お知らせ

相手を知る事!生き物も遊び道具も

2026.04.26

altフジも森も生き物であふれています(フジの花に来る大型の丸いハチはおとなしいクマバチです)

おはようございます。
フジ棚が花で満開になると、様々な生き物が蜜を集めに飛び交います。中でも「クマバチ(写真)」は、人間にも近寄り見事なホバリングを行う姿はとてもかわいらしくて面白いです。【クマバチとマルハナバチ 「ブーン」という大きな羽音から、どちらも非常に危険だと思われがちですが、危険性には大きな違いがあります。クマバチの危険性は、実は非常に低いです。まず、春先に私たちの顔の周りをしつこく飛び回って威嚇してくる(縄張り意識が強い)のはオスですが、オスには毒針がありません。メスは毒針を持っていますが、性格が非常におとなしく、巣に直接手を出したり、メスを素手で掴んだりしない限り、人を刺すことはほとんどありません。一方、マルハナバチは注意が必要です。こちらもメス(女王蜂と働き蜂)だけが毒針を持ちます。マルハナバチは社会性昆虫であり、巣(コロニー)を守る防衛本能を持っています。地中や草むらにある巣を知らずに踏みつけたり、刺激したりすると、働き蜂が一斉に襲いかかってくる危険性があります。マルハナバチの毒もアナフィラキシーショックを引き起こす可能性があるため、巣を見つけても絶対に近づいてはいけません。衛生面では、クマバチが家の軒先や柱に穴を開けるため、木造建築物にとっては「害虫」とされる側面があります。】
怖ろしさばかりが強調され公園からフジ棚は消えつつあります。生き物も危険だからと言って駆除し続ければ、子どもは危険生物に遭遇したときの回避方法を学べません。同じように築山に人工芝を貼ってしまうと、土の感触、どんな時に滑りやすくなるのか、微妙な傾斜やくぼみに対応する方法、身体使い(足さばき・体重移動・バランス)が身につきません。他にも過剰な滅菌、過剰な農薬使用等、一見子どもや人の安全を保障しているようですが、実はその逆です。虫に刺されたときの責任、山の形が崩れない、人間以外の生き物の駆除等すべて大人、人間都合なのです。責任はすべてが設置者にあるのではなく、そのような環境でしか育てられなかった社会、地域、時代、そして家族にもあるのです。「自己責任」という言葉も責任逃れの感が色濃く表れています。そうさせているのはいったい誰なのでしょうか?真の大人ならば考える必要があります。
公園遊具は適用年齢表示と公園遊具安全ラベルなどが表示されています。これはあくまで目安としてとらえておく必要があります。遊具は作成会社がおよその使用年齢制限を設けることで、事故発生時の責任問題に制限を設けているのです。子どもの発達は個人差がありますので、自分でやろうとする気持ちと体使いの発達を大人は見極めることが肝心です。自分でやってみようとする気持ちもないのに、手伝い過ぎでやらせてしまうのは「過干渉(余計なお世話)」となります。本人の自発を待ちましょう。逆に対象年齢が適応していなくても本人が乗り越えられる発達(心と身体)を得ていると家族が判断できれば、自発に基づき十分注意しながら見守るのも良いと思います。これが「発達に沿う」見方だと思います。

カテゴリ:教育

園庭開放の意味と意義

2026.04.26

alt園庭開放について掲載していただきました

にこにこママの賛助会員である本園の情報を、インスタグラムとホームページ(両方とも「にこにこママ」)に掲載していただきました。本園の園庭をできるだけたくさんの子育て家族はもちろん、多世代、多様な皆様に知らせ利用していただくのが目的です。
自然の中で人間が時間を過ごすことはとても大切だと考えます。遠くの観光地に行かなくても、管理され安全で見守り(広義の意味)もある園庭は、子どもたちや子どもを育てる親、子育てを終えられた高齢者の皆様、発達がゆっくりな子、多動な子(フェンスで囲われているため道路などへの飛び出しがない)にとっても、安全に過ごせる場所です。また、様々に生きている人々(本園園児さんももちろん含みます)が、子どもと自然を通して触れ合うことは、希薄になっている近隣関係、他者との関係性を持つ機会ともなります。
さらには子育て支援施設は室内が中心のため、室内遊具、玩具には利用方法や学びに限界がありますが、自然(生き物や植物、土)はほぼ無限に子どもたちの欲求と学びを保障しています。環境問題(地球温暖化)を幼いころから肌身で捉え、将来自分が生きていかなければならない地球環境の持続にも、思いを馳せることができるようになります。大人目線ではなく本当の「こどもまんなか社会」を考えれば、自然の中で泥だらけになることはリスクではなく、成長の糧になることは間違いないのです。園児保護者様も平日がお休みの時、親子でぜひ園庭においでください。お子様が日頃どのように自然と関り遊んでいるか、解説付きでお話いたしますよ!

カテゴリ:教育

これからの環境教育

2026.04.26

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おはようございます。
先週環境教育の先生にお会いしたことをお伝えしました。その時に先生からいただいた資料です。これからの環境教育は知識としての自然、経済、社会生活優先のための自然環境ではなく、「自然=環境(社会や経済も含む)」+人間」を意識し、人間社会が自然やほかの生き物の存在があってこそ成り立っていることを意識した生活をしていかなければならないと訴えています。自然は人間の身勝手によって枯渇し、汚され、結局は人間自身の生活すら危ぶまれる状況を生み出しています。0歳児からの保育を、ESD(エデュケーション フォー サスティナビリティー デベロップメンット 持続可能な開発のための教育)からEfS(エデュケーション フォー サスティナビリティー 持続可能性のための教育)に転換しなければなりません。
そのための大人の行動は、現代生活の中で「モノ(自然から作り出されている)」、「自然」、「ゴミさえも」、扱い方を考えて行動しなければなりません。つまりは「子どもは大人の所業を観ている!」のです。不要物?役目を果たした物質、生ごみなどの自然由来の物質に対して、大人はどのような扱い方をしているのか、をです。
かといってコンポストやリユース、リサイクルなどの手間は、大量消費社会に慣れ切った私たちには、中々変えられるものでもないのです。だから「扱い」くらいは「丁寧(ポイ捨てではなく優しくゴミ箱へ)」に、「言葉を発信(ありがとうね!)」くらいはできると思います。まして生活の中で使っている家具(とびら、机、椅子・・・)などを足で扱うなどの乱暴さを見せるものではないと思います。日本文化は物と自然を崇拝し大切に扱うことを伝えてきました。その伝統を見直し、「モノ」、「太陽」、「石」、「海」等の存在に対し、神々(八百万の神・沖縄のアニミズム-自然崇拝)が宿ると考えるのは、自然を大切にする「考え」と「実践」を子どもたちに残し、安全に生きていく環境(空気・水・土壌)を維持していく能力を残していく行為に他ならないのです。

カテゴリ:教育

モノを大切にする

2026.04.12

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おはようございます。
先週孫に買ったセカンドストリート(リユーズ商品)のはたらくくるまシリーズ300円、5~6台のチョロキュウ【チョロQ(チョロキュー)は、タカラトミー(旧・タカラ)製のミニカーの一種。3 - 4cm四方程度の大きさで、主にぜんまいばねで駆動する。名前の由来はチョロチョロ走るキュート(綴りは cute だが、語調 ([kjuːt]) からQに引っ掛け)な車から来ている。】のうち、1台のダンプカーの台車部分とボディーが外れていました(留め具のネジ受けプラスティック部分のやまがつぶれてビスが効かないため)。家内が百円均一で強力瞬間接着剤(キュッと押すと液剤がわずかに出て細かい作業に素晴らしい能力を発揮します)を買い、私の机上に置いてあったため修理しました。部分的にボンドを付け、つぶれたネジ穴には爪楊枝を差し込み、際でカットし修理完了!孫が我が家に来た時の喜ぶ顔を楽しみに待つこととします!
モノは大切に使うことで、まだまだ子どもや誰かに喜んでもらえるはずです。壊れればすぐに見切りをつけ処分するのではなく、「モノの大切さ」を子どもに伝える為、本園の押し車も危険なく使える間は、修理や塗装を重ね「大切に扱う」を肌身で感じてもらいたいと考えています。

カテゴリ:教育

素材や用具へ目をみはる子どもの力!

2026.03.21

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子どもたちが目を見張る力は凄いものです!昨日はなかった押車、レモンの葉っぱ、小枝などを目ざとく見つけ、遊び道具として使っています。もちろんドングリやカリン、松かさ、葉っぱ、小枝などの自然物、道具も、新しいものと同様に様々な使い方を試し、新たな発見をしている様子も見られます。

それぞれの子どもたちには、自分の好きな遊び方があるようです。その自分らしさを追求していくことで、今の自分自身の発達を伸ばしていると感じます。「すきこそもののじょうずなれ」という言葉があります。まさに子どもたちは自分の「好き」から、自らの力を伸ばしているのです。

なわ跳び縄を樹木に巻き付け回そうとしています。以前保育士とたんぽぽさんが行っていたあそびを、自分でもやりたいと奮闘しているのだと思います。2台の車にまたがり少し欲張りな遊び方をしています。どっちにも乗りたいといった気持ちが、新たな乗り方へと導いているかのようです。

シャボン玉が飛んでくると、なぜだか「パチン!」と手でたたきたくなりますね、これは子どもも大人も同じです。不思議に輝くきれいなシャボン玉、本能的に捕まえたい、パチンしたいと体が動きます。なんだか猫がネコじゃらしやボールに反応し、追いかけたり手で押さえようとしていることに似ていますね。

同じモノをたくさん集めて心が嬉しくなったり、なかまと同じことをすることで喜びを感じたりすることも、やはり人間の心の奥底にある本能が、その様にさせているのではないかと考えます。人間はそんな遊び心を持った存在であり、だから様々な知恵も育ち手先指先、全身が連動して物事を楽しみながら、自らの力としていくことが出来るように「神?」から与えられた動物なのでしょうか?

このような行動は人間に「欲」があるからです。欲は使いようによっては、人間社会のプラスになっていきますが、悪用されると人間同士の繋がりを破壊したり、貧困や犯罪を助長してしまいます。ほどほどにすることは「足るを知る」につながります。そして「たるをしる」は「足を使う」等の意味にも使われます。面倒がらずに自らの足を使って活動することこそ、人間の使命でもあります。

楽しそうだとすぐに行動する子どもたちの姿は、私たち大人に「自分の身体」、「自分の声」、「自分の考え」をしっかりと伝えることの重要性を伝える存在だと思える時があります。子どもはある意味「小仏様」のような存在であると思います。子どもは大人の生き写しです。親として社会人として子どもたちには恥ずかしくない生き方を背中で見せていきたいですね。

カテゴリ:教育

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