お知らせ

クマの出没

2023.11.11

「なめとこ山のクマ」宮澤賢治alt

パニックになる 慣れてしまう 様々な姿は どうして起きるのだろうか
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「海童神社」長崎県新上五島
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こんにちは!
野生動物の里への出没頻度が10年前?くらいから増してきています。サル、シカ、イノシシは農作物、植林苗を食べてしまうことから農業、林業従事者を悩ませています。今年は輪をかけ出没が目立っていますが、とうとうクマが食べ物を求め人里に現れてきてしまっています。クマは本来山奥で生活し、ブナやどんぐりの実、植物、果物を主食とする雑食性の生き物ですが、アリや昆虫などもたんぱく源として食べています。特に冬眠前の秋は体内に脂肪を蓄積しなければ冬を越せないため、活動が活発になります。以前は十分な自然があったため生息域に変化はありませんでしたが、昨今はクマの生活場所が少なくなり人との接点が増しています。。
何故そのようなことになったかは、広葉樹を伐採しスギやヒノキなどの針葉樹(建築資材用)を植林したことで、クマが食べるものが減ってきている(クマは人工林では生きていけないのです。)、温暖化による気候変動など人間の活動が影響していることが多いと言われています。クマがやむを得ず人を襲い命まで奪ってしまったことは放ってはおけませんが、一概に野生動物を悪者扱いすることは間違っていると考えます。元々クマは動物性の食生活をしてきたわけではなく、人を襲うのも身に危険を感じた時に限られていたはずです。また、食べ物がなくシカや家畜(牛)の味を覚えてしまったことも一因です。最近では車の音や人間が作り出した人工的空間にも慣れてしまい、一定の距離を保った共存が難しくなってきています。
日本に限らず狩猟生活を営んでいた人々は、マタギの狩りや漁師の捕鯨に見られるように、食物を得るために生き物を殺すことに関し、「山の神の使い」として崇め魂を鎮めてきました。クジラも同様(クジラ塚)です。命を奪うことに関して感謝と怖れ、崇めることを忘れなかったのです。現代社会ではまるで人間がすべてを支配しているかのような振舞をしています。小さな虫たちも生き物同士の共生関係の中で、意味を成し生きていることを忘れてはならないと思います。自然界のバランスを勝手に破壊してきた人間は、罪深い生き物と言わざるを得ません。毎日流される一方的にクマを敵視するような報道は、何も知らなければ鵜呑みにされてしまうことでしょう。人間は立ち止まり考える必要があります。いったい誰がクマを追いつめたかを。

カテゴリ:生き物・自然・人間

山登りの苦楽

2023.08.22

蝶ケ岳(2,677m)山頂より穂高連峰 槍ヶ岳 穂高岳 奥穂高 西穂岳が一望できます!
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夕闇迫る穂高
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宿泊したテントサイト
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高山植物 イワツメクサ
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おはようございます。お盆期間を皆様はどのように過ごされましたか?お子様、ご家族が病気になられたりしませんでしたか?楽しさも苦しさもいつかは自分の目の前を過ぎ去っていきます。一瞬一瞬を精一杯生き切ることが、先祖や亡くなった方への大きな供養になると思います。

さて私はお盆の2日間に蝶ケ岳(テント泊)に登ってきました。5キロ以上の荷物を背負った単独登山は久しぶりでしたので、不安は的中し、途中何度も足がつりそうになり断念しようか迷いました。安曇野側の三俣登山道から朝5時に出発し、それでも何とかおよそ7時間かけて頂上に着きました。途中数十人に追い越され、そのたびに励ましの言葉をいただき、一歩一歩亀より遅いスピードで、今振り返れば普段の運動不足、年齢も考えず無茶をしたものだと呆れます。ダメージは大きかったですが、雄大な穂高を望みながら、1本900円の缶ビールを友に自己満足の世界に浸っておりました。この山にはもう何十回と来ているのですが、そのたびに天気も異なり、厳しく風雨にさらされ景色どころか、1歩もテントから出られない日もありました。それでも止められないのは、この一瞬があるからです。親子、夫婦、カップルで頑張っている姿、年齢も様々、自分自身も自然の一部である以上、時々は大自然に浸り、苦しくない程度にお互いの健闘を称えあうことができる登山は、やはり必要かつ魅力ある活動だと思います。いつまで続けられるかわかりませんが、無理なく今後も機会があれば挑戦し続けたいです。行ってらっしゃい。

カテゴリ:生き物・自然・人間

上善水の如し

2023.08.03


長い時間をかけて子どもたちは、素材の性質に慣れ親しみ、その変化と不思議に魅了されていきます。特に水や泥、土は子どもたちにとっては底知れぬ魅力の対象のようです。

「水」は中国の古典においても「老子」がその巧みな性質を詩にしています。「上善如水(最高の善は水のようなものである。万物に利益をあたえながらも、他と争わず器に従って形を変え、自らは低い位置に身を置くという水の最高の善のたとえとしたことば。)」水は量、勢いなどが変化することで岩をも貫きます。かと思えば、熱を加え湯にすれば人間に安らぎを与え、生き物の生命維持にも必要不可欠です。考えてみれば原始生物は海の中で生まれました。本能の奥底で元々住みかとしていた水に対し、愛着を持っていると考えてもうなずけます。

だからこそ子どもたちは、本能で水という素材に、強いこだわりを持っているのかもしれません。水と遊び水に学ぶ、自然の摂理から楽しさと教訓を得て、自らの力に変えていくことが成長につながっていきます。人間も生き物の一端を担っています。いつまでも我々の故郷でもある「水」が、美しく様々な生き物のために維持されていくことを願いたいものです。そのためにも子どもたちは、本物の水に触れ、その面白さ、美しさ、偉大さ、さらに恐ろしさを身をもって経験していかなければなりません。また、大人はその環境を与えることで、自然を大切にできる心、身の安全を守る術を自らの力で育てる機会を与えていく義務があります。

カテゴリ:生き物・自然・人間

表現画法から考える

2023.07.25

若碇の見事な掛け投げ!

おはようございます。今日も暑さは続きます。
大相撲名古屋場所が日曜日に終わりました。優勝はモンゴル出身で元横綱朝青龍の甥っ子、豊昇龍でした。横綱照ノ富士が途中休場し波乱の幕開けとなりましたが、若い力士が伸びるチャンスでもありました。私も毎回欠かさず観ていたわけではありませんが、たまたま幕下の優勝決定戦をテレビで観ることができ、覚悟を持った十両筆頭熱海富士の気迫、三段目若碇の見事な投げ技と相撲運びに感激しました。幕下でもこんなに素晴らしい闘いをする力士が存在することに驚きと嬉しさが溢れました。相撲界も国技でありながら多国籍が進み、失ってはならない日本の伝統を、日本人以外の皆様が純粋に守っている姿に対し、心から称賛の気持ちを持つことができます。どんなスポーツも取り組む賢明さに国境はなく、素晴らしい精神と鍛え抜かれた技にこそ注目し、讃えていくことが人間の尊さを表す象徴として、今後も全人類が意識していくべきだと思う機会でした。行ってらっしゃい。


ブラシを使ったスパッタリングは、なかなか出会うことができない道具(ブラシ)と素材(絵具)の体験です。指先に伝わる毛先が金網をひっかく感触(触覚)、絵の具が弾き飛ばされ、薄色の紙に点状にきれいに染まる色(視覚)、こするときに聞こえる擦れた音(聴覚)など、実は五感への刺激がたくさん詰まっている表現活動なのです。人間の感覚器官や呼吸器官は顔に集中しています。皮膚は第三の脳(第二は腸)とも言われ、外界を知る、コミュニケーションをとる(母子間密着-オキシトシンの生成)という大事な機能を持っています。盲目の人は風や香りで地形変化(車の接近、通過、ビルの切れ目)を感じ取ります。どこか機能を失ったとき、生きたい、知りたいという心がエンジンとなり、他の臓器や器官が代役を果たすため、普通以上に発達することが知られています。人間もそれぞれの感覚機能を眠らせたままでは、与えられた力をすべて使いきっているとは言えませんね。

一方昆虫は人間とは感覚器官の位置が異なっていますので、例えばカブトムシを飼っていたら、スイカを餌として与えることもあるかと思います。たまには体を洗ってやらないと、お尻近くに対で何か所かある気門(呼吸をする穴)がふさがり、窒息死してしまうことがあります。バッタやトンボも同じような体の構造をしています。理由は生きるために都合が良いからだと考えられますが、異なる体の構造と機能に昆虫の多様性を感じます。動物もイヌワシは1000m上空から獲物を視認し、鵜の視力は6.0~8.0もあるというのですから驚きです。他にも嗅覚に優れた犬は人の約2倍、イルカは6、7倍も優れているというのです。それぞれの生き物が生きていくための感覚機能の高度化を進化させてきたことがうかがえます。

かといって人間が幼少期から英才教育を行っても、心の成長がついていけるかどうかは疑問です。昨今の知識、技術に特化した教育方法も偏った人格を形成してしまわないかと心配になります。確固とした生きるための意欲という本質から離れ、一歩間違えば人間は私欲の塊であることも、心に留めておかなければなりません。人間としての様々な能力を伸ばしていくことは、とても素晴らしいことですが、同時に「矩を越えず」を意識することを忘れないようにしたいですね。

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水のすばらしさと子どもの成長

2023.07.10

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昨今の天気は蒸し暑さも重なり、外遊びは長くはできません。熱中症情報でも「危険」となっています。かといって外で活動しているから必ずしも発症するとも限りません。熱中症は室内でも発症しますので、何に注意しなければならないかを、明確にしておくことが大切です。体温の上昇は体以外の外的条件に、どれだけ適応できる能力があるかです。個々人によってもその力は異なるため、個に注意を払っていくことが当然必要です。日頃の体力、活動、家庭での生活状況、その日の体調等々様々な要因が重なり、乳幼児の健康は一気に良くもなれば悪くもなります。その見極めをしていかなければならないのです。
なのはな組の子どもたちは、昨年の経験、仲間の行動、水の性質などをよく知っているため、少しだけ大人がきっかけを与えるだけで、頭から水をかぶることができます。結果的に「気持ちはよい」、「頭の温度は下がる」等の効果がてきめんに現れます。れんげ組の子は、そこまでの経験や、物を操作する力、水への恐怖や安心感もまだまだですので、大きい子たちがやっていることまでは行いません。このあたりが体験と成長の証と言えます。
そして結果水に触れることで、熱中症から遠ざかり、さらに心も「遊びきった」、「気持ちよかった」、「楽しかった」という大きな満足を得ることができるのです。この満足は当然食事、睡眠にも心地よい影響を及ぼします。「暑い季節を乗り切る」、「子どもの成長を促す」、これらの課題は「水で遊ぶ」によって、相応な解消と成長を促していると言えます。
私は10年前まで幼児から高校生までの子どもたちと鈴鹿の山で、子どもたちと登山キャンプを行っていました。標高300メートルくらいでは、ほとんど平地と変わらないくらい夏の気温は上がります。しかし、山には冷たい川の水、温度を下げてくれる樹木がたくさんありました。その自然の財に、時には高い所から飛び込んだり、登山でほてった体を標高1200mの冷風にさらすことで気持ちよさを得、健康を保つことを子どもたちと一緒に体験し伝えてきました。
自然は偉大です!しかし、その体験を過ごす子どもには、率先してその素晴らしさを楽しむ大人、仲間の存在がなくてはならないのです。自分の身を守り、健康でいられる術を身につけていくためには、自己の体の感覚も知り、コントロールできるように、体験機会を与えていくことはとても大事なことです。特に幼い子どもたちは「命の危険」に近いと言えます。そのリスクを常に測りながらも大胆に遊ぶことは、自己判断力、心と体を強くすることにつながる貴重な体験であると考えています。

カテゴリ:生き物・自然・人間

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