お知らせ

園庭に現れたハグロトンボとイトトンボ

2023.07.31

3歳前後になってくると、生き物に対したくさんの興味が湧いてきます。玄関脇にいるメダカ、鈴虫、カブトムシは毎日お世話をしなくても目に、耳に飛び込んできます。外へ出れば赤く実ったトマト、プランターに植えてある野菜、飛んでくる蝶、バッタ、ハチにトンボ、先週はなんとハグロトンボとイトトンボも飛来しました。この2種はきれいな水がないと生きられない生き物です。私も蟹江で観たのは初めてです。温暖化で様々な生き物が生きられなくなる一方、不思議なことも起きているように感じます。



生き物のお世話を行うことは、興味を広げ、学びも増し「生きること」そのものへの愛着や、自分の中の「生命を大切にする」といった優しさの土台を育んでいきます。子どもたちにとって小動物と身近で触れ合う機会をたくさん持つことは、将来子どもを授かったとき見えない力となって人類継承の力となっていきます。

ご承知の通り、地球は多様性ある生命が生きています。だから「食う食われるの緊張場面」も存在し、天敵から身を守るため、擬態、悪臭、毒を備え使う時もあります。半面蜜を出すことで昆虫を集め、花粉を運んでもらい実を成らせ、種を作ることで子孫を増やします。生き物はまだまだ我々が知らない共生世界を持っています。人間はおおいに昆虫、動物、植物の世界から学ぶべきです。ファーブル、シートン等まるで詩や小説のような記録もあります。実際の生き物に触れていくことで、生き物が好きになることが、読書という学びの姿勢を生み、探究心をもって人生を送ることが、職業につながっていく可能性も大きいと思います。それは学者になるということではなく、まさしく「探究」、「忍耐」、「継続」、「やりがい」、「目標」などの、人間にとって何をするにおいても必要な力を自らの選択で作り出していく機会となるはずです。決して大人の押し付けや強制からは、このような力は身につかないのです。

カテゴリ:生き物と子ども

水の効用 生き物の扱い 

2023.06.27

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思う存分 水と遊んでね

水は人気ナンバーワンです!おかげで食欲も疲れもいっぱいです。人間はつくづく体と心をたくさん使うことが大切だと感じます。機械でもそうですが使わないと壊れる確率が高くなります。子どもたちは精一杯与えられた器官を使いこなし、成長へとつなげていかなければなりません。それだけ幼いということは逆に可能性をもっているともいえるのです。かといって英才的で心を伴わない、大人の一方的な押しつけでは、心が屈折したり途中で本人の自立、自律が損なわれる危険があります。あくまで自発的興味に基づく取り組みが第一と言えます。
生き物はそれぞれに自己の生涯を全うすることが大切です。馬も例外ではありません。とても賢く人間にかわいがられ、ともに生きることで生かされていると感じることも多いです。しかし馬は足の骨を折ると、血行が悪くなり苦しむため安楽死させます。馬の体重は300~800キロもあります。その体重を支えるのは4本の足だけであることを思うと、1脚にケガが生じたときの負担は想像できないほどだと思います。多度神社の「上げ馬神事」が動物虐待ではないかと非難を浴びています。数百年も行われてきた人馬一体の行事ですので、一概に否定はできないと思います。昔から競馬、農耕、馬車等で人馬は一体となって生活してきました。それなりの愛着の中で生活してきた尊い仲間でもあるのです。歴史を振り返れば徳川第五代将軍綱吉が発した「生類憐みの令」が有名です。殺生を禁じた極端な法律は、江戸庶民を苦しめ後に廃止されました。
生き物としての人間、人間の都合で捨てられるペット、生きるということはそれぞれの生物種の中で尊いことです。人間が勝手にその運命を決めてはなりませんが、愛おしくかわいがっているからこその「共に生きる」という姿勢には喜びも悲しみも伴うのです。その両方に責任を持ってこそ、生き物を扱う資格が生じると思います。簡単に人を傷つけたり命を奪うことができるような人間を育ててはならないと強く思います。

カテゴリ:生き物と子ども

自然、人間、対等、平等

2021.09.07

 おはようございます!植物の世界では稲の実りと並行し、他のイネ科植物も子孫繁栄のために花粉や綿毛を飛ばす季節です。これらの様々な生き物と共に生きていくために、免疫力を持つことで人間は生き延びてきました。母親の免疫保護から離れていく年齢では、この洗礼から逃れることはできません。人間のからだには元々癌細胞やウイルスも存在するそうですが、そのバランスによって良くも悪くも変化することが明らかになっています。悪玉と思われる細菌やウイルスも、実は均衡を保つことに貢献もしているのです。このバランスを崩さないように人間社会は考えていかなければなりません。過度な除菌による滅菌、食品添加物、農薬、品種改良等々、一見問題がなく人間生活を助けているように思われる知恵、物質も、その不自然さゆえに何らかの影響を人体に与えているのかもしれません。様々な自然界の脅威を抑え込んだり、快適に過ごすための知恵は必要です。しかし、根本的な 何か を変えていかなければ、人体に及ぼす悪影響はいたちごっこで根本的解決とは言えないと感じます。
 さて、オリンピック、パラリンピックは何とか無事に終えることが出来ました。感染症禍のさ中様々な問題があったにせよ、アスリート、ボランティアの皆様、大会運営に携わった多くの皆様の奮闘は、私たちに多くの勇気と感動、そして平等や対等の考え方について、あらためてたくさんの教示をもたらしたのではないでしょうか。障がいの有無にかかわらず、スポーツを通じ人間力の限界に挑む姿は、「競えども争わず」お互いの人間性を称えあう美しい姿の結集であったと振り返ります。
 人間同士の平等や対等、認め合う力は、意識していかなければ見失ってしまうことが多いと思います。世の中にはまだまだ貧困や虐待、紛争や殺りくが世界のどこかしこで発生しています。どの国においても理想の国家を作り上げるための努力は無くてはならないものですが、「競えども争わず」を大切にしていかなければ、人間の優越感という欲をもとにした人権侵害はなくならないでしょう。まして、人間の都合で破壊し続けてきた物言わぬ自然は、大きなしっぺ返しを人間界にもたらしているのです。根本的な変化は、自然の一部である人間が、多種多様な生き物間の存在やその居場所を、決して勝手に踏みにじらないための戒めを守り続ける他ないと考えるのです。そのためには、私も含め今無知であろうとも、知ろう、得ようと思う地道な毎日を忘れないようにしなければなりませんね!

カテゴリ:生き物と子ども

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