子どもたちからもらったもの
2026.03.29
卒園生(兄)との兄弟植樹 本日の「卒園の日」はとても良い気候の中、暖かな日差しにも恵まれ「たのしいおわかれ」となりました。子どもたちはまるで4月からもずーーとここに来るような気がしてなりません。でも「左様ならば 別れましょう(さようなら)」は筋目です。また「せんせいにあいたいな!」、「えんていであそびたいな!」と思ったら、いつでも出かけてください。自然も、人も皆変わらず待っていますよ!
保護者の皆様、大切な乳幼児期初期を、私たちの保育園にお任せいただいたことを深く感謝申し上げます。子どもたちそして親として懸命に頑張られる保護者の皆様に、私たちこそ多くの学びを得させていただきました。「子どもは大人の生き写し」であると同時に、大人の心の弱さや迷いを見事に突いてきます。このような意味では大人として生きる私たちの「先生」であるともいえると思います。
心の思うままに感じ、言葉や行動として何のわだかまりもなくストレートに自己を主張する力は、子どもだからこそ可能な姿勢だと思います。そんな「素直さ」、「純真さ」に、我々大人は心震えさせられることがあります。大人になるということは、この様な「純粋無垢な心」をどこかへ置き忘れてしまっていくようで寂しくもなります。
泣いてはいられない社会生活を送るうえで、子どもの存在はやはりおおきな「励み」となります。そして「しっかりせねば」といった気持ちすら沸き立たせます。子育てはつらいことが多くて泣きたくなることもあるでしょう。ですがやはり一度経験すると、またこの「苦し楽しさ」を味わいたくもなってきます。
私は登山が好きで鈴鹿や北アルプスにもたくさん登りました。その都度あともう少しというところでとても苦しくていやになることが度々ありました。そこで自分を励ますのは、「てっぺんについてらビールだ!」これしかありませんでした。子育てとは異なりますが、今目の前で起きていることをとりあえずクリアーしていくには、どんな理由でも良いです。「これを乗り越えたら・・・・」といった、自分への小さなご褒美があれば、何とか越えられるものです。
そして疲れたら「ホームグランド」へ一目散に帰りましょう!これだけを心に留めておけば、大丈夫です。どうかお元気で、皆さまのご健康とご活躍を心から願っております。疲れたらどうぞお立ち寄りください。いつまでもこの場所が皆様の「第二のおうち」です。ありがとうございました。さようなら!
カテゴリ:教える・伝える
京 お寺巡り
2026.03.29
常照寺 吉野門
光悦寺の竹垣
源光庵「悟りの窓」「迷いの窓」おはようございます。
先週お彼岸で親戚の墓参りに京都へ出向き、お寺へ赴く時間もいただき、大好きな古刹を堪能しました。道が狭まり登りとなる洛北鷹峯にある常照寺【鷹峯周辺はもともと本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)が江戸時代に徳川家康から拝領した土地であり、常照寺は元和二年(1616)光悦および息子の光瑳から寄進された地に日蓮宗の高僧 日乾上人を招聘して創建された。寛永四年(1627)に僧侶の学問所として鷹峯檀林が開設され、最盛期には30以上のお堂に数百人が集まり勉学に励んだと伝わるが、明治時代の新規学制導入と共に廃檀となった。境内には鬼子母尊神像を祀るお堂があり、子育て、子授けの神として信仰されている。また最澄作と伝わる大黒天、光悦真筆の扁額などの寺宝も所有している。また、江戸時代初期の芸姑 二代目吉野太夫(松田徳子)はその美貌はさることながら、和歌、書、茶湯、音曲、囲碁などあらゆる芸に秀でた人物であった。吉野は芸を通じて親交のあった光悦の縁故で常照寺の開祖 日乾上人と対面した際、その学徳に帰依し寛永五年(1628)当寺に朱色の門を寄進した。この門が現在も残る吉野門である。茶室 遺芳庵の大丸窓は吉野が好んだことから吉野窓と呼ばれる。】光悦寺は茶人本阿弥光悦ゆかりの寺【参道や境内にカエデなどが植えられ、紅葉と参道の石畳・竹垣(光悦寺垣)・緑の苔などの光景が美しいと言われています。紅葉のトンネルになる参道は写真撮影スポットになっています。背後のふた山を借景し、遠く東山を臨み何とも言えない落ち着きを感じさせる立地で、まさに茶の湯に相応しい雰囲気を味わえます。】、源光庵は伏見城遺構が天井にあり【本堂の⾎天井は、伏⾒桃⼭城の遺構です。慶⻑5年7⽉(1600年)徳川家康の忠⾂・⿃ 居彦右衛⾨元忠⼀党1800⼈が⽯⽥三成の軍勢と交戦し討死、残る380余⼈が⾃刃して相果てたときの恨跡です。また、曹洞宗所以の2つの窓は良く知られており、悟りの窓の円型は「禅と円通」の⼼を表し、円は⼤宇宙を表現しています。円迷いの窓の⾓型は「⼈間の⽣涯」を象徴し、⽣⽼病死の四苦⼋苦を表しています。】、主君のため命を散らした武士の魂を感じます。それぞれの寺は数百年の歴史があり、先人の苦労と思いの結晶でもあります。古の心に触れ心を新たにする時間となりました。
カテゴリ:宗教・文化
日本とアメリカの関係
2026.03.29


おはようございます。
日米首脳会談が終了し、思ったほどトランプ氏の無茶ぶりがなかったにせよ、「したたかな外交」の意味が親密さを前面に表現した方法だけ(もちろん日本の法律で自衛隊艦船を派遣できないことを伝えたことは評価できますが)でうまくいったと思うのは安易だと感じます。イランは日本との友好関係を保とうとする姿勢を見せています(ホルムズ海峡の日本タンカー通過容認-アラグチ外相)。高市氏はイランの湾岸諸国に対する攻撃やホルムズ海峡封鎖を批判し、アメリカの武力行使、世界秩序と国際法違反については何ら触れていません。どう考えても二枚舌を使い、トランプ氏の面子を考えた言動で乗り切ろうとしているとしか見えません。「したたかな外交」の真意はいったいどこにあるのでしょうか?
春を迎え太田裕美の「木綿のハンカチーフ」で、都会に就職した恋人が、自分を忘れ色に染まらないことを願うのとはわけが違うかもしれませんが、戦後以来のアメリカとの関係性を、今後どの様に捉え独立国としての考えを貫いていくのか、イランとの文化的交流を大切にしながら、核や軍事力行使を非難するならば、当然大国であろうが、同盟国であろうが、公平に意見表明していくことが、アメリカから民主主義を伝えてもらった日本のなすべき仕事だと思います。世界の警察を止めたアメリカが、今は武力で他国を制圧する「ならずもの」のように見えてきます。
カテゴリ:政治・国際状況
素材や用具へ目をみはる子どもの力!
2026.03.21

子どもたちが目を見張る力は凄いものです!昨日はなかった押車、レモンの葉っぱ、小枝などを目ざとく見つけ、遊び道具として使っています。もちろんドングリやカリン、松かさ、葉っぱ、小枝などの自然物、道具も、新しいものと同様に様々な使い方を試し、新たな発見をしている様子も見られます。
それぞれの子どもたちには、自分の好きな遊び方があるようです。その自分らしさを追求していくことで、今の自分自身の発達を伸ばしていると感じます。「すきこそもののじょうずなれ」という言葉があります。まさに子どもたちは自分の「好き」から、自らの力を伸ばしているのです。
なわ跳び縄を樹木に巻き付け回そうとしています。以前保育士とたんぽぽさんが行っていたあそびを、自分でもやりたいと奮闘しているのだと思います。2台の車にまたがり少し欲張りな遊び方をしています。どっちにも乗りたいといった気持ちが、新たな乗り方へと導いているかのようです。
シャボン玉が飛んでくると、なぜだか「パチン!」と手でたたきたくなりますね、これは子どもも大人も同じです。不思議に輝くきれいなシャボン玉、本能的に捕まえたい、パチンしたいと体が動きます。なんだか猫がネコじゃらしやボールに反応し、追いかけたり手で押さえようとしていることに似ていますね。
同じモノをたくさん集めて心が嬉しくなったり、なかまと同じことをすることで喜びを感じたりすることも、やはり人間の心の奥底にある本能が、その様にさせているのではないかと考えます。人間はそんな遊び心を持った存在であり、だから様々な知恵も育ち手先指先、全身が連動して物事を楽しみながら、自らの力としていくことが出来るように「神?」から与えられた動物なのでしょうか?
このような行動は人間に「欲」があるからです。欲は使いようによっては、人間社会のプラスになっていきますが、悪用されると人間同士の繋がりを破壊したり、貧困や犯罪を助長してしまいます。ほどほどにすることは「足るを知る」につながります。そして「たるをしる」は「足を使う」等の意味にも使われます。面倒がらずに自らの足を使って活動することこそ、人間の使命でもあります。
楽しそうだとすぐに行動する子どもたちの姿は、私たち大人に「自分の身体」、「自分の声」、「自分の考え」をしっかりと伝えることの重要性を伝える存在だと思える時があります。子どもはある意味「小仏様」のような存在であると思います。子どもは大人の生き写しです。親として社会人として子どもたちには恥ずかしくない生き方を背中で見せていきたいですね。
カテゴリ:教育
人工物 自然物 教育福祉行政
2026.03.21

人工物は意図的に形の大きさや重さを調整することによって、画一的な性質を用意することが可能となります。そのことは子どもたちの様々な動作や扱い方を引き出すことに役立っています。
その代表的な教材が「フレーベルの恩物」でもあります。幼児教育のメソッドは様々なものがありますが、恩物には同じ、異なる形、重さ、色、状態(つるす・はめる・のせる・・・・)があるため、様々な力を引き出すことを狙って作られています。もちろん方法や手順は決められているため、勝手な使い方が推奨されているわけではありません。しっかりとした考えのもとで扱うことも必要だと思います。
自然物にそのような決まりはありません。むしろ不定形で性質が異なるから、発想や指先の発達が伴っていなければ、ただの落ちているモノとしか認識できないでしょう。しかし幼い子どもたちほど、一つの物体を「見立て」様々な使い方でおもしろさを発見できる五感があることも認められます。
今日の写真では同じ大きさの木の積み木(実はシールでしたか?色々な情報も表現されています)をがんばって積み上げている姿があります。比較的この年齢でもチャレンジすることによって、高く積み上げることに挑戦できる形状と数があるからこの遊びに発展します。
隣で遊んでいる子は、硬質ウレタンの積み木を同じように積み上げていくのですが、軽くて小さな素材のため積み上げていくには相当な注意力が必要となります。同じ遊びを異なる素材を使うことによって、それぞれの性質の違い、やりやすさやりにくさなどをキャッチしていくことが出来ます。
だから異なる素材を同じ机の上で隣同士で行うことも、「意図的」、「計画的」に行っているのであれば、素晴らしい教育場面と言えます。偶然にもこのような場が出来たとしても、子どもにとってはとても面白い環境と言えるのです。
隣同士で遊んでいれば当然気になってきます。集団で遊ぶ意義はこのような場面にこそ発揮されるのです。家庭において親子で生活している環境では起こりにくいことです。このようなことがあるからこそ、国が推奨している「こども誰でも通園制度」は子どもの育ちにおいて意味ある制度となることが出来ます。
国がこの制度を薦めている理由は、親だけではできない「子どものより良い育ち」を作り出す必要性が、現代子育て社会にはあると考えているからです。また一人で子育てをしていると、思いつめたり、うつ状態になってしまうこともあるのが、現代人のつながりの少なさにも言えることです。
この制度が現代子育て社会に馴染んでいくためには、親子の実情や保育現場の実態、親としての知識と人間関係の豊かさ等を作り直さなければ、制度ありきの不完全燃焼を起こしてしまいます。じっくりゆっくりこの制度の良さが引き出されるように、国、親、保育者側がすり合わせながら、健やかな育ちを子ども自身が遂げられるように、制度設計の変更を重ねていかなければならないと考えます。
カテゴリ:教育
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