お知らせ

ポカポカ園庭での誕生日会!

2025.11.30

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ポカポカ園庭遊び、誕生会にお芋ほり、子どもたちにとっては、とっても嬉しいハードスケジュールの盛りだくさんの濃い内容のはず!!色々なことをしてもらうのが、この時期の子どもたちの特権でもあります。

成長と共に「遊び」と「勉強」という時間の分離が始まっていきます。乳幼児期は遊びと学びは常に同一線上にあります。食事や手洗いだって遊びになってしまうことは多々あります。だからこそこの時期を思う存分遊びきる期間として、大人は躾や言い聞かせのための強くて大きな口調、否定はもってのほか、ということを自覚しなければなりません。

先日もお話ししましたが、分からない子どもに「否定」、「叱責」、「罰」、「交換条件」は通用しません!怖い顔と大きな声で言われることは、ほぼ「恐怖」を避けるための「おとなしさ」に変貌します。ですが道徳は必要ですので、相手が赤ちゃんであっても、伝え方に配慮して、「こうするとよいね」を根気よく伝えなければなりません。

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そんな時「わらべ歌で子育て(阿部やゑ)入門編」を参考にしていただくことをお勧めいたします。この本は私の愛読書でもあり養成校時代に学生に実践し、子どもたちにも行ってみたことがあります。とてもスッキリと子どもの心に馴染んでいく「わらべ歌あそび」です。

わらべうたは少なからず皆様も馴染みがおありかと思いますが、「たかい たかい たかい・・・」がよく知られている遊びではないでしょうか?「叱る」は、親御さんにとっても一番難しいことかもしれませんね!

この紙面だけでは理解していただくことは難しいですが、一例をあげておきますと、例えばゴミ箱をひっくり返したり、物を投げたりしたときに、赤ちゃん(ハイハイやつかまり立ちくらいの発達の子)に対しては、少し渋い顔を作り「ペチョペチョペチョ」と擬態語(オノマトペ)を使い諭します。つまりは「いけませんよ!」の柔らかな伝え方を行うということです。

とても根気が必要ですが、子どもたちの言語はこのような大人(大好きな父母・祖父母・保育士)の「表情」と「ニュアンス」こそ伝わりやすいため、理解につながりやすいのです。是非参考にしていただきたいと考えます。こんなことを行っていくと「子育て」が本当に楽しく、親子ともどもが幸せな気分になることは間違いありません。私でも出来たのですから絶対大丈夫ですよ!

誕生会の意義はやはり皆の前に出て、様々な「おめでとう」を皆から伝えてもらうことと、自分で「ありがとう」、指あるいは言葉で「〇歳」と恥ずかしさの中でも伝えること、少しの緊張感を味わうことにつきます。その場数を踏んでいくことで、多くの人の前でも自信をもって自己を表現する機会に必ずつながっていきます。

そしてお芋ほり、今日はお芋というよりも「ごぼう」の様に細くて(保育士弁 (*^_^*)
経験は「うまくいかない」ことも含めて大切です。芋が小さく少なければそれなりの結論を、ただただ自然のままに受け止められばよいことです。天の神様が与えた試練として、子どもなりに解釈することで十分だと思います。

カテゴリ:教育

子どもとの心と身体の距離

2025.11.30

alt保護者の保育参加

子どもたちにとって毎日顔を合わす職員は、「安心」、「安全」な対象として認識されていますが、保育参加のパパママ、実習生の先生、園庭開放で会う親子、畑を作ってくれるおじいちゃんは、たまにしか来ない「非日常のひと」として、どんな人なのかよくよく観察することからスタートします。

ですから来訪者様次第でいち早く慣れ親しみ、遊び相手だと認識した瞬間に距離感が変わります。写真を観ていただいてもお分かりの様に、子どもたちに積極的にかかわるパパママ様の姿勢が、子どもたちの心にとても大きな「安心(この大人は大丈夫)」と、「意欲(この人と遊びたい)」を湧き上がらせているのです。

キッズガーデンの子どもたちは、たくさんの園以外の人たちと関わる機会が多くなっています。その分多様な人に出会っているとも言えますので、生まれて早くから「多人数」に慣れています。乳幼児期の発達には「質より量」の人間関係が必要だと考えています。このような機会を準備できるようにしたいです。

そして乳幼児期は特にたくさんの大人に愛され、抱きしめられ、遊んでもらい、物事や自然のすばらしさに共感してもらう機会がなければなりません。この時期の最大の「目標」こそ、子ども自身が感じる「安心感」だからです。万が一「安心感」を持ちそびれてしまうと、子どもはどこかで心に「不安」を抱え、人に対しても「不信」が定着します。その様なことがないように、子どもたちの世界を守っていかなければならないのです。

たくさんの人間と関わる環境を用意することによって、物おじしない、様々な環境や人の世界に適応する力が育っていくと思います。日本は過去、高齢者、外国人、障がいを持っている人、皆と同じでない人に対し隔離政策や完全な住み分けを実行してきました。その事が差別や区別にもつながり、「閉鎖的」な社会を作りだしてきたのです。

現代社会は「多様性」、「人権」を重んじ、人間同士どんな違いがあろうとも、お互いが寄り添い対話することで、ある程度の住み分けの元、協調して地球の一員としての使命を果たすべき、といった考えが広まっています。

それでも紛争や虐殺が発生しているのが世界の現実ではありますが、自己の足元からこのような行動や思想を根絶していかなければならないのも、現代人に課された使命であると考えます。「小さなことから・・・・・」、「幼い子どもの生活から・・・・」このことを意識していく必要があります。

カテゴリ:教育

ぐちゃぐちゃ遊び 

2025.11.22

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おはようございます。
先週土曜日に一般参加者向け園庭行事で「ぐちゃぐちゃ遊び」を実施しました。当日はたくさんの親子連れで賑わい思い思いに絵具を塗り込む子どもたちの姿、子どもたちの自由に引き込まれ、同じように心解き放ち開放的に絵の具だらけになる保護者の皆さんの嬉しい笑顔に触れることが出来ました。たくさんの楽しさをくれた親子様、主に計画実践をいただいた村田先生、一緒に手伝い楽しんでくれた職員、実習生の先生方に深くお礼申し上げます。
このように外部の皆さまが園庭に来てくださり、蟹江町にある保育園、公共施設の努力、そして何よりも様々なつながりができ、子育ての輪が広がっていくことが一番の願いであり、目的でもあります。小さな小さな努力ですが、今後も地道に継続していきたいと考えています。
子育ては大変な反面、素晴らしい嬉しさ、やりがいをもたらす最も人間らしい活動です。先を考えすぎても「人を育てる」はうまくいきません。結婚し、ご夫婦、ご家族で困難と嬉しさを乗り越えたところにこそ真の幸せがあることを思います。「楽しさは大勢で分かち合えば、みんなの喜びになる」、「苦しみは大勢で分かち合えば少しになる」、あらためてこの気持ちを、地域や関連する人々に伝え続けることが、この保育園の使命であることを心に留め、日々を過ごしていきたいと思います。

カテゴリ:教育

子どもたちの安全教育とは?

2025.10.25

子どもたちの遊びはある程度予測もできますが、驚かされる遊び方、目の付け所があります。きっとまだ扱ったことが少ないものに対しては、その形、質、大きさが表している特徴に対する不思議を、最大限引き出そうとしているように見えます。

形がはっきりしている玩具、例えばブリオの電車などは、使い方は電車しかありませんので限定されてしまいますが、コップ、最後の写真の色とりどりの遊具、袋、紙などは素材が持つ変化への適応力が、様々な「見立て」や「つもり」を生み出す素材のため、本来持っている子どもの発想力を引き出すことが可能となっていると思います。

特にカリヨンの子どもたちは、自然素材(花、実、落ち葉、ドングリ、葉っぱ、昆虫、砂、水、泥・・・・)と画用紙、色紙、絵の具(ぐちゃぐちゃ遊び)、様々な素材に触れる機会が多いため、空間の有る器(コップ、海苔の空き箱、押し車のトランク等々)と組み合わせて、多方面から遊びの取り組みをすることに長けています。

変化しやすいものや、中味が空っぽの用具は、ちぎったり、色を塗ったり、中に物を入れる等「あそび心」をそそります。特に空間はどんなスペースでも身体を入れ込んだりわざと挟まったりし、危険につながることもありますので注意が必要です。

乗ることが出来る机や椅子なども窓際やバルコニーに置かないようにすることは、幼い子どもがいる家庭では注意しなければならない事でもあります。しかし足腰がしっかりしてくれば、当然高い所に登りたい、狭い空間に行ってみたいはあり得ることですので、充分に安全な場所でこのような機会を存分に保障していくことが大切です。

危険は避けるのではなく、十分な注意の元「乗り越える力」や危険と判断し「行わない」といった「自己選択」をできるようにするために必要な機会だと捉えていくことが必要です。安全管理は守りに回るばかりが正しいとは言えないのです。

同時に危ないことをしっかりと伝え、安全教育を行っていくことも大人のすべきことだと思います。ただ危ないからと言って遊びを止めてしまうのは、かえって大きな危険を目の当たりにして、予測や学習ができていないことが災いし、怪我に繋がってしまうことにもなります。

是非子どもたちの自由な使い方を尊重してあげてください。危険は事前に取り除き、その場を離れず子どもが予測できない危険に遭遇することにだけは注意を払うことを忘れなければ、たくましい挑戦意欲を自らの中に育てていくことが出来るようになっていくはずです。

カテゴリ:教育

自発性の尊重

2025.10.05

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月齢が低い子どもたちは、お散歩コースの一部を歩き、ベビーカーにも乗り体力を温存しながら満足できるように調整します。園庭の様に柔らかな地面を歩くのと異なり、ひっかかりは良いアスファルトですが、その分足への負担は大きいはずです。

自分自身の体重を支える2本の足は、つまずきそうになった時倒れないようにささえ、踏ん張らなければなりません。その力を持続していくには慣れと体力が必要です。初めてや見慣れない景色、人や事物に出会うことも、それなりに頭を使い気を回してもいるため心も疲れています。

子どもたちにとっても、刺激的で興味溢れる環境の経験は、身体と心をフルに使う活動となるため、その楽しさに没頭しているときはあまり疲れを感じないかもしれません。しかしこの負荷がかかることこそ発達に良い影響を及ぼしていきます。どの程度の負荷までをよしとするかは大人が判断する必要があります。

「自主性の尊重」は健康を損ねたり、大きなけがをしてしまっては本末転倒です。子どもたちの成長発達が今どのあたりなのかは、親御様、保育士がしっかりとした見方を持っていなければなりません。「養護(安心安全)」の割合が「教育(環境への働きかけ)」よりも優先されるのはその理由があるからです。

乳幼児はまだまだ「過保護」なくらいがちょうどよいのです。過保護は欲求の充足に結びついています。十分に満足できることが出来る時期、初めて約束やルール、お友だちとのやり取りの楽しさへと向かっていけるのです。

「過干渉」と「過保護」の違いは分かりにくいところもありますが、「やりたいことを中断し、強制される」これも「過干渉」です。「やりたいことを大人に分かってもらい調整され導かれる」が過保護だと思います。とても微妙な違いかもしれませんが、保育現場ではよくあることですので、表現を替えれば保育士は幼い子どもといつも交渉や駆け引きをしているイメージです。

「否定」は簡単なことです。大人の権威を使えばすべてを片付けられます。ですが、できるだけこの方法を避け、「決めつけず」、「命令を避け」対応していくことが、子どもの思考を働かせ、納得のいく自己選択ができる道筋と考えます。

私も子育てをしていた頃は「決めつけ」があったと思います。年を経たこともありますが、学びを進めていくことでこのような結論を得るに至りました。もちろん本や理論的な方法からの学びもありましたが、今現在保育園で様々を教えてくれる子どもたちの存在、そして一所懸命な保護者の皆様から学んでいることは言うに及びません。この場をお借りしお礼申し上げます。ありがとうございます!

カテゴリ:教育

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