考えます。広島平和記念資料館には数年前に訪れ、伝えられる悲惨な映像や遺品に込められた家族の思いに衝撃を受けました。戦争の惨さや人間の犯す過ちを直視することは、二度と同じことを繰り返してはならないという人間社会への戒めを強くしてくれます。亡くなった皆様ひとり一人の生きた証は、当地に行かなくても容易に得られる世の中です。原爆詩集、原爆体験記等出版物もたくさんあります。また、「はだしのゲン」などアニメでも見ることは可能です。どうぞこの日だけは広島に思いを寄せ、戦争を考える日であってほしいと願っています。一人一人の国民が戦争について見聞きすることが、人間同士の組織的殺し合いを否定し、和をもって理解しあう努力をやめない人の心を育んでいくことと信じます。戦争を知らない私たちも伝えられることを発信していくことが必要だと思います!
カテゴリ:戦争
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