お知らせ

お散歩の手つなぎ 意思のある人間の手の大切さ!

2025.05.25

altそれはね! あぶないところで だいじななかまが けがしないように なんだ!

お散歩にはとても良い季節です。先回もお散歩の効用とリスクを書いたと思います。今日はお散歩で必要な子どもたちの準備についてお話いたします。

写真を見ていただけば分かりますように、最初に「手をつなぐ」を皆で行っていますね!これは交通量の多い道路を歩くために大変重要な行動です。

まずは人間同士の手はとても温かくて安心感を感じることが出来ます。そしてあぶない箇所に来た時に2人の内どちらかの子が注意を怠り、興味あるものに近づこうと道路に飛び出そうとしても、もう一方の子が動きを止めることが出来ます。もちろん大人が注意義務を怠ってはなりませんが、二重三重の安全確保をするためには、「手をつなぐ」はとても大きな力を発揮します。

最初はみんなでサークルを作る遊びを通して繋がりを体験していますね!ただ単につながっても面白くないです。だからお互い顔を見合わせてにっこりしたり、円を小さくしたり大きくしたりするあそびを歌を唄いながら行うのもとても良い方法です。遊び感覚ですが、まずは手をつなぐことの嬉しさ、一体感である「いっしょだね!」、「たのしいね!」を味わう(人間同士の喜び)ことがとても大切だと思います。

日頃から同じクラスの子どもたちは、特に親しい子同士等の関係性を作りかけていますので、「みんな」、「全員」といった行動はまた異なる感覚だと思います。ですがこのような一体感を感じていくことで、「なかまをおもう」、「泣いたら助ける」、「危ない時は伝える」などの行動へと結びついていくと思います。

たまに他の園でおさんぽロープ?なるものにつかまって歩いている幼児集団を見かけたり、子どもの背中に飼い犬の散歩でよく見かけるリードを使っておられるのを見かけたりします。犬好きの方には失礼かもしれませんが、「子どもは人間」ですので、笛や太鼓、拘束(ロープ)によって自発的行動を抑え込んではならないと思います。たとえ幼い子どもでも高度な「心」を持っています。尊重するとは様々な方法で、その大切さを伝えていくことです。決して外的な力で制御するものではないのです。

介護現場においても身体拘束(ミトン・ベルト等)は人間の尊厳を妨げるものとして、たとえ転倒や落下のリスクがあっても余程でなければ行わないのがルールになっています。社会的弱者(こども、高齢、障がい等)に対して、民主的な方法を妨げることはあってはならないのです。

だからこそ「自分で注意する力」、「他者の安全を理解できる力」を身につけることが、「人間らしさ」を生きていく最も崇高で大切なことなのです。しかし理想ばかりで命を失ってしまっては本末転倒です!十分に大人が配慮していかなければならないことは言うまでもありません。

カテゴリ:教育

他者への信頼

2025.05.17



土、玩具、環境、人、まだ何となく接点を持っているっといった段階ですね!はっきりとした目的を持っているわけではなく、触りながら、視ながら感触を確かめる、年長者や保育士が行っていることを真似して同じことを行ってみることで、少しづつ自分の楽しさを見つけていくのでしょう。苗付けも水やりもはっきり目的を分かっているわけではありません。でも触れること、体験することは何年後か先にその効果が現れてきます。

今日の写真の3人は、比較的長い時間を一緒に過ごしていますね。このように一緒の場所、空間を共有することで、お互い顔を見合わせ「にっこり」する場面も見られるようになっていきます。だんだんと相性のようなものが生じ、同じ遊びが好きな仲間同士が示し合わせたかのように遊びだす、といった場面も現れてくることでしょう。

今日はサツマイモの苗付けを皆で行いました。畑を整備し子どもたちに声をかけてくださるNさんにおいでいただきました。新入園児さんは既に4月から3度目になります。去年から在園している子は何度もNさんとは接点を持ち、2度目の苗付けになります。

こうして同じ大人に何度も会うことで、子どもたちの心の中には「この人は安心、やさしいよ・・・・」などの思いが定着していきます。「人を信じる心」を育てているのです。知らない人が起こす事件が増えている世の中ですが、保育園を通じてこの心を育てることは、「頼り頼られる関係性」の理解を幼い頃から学んでいくことになります。

この様な経験が不足すると、「他者を信じられない」、「敵愾心(てきがいしん)を持つ」、「自らで自らを孤立させる」などの負の感情を持ちやすい人間性に偏る危険もあります。事件を起こしている少年、青年、大人は、幼少期に「人間関係の訓練機会」が少なかったのではないでしょうか?

だからこそ普通の家庭の子、おとなしい子、挨拶もできる子など、いっけん大丈夫そうな子どもたちが、簡単に「人命を奪う」ような事件を起こしているようにも感じます。幼さはまさに未熟であり、悪気なく人を傷つけ、しかしそのことによって、ひどい仕返しを受けたり、醜い言葉を浴びせかけられることで、逆に「してはならない事」を学ぶ機会でもあるのです。過剰な大人の踏み込みや「言った言われた」に対する代替行動は子どもの耐性力を弱くしてしまいます。

様々な暴力による程度を越したケンカは別として、子どもたちだけであるべき世界に必要以上に大人が介入することは、大切な学びの機会を奪うことにもなります。子どものことで意見が合わず、酒を飲んでいる場で意気投合し、学校へ行き教師に乱暴を働くなどの事件も、大人と子どもの世界をはき違えた大人?のしでかした、醜くくて幼い狂気の沙汰です。

カテゴリ:教育

泥水と子ども!

2025.05.17

altはっけん! わたしたちのオアシス!

活動の好き嫌いをお伝えするのはどうかと思いますが、個人的には子どもたちの生き生きとした表情がたくさん見られる泥んこあそびはとても好きです!私も子どもの頃雨が降れば大人が嫌がるようなことをしでかしたものです。「長靴で水たまりに入り中までグチャグチャに!」、「傘をひっくり返して水溜め!」、「傘の先で何でも突っつく」、「わざと水たまりに足からダイブ(大きな石を落とすことも=これは自分が逃げるのに必死!)し水はねを楽しむ!」等々数え上げれば切りがありません。

「ただおもしろいから!」これがまぎれもない子どもたちの思いなのです。子どもは「おもしろく生きる権利」を持っています(以前【子どもの権利条約】でお伝えしたと思います)。そしてこの楽しさを仲間と共有しニタニタと笑い合う経験こそ、大きな人生の楽しみ、ステキな仲間との連帯として心に残っていきます。もしかすると一生続く仲間になるかもしれません。苦しい時、悲しい時、仲間はとても頼りになります。その気持ちの通じ合いは、この様なメチャクチャ、楽しさを共にしたことで得られます。

人間同士許しあえる関係性とは、物事や他者に対して「ぜったいにこれしかダメ!」といった、二極的で極端な正誤を主張する関係性を避けます。「あいまい」は嫌う方も多いかもしれませんが、「グレーゾーン、棚上げ、様子見、ねかせる、いい加減」等の言葉や考え方に置き換えることが可能です。これは「寛容」といった人が身につけるべき「徳」とも言えます。

そして「水」、この素材は地球になくてはならない物質です。水がなければ人は生きていけません。これらの価値をどのようにに子どもたちに伝えるべきか!?答えは様々な水(美しく透き通った水・コーヒー牛乳のような濁った水・冷たい、あたたかい水、勢いある水)で遊ぶ楽しさをできるだけたくさん経験することです。リトマス試験紙で水質検査をし「飲み水には適しません」ではないのです。

地球環境問題にすべて言えることと考えますが、「美しい水」、「きらめき、あたたかな太陽」、「おいしい空気」、「緑の気持ち良さ」、「木で作ったスプーン」、「竹で作った箸」等の体験をすることは、その美しさや恩恵を心の底から感じる活動でもあり、「守りたい」といった思いにつながっています。

また土中には様々な雑菌も含まれています。直接体内に取り込みはしませんが、些少の接触は体の抵抗力を促進することにもつながります。現代は滅菌が過剰になり、体内に存在する雑菌が働かない等、かえって抵抗力がなくなり免疫力も弱っていると言えます。ここにも中庸(ちゅうよう=バランス感覚)が生きていくうえで大切であることを科学も証明しているようです。

これら必要な体験の初歩活動こそ「泥(水)あそび」なのです。デメリットは上記の通り土中の雑菌が手や身体、衣服に付着する、汚すなどです。メリットは今まで申しあげたとおりです。雑菌については手、身体を水道水、石鹸等で良く洗い流す(必要以上の除菌は逆効果)、衣服等の汚れは泥の色が残る場合もありますので、専用の靴や衣服を用意するなどで本人も汚れるのを気にせず思い切り遊びこめます。

子どもたちの心を動かし様々な物を試させる素材「みず」、こんな素晴らしい素材を子どもたちには思う存分味合わせてあげたいと考えています。ご自宅での洗濯等でお手数をおかけしますが、「これも我が子の成長のため!」とお考えいただき、どうぞ子どもたちに替わってお礼申し上げます。「ありがとう、おかーちゃん、おとーちゃん!もしかして バーバにジージ?」

カテゴリ:教育

「教育」は知識と技術の詰込みではない!

2025.04.12

altさあさあ くつをはきましょうね!世話すきな おねーさんなのだ
altおつぎは ぼうしよ

1,2歳児の心の発達状況が分かる写真、慣れ不慣れの様子が分かる写真がたくさんあります。1年間の園での生活で様々な遊びへの姿勢(貪欲さ、使い方、人とのやり取り)を学んでいます。しかし先輩も新しく入園されたお友だちも、不思議なことに時を経ることで、成長は一線となっていきます。幼い子どもたちは環境に対する優れた適応力も持っています。

この動物的特徴はそのようにならなければ生きていけないからだと思います。もっともサバンナで生きる動物は生まれてすぐ立ち上がり自分で歩けなければ、外敵に襲われかねません。人間は幼さが大人に育てられるためのかわいらしさとして現れています。脳を発達させ高度な能力を得ていくために選んだ人間の発達過程の特徴です。

私たちは子どもたちの成長発達に対して「養護」と「教育」の2つの視点を持っています。園の生活に慣れていない期間は、「養護」に重きを置き「心の安定」に努めていきます。しかし慣れてくることによって子どもたちは「あそびたい!」といったサインを見せるように変わっていきます。その時こそ「教育」の視点が発動されます。写真を見ているとほとんどの方が「あそびたい!」のサインを積極的にあるいは頑固に貫こうとする姿勢も認められ始めています。

先輩が心配そうに?新しいおともだちの砂場遊びに関わっています。まるで「こうするのだよ」と言わんばかりの勢いです。自然物(タンポポ)もプーさんハウスで「つもり?あそび」をしているお友だちのところへ持っていき、何かしら関係性を作ろうとしています。これが1年この園で過ごした慣れ、経験値に基づく行動(安心して自分を表現する)だと言えます。

2歳児クラス(本園では最年長)のおねーちゃんが靴や帽子を履かせる、被らせるなどをしています。もちろん本人は一人で行うことが出来る所作を、行えないであろう幼い子と判断してやってあげる、これは決して優しさばかりからくる行為ではないと思いますが、他者の行いは自分のことよりもよく見渡せるからだ、とも言えます。

他者の心が分かるにはもうしばらく時間がかかりますが、押し車を貸してほしいと諦めず頼んでいる子、新しく入ったお友だちの「篩(フルイ)」を取り上げてしまった先輩が、フルイを返してあげる写真などは、自分の行動と他者の気持ちが少しは分かっていないとできない行動だと思います。

発達は順序も時期も絶対にこの手順といったものではなく、個人差が大きいためどんな子の発達も決めつけてはならないと思います。その子独自の道のりがある事を心にとどめておかなればなりません。

カテゴリ:教育

自然を通して培われる力

2025.04.12

altさきっぽに なにかついてるぞ!

本園での最高学年になったみなさん!はりきってますね!「その役を得ればそれなりに」、年長者の自覚や体力、知恵もだんだんと備わっていくのだから不思議なものです。小さい子に優しくしたり、仲間とのつながりに積極的にかかわっていったり、それなりの成長がみられるようになっていきます。

様々な玩具は固定観念にとらわれない自由な発想で使い、自分なりの遊び方を発見していきます。そして、葉っぱ、花びら、小枝、砂などと組み合わせて使うことで、素材の性質、科学的な知識を自分の手指に実感していきます。 

これからの1年間、この子たちはきっと目覚ましい発達を遂げていくことでしょう。つい先日旅立っていった先輩たちが、成長した堂々とした姿と力(粘り強さ、立ち直る力、諦めない心)が身についていることを証明していきました。

「さあ今度は君たちの番だよ!」わたしたち保育士はより良くみんなが育っていくためには、力を惜しむことはありません!どんなことにも挑戦していく姿を応援し、悔しさや思い通りにならない悲しみに寄り添い、一緒に悲しんであげましょう!ですがいつかは笑顔を取り戻すときが来ることを信じ、それまでは励ましもちろん一緒に頑張っていきます。

この保育園で過ごした楽しさ悔しさ悲しさが、あなたの記憶から消え去ったとしても、身体と心の強さの痕跡として、3,4,5,6歳の年齢で必ず活きていきます。これは机の上で学ぶこととは全く異なる力なのです。

他の保育園には絶対にない、自然環境の中での遊びを思う存分体験していくことでしか得られない、心と体の強さ、しなやかさ、優しさ、粘り強さを勝ち取っていくに違いありません!そんな子どもたちの姿を目指し日々を精一杯生きていきましょう!来週からもいっぱいあそぼうね!

カテゴリ:教育

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