シャボン玉とんだ!
2025.07.20


毎週毎週繰り返される月曜日、お家で過ごしちょっぴりさみしさも抱えながら、しかし元気を出して保育園生活を過ごしています。楽しいことがあれば子ども心ははずみ、賑やかな時間を過ごすことが可能になりますが、心配事や体調が悪い、よく眠れなかったなどのリズムがうまくいかなかったときに、心がくじけやすくなったり、健康が悪化してしまうことは幼い子どもによくあることです。
そんな時は決まって「ママ、パパ」、「お家」が恋しくてたまらなくなります。仕方ないことです!3~4歳くらいまでは最も信頼するご家族が一番の「安心感」なのです。健康を損なわないうちに、ゆっくりすごせる環境に移動できるようにお願いしたいところです。案外お家に戻ると「ケロ」と治ってしまうこともありますが、乳児の病気は気持ち半分ですが、様子がいつもと違う時はやはり早めに「お家でゆっくり」を優先してあげてほしいです。
さて今日は水遊びとシャボン玉がメインでしたね!子どもたちはフワフワ浮かび、キラキラ光るシャボン玉が大好きですね!どこまでも追っていき捕まえる、手で「パチン!」とするなど、いつまでも飽くことなく遊んでいます。ここでも海苔の器やジョウゴ、皿などの道具片手に何とかシャボン玉をつかまえようと笑顔でチャレンジしています!
身体や頭、道具を使ってみたくなる素材である「シャボン玉」、子どもたちにとっての「憧れ」と真夏に「大切な人と遊んだ記憶」、そんな楽しさと嬉しさが混ざり合う馴染み深い素材を大切に伝えていきたいですね。
シャボン玉は子どもにとっては「魔法の球?」に見えるのでしょう。得体は知れぬが安心して遊びこめるとても不思議な対象なのだと思います。私の知っているある保育園で「シャボン玉製造機」を作った園長がいました。なんと特許を取られたと十数年前に聞きました。
でも私は素朴な方法がどちらかというと好きです。花火で言えば線香花火のドラマティックな燃焼過程(最後ははかなく火ダマが落ちるあの瞬間)、シャボン玉は1本のストローからそっと息を入れたときの膨らみ、そして虹色に光るあの模様の美しさが大好きです。私にとっては谷内六郎や原田泰治に通ずるノスタルジーな感覚、淡く美しさあふれる色使いのいわさきちひろのような透明感、ユーミンの「海を見ていた午後」などの感覚がよみがえります。昭和を代表する芸術家の情景を思い出させる風物それがシャボン玉です。
そして「シャボンだま」歌の作者にとっては悲しい思い出でもあるのです。【この曲の作詞者である野口雨情の初めての長女みどりは、生後7日目で亡くなっています。この時代は、衛生面でも栄養面でもいまよりずっと悪く、産まれてすぐに命が絶えてしまうことはさほど珍しいことではありませんでした。ある日、野口雨情は、シャボン玉遊びをしている子供たちと遭遇し、亡くなった長女が無事に大きくなったら同じくらいの年頃だろうなと思いながら1番の歌詞を書いたそうです。シャボン玉の曲が完成した後ですが、野口雨情の四女が2歳で亡くなっています。七五三では女児は三歳になると神様に感謝を伝えにお参りしますが、三歳まで生きるというのが第一の目標地点だったのです。まずは三歳まで生き延びるのが目標だった時代ですから、「屋根を超えて飛び立てるギリギリのところで壊れてしまったシャボン玉」に四女への思いを感じるのは私だけでしょうか。あと少しだったのに・・・・。
この時代は、産まれてきた子供が三歳を迎えるのも大変な貧困時代。医療も乏しく、流行病があればたくさんの子供が亡くなっていました。この曲は、浮かばれない魂が成仏できるようにという気持ちを込めた歌だという説もあります。「シャボン玉」を発表したのが、大日本仏教コドモ会が発行していた児童雑誌『金の塔』でした。仏教の雑誌から出したのも意味がある、そう考えられているのだろうと思います。産まれてすぐに亡くなってしまうような悪い風は吹かないでほしい。子供達よ、大きく成長していっておくれ。そんな願いが込められた歌なのでしょう。】
雨情の心情を思い、現代に生きる子どもたちの幸せと、できることは懸命にしてあげるべきが大人の役割であると、思いを新たにいたします。
カテゴリ:教育