お知らせ

天王陛下の英国訪問

2024.06.29

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天王陛下が国賓として英国を訪問されました。155年前、明治天皇が当時の英国アルフレッド王子を、国賓として招いて以来、昭和天皇、上皇、現天皇と、長い歴史の中で友好関係を築いてきました。先の大戦によって両国民が戦火を交えた不幸な歴史はありましたが、国王、天皇陛下ともに「未来志向」を大切にすることで一致しています。一国を代表する方の言葉を重く受け止め、私たちは両国及び世界の平和に貢献していくことをあらためて誓う必要があると思います。
【天皇陛下はおよそ14分にも及ぶスピーチを全て英語で行い、「両国の友好親善関係が、次代を担う若者や子供たちに着実に引き継がれ、一層進化していく一助となれば幸いです」、先の大戦を念頭に、「日英両国には、友好関係が損なわれた悲しむべき時期」があったとした上で、「苦難のときを経た後に、私の祖父(昭和天皇)や父(上皇さま)が女王陛下にお招きいただき、天皇としてこの地を訪れた際の思いがいかばかりであったか」と思いをはせた。
さらに「日英関係はかつてなく強固に発展しています」と述べた。両国関係の現状を「裾野が広がる雄大な山」と表現し、「先人が踏み固めた道を頼りに、感謝と尊敬の念と誇りを胸に、更に高みに登る機会を得ている我々は幸運と言えるでしょう」と述べ、両国が「かけがえのない友人」として「永続的な友好親善と協力関係を築いていくこと」を願い、しめくくった。- スピーチより抜粋】

カテゴリ:歴史

沖縄慰霊の日

2024.06.29

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おはようございます。
毎年この日については触れるようにしています。「沖縄慰霊の日」、太平洋戦争末期、日本軍の組織的抵抗が終わりを迎えた1945年6月23日は沖縄での戦没者(約20万人以上)を追悼し、平和への願いを新たにする日として定められています。終戦日は8月15日ですが、沖縄の人たちにとってはこの日は忘れてはいけない日となっています。
沖縄は日本で唯一地上戦が行われた場所です。当時の軍部は勝ち目のない戦いに、沖縄を捨て駒とし本土決戦を少しでも遅らせ優位に立とうとしました。窮地に追い込まれた日本兵は住民を巻き込み、あるいは犠牲にし生き残ろうともがきました。戦争は同胞さえ見殺しにしてしまうような人間の残虐性を露にします。
【糸満市の「平和の礎」や「魂魄の塔」では、朝早くから遺族などが訪れ、静かに手を合わせて平和への祈りをささげました。「今、戦争の足音が聞こえる どうしても止めたい」、沖縄戦で祖父母や叔母など30人を亡くしたという今帰仁村の78歳の女性は、「ここからここまでみんな亡くなりました」と礎に刻まれた名前を指でなぞりながら話しました。当時の状況について「米軍が上陸してきたので祖父を中心に避難しましたが、入ろうとした墓にはすでに日本軍が入っていて祖父たちが入ることは許されなかったそうです。糸満のほうに逃げて民家にとどまっていたところ艦砲射撃にあうなどして1人しか生き残りませんでした。母の姉の家族や妹の家族も全滅しました」と話していました。そのうえで「今、戦争の足音が聞こえるでしょう。これをどうしても止めたいです。私は自分の身内から戦争の話を聞いているのでそれを伝えるのは義務だと思います」と話していました。】
このようなお話を語り継いでいかなければなりません。人間は過去を忘れたとき、同じような悲惨を繰り返します。だからこそ毎年同じ事実を、違った形、角度から考え直していく機会を持つ必要を感じます。

カテゴリ:歴史

貴重な篤志家

2024.06.29

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おはようございます。
少し前ですが6.16の中日新聞「視座」に内田 樹さん(視座担当者の一人)の論評が掲載されました。「公私混同する人」、タイトルだけ見ると「公私に区別がつかず公共財を私物化する人」、「公権力を私利のために用いる人」を想像しますが、ここで話している人は「私有物が公共的に用いられることを好む人」を指しています。世間ではそのような人を「篤志家」と呼んでいます。最近では虐待やネグレスト下にある子ども、身寄りが無く貧困にあえぐ高齢者への食、生活空間提供、行き場のない子どもの私設図書館の運営等々、身銭を切って世間を支援する方がいます。
我福祉会にも長きにわたり、「日蓮宗のお寺で子ども食堂の食事を作る」を行っておられた篤志家がいらっしゃいます。50回をもって自身の年齢等を考え自らで活動に幕を下ろされました。元々大手の給食会社(カリヨン福祉会内 高齢者施設食事担当)での立派なキャリアを生かされた活動ですが、氏が心を込めた味とどこからも声がかかり頼られる姿は、まさに尊敬に値する「篤志家」です。心から感謝の言葉を送りたいと思います。また、今後も福祉会の方々(ほうぼう)でご活躍されるお姿を拝見できればと希望しております。ありがとうございました。

カテゴリ:生き方

「見通し」の大切さ!

2024.06.24

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子どもたちは様々な環境に対し、自らの身体をコントロールしうまく動かし適応しようとしています。これは脳だけの判断ではできることではありません。むしろ先に末端が地形、形状、感触などを体験することで、その情報が脳へ伝わっていると考えられています。これが学習と言われる人間の成長には欠くことができない発達の過程です。

おそらくマット遊びは今日が初めてではなく、前年度から雨の日などに行っている活動だと思います。園庭にある築山とは異なり、柔らかでフワフワした感触は、自分自身の体重をどこへ持っていくのかを、体が掴んでいないとバランスを崩してしまいます。それなりの感触の見通しを持っているからこそ、思い切った動き(マット上を走る、転がる)に挑戦することができます。余裕ある表情も経験があるから故の笑顔、楽しさの表現なのです。

また「楽しいことの見通し」は、マットを運ぶなどの準備も皆で力を合わせ行うなどの行動に繋がっていきます。もちろん子どもにとっては物を運ぶことさえ「あそびの一部」です。ですが結果的に個々が「このマットで楽しみたい」といった動機を持ち、偶然にも行動が一致したときに、「皆で力を合わせる」ことは、ひとりではできないことも、「仲間がいれば可能になる」を経験することとなるのです。今の段階は完成された協力ではありません。しかし、「協力」という気高く、崇高な人間力は、幼い時から、今日のような経験を繰り返す中で培われていくものだと考えます。

これらの心の成長も、個々の子どもがやってみたいと思う遊びが元となっています。「あそび」は子どもたちの成長の元です。いわば我々大人の仕事と同じです。その権利を保障し、守っていかなければ人類の未来は危ういと思います。

カテゴリ:発達

あそびから学ぶ

2024.06.24

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したにも 落ちたぞ!

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うまくはいったようだね こうして物の大きさを学んでいます

今日も子どもたちの様々な様子が見られました!絵具という素材、水が混ざったときの変化、絵の具同士が作り出す様々な色等々、絵具という素材の感触と色の変化は子どもたちにとって、とても不思議に感じられる対象です。初めての感触、使い方に戸惑い、躊躇し「やらない」という選択肢もあってよいのです。いつの日かおもしろさを体感する日がやってくると思います。それまでは楽しみに待つことといたしましょう。

年少の子どもへの優しさ(一方的な配慮?)、それでも幼いなりに遠慮や気遣いをして、そっと「お返しする」かわいい場面、こども心の繊細さが映し出されています。子どもたちはこのような感情のやり取りを体験しながら、友だち同士の言葉や行動の方法を学んでいるのだと感じます。

最後は箱の中に木のナイフでしょうか?収納しようと掌で押し込んでいる姿ですね!形状が異なる箱とナイフをどうしても箱の中にしまいたかったのでしょう。少々無茶な感じもありますが、目で確認し入ると考えたと思います。上手に(偶然に)?斜めに置かれたことで、箱の中にナイフは収まりました。このように何度も試していると、ピッタリくることもあります。そこで長さ、幅、高さ、細い、太いなどの形状の違いを学んでいくのだと思います。

幼い子どもたちは自在に動かすことができるようになった手指を使い、様々を試します。長さを図るわけではなく、ほぼ直観でドンドンと思いをぶつけていきます。そして偶然にも思いが達成されたとき、深い満足感と次回への記憶として心の中に刻み込まれていくのです。

カテゴリ:発達

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