お知らせ

カマキリの産卵

2025.11.22

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おはようございます。
本園の栗の低木にカマキリが卵を産みつけました。実は1週間も前から栗の木の枝を行ったり来たり、しっくり、安心、危険ではない場所を探しているようで、生き物の子孫継承の場面は、人間に引けを取らないむしろ外敵の多い自然の中では、より慎重な選択をしているように感じました。考えてみてください。カマキリは一度の産み付けで何百もの子どもが孵ります。それでも生まれたばかりに共食いで数を減らし、外敵の食物になってしまう等で、成虫まで生き延びる数はそれほど多くはないはずです(1~3%程度 200匹なら2,3匹)。
初めて産み付けの瞬間を保育士もじっくりと観察できたようで、その慎重さに驚いていました。自然はだからこそ貴重で掛け替えのない存在だと思います。生き物の生死は簡単なことではないのです。まして人間に関しても真摯に生きること、そして死に至ることについて深く思いを馳せていけば、人間同士の争いで命を落とすことが、いかに残忍で無駄なことであるかに考えが及ぶのではないでしょうか?

カテゴリ:生き物・自然・人間

クマと人間の接触

2025.11.03

altなめとこ山の熊 宮澤賢治

おはようございます。
クマとの遭遇による人的被害が多発しています。特に生息数の多い東北地方では件数が増え、人里に現れ人家や倉庫内にも侵入し、深刻な事態を招いています。国は「緊急銃猟(狩猟が認められていない場所であっても緊急を要する場合市町村長の許可で許可できる)」執行、自衛隊を派遣し、最悪の場合に備えていますが、相手は一筋縄ではいかない猛獣であること、重ねてハンターが民家が立ち並ぶ場所での発砲による人的被害を怖れ、対応が進んでいるとは言えない状況です。
元々クマは神聖な生き物と位置付けられ、神に近い存在として扱われてきました。様々な風習や物語にもクマとの接点は大切に扱われています。特に知られている文化が「マタギ」という今はほぼ継承されなくなった職業(猟師)の存在でしょうか。東北地方の山村集落では人間が生きる糧を得るために、クマを殺し肉を食べる、熊の胆(薬・滋養強壮)、皮を売り生活のために金銭やコメ、豆、野菜などを購入し細々と生活してきました。残さず血の一滴まで使い切ることで、自然物、山の神への感謝と畏怖の念を伝えてきたのです。
宮澤賢治の童話にも「なめとこ山の熊」で、人間とクマとの関係性がとても分かりやすく描かれています。クマは本来生きる為にブナの実などを食べる雑食性の生き物です。子育てや冬眠前に食べ物が枯渇し致し方なく山里に下りてくることで、不幸にも人間と出くわし敵と認識し「やられる前に仕掛ける」といった行動につながると専門家は説明しています。
自然を破壊し他の生き物を脅かす権利など人間にはありません。気候の変動はもはや止める術もなく悪化の一途をたどるばかりです。他の生き物との「共生」を心底願うならば、私たちは自然破壊の引き金である山の開発、進みすぎる科学技術にあぐらをかくのではなく、AIが必要とする多量な電力を賄う必要があることを理由にして、原発を容認するべきではないと考えます。人間はすべての生き物の支配者ではありません。大いなるものへの尊厳を考えるべき時です。

カテゴリ:生き物・自然・人間

蓼科の自然

2025.10.25

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おはようございます。
「蓼科」に行ったとき宿のバルコニーにオーナーがひまわりの種を置くと、野鳥(ゴジュウカラ)とリスがやってきました。小鳥が先に気付き、「くわえて飛び去る」をしばらく繰り返していたところへ、お目当て「リス」の登場です。リスが来ると野鳥は中々近づけない様子でした。それでもしばらくするとおこぼれを目当に用心深く種の端切れを持っていくのでした。生き物の世界の力関係を目の当たりにし、厳しい冬の到来前の食べ物争奪戦のすさまじさを感じました。
もうすぐ厳寒期が到来しますが、後しばらくは秋の深まりとともに、動植物の様々な姿に出会えると思います。危険な動物も昨今出没が増えていますが、情報と備えを十分にし出かけてみることも、楽しい季節だと思います。

カテゴリ:生き物・自然・人間

新米価格の高値

2025.09.20

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おはようございます。
数か月前、縁あって三重県芸濃町で田植えを手伝いました。苗(箱に収まった)を農協から購入し、肥料を撒きそのまま田植え機にのせ機械で田植えをします。生産者の方は普段一人でその作業を行うというのですから、大変な労力であることは身をもって感じることができます。箱を何度も積み替え田をいったり来たり、機械作業といえ神経も使います。そして稲の成長と共に心配も増します。雑草、大雨、台風、収穫間際に水に浸かったり、風で稲穂が倒れると泥が付くなどで商品価値が落ちる為、頃合いを見計らって早めでも刈り取ることが必要になってきます。しかし早めに刈ると米粒に含まれる水分量(20%越では出荷できない)が多く、天日干し後も乾燥機にかける時間が増し、経費(燃料と時間)が増すため嫌われるそうです。相手が自然であることは米の生産者間でも良く理解されているにもかかわらず、とても手間暇かかるのが米作です。
この様に実際に労働に携わると、米価が高騰しているのも分からないでもないです。農業に従事している皆さんはとても苦労されていると思います。農家は人出不足、高齢化によって田畑を放置せざるを得ない状況も抱えています。文明社会で恩恵にあずかっている我々は、知恵を絞り子どもの教育や地域の活性化のため、食料の自給をも視野に農業に携わる方法を模索する必要もあるように感じます。

カテゴリ:生き物・自然・人間

秋の来訪者

2025.09.20







先週の金曜日、本日と0,1歳児(つくし組)、1歳児クラス(れんげ、すみれ組)と2歳児クラス(たんぽぽ組)の子どもたちが、それぞれ別のクラスで過ごす交換留学!を行いました。また、秋の兆しを感じる頃となり、昆虫や植物、果物と触れ合う機会も増えていきます!

先の発達をいくおにーちゃん、おねーちゃんが一人でもクラスにいることで、子どもたち同士は大きな影響を受けます。小さな子にとって大きな子が行うことは、大胆でカッコよく憧れの対象になります。逆に大きな子は小さな子の羨望の眼差しを敏感にキャッチし、得意げに頑張ろうとすることもあります。このような作用があることは双方の発達にとても良いことだと考えています。

しかし他者のことよりも「自己中心のただ中」にいる段階の子にとっては、まだまだ他者の言動に気持ちや目が向かないのが当然のことです。「自己中心」を謳歌すべき時です。時々それぞれの発達の中で、無理なく関りを持つことで、良い意味での影響が生まれることを期待したいと思います。このように大まかなスパンの中でお子様の発達をとらえておけば大丈夫です。他の子と比べることは無意味です。

部屋の中のバッタ、実は他の保育士が部屋の中へ招き入れたようです!そしてバッタに触れることが平気な保育士が手に持ち、子どもたちに見せてあげたということです。安心感からか子どもたちは皆、見る、触る等を試していました。

カエルはこれまた触れるのが大丈夫な保育士が、手で持って子どもたちに見せています。生き物への接触がまだまだ少ない子どもたちにとって、少しづつ触れ合える機会を提供していくことはとても大切だと思います。どんな様子なのか、怖くないのかなどは、身近に感じる環境(水気さえあればカエルは餌を求めて草むらにやってきます)がなければ味わうことが出来ません。

シークワサーは今の時期にたくさん成っていますので、子どもが もごう と思えばいつでも可能です。できなければ様子を見て同意を得てお手伝いしても良いでしょう。いつか自分の指先で もぐ 時がやってきます。それも大人や仲間がシークワサーを もいでいる 様子を見ることが出来るのはおそらくこの園庭内でしかできないことです。

さらにバッタやカエルは保護色で茶色になっている個体もいます。「同じ種類でもなぜ緑や茶色の生き物がいるの?」、いつの日かその不思議さ(科学的視方)に気付く時が来るでしょう。それも身近にバッタやカエルが住む環境があってこそです。

このような小さな生き物、植物、野菜や実に触れていくことは「〈ESDエデュケーション・サスティナビリティ-・デベロップメント〉持続可能な開発のための教育・〈EfS〉持続可能な教育(いつも同じ時期に虫や植物がみられる環境)」の大切さを願う心を育てることでもあります。何時も決まって生き物、実、花が現れる季節、様々な生き物の状態にいつもめぐり逢い感じていくことこそ、自然のおもしろさや大切さに気付く原点なのです。

その事がいずれ自然を慈しみ、結果人間が生きていける世界を残していくことに繋がります。壮大な願いかつ生き物としての使命(持続していく地球)は、実はこんな小さな自然と子どもの成長期に繰り返し体験する感動の中にこそ潜んでいるのです。

地球環境は増々悪化しています。これから地球で生きていく子どもたちが、自分事として温暖化、ごみ問題、自然保護について乳幼児から考える機会を設けていくことこそ、私たち大人に与えられた使命であることは確かなのです。

カテゴリ:生き物・自然・人間

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