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生き物との出会い!

2025.10.05



秋になり過ごしやすい日々が続きます。遊べる範囲も広がりお散歩にも出かけ、自然にも人にもたくさん出会うことが出来ます。そんな環境を用意し散歩等へ連れ出すことで、子どもたちの眼と心は好奇心にあふれていきます。

園庭では同じバッタでも色が違うことに出会い、枯れた葉っぱの感触と音を指先でとらえ、涼しくなって咲く小さなお花を摘み、初めて見る大きな幼虫に驚き、触ったり物をぶつけたりし試す。様々な行動をとります。私も幼い頃昆虫に対し残酷なこともしました。石をぶつけたらどうなるだろう、大きなウシガエルを3階から落としたらどうなるだろう?

もちろん大人になってからはそんなことはしませんが、子どもたちが「命」の大切さを理解していく道筋は、この様な犠牲が払われることが必要なのかもしれません。乳児さんはかわいいものです。本格的にもてあそぶのは、私の経験では小学生になってからだと思います。小さな虫ならば、例えば蟻なら踏んでも良いのか?芋虫はつぶしても良いのか?これらの善悪が認識されていく発達も、もう少し大きくなってからだと思います。

しかし今の環境ではこれらの生き物に出会うことさえ、意識しなければ確率は低くなります。幸いにも蟹江町はまだ良い方です。田んぼも畑も水辺も緑地も残っています。カメもいれば魚もカエルも見たり触れたりすることも可能です。保育園でも緑を作り、虫や鳥がやってきてくれます。まずはこのような環境を子どもたちが自由に体験できる環境を用意することが、「命」を身近に感じることへつながると思います。

命の連鎖は子ども時代にはまだ理解できませんしその必要もありません。しかし経験としての自然体験は、映像やバーチャルな体験では得られない現実的な「生命観」を子どもたちの心に残します。その事がいつの日にか「生命への尊厳」を伝える側になると信じます。

カテゴリ:生き物と子ども

リスク管理の大切さ

2024.09.10

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おはようございます。
先日の火曜日、久しぶりの園庭に、子どもたちが飛び出したときのことでした。立派に育ってきた玄関わきのオリーブの木で「ひやり」とすることがありました。木から枝が出ているのですが、その高さが丁度子どものくびの高さぐらいになってきたのですが、その「Y」の部分に頭を挟んで身動きが取れなくなった子どもがいました。保育士がすぐに気付き大事には至りませんでしたが、改めて子どもの思わぬ行動と育っていく樹木にも危険が潜んでいることを教えられました。
オリーブにはかわいそうなことですが、その日のうちに問題部分をカットし、間髪を入れず職員で集まり、報告と他の自然にも危険が潜んでいないかを検討しました。

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子どもの美しき心

2024.05.11



暖かくなってくると生き物はだまっていません!子どもたちもそれ以上により活発に動き回ります。生き物、水、タイヤ、平均台、滑り台、プーさんハウス、切り株、押し車、スコップ、器等々ありとあらゆるものを駆使して遊びこむ季節の到来です!これからの季節はお日様が西の空に沈みかけても、時間を忘れお外で遊ぶことに夢中になっていきます。そんな子どもたちの姿はとても美しく、無邪気な時代を謳歌しているように感じます。

このように遊びに没頭することが、子どもたちの心と体を大きく成長させていきます。夢中になった記憶は心の奥底に蓄えられ、今後の生活の中で「頑張るべき時」、「競うべき時」、「人の悲しさに出会った時」、「仲間との嬉しさの爆発の瞬間」等に重要な役割を果たしていくこととなります。保護者の皆様と一緒に過ごすことがない保育園の生活の中で、「さみしさ」、「楽しさ」に身を投じていくことで、一番大切な親子の関係性さえ忘れたかのように遊びます。

しかしその姿は、「そのように見えるだけ」であって、実はご家庭におけるご家族の皆様との、ステキでうれしさあふれる満足の瞬間があってこその保育園生活なのです。「我慢」や「忍耐」は今の発達段階では、成長の妨げにはなっても決してプラスにはなりません。幼いなりに自分のことを最もよく分かってくれる人、無条件に愛してくれる人が目に入っただけで、子どもたちはおもちゃを投げ出し一目散に駆け出します。その姿が親子の関係性を物語っています。ステキで素晴らしい光景にうっとりとしてしまいます!

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園庭に現れたハグロトンボとイトトンボ

2023.07.31

3歳前後になってくると、生き物に対したくさんの興味が湧いてきます。玄関脇にいるメダカ、鈴虫、カブトムシは毎日お世話をしなくても目に、耳に飛び込んできます。外へ出れば赤く実ったトマト、プランターに植えてある野菜、飛んでくる蝶、バッタ、ハチにトンボ、先週はなんとハグロトンボとイトトンボも飛来しました。この2種はきれいな水がないと生きられない生き物です。私も蟹江で観たのは初めてです。温暖化で様々な生き物が生きられなくなる一方、不思議なことも起きているように感じます。



生き物のお世話を行うことは、興味を広げ、学びも増し「生きること」そのものへの愛着や、自分の中の「生命を大切にする」といった優しさの土台を育んでいきます。子どもたちにとって小動物と身近で触れ合う機会をたくさん持つことは、将来子どもを授かったとき見えない力となって人類継承の力となっていきます。

ご承知の通り、地球は多様性ある生命が生きています。だから「食う食われるの緊張場面」も存在し、天敵から身を守るため、擬態、悪臭、毒を備え使う時もあります。半面蜜を出すことで昆虫を集め、花粉を運んでもらい実を成らせ、種を作ることで子孫を増やします。生き物はまだまだ我々が知らない共生世界を持っています。人間はおおいに昆虫、動物、植物の世界から学ぶべきです。ファーブル、シートン等まるで詩や小説のような記録もあります。実際の生き物に触れていくことで、生き物が好きになることが、読書という学びの姿勢を生み、探究心をもって人生を送ることが、職業につながっていく可能性も大きいと思います。それは学者になるということではなく、まさしく「探究」、「忍耐」、「継続」、「やりがい」、「目標」などの、人間にとって何をするにおいても必要な力を自らの選択で作り出していく機会となるはずです。決して大人の押し付けや強制からは、このような力は身につかないのです。

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水の効用 生き物の扱い 

2023.06.27

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思う存分 水と遊んでね

水は人気ナンバーワンです!おかげで食欲も疲れもいっぱいです。人間はつくづく体と心をたくさん使うことが大切だと感じます。機械でもそうですが使わないと壊れる確率が高くなります。子どもたちは精一杯与えられた器官を使いこなし、成長へとつなげていかなければなりません。それだけ幼いということは逆に可能性をもっているともいえるのです。かといって英才的で心を伴わない、大人の一方的な押しつけでは、心が屈折したり途中で本人の自立、自律が損なわれる危険があります。あくまで自発的興味に基づく取り組みが第一と言えます。
生き物はそれぞれに自己の生涯を全うすることが大切です。馬も例外ではありません。とても賢く人間にかわいがられ、ともに生きることで生かされていると感じることも多いです。しかし馬は足の骨を折ると、血行が悪くなり苦しむため安楽死させます。馬の体重は300~800キロもあります。その体重を支えるのは4本の足だけであることを思うと、1脚にケガが生じたときの負担は想像できないほどだと思います。多度神社の「上げ馬神事」が動物虐待ではないかと非難を浴びています。数百年も行われてきた人馬一体の行事ですので、一概に否定はできないと思います。昔から競馬、農耕、馬車等で人馬は一体となって生活してきました。それなりの愛着の中で生活してきた尊い仲間でもあるのです。歴史を振り返れば徳川第五代将軍綱吉が発した「生類憐みの令」が有名です。殺生を禁じた極端な法律は、江戸庶民を苦しめ後に廃止されました。
生き物としての人間、人間の都合で捨てられるペット、生きるということはそれぞれの生物種の中で尊いことです。人間が勝手にその運命を決めてはなりませんが、愛おしくかわいがっているからこその「共に生きる」という姿勢には喜びも悲しみも伴うのです。その両方に責任を持ってこそ、生き物を扱う資格が生じると思います。簡単に人を傷つけたり命を奪うことができるような人間を育ててはならないと強く思います。

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