モミジバフウ っておもしろい!
2026.01.12
街路樹として見かけます
自宅近くの遊歩道の脇で楽しめます
トゲトゲですこし危ないのがいいんです!おはようございます。
自宅近くの遊歩道の脇にあるモミジバフウは、様々な楽しみ方を教えてくれます。落葉する寸前の葉っぱはまるで人型のようにも見えます。そして調べてみると、種は緑色の丸い実が徐々に褐色トゲトゲに変わり「いかつい」風貌に変わる前に、種は強い風に乗って遠くまで運ばれていくようです。同じような風媒花はもみじ(二枚の羽根が分離してもクルクルと回る)でも見られますが、実に子孫を残すための素晴らしい戦略を持ち進化したものです。子孫繁栄はどんな生き物にとっても最優先されるべきことのようです。【紅葉の美しい木で、公園樹、街路樹として多く植えられています。江戸時代に中国中南部、台湾などに自生するフウ楓という植物が渡来しました。フウに似て、北米原産の植物で、葉がモミジのように見えるとか、アメリカから渡来したことなどからの名前です。葉先が5~7裂している姿は、まるでカエデの仲間のように見えますが、フウ科というグループ(従来の分類ではマンサク科)に分類されています。葉の付き方に注目してください。カエデの仲間は同じところから2枚の葉が対生しますが、モミジバフウ(フウも同じ仲間ですが、葉は3裂します)は2枚の葉がずれて互生していますから、確認してみてください。日本へは昭和12(1937)年にアメリカ庭園協会から贈られたという記録が残っています。秋に熟す果実は毬栗みたいと表現されるように、刺に覆われます。刺の隙間に穴が開いて、そこから翼のある種子が風に舞います。発芽率は50~75%との報告がありますが、強剪定されることが多いからでしょうか、所かまわず発芽する姿を見かけることはあまりないようです。クラフトの材料として、人気を集めます。】
さて人間がその必要性を見失いつつある傾向(少子化)にあることは、人類滅亡にも繋がりかねない一大事です。内閣府が日本の少子化について説明していますが(専門調査会-「選択する」未来委員会)、文明化が進むと少子化も進むという論理(英国生活サイト)もあります。【少子化は「豊かさの副作用」である。まず確認しておきたいのは、少子化は決して「貧困」からくる現象ではないということだ。むしろ逆であり、経済的・社会的に豊かになればなるほど出生率は低下するという統計的な傾向がある。イギリスは産業革命の発祥地として知られ、19世紀以降、近代化と都市化を他国に先駆けて経験してきた国である。その中で「子どもは労働力である」という前近代的な価値観から、「子どもは投資対象である」という現代的な価値観へと大きくパラダイムシフトが起きた。子どもの数は「生活のために必要な数」ではなく、「社会的・経済的に許容可能な数」となり、やがて「人生設計の一部」として扱われるようになった。教育水準の向上、女性の社会進出、セクシャル・リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)の確立、そしてライフスタイルの多様化――これらはすべて、文明が進歩する上で望ましい成果であるが、その裏返しとして「子どもを産む理由」が希薄化していったのだ。
少子化という現象は、単なる人口問題ではなく、人間という存在そのものを問い直す鏡なのかもしれない。「人間とは何か?」「なぜ子どもを持つのか?」「文明とは進化なのか、退化なのか?」こうした問いに、種としての本能と、文明的理性の両面から向き合うことこそが、これからの人類が選ぶべき知的態度である。】
西洋文化は人、物事を現実的に捉えようとします。しかし東洋思想はそもそも「命」とはその意義を見つけ出そうとするものではなく、天地の創造であり「意義を問うべき対象ではない」【何故という疑惑や打算を入れる余地のない第一原則である(酔古堂剣掃-立命の解釈)】と述べられている。「どちらが・・・」という問題でないとは思うが、神秘な存在、人間そのものが小宇宙であるという考えは腑に落ちる。
カテゴリ:生き物・自然・人間
熊 パンダ 隣国関係
2026.01.02

おはようございます。
絶滅を防ぐことを目的として、世界各地に貸し出されているパンダちゃん!日本でも契約期間が満了し、中国からお借りしているパンダ、日本で生まれた子パンダも返還が決まっています。多くの日本人の子どもたちにも大人気だったパンダが帰還してしまうことはとても寂しいことですね。何とか再度借りられることを望んでいます。中国とは今がとても大切な時だと思います。パンダが日中をつなぐ架け橋の役割を担ってくれたことを忘れず無駄にしてはならないと思います。【パンダ (panda) は、ネコ目(食肉目)に属するジャイアントパンダ(クマ科)とレッサーパンダ(レッサーパンダ科)の2種の総称。熊猫(シュウマオ)とも。ただし単にパンダといった場合、ジャイアントパンダのことを指すことが多い。ジャイアントパンダとレッサーパンダは食肉目に属しながらともに草食適応を果たした種であるが、Ledje and Arnason(1996a, b)の分子系統解析などにより両者は近縁ではないと結論づけられている。中国を代表する動物だが、生息地は四川省の一部などと狭く、中国全土に生息しているわけではない。】
カテゴリ:生き物・自然・人間
今年の一字 「熊」
2025.12.23

おはようございます。
恒例の清水寺今年の一文字は「熊」。あれだけ人里に出没し、不幸にも死亡事故が起きたことを思うと、一番のトピックス、人類の課題と言ってよいのかもしれません。政治の世界すら何ともできない人間が、自然の脅威を何とかすることなどできはしないと初めから分かっていることです。事が起きてからの対策では功を奏することは難しいでしょう。だから普段が大切です。「自然を大切にしてきたでしょうか」、「自然を伝える努力をしてきたでしょうか?」、「自然体験と行動を幼少期より行う環境を確保してきたでしょうか?」。
人類が危機に瀕するような今の事態は人間がまいた種が原因です。さらに人間同士が殺しあうことは「戦争」ばかりではありません。昨今世界で起きている「無差別殺人」も、他者への「嫌悪」を自らを害する「異物」と判断し、実際の殲滅行動に移している恐ろしさが感じられます。自分とは異なることを理性的に理解する、寛容に受け止め平和的努力を惜しまない、AIやSNS、人や対話を介さない安易な手段によって解決を図ろうとする、いわば人間同士のややこしい手間を省いた行いこそ、このような短絡的な判断と「即拒絶」、「即争い」の社会風土を生み出していると思います。人間同士の理解は時間と過ちと納得の繰り返しです。でもその手間の中にこそ「人間である所以、人間らしさ」があるのです。「手間と失敗をしなければ分かりあえない」、ここを諦めてはなりません!
「自然との距離感の意識化」、「地球に共生する生き物同士」等々、自然を学ぶことは何千何万年も前から「畏敬」、「共存」の対象として人類がうまく付き合ってきた「生き物をつかさどる対象」を知る事でもあります。その本質から離れていくことによる、自然の逆襲は、人類に警告を与えていることだと知るべきです。
カテゴリ:生き物・自然・人間
カマキリの産卵
2025.11.22

おはようございます。
本園の栗の低木にカマキリが卵を産みつけました。実は1週間も前から栗の木の枝を行ったり来たり、しっくり、安心、危険ではない場所を探しているようで、生き物の子孫継承の場面は、人間に引けを取らないむしろ外敵の多い自然の中では、より慎重な選択をしているように感じました。考えてみてください。カマキリは一度の産み付けで何百もの子どもが孵ります。それでも生まれたばかりに共食いで数を減らし、外敵の食物になってしまう等で、成虫まで生き延びる数はそれほど多くはないはずです(1~3%程度 200匹なら2,3匹)。
初めて産み付けの瞬間を保育士もじっくりと観察できたようで、その慎重さに驚いていました。自然はだからこそ貴重で掛け替えのない存在だと思います。生き物の生死は簡単なことではないのです。まして人間に関しても真摯に生きること、そして死に至ることについて深く思いを馳せていけば、人間同士の争いで命を落とすことが、いかに残忍で無駄なことであるかに考えが及ぶのではないでしょうか?
カテゴリ:生き物・自然・人間
クマと人間の接触
2025.11.03
なめとこ山の熊 宮澤賢治おはようございます。
クマとの遭遇による人的被害が多発しています。特に生息数の多い東北地方では件数が増え、人里に現れ人家や倉庫内にも侵入し、深刻な事態を招いています。国は「緊急銃猟(狩猟が認められていない場所であっても緊急を要する場合市町村長の許可で許可できる)」執行、自衛隊を派遣し、最悪の場合に備えていますが、相手は一筋縄ではいかない猛獣であること、重ねてハンターが民家が立ち並ぶ場所での発砲による人的被害を怖れ、対応が進んでいるとは言えない状況です。
元々クマは神聖な生き物と位置付けられ、神に近い存在として扱われてきました。様々な風習や物語にもクマとの接点は大切に扱われています。特に知られている文化が「マタギ」という今はほぼ継承されなくなった職業(猟師)の存在でしょうか。東北地方の山村集落では人間が生きる糧を得るために、クマを殺し肉を食べる、熊の胆(薬・滋養強壮)、皮を売り生活のために金銭やコメ、豆、野菜などを購入し細々と生活してきました。残さず血の一滴まで使い切ることで、自然物、山の神への感謝と畏怖の念を伝えてきたのです。
宮澤賢治の童話にも「なめとこ山の熊」で、人間とクマとの関係性がとても分かりやすく描かれています。クマは本来生きる為にブナの実などを食べる雑食性の生き物です。子育てや冬眠前に食べ物が枯渇し致し方なく山里に下りてくることで、不幸にも人間と出くわし敵と認識し「やられる前に仕掛ける」といった行動につながると専門家は説明しています。
自然を破壊し他の生き物を脅かす権利など人間にはありません。気候の変動はもはや止める術もなく悪化の一途をたどるばかりです。他の生き物との「共生」を心底願うならば、私たちは自然破壊の引き金である山の開発、進みすぎる科学技術にあぐらをかくのではなく、AIが必要とする多量な電力を賄う必要があることを理由にして、原発を容認するべきではないと考えます。人間はすべての生き物の支配者ではありません。大いなるものへの尊厳を考えるべき時です。
カテゴリ:生き物・自然・人間
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