富山の路面電車
2026.07.12


おはようございます。
昨日から富山市で開催されている保育研修会に参加しています。1日目は今日見学させていただく保育園園長の講演、基調報告、お医者さんに「ネット依存の恐ろしさ」を教えてもらいました。それぞれに学びがある内容でした。自分の園で生かせるようにしっかりと学びたいと思います。
さて富山市は路面電車が走っています。名古屋市では既に廃止され数十年を経ています。全国の自治体でも広島、長崎、愛媛、豊橋には今も走っています。確かに車との共存は難しさも感じますが、最新式の車両や現代社会の傾向を見ていると、残すことが正解であったのでは?と考えさせられます。車両は近代的でとてもカッコよく、子どもたちが観たり乗ったりすることは、とてもうれしいだろうな?と想像します。
カテゴリ:文明社会
同じ時代を生きるということ
2026.07.12
燃え尽きるまで!おはようございます。
今の時期次世代の幼児教育者(保育者養成校学生)と縁を作っていくために、養成校を訪問し就職担当(キャリア支援)の学校職員様に会いに出かけます。AIや情報網が格段に進んだ今の世の中では、若い学生世代は無論学校職員でさえ、対面支援だけでは学生の思考や行動に寄り添っていくことさえ難しい時代であることをひしひしと感じます。かといって対面が不必要なのではなく、ますますその必然性を増しているようにも感じます。それはメディアから伝えられる情報にだけ左右されがちな現代社会だからこそだと考えます。
人間は対面したときに、嘘と真実が表情や態度に現れます。これは感性を鍛錬してきた人間には見抜くことが可能なことであるとも考えます。心のどこかにメディアは嘘を多分に含んでいることを留め置かなければ、虚偽に振り回されてしまいます。だからこそ足を運び、真実の人間同士の関りを追求する機会を失わないようにしていきたいと考えています。効率主義、損得勘定のみで人付き合いをしていけば、気付けば自らの周りに人影はなくなっていくことでしょう。
私と共に養成校時代に心を通わせた人々は、そろそろ養成現場から去る時期が迫っています。手間をかけ時間をかけ人を育てることに労を尽くしてきた、同志のような存在との係わりがなくなっていくことはとてもさみしいことです。そして人を育てるために自らを犠牲にし、労力を駆使してきたからこそ育った若者の姿も、消え去っていくのでしょうか?そのようなことはないと信じたいです。
人は子ども時代から、労を惜しまぬ大人の存在に成長を支えられてきました。便利さにうずもれ時間を要すことの中にこそ真の人間の成長があることを忘れてはなりません。「ローマは一日にして成らず」、「石の上にも三年」良い言葉です。毎日貪欲に過ごし文学、音楽、スポーツ、社会への興味を失わず自己の考えを幅広くしていく事に努めていけば、良い出会いと学びは必然的に目の前に現れてきます。歩みを止めず努力を継続していくことです。
カテゴリ:教育
コミュニケーションとは?
2026.07.12

おはようございます。
昨今乳幼児の虐待等については、とても厳しい目線が向けられています。私の家族も長男夫婦が子どもの夜泣きについて近所から「虐待ではないか」と疑いをもたれ通報され、関連機関から連絡が入ったことがありました。日本人は様々な世間話に過剰な反応を示します。そしてそれだけ通報をする側の「孤立」も進んでいるのだと判断できます。個人のスペースやプライバシー環境が保たれる社会は、安心安全とも言えますが、見方を変えれば隣同士でも接点が少なく、特に「高齢者」や「若い人の引きこもり」などの状況も進んでいます。イギリスではいち早く「孤独大臣」を設置し、現代社会が生み出す人間関係の希薄さに対策を講じています。
このページでも何度もふれていますが、「人間」は人と人との間で生きているからこそ「人間」と呼ばれます。その特徴に支障をきたす環境が生み出されているのが実情です。原因は情報機器の進歩、核家族化、地域関係量の減少などによる、他者への不寛容、自己肯定感の欠如などが根深く存在しているにほかなりません。そして、人の失敗や過ちルールや不道徳に対する嫌悪感や否定的になり同調者を増やすことで、自己の存在を確認しようともしています。すべてがポジティブ思考ではなく、マイナス方向への言動になっていくため、とても危険な人間関係におちいっているように考えます。人間同士は「皆異なる考え方」、「異なる行動様式を持つ」と考えていかなければ、いさかいが起こり、お互いを傷つけあうような状況となってしまうことは予測できます。「投げられた言葉」、「表情」に対して次の反応をどの様に行うかについて、場、状況、相手との関係性、周りへの影響をよく考え、しっかりとした言動ができるように訓練することが大切です。
カテゴリ:生き物・自然・人間
新聞紙を素材として使う知恵
2026.07.07


今日の注目はまずは「えほん」と「こども」と「保育士(おとな)」の位置関係や目線、表情などが写っている写真です。女の子が保育士の表情を注視していますね!これは大人の表情や表現からどんな心持なのかを想像している場面です。もう一人は膝の上で「安心感」を得、近くで一緒に観ている子、関りの度合いは様々ですが、保育士のそばにいるだけでも安心感は得られます。
このように「絵本」は言葉を覚えるためだけにあるのではなく、「安心感」を得るための子どもたちの必然的行動でもあるのです。保育園で年間購読している機関紙「絵本フォーラム」には、度々乳幼児期の読み聞かせの場面を振り返るお話が登場します。子どもが大きくなってからのことが多く、親も子どももそのことをとても懐かしく語り、そして読み聞かせてもらったことの信頼感が今に続いていることを書いています。
短い時間で良いので、毎日この楽しみを親子で作ることが出来ると良いと感じます。親子の信頼関係は決して長さではなく、密度の濃い短時間で十分なのです。「就寝前」、「食後」、「帰宅時」、テレビやパソコン、スマフォを閉じ、心を子どもたちに開放してあげてください!その時間は絵本がどんな作品であろうと、親子の大切な歴史物語を紡いでいくのです。
さて次は新聞遊びです。新聞は小手先のあそびかと思えば、その見方は一方的なことが分かります。全身、小手先等どんな遊び方も可能な万能な性質を持っているのが、新聞という素材なのです。最近家庭では新聞を購入していないのが当たり前ですね。私は朝4時くらいに配達のバイクの音が聞こえると、今日も1日が始まる!と心を新たにします。
生活には「はずみ」、「リズム」等が必要だと思います。子どもにとって体を動かすことは、たとえ外が雨で出られなくても、代わりの身体あそびの時間がなくてはならないのです。それには様々な性質を持ち、そして安全で生活(湿気取り・窓ふき・保温〈災害時に活躍〉・野菜の保存等)にも様々な遊びにも活用できる優れた素材である新聞紙は「保育、教育界の星!」とも言えるでしょう。
「破る」一つでも神経を集中し、指先、手、肘をうまく使い、引っ張る方向をも調整していかなければ上手くいきません。しかし新聞の目が分かれば、ハサミがなくてもきれいに一定方向に切っていくことが出来ます。そんな性質に何度も試していればいつの日か出会い、気づきが生まれると思います。
要は形から気付くこともあるということです。人生は理屈ばかりでは行き詰まりを見せます。新聞からは「哲学」さえ見つけ出すこともできると思います。それは書いてあることではなく、素材としての視方にたどり着いたときに少しづつ見えてくるものです。目に見えているだけが真実ではなく、使いこなすことによって見えてくる本物の力!これが潜んでいるのが新聞であり、その性質を見抜き、上手く利用していく知恵を身につけていけるのが人間なのです。
同時に布でも遊んでいますね。布は引っ張っても破れることはありませんね、だから結びつけることが出来ます。布巾や風呂敷なども昔から生活で活躍してきた、心が豊かになる素材です。それぞれに役割があり活用できる素材、道具は大量生産の陰に隠れ現代社会から消え去ろうともしています。
今一度この価値観を見直し、大量消費社会から抜け出し、子どもたちに本当の豊かさ(物を大事に扱い、工夫して豊かな生活を味わい営むことのすばらしさ)を体験させていかなければなりません。新聞はその初歩的な位置にあります。
カテゴリ:子育て
孫との時間は楽しい?にきまっている!しかし・・・
2026.07.05
沖縄でいただいた「月桃のタネ」をポットに植えるため土を入れていますおはようございます。
先週末土、日曜と孫を預かりました。雨模様で家のなか中心でしたが、合間を縫い庭に出て、たい肥を野菜苗に入れたり、「月桃のタネ」をポットに一緒に植えました。指先使いも保育園に通うようになってからとても上手になり、伝えた通りポットを土ですりきれいっぱいにすることも手早く行います。また、お水で遊んだことを覚えており、めざとくホースを見つけ「水であそびたい!」を連発、仕方なく水(少し寒い)をバケツに汲み遊びました。「水をえたこども!」まさに夏は子どもにとって「水」はとても興味が大きいもののようです。そのうち晴れ間も現れ3台の車も洗車し?水を目いっぱい楽しむこともできました。蚊がたくさんいましたので蚊取り線香をたき、ある程度行ったら満足して「へやにはいる」と自分から伝えてきます。やりきれば自ずと次へ目が向くものです。
部屋に入ると今度は、以前あそんだ「青いひもは?」とお尋ね!「もう使ってないよ!」と苦肉の策を弄しましたが、黄色のすずらんテ-プを発見、ロープを転がす、引っ張る、電車ごっこを妹と行う等、あそびとしてはとても豊かな発想で楽しんでいました。発見された時点で私は諦め、やりたい放題となり椅子や机、挙句の果てに扉に挟んだり少し危なっかしくもなってきました。1時間くらい集中し遊んだでしょうか。
土曜、日曜と孫に翻弄され、あっという間に時間が過ぎていきます。午後8時に家路につきやっと解放!ビール片手にやれやれっとため息のジジババ、心地よい疲れと共に「ありがたいこと」として、孫に手を合わせます。体力を維持しなければと思う週末でした。
カテゴリ:子育て
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