その時にしか学べないこと!
2025.08.09

子どもたちが自分の身体を感じ捉えていく機会は、様々な遊び活動の中に溢れています。赤ちゃんの頃は特にスキンシップが大切です。それは人生の最初に出会う人がママやパパだからなおさらです。
「人を信じる心」は、3歳くらいまでの肌触れ合う関係性の中で形作られていきます。一番好きな人に身体を触れられることで、「オキシトシン」という安心物質が、子どもにも親にもあふれ出てきます。そのことによってお互いの信頼は深まるのです。「育てられたい」、「育てたい」といった大切な感情はこのような触れ合いが大切です。
よって欧米文化の様に「肌の密着、スキンシップ(抱擁、キッス、頬を合わす)」が頻繁に行われる文化と日本文化(育児方法)は異なっていることを知る必要があります。日本人は濃密ではなくても「添い寝」、「抱っこ」などの習慣を重ねていくことで信頼関係と安心感を作り出している文化なのです。
そのために生まれたのが「わらべ歌」です。手や体様々な部位に触れながら歌いかける「わらべ歌」はとても日本らしい自然発生的な子育ての方法なのです。歌遊びやリズム遊びとは性質や意味が異なっています。興味のある方は【「わらべうた」で子育て 入門編 応用編 阿部ヤヱ 著 福音館書店 音源《わらべうたでこそだて 音源ページ》】で検索してください。子育てのすばらしさ、楽しさが詰まっていますよ!
さて今日も子どもたちは、様々な遊びを通じて自分の身体を試し、仲間との会話ややり取りを通じて、人、物を感じ取っていましたね!何でもやってみて結果を得なければ、そのことがどんな行為なのか、他者にどんな影響を及ぼすものなのかは分かりません。
面白半分にいたずらを仕掛け、お友だちも喜んでくれるとは限りません。身体をぶつけ合うことで相手の子が泣いてしまうこともあるでしょう。その経験一つひとつが、人間の身体のもろさや強さ、人の心の繊細さや大胆さを感じさせてくれる貴重な体験機会なのです。だから何でも止めてしまうことは真実を隠します。
少々危なっかしくても自分自身で挑戦していくことが大切なのは、このような意味において最後には「他者へのおもいやり」へと繋がっていくからです。大人になってからこのことを知らなければ、相手を傷つけたことに大きな責任が生じます。
「その時にしか学べないこと」があります。「その時でないと育たない心情」があります。だから「今」が大切であり、「後で」は子どもたちの世界では機会を失うことになるのです。
しかし現実生活ですべてに子どもの思いを優先することも不可能です。ですから大人は「子どもの欲求」をできるだけ叶えてあげられるように努めていくことが、乳幼児期には特に必要です。きっとその姿を子どもたちは受け止めてくれます。このバランスを失った時、何らかの異変が子どもの様子に現れます。このサインを見過ごしてしまうと、子どもに良くない「我慢」、「諦め」といった感情が心を占めてしまいます。目に見えにくい最も将来的に危険な状況となります。
カテゴリ:教育
自然と乳幼児
2025.08.09


おはようございます。
先週菰野町にある「尾高キンダーハイム」に、幼稚園年長組(100名程度)の自然活動支援に行ってきました。長年支援者としてお世話させていただいた幼稚園の子どもたちは、毎年変わっていきますが、私にとってはとても「やりがい」を感じると同時に、子どもたちや若い幼稚園の先生方に対する、メッセージを伝える大切な場、役割を担っていると考え大切にしてきました。
年々体力が低下し、また高原とはいえ猛暑はほぼ変わらない炎天下で、準備や活動を実践していくことも中々困難です。そんな中ほぼ同世代の毎年同じメンバー(幼児教育施設写真会社、幼児教育教材会社、幼稚園園長等)で、このキャンプを支えていただいております。ロープワークでその場で作る遊具(平行ロープ・ブランコ・ターザンロープ)は、子どもが載っても緩まないように張り上げるのは、大変な労力が必要です。キャンプファイアーはプレス組から安全管理(ファイアーキープ)、暗くても遊べる炎の維持、消火、そして遊び指導支援(エールマスター)等、ほぼ総合的企画力と技術が必要であり、誰もが行える事ではありません。体力、話術、知識、職員の健康や安全にも目を配っていく必要があります。
とても心身は疲れますが、子どもたちと若い教職員には「自然と人との関わり」、「自然に生かされている事」この2点だけは私の譲れない信念として、年長の子どもたちが分かるような方法で説得しています。真剣に取り組めば取り組むほど、奥は深く子どもからもらえる力も大きいです。やれる限りは今後も続けていきたいと考えています。
カテゴリ:教育
異年齢 多世代 交流の大切さ
2025.07.28

今日はすみれ組さんがつくし組で過ごしました。月齢が近いこともあり様々な相互の影響が見られました。入園進級から4ケ月が経ち、この頃になれば人にも環境にも「安心感」が定着していますので、たとえ普段と過ごす場所が異なっていても、安定して生活することが可能となります。
いつもの人数よりもひと部屋の人数が適度に多いことは、決して悪い環境ではなく「人間」という生き物が、人の間で生きていく上で喜びや難しさを感じ、自己の心を育てていくために必要な環境でもあります。たとえ1対1の環境であっても、その中身に身体的、精神的コミュニケーションがなければ、子どもの心と体は「今」を十分に育ち切ることが出来なくなります。
発達の度合いが近いということは、興味関心が相乗的に効果を発揮し、「トコトン遊びきる」に近づくことが出来ます。逆に差があるときは、憧れや「やってみたい」といった意欲の発現へとつながっていきます。また、進んでいる子にとっては、幼さへの優しさ、いたわり、導き、支援などの他者尊重の心の元を育てる機会になります。
度々お話しする多世代で過ごすことの大切さは、この様に人間が生まれもってプログラムされている機能を、発揮することが人間生活には必要であることを示しています。鳥や魚に帰巣本能があるように、人間にも助け合い協力して生活していこうとする本能が埋め込まれているはずです。
昨今そのような本能が失われつつあるような事件、若者の自死が生じていることは、この様な多世代の触れ合いが少ないために起こる必然である気がしてなりません。日本ばかりではなく世界においても分断が進んでいることを考えると、早急に意図的な方法で、血のつながりがない人々が共生できる居場所を作っていく必要性を感じます。
このような意味において厚生労働省が報告【2040年には65歳以上の高齢者の数がほぼピークになると推計され、介護サービスの維持や人材の確保が課題となる中、厚生労働省の検討会は介護と障害福祉を同じ場所で提供する「共生型サービス」など、限られた人材を有効に活用する体制作りが重要だととりまとめ、審議会に報告することになりました。NHKウェブニュース】した展望は的を得ていると言えますが、担い手不足という角度ではなく、「子ども」、「障がい者」、「高齢者」、「現役世代」が、ともに楽しさ苦しさを分かち合い、育ちあう環境を作っていかなければならないと思います。
人間同士の感動はこのようなやりとりがあればこそなのです。関りを避けたり、設定されていなければ作ろうとすることが、結局は子どもたちの成長、親や大人としての育ちも生んでいくことになっていきます。
カテゴリ:教育
シャボン玉とんだ!
2025.07.20


毎週毎週繰り返される月曜日、お家で過ごしちょっぴりさみしさも抱えながら、しかし元気を出して保育園生活を過ごしています。楽しいことがあれば子ども心ははずみ、賑やかな時間を過ごすことが可能になりますが、心配事や体調が悪い、よく眠れなかったなどのリズムがうまくいかなかったときに、心がくじけやすくなったり、健康が悪化してしまうことは幼い子どもによくあることです。
そんな時は決まって「ママ、パパ」、「お家」が恋しくてたまらなくなります。仕方ないことです!3~4歳くらいまでは最も信頼するご家族が一番の「安心感」なのです。健康を損なわないうちに、ゆっくりすごせる環境に移動できるようにお願いしたいところです。案外お家に戻ると「ケロ」と治ってしまうこともありますが、乳児の病気は気持ち半分ですが、様子がいつもと違う時はやはり早めに「お家でゆっくり」を優先してあげてほしいです。
さて今日は水遊びとシャボン玉がメインでしたね!子どもたちはフワフワ浮かび、キラキラ光るシャボン玉が大好きですね!どこまでも追っていき捕まえる、手で「パチン!」とするなど、いつまでも飽くことなく遊んでいます。ここでも海苔の器やジョウゴ、皿などの道具片手に何とかシャボン玉をつかまえようと笑顔でチャレンジしています!
身体や頭、道具を使ってみたくなる素材である「シャボン玉」、子どもたちにとっての「憧れ」と真夏に「大切な人と遊んだ記憶」、そんな楽しさと嬉しさが混ざり合う馴染み深い素材を大切に伝えていきたいですね。
シャボン玉は子どもにとっては「魔法の球?」に見えるのでしょう。得体は知れぬが安心して遊びこめるとても不思議な対象なのだと思います。私の知っているある保育園で「シャボン玉製造機」を作った園長がいました。なんと特許を取られたと十数年前に聞きました。
でも私は素朴な方法がどちらかというと好きです。花火で言えば線香花火のドラマティックな燃焼過程(最後ははかなく火ダマが落ちるあの瞬間)、シャボン玉は1本のストローからそっと息を入れたときの膨らみ、そして虹色に光るあの模様の美しさが大好きです。私にとっては谷内六郎や原田泰治に通ずるノスタルジーな感覚、淡く美しさあふれる色使いのいわさきちひろのような透明感、ユーミンの「海を見ていた午後」などの感覚がよみがえります。昭和を代表する芸術家の情景を思い出させる風物それがシャボン玉です。
そして「シャボンだま」歌の作者にとっては悲しい思い出でもあるのです。【この曲の作詞者である野口雨情の初めての長女みどりは、生後7日目で亡くなっています。この時代は、衛生面でも栄養面でもいまよりずっと悪く、産まれてすぐに命が絶えてしまうことはさほど珍しいことではありませんでした。ある日、野口雨情は、シャボン玉遊びをしている子供たちと遭遇し、亡くなった長女が無事に大きくなったら同じくらいの年頃だろうなと思いながら1番の歌詞を書いたそうです。シャボン玉の曲が完成した後ですが、野口雨情の四女が2歳で亡くなっています。七五三では女児は三歳になると神様に感謝を伝えにお参りしますが、三歳まで生きるというのが第一の目標地点だったのです。まずは三歳まで生き延びるのが目標だった時代ですから、「屋根を超えて飛び立てるギリギリのところで壊れてしまったシャボン玉」に四女への思いを感じるのは私だけでしょうか。あと少しだったのに・・・・。
この時代は、産まれてきた子供が三歳を迎えるのも大変な貧困時代。医療も乏しく、流行病があればたくさんの子供が亡くなっていました。この曲は、浮かばれない魂が成仏できるようにという気持ちを込めた歌だという説もあります。「シャボン玉」を発表したのが、大日本仏教コドモ会が発行していた児童雑誌『金の塔』でした。仏教の雑誌から出したのも意味がある、そう考えられているのだろうと思います。産まれてすぐに亡くなってしまうような悪い風は吹かないでほしい。子供達よ、大きく成長していっておくれ。そんな願いが込められた歌なのでしょう。】
雨情の心情を思い、現代に生きる子どもたちの幸せと、できることは懸命にしてあげるべきが大人の役割であると、思いを新たにいたします。
カテゴリ:教育
大人のあるべき姿
2025.07.12
子どもたちの発達の差異は、偶然上手くかみ合う時もあればそうではない時もあります。進んでいる子にとっては「ものたりなさ」が残ります。まだ手前の発達段階の子にとっては、自分の楽しさ以上を求めることはありません。
これらの食い違いが集団には生じることが常のため、他クラスの子と交流することが有効になってきます。月齢が高い低いからと言って、必ずしも異なる発達段階ではないため、混ざり合うことによって「しっくりする」関係性も有りだと思います。
これは何も子どもたちだけの世界に限ったことではなく、何となく相性が合うおばあちゃんと乳児さんといった関係性を見つけ出す努力も必要だと思います。だからこそ様々な波長を発している、不特定多数との接点を持っていくことで、何かしら唯一の関係性をつくることも可能になってくるのです。
だから子どもたちには、そのような機会を積極的に作っていきたいと考えます。子ども自身は「男の人が苦手」、「賑やかの人が好き、苦手」等々、人に対しても個々異なる感覚を持っています。そんな相性に引き合わせていくことも、大人の環境準備と言えるのではないでしょうか?
人生は好きもあれば嫌いもある、良いもあれば悪いもある、上もあれば下もある、このような不変の2局的対立を避けることはできないのです。であるならば衝撃的、刺激的なものは避けるにしても、できるだけ様々に出会わせてあげたいものです。
モノはと言えば、タライに入った水の感触、シャワーヘッドをもって方々に水かけ、柔らかなぬいぐるみの感触、様々な長さや形を持つすくうための道具、人に対しては、おすもうさん、心身に障がいを持っている人、高齢者、外国の人・・・等々、様々な多様性の中で生活している人々に出会うことは、人生を豊かにそして自身の能力を伸ばしていく力にもなっていくはずです。
このような機会を逃してはなりません。そのためには、大人自身が様々なことに興味を持ち生活している背中を見せていくべきです。子どもは大好きなご家族、保育者、尊敬する人の背中を見て育ちます。大人自身が好き嫌いを超え、しっかりと大地を踏み締めていくことが、結局は子どものたくましい成長にもつながっているのです。
これらの食い違いが集団には生じることが常のため、他クラスの子と交流することが有効になってきます。月齢が高い低いからと言って、必ずしも異なる発達段階ではないため、混ざり合うことによって「しっくりする」関係性も有りだと思います。
これは何も子どもたちだけの世界に限ったことではなく、何となく相性が合うおばあちゃんと乳児さんといった関係性を見つけ出す努力も必要だと思います。だからこそ様々な波長を発している、不特定多数との接点を持っていくことで、何かしら唯一の関係性をつくることも可能になってくるのです。
だから子どもたちには、そのような機会を積極的に作っていきたいと考えます。子ども自身は「男の人が苦手」、「賑やかの人が好き、苦手」等々、人に対しても個々異なる感覚を持っています。そんな相性に引き合わせていくことも、大人の環境準備と言えるのではないでしょうか?
人生は好きもあれば嫌いもある、良いもあれば悪いもある、上もあれば下もある、このような不変の2局的対立を避けることはできないのです。であるならば衝撃的、刺激的なものは避けるにしても、できるだけ様々に出会わせてあげたいものです。
モノはと言えば、タライに入った水の感触、シャワーヘッドをもって方々に水かけ、柔らかなぬいぐるみの感触、様々な長さや形を持つすくうための道具、人に対しては、おすもうさん、心身に障がいを持っている人、高齢者、外国の人・・・等々、様々な多様性の中で生活している人々に出会うことは、人生を豊かにそして自身の能力を伸ばしていく力にもなっていくはずです。
このような機会を逃してはなりません。そのためには、大人自身が様々なことに興味を持ち生活している背中を見せていくべきです。子どもは大好きなご家族、保育者、尊敬する人の背中を見て育ちます。大人自身が好き嫌いを超え、しっかりと大地を踏み締めていくことが、結局は子どものたくましい成長にもつながっているのです。
カテゴリ:教育