お知らせ

人工物 自然物 教育福祉行政

2026.03.21



人工物は意図的に形の大きさや重さを調整することによって、画一的な性質を用意することが可能となります。そのことは子どもたちの様々な動作や扱い方を引き出すことに役立っています。

その代表的な教材が「フレーベルの恩物」でもあります。幼児教育のメソッドは様々なものがありますが、恩物には同じ、異なる形、重さ、色、状態(つるす・はめる・のせる・・・・)があるため、様々な力を引き出すことを狙って作られています。もちろん方法や手順は決められているため、勝手な使い方が推奨されているわけではありません。しっかりとした考えのもとで扱うことも必要だと思います。

自然物にそのような決まりはありません。むしろ不定形で性質が異なるから、発想や指先の発達が伴っていなければ、ただの落ちているモノとしか認識できないでしょう。しかし幼い子どもたちほど、一つの物体を「見立て」様々な使い方でおもしろさを発見できる五感があることも認められます。

今日の写真では同じ大きさの木の積み木(実はシールでしたか?色々な情報も表現されています)をがんばって積み上げている姿があります。比較的この年齢でもチャレンジすることによって、高く積み上げることに挑戦できる形状と数があるからこの遊びに発展します。

隣で遊んでいる子は、硬質ウレタンの積み木を同じように積み上げていくのですが、軽くて小さな素材のため積み上げていくには相当な注意力が必要となります。同じ遊びを異なる素材を使うことによって、それぞれの性質の違い、やりやすさやりにくさなどをキャッチしていくことが出来ます。

だから異なる素材を同じ机の上で隣同士で行うことも、「意図的」、「計画的」に行っているのであれば、素晴らしい教育場面と言えます。偶然にもこのような場が出来たとしても、子どもにとってはとても面白い環境と言えるのです。

隣同士で遊んでいれば当然気になってきます。集団で遊ぶ意義はこのような場面にこそ発揮されるのです。家庭において親子で生活している環境では起こりにくいことです。このようなことがあるからこそ、国が推奨している「こども誰でも通園制度」は子どもの育ちにおいて意味ある制度となることが出来ます。

国がこの制度を薦めている理由は、親だけではできない「子どものより良い育ち」を作り出す必要性が、現代子育て社会にはあると考えているからです。また一人で子育てをしていると、思いつめたり、うつ状態になってしまうこともあるのが、現代人のつながりの少なさにも言えることです。

この制度が現代子育て社会に馴染んでいくためには、親子の実情や保育現場の実態、親としての知識と人間関係の豊かさ等を作り直さなければ、制度ありきの不完全燃焼を起こしてしまいます。じっくりゆっくりこの制度の良さが引き出されるように、国、親、保育者側がすり合わせながら、健やかな育ちを子ども自身が遂げられるように、制度設計の変更を重ねていかなければならないと考えます。

カテゴリ:教育

自我の育ち

2026.03.07





「じぶんでやりたい」、「わたしがやるわ!」は、この頃から育っていく強い自分作りのための動機です。しかし自分だけではできないこともたくさんあるため、「やりたいのにできない!」といった矛盾した現実が立ちはだかり、どうしたらよいか分からなくなってしまうこともあります。

身体が出来ていても頭がついていかず、その逆もありで心には「イライラ ムシャクシャ」が積もってしまうことが度重なります。保育士は子どもがそんな状況に陥った時は、ある程度心が落ち着き納得できるまでそっと見守り、頑張っている姿を子どもが分かりやすいように、本人に代わり表現(言葉やしぐさ)してあげる(代弁)ことが必要です。

あまりに過度に欲求が満たされない状況、時間が続いていくと、子どもなりにストレスは大きくなり、チックやねじ曲がった表情が現れるようになってきます。その事は子どもからのSOSとしてしっかりと受け止める必要があります。

子どもたちは家庭では養育者、保育園では保育士等が包容力をもって対していれば、そこが一番の「安心」と「安全」を感じられる場所になるのです。そのことによって、自由に遊びまわり、物、素材、音楽、自然、絵本、仲間と積極的にかかわりたいといった欲求が芽生えます。その時こそ「教育」の機会と捉えなければなりません。

乳幼児における「教育」とは、決して知識を身につけることではないことをお伝えしておりますが、人間の教育とは「機」を大切にしなければなりません。そのことは乳幼児期がどんな発達段階であるかを掴むことによって理解できます。「あきらめない」、「がんばる」、「たちなおる」、これも何度も言っていますね。

ですから園庭の様に、自然物と道具や玩具との接点がいつでもあれば、子どもは飽くなき挑戦をいつまでも続けられます。しかし室内は意図的に物の配置や手順を明確にしておかなければ、子ども自身が「指示待ち」となり、頭を使う(物事の手順や方法)機会が生まれにくくなります。

人間は環境に左右されやすい生き物です。ましてや幼い時期は、広ければ「走りたい」、ごはんがあれば「食べたい」等と、自己の欲求にまっしぐらに向かいやすい時期ですので、おもちゃや絵本の「見える化」は、子ども自身がどこに何があるのかを考え、欲求を満たしなおかつ後片付けへの見通しなどを育てやすい環境と言えるのです。

また生活習慣は人間であることに尊厳(清潔・生命への感謝)をもつための大切な日常習慣です。よって手を洗う、拭く、椅子に座るエプロンをつける、いただきますをする等の手順や動線が、子どもなりに分かりやすくなっているように「見える化」されていることが大切です。

排泄、おむつ交換、着替え、食事などの生きている限り行う必要のある習慣に対し、正しい方法を心と体に根付かせるためには、養育者、保育者がより丁寧に子どもと一緒にその時間を過ごす(ゆったり・笑顔・気持ちの共有)方法と、子ども自身が行いやすいような環境(小さな椅子で着脱)をしっかりと用意することが必要になるのです。

カテゴリ:教育

ブロックの見立て

2026.03.07









それなりに心も身体も育ってきた「たんぽぽ組」の子どもたち!この保育園で過ごすのも残り16日(お休みを除いて)になってしまいました。担任の先生はもちろん、ひとり一人に関わった保育士、給食の先生みんなが成長を喜んでいます。

0、1、2歳児クラスの3年間、あるいは2年間を楽しく過ごせたかな?お別れにはまだ16日もありますが、なんだか感慨深い思いになっているのはご家族様はもちろん、係わりあった職員全員が抱く思いですね。写真に写っている「16日」を見て保育士の強い思いに気持ちが昂ります!

さて、今日はBブロックを使った子どもたちの、創意工夫に溢れた作品とあそび方の多様性に、思わず「成長したね!」と感じています。素材が目の前にあるから個々の方法で働きかけ、独自な物を作っていきます。そして仲間がいるから、気になって同じものを作り、お互いの嬉しさを確認する、2人の世界(望遠鏡・動物恐竜作り)を作る等の人間関係の育ちも自らが作り出していきます。

絵本をみるや自らの経験をもとに、「いいなー」と思ったものを、自分の手指で再現していく力は、指先などの身体使いと、イメージを作り出す力が育ってこなければできる事ではありません。

また、窓枠につなげたブロックを立てることで、ピッタリな長さを作り出す様子などは、長さや形(窓枠)への興味があるからだと想像します。さらに窓から入ってくるお日様の強い光は、きっとブロックの色をさらに鮮やかに見せているのではないかと思います。そのことに気付いているかもしれません。

子どもたちは同じブロックを使っていても、日々成長していることで、見方も遊び方も発展しているのだと考えます。乳幼児が絵本や遊びの中で「もういっぺん!」を繰り返すのは、繰り返しの中に潜む楽しさのクライマックスを待ちわびる「うれしさ」と、いつも新しい何かを発見できる喜びがあることを分かっているからに違いないと思います。

そんな子どもたちとの触れ合いがあるから、保育士という仕事は「大人としての人間」をも成長させてくれる存在であると考えます。育児、保育が単なる「作業」に成り下がってしまえば、「楽しみ」は失せることでしょう。すべてが億劫で面倒な作業になってしまっては、子どもが成長できません、同時に大人も「親」として、「保育士」としての成長はそれまでとなります。

子どもにとっては「産んでもらい」、「育っていくこと」は人間としての最上級の喜び、大人にとって「産み」、「育てること」は、子どもの無垢な心と常に心も身体も伸びようとする自然な力から、「勇気」や「愛」、「慈しみ」の心をいただくこと。この両方の「感謝の心」があってこそ、成り立っていく関係性なのだと思います。

カテゴリ:教育

行事や交流を通して培われる心(質より量の時代)

2026.03.01





人の心と体は元々多様性に満ちた存在だと思います。受け入れようと思えば、未知の宇宙空間にも匹敵するほどの寛容な思いと動きに満ちているはずです(老子)。しかし生きる時間が長くなればなるほど、先入観や思い込みがそれらの広大な可能性を狭めていってしまうようにも思います。

誕生日はこの世に生まれた「命」を愛おしみ、生んでもらったことに感謝し、当たり前ではない日々を精一杯生きることを誓う日でもあります。幼い頃は父母、祖父母、保育者に無条件に受け止められることで、精一杯成長できるようによく食べ、よく遊び、よく寝ることで、頭と身体を成長させていくべきです。

何を祝福され喜んでもらっているかを子どもはよく分かっていません。しかし自分自身が喜ばれる存在であることは、徐々に理解できるようになっていきます。過剰な期待ではなくただただ存在していることだけが、大人にとっては喜びそのものです。考えてみればこの世に生まれるだけでも、それは「奇跡」と言える出来事です。

今日はお雛祭り【子どもや孫の幸せを祈り、病気や災いをさける心が、人形を中心とする節句行事「ひな祭り」を創りあげました。日本で産まれ、育まれてきたひな祭りは、まさに世界にどこにもない日本の貴重な伝統文化です。】も行いました。みんなで歌を唄い紙芝居(絵本)を観て、誕生月の子はお内裏様とお雛様になって成長を喜びあいました。

子どもたちに対する大人(親等)の願いは、健康に元気にすくすくと心も体も成長してもらいたい。ただこれだけで良いと思います。昨今は子どもに過剰な期待を押し付け、幼い頃から習い事に時間を費やしていますが、本来その時間は子どもが遊ぶことで様々な力を培う時間でもあるのです。

子どもの発達は「その時」を大切にしなければなりません。習い事で「あそび」、「なかま」との時間を過ごせないことは、将来子どもが大人になり力が逆転したときに、大きな反動(反抗、暴力)となって身近な人に向けられることもあります。子どもにとって心からたのしい「あそび」、「なかま」を奪っていないかどうか、振り返ってみる必要があります。

そして今日明日と児童発達支援施設「Fululu(フルル)民間施設」の子どもたちが、各10人遊びに来ます。ダウン症、自閉的傾向、こだわりの強い子等様々な子がいますが、園庭で遊んでいる姿はどの子もとても嬉しそうです。大きく異なる姿はそれほど目立ちません。

保育園の子どもたちも最初は少し戸惑いますが、回数を重ねていくことで、この機会がきっと他者とのやり取りに大きな影響を及ぼしていくことと思います。どんな子でも初めていく場所や会う人に対しては、「不安」、「警戒」等の心が働きます。同じ仲間と数か月一緒に過ごしている今の時期は、「安心感」がしっかりと心にあると思います。そんな時こそ「交流事業」の機会をたくさん持つべきだと考えます。

幼少の頃は人間関係の「質」より「量」が大切であることは確かです。たくさんの多様な人たち、人間関係に触れていくことが、オープンで理論的かつ優しく、思いやりのあるグローバルな人間性を育てるスタートラインになるものと信じます。 

カテゴリ:教育

子どもの見通しの育ちと自然

2026.02.22

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たくましくなってきたつくし組のこどもたち、園庭でも自由奔放に興味を持った事物に果敢に挑んでいます。いつしか危なっかしさも影を潜め、自信をもって取り組む様子は、観ていて心の底から嬉しい気持ちが湧き上がってきます。

1年近く保育園の園庭で過ごしていれば、「どこに何があって」、「ここからは何が見えて」、「備品やおもちゃはこんなふうに使うとおもしろいと」いうことも分かってきます。これが何度も目にしているもの、風景、人に対する「見通し」だと考えます。それはイコールいつもそこに有るといった「安心感」にもなっています。

季節がうつろい自然は徐々に姿を変えていきます。その変化に伴い植物、昆虫も大きく姿を変えていきます。その変化は、しばらくなかったものが久しぶりに現れる、そのことによって体験したときの「感動」がよみがえる瞬間でもあります。自然の変化は春夏秋冬そのスパンが長いため、日常の物品や人との接点とは、また異なる感覚だろうと思います。

数十年を重ねることで「待ち遠しい夏休み」、「はやくスキーがしたい」、「カキが食べたい」などのスパンの長い「見通し」は育っていきます。こればかりは長く生きることでしか、得られる感覚ではないかもしれないと思います。

だから子どもたちにとって自然はとても面白く、そして「挑みがいが大きい」相手です。いつまでたっても答えが出ない、今日も明日も今年も来年も、いつも何かしら未知の部分が浮かび上がってくるのが自然だと思います。しかし毎年の繰り返しを経験することで、暖かくなってきた春先には梅がいち早く花を開き、鳥のさえずりもいっぱい聞こえるようになってくるのだ、といった変化に気付ける感性が育っていきます。

そうすることによって「待ち遠しい」といった心も育っていきます。春が来るから、夏が来るから、冬が来るから、それなりの楽しみが見つけられる自然だからこそなせる業でもあります。

子どもには自然が必要です。それは人間では作り出すことのできない多様性が存在し、子どもばかりか大人の感性をも磨く要素を含むとてつもない魅力力を持っているからだと思います。

カテゴリ:教育

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