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人が人間になるために必要な経験!

2025.07.12

子どもたちの世界は人や物との対面とお互いの作用がもたらす行動の結果に溢れています。つまりは「なかまの遊びを観て」、「興味があれば横取り(言葉は良くありません、行動のみで解釈すれば)し」、「取り合い」、「感情を吐露する」過程が必ずあるのです。

この過程を大人は大切にしていく必要があると思います。「ケンカはだめ!」、「ともだちとはなかよくね!」、大人はよく言います。そういうあなたは、子どもの頃けんかや言い争い、人とぶつかることを避けてきましたか?そんなはずはないと思います。

人間は争い、傷つき、嘲笑もされ、悔しい思いを味わい大きく成長していきます。ただし、自己を卑下したり他者を陥れたリ、ずるさを持つような人間にならぬよう、周りの大人は気を付けなければなりません。

そのことは発達の年齢によって「方法」を変えなければならないことも示しています。今の乳幼児期はとにかく欲求を受けとめ、心が満足していくようにしなければなりません。しかし大人から観て、これは「やり過ぎだ」、「人や物を大きく傷つける」と考えれば、諫めることも必要になってきます。

ただしその諫め方は一呼吸置き行うことが肝心です。感情任せに怒ってはいけません。日本人は昔から幼い子どもの諫め方や、道徳に対し子ども心が「クシャ!」とつぶれないような方法を行ってきました。それがわらべ歌などの文化的財産です。

「あそばせうた」、「いさめのことばかけ」、「よろこびをわかつうた」など、種類や場面に応じた「簡単なうた」に合わせた歌いかけ、スキンシップ、表情の表現、言葉のイントネーション等<によって豊かに教え導いてきたのです。古い言葉を使った同じ方法が必要だとは言いません。ただ「子ども心をどの様に扱ってきたか」これは学ぶべき点であることを強くお伝えしたいのです。

今週私は保育者を養成する学校を12校訪問しました。それは求人活動ばかりではなく、昨今の学生像、学校の姿勢を知り、人と会い対話することで様々な情報や考え方を自分自身が学ぶことでもあるのです。

キャリア担当者のお話し内容は、ここ5年くらいで現れている学生さんの心の弱さと、保護者の出過ぎた学校への苦情がどの学校でも聞かれです。一言でいえば「親の過干渉」が目立つのです。二十歳前後の青年をまるで学童期のような扱いをしている「親」の姿が浮かび上がっています。これは深刻です。青年が自立できない要因を大人が作っているに等しいからです。

中途半端ですが、この続きは必ず書きます。しばらくお待ちください。・・・・・・

すみません! 続きです!なぜ親が子どもの学生生活、就職活動にまで口出しするのでしょうか?このことは親自身が「子離れ」できていないこと、その干渉を受けた子どもの「心のもろさ」やふりかかった困難に対する「免疫力」が育たない弊害を生み出します。学校はモラトリアム期間として自己を試し「失敗と成功」、「挫折と達成」、「希望と絶望」を体験する機会であり、真に自立した大人になるための大切な挑戦期間と理解し自己解決を試していかなければならないのです。

これらの権利が一番身近な家族に保障されていない実態があらわになっているのです。人間の育ち、ましてや保育者の養成機関の学生におけるこの状況は危機的な現象と受け止めます。

私はカリヨンは元より蟹江町、そして全国の養成機関に「自律、自立に挑戦する心がある職員」が育っていく必要があると感じます。昨今の幼児施設、小中学校における教職者における盗撮などのとんでもない事件に、育つことを恐れ自己の欲求を解消しようとする「幼い社会人」の存在に人間社会の堕落を感じざるを得ません。しかし「希望」を持ち、関わる人々に伝え、啓蒙していくことの大切さに改めて立ち戻らねばと考える訪問機会となりました。

カテゴリ:教育

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