お知らせ

ぐちゃぐちゃ遊び 

2025.11.22

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おはようございます。
先週土曜日に一般参加者向け園庭行事で「ぐちゃぐちゃ遊び」を実施しました。当日はたくさんの親子連れで賑わい思い思いに絵具を塗り込む子どもたちの姿、子どもたちの自由に引き込まれ、同じように心解き放ち開放的に絵の具だらけになる保護者の皆さんの嬉しい笑顔に触れることが出来ました。たくさんの楽しさをくれた親子様、主に計画実践をいただいた村田先生、一緒に手伝い楽しんでくれた職員、実習生の先生方に深くお礼申し上げます。
このように外部の皆さまが園庭に来てくださり、蟹江町にある保育園、公共施設の努力、そして何よりも様々なつながりができ、子育ての輪が広がっていくことが一番の願いであり、目的でもあります。小さな小さな努力ですが、今後も地道に継続していきたいと考えています。
子育ては大変な反面、素晴らしい嬉しさ、やりがいをもたらす最も人間らしい活動です。先を考えすぎても「人を育てる」はうまくいきません。結婚し、ご夫婦、ご家族で困難と嬉しさを乗り越えたところにこそ真の幸せがあることを思います。「楽しさは大勢で分かち合えば、みんなの喜びになる」、「苦しみは大勢で分かち合えば少しになる」、あらためてこの気持ちを、地域や関連する人々に伝え続けることが、この保育園の使命であることを心に留め、日々を過ごしていきたいと思います。

カテゴリ:教育

子どもたちの安全教育とは?

2025.10.25

子どもたちの遊びはある程度予測もできますが、驚かされる遊び方、目の付け所があります。きっとまだ扱ったことが少ないものに対しては、その形、質、大きさが表している特徴に対する不思議を、最大限引き出そうとしているように見えます。

形がはっきりしている玩具、例えばブリオの電車などは、使い方は電車しかありませんので限定されてしまいますが、コップ、最後の写真の色とりどりの遊具、袋、紙などは素材が持つ変化への適応力が、様々な「見立て」や「つもり」を生み出す素材のため、本来持っている子どもの発想力を引き出すことが可能となっていると思います。

特にカリヨンの子どもたちは、自然素材(花、実、落ち葉、ドングリ、葉っぱ、昆虫、砂、水、泥・・・・)と画用紙、色紙、絵の具(ぐちゃぐちゃ遊び)、様々な素材に触れる機会が多いため、空間の有る器(コップ、海苔の空き箱、押し車のトランク等々)と組み合わせて、多方面から遊びの取り組みをすることに長けています。

変化しやすいものや、中味が空っぽの用具は、ちぎったり、色を塗ったり、中に物を入れる等「あそび心」をそそります。特に空間はどんなスペースでも身体を入れ込んだりわざと挟まったりし、危険につながることもありますので注意が必要です。

乗ることが出来る机や椅子なども窓際やバルコニーに置かないようにすることは、幼い子どもがいる家庭では注意しなければならない事でもあります。しかし足腰がしっかりしてくれば、当然高い所に登りたい、狭い空間に行ってみたいはあり得ることですので、充分に安全な場所でこのような機会を存分に保障していくことが大切です。

危険は避けるのではなく、十分な注意の元「乗り越える力」や危険と判断し「行わない」といった「自己選択」をできるようにするために必要な機会だと捉えていくことが必要です。安全管理は守りに回るばかりが正しいとは言えないのです。

同時に危ないことをしっかりと伝え、安全教育を行っていくことも大人のすべきことだと思います。ただ危ないからと言って遊びを止めてしまうのは、かえって大きな危険を目の当たりにして、予測や学習ができていないことが災いし、怪我に繋がってしまうことにもなります。

是非子どもたちの自由な使い方を尊重してあげてください。危険は事前に取り除き、その場を離れず子どもが予測できない危険に遭遇することにだけは注意を払うことを忘れなければ、たくましい挑戦意欲を自らの中に育てていくことが出来るようになっていくはずです。

カテゴリ:教育

自発性の尊重

2025.10.05

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月齢が低い子どもたちは、お散歩コースの一部を歩き、ベビーカーにも乗り体力を温存しながら満足できるように調整します。園庭の様に柔らかな地面を歩くのと異なり、ひっかかりは良いアスファルトですが、その分足への負担は大きいはずです。

自分自身の体重を支える2本の足は、つまずきそうになった時倒れないようにささえ、踏ん張らなければなりません。その力を持続していくには慣れと体力が必要です。初めてや見慣れない景色、人や事物に出会うことも、それなりに頭を使い気を回してもいるため心も疲れています。

子どもたちにとっても、刺激的で興味溢れる環境の経験は、身体と心をフルに使う活動となるため、その楽しさに没頭しているときはあまり疲れを感じないかもしれません。しかしこの負荷がかかることこそ発達に良い影響を及ぼしていきます。どの程度の負荷までをよしとするかは大人が判断する必要があります。

「自主性の尊重」は健康を損ねたり、大きなけがをしてしまっては本末転倒です。子どもたちの成長発達が今どのあたりなのかは、親御様、保育士がしっかりとした見方を持っていなければなりません。「養護(安心安全)」の割合が「教育(環境への働きかけ)」よりも優先されるのはその理由があるからです。

乳幼児はまだまだ「過保護」なくらいがちょうどよいのです。過保護は欲求の充足に結びついています。十分に満足できることが出来る時期、初めて約束やルール、お友だちとのやり取りの楽しさへと向かっていけるのです。

「過干渉」と「過保護」の違いは分かりにくいところもありますが、「やりたいことを中断し、強制される」これも「過干渉」です。「やりたいことを大人に分かってもらい調整され導かれる」が過保護だと思います。とても微妙な違いかもしれませんが、保育現場ではよくあることですので、表現を替えれば保育士は幼い子どもといつも交渉や駆け引きをしているイメージです。

「否定」は簡単なことです。大人の権威を使えばすべてを片付けられます。ですが、できるだけこの方法を避け、「決めつけず」、「命令を避け」対応していくことが、子どもの思考を働かせ、納得のいく自己選択ができる道筋と考えます。

私も子育てをしていた頃は「決めつけ」があったと思います。年を経たこともありますが、学びを進めていくことでこのような結論を得るに至りました。もちろん本や理論的な方法からの学びもありましたが、今現在保育園で様々を教えてくれる子どもたちの存在、そして一所懸命な保護者の皆様から学んでいることは言うに及びません。この場をお借りしお礼申し上げます。ありがとうございます!

カテゴリ:教育

名和秀雄 先生 を偲んで

2025.10.05

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私の恩師で岐阜城のふもとにある名和昆虫博物館元館長「名和秀雄 先生 - 故人」が平成7年に執筆された「虫のいい噺」という著書があります。様々な昆虫について丁寧に説明された本です。ご本人が大の「落語好き」だった為、この様なタイトルを付けたのだと思います。

先生は当時東海ラジオにもよくDJ出演(ミッドナイト東海3年程)され、実際に私は保育の学校で授業を受けていました。とても面白いのですが、結構短気で学生はいつもどやされていました。きっと今だとパワハラで訴えられるはずです。

しかしとてもやさしい一面もあり、学校職員となり三重県の菰野町から車で自宅まで送った際、大垣駅のロータリーに停車すると、「ちょっとまっとけ!」と言って車を降りられました。その後自宅で降ろすと、また「ちょっとまっとけ!」、怒鳴られるのではと怖かったですが、戻られた先生は、「これを学生にも食べさせて(キャンプ場のアルバイト学生)」といって、氷でびしょ濡れの新聞紙を渡されました。中身は大垣名産「水まんじゅう」。少しでも冷えておいしいようにとの心遣いだったのです。夏真っ盛りの時期、氷の冷たさが心に染み渡りました。

横道にそれましたが、やはり「生命」について極めた方は、人間に対してもとても奥深いまなざしをお持ちだと思います。表に出てくるカタチ(本や講義)は、何かしら意図を持った表現になっています。名和先生は【「おもしろいな」「すごいな」っていうのを我々が感じて子孫に伝えていくそれが自然を守る唯一の道】という言葉を残しています(NHKアーカイブス 人物)。

保育士は「バッタに触れる、見る」チャンスを用意しています。子どもたちだけでは近くで感じることが出来ない感動、驚きを味わってほしいからです。自分の指先で感じたバッタの感触(硬さ、軟らかさ)、目で見た大きさ、形、色つやをきっと忘れないはずです。自分たち人間以外の「生命」は、様々が異なりとても新鮮で探究心をくすぐられる存在のはずです。

本物(自然、音楽、人)に出会った子はその感動を分かち合う大人の姿、表現から多くを学びます。そしてなによりも「こんな面白いことがなくなってしまうのは考えられない!」と自然を大切にする心が育っていきます。

地球の生き物が人間生活の悪影響で衰退していく昨今、「自然を残したい!」と考える子どもたちを育てていくことが、結局は人間にとって大切な生きる環境(生き物の持ちつ持たれつの世界-ハチの受粉、食物連鎖、生き物の好循環・・・等々)を残し、人間が他の生き物と共生できる世界を維持していくことにつながると考えます。

子ども時代という未熟さのなかで、様々な経験をえて感覚を磨くことは、考えるための土台、足がかりを作っていきます。大人になった時に自分で物事を考え、失敗しても立ち直り何度でも挑んでいく強い心があれば、どんな人や物に出会ったとしても、果敢に立ち向かう人間として伸びていくことが出来るようになると信じます。

カテゴリ:教育

体験と表現活動の関係

2025.09.15

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指先の操作は中々難しいですが、みんな集中してよく頑張っています!集中できる時間は好みや発達に左右されますので、個人差があります。それはそれでよいのです!

それぞれの考え方で取り組むことが出来ればよいのではないでしょうか?得意な子は随分長い時間行うことが出来ます。このような取り組みは「集中する」、「指先を自分が使った結果を得る」という活動ですので、にこにこ笑いながら楽しむというよりも、思った結果を得るために頑張る気持ちの満足を求める活動です。どの子も真剣に素材と向き合っていますよね!

終わってから自分の成果を自分で満足するを、まずは味わってもらいたいものです。うまいとかの評価ではなく、「がんばって貼れたね」、「おもしろい形だね」、「あかやあおやきいろ、沢山のシールを貼りました、きれいだね!」などの具体的な言葉で様子を伝えてあげると、何がよかったのかを子どもなりに感じ取ることもできるのではないでしょうか?

さらにお話しすると、今日の活動が体験に基づくものであれば、なお素晴らしかっただろうなと振り返ります。もしも昨日園庭で見た虫、収穫した野菜、葉っぱの模様や形が台紙に書いてあったり、色画用紙が虫や昆虫の形であれば、もっともっと子どもの心の中はざわついていたのでは?と考えてしまいます。

子どもも大人も経験(見る聞く触る)を通して感動を得たことは、強烈に心に残っているものです。それは「絵本をみる」であっても良いのです。言葉の表現が未熟でも、その思いを伝える手段は、造形や描画などの文化的活動の表現の中にもたくさんあるはずです。

言葉にならない心の感動を、工作や造形はきっと叶えてくれると思います。たとえ大人が見て何を描いているのか分からなくても、本人が心の底から満足できていれば、その力は次へとつながり、「もっともっと・・・」といった意欲の発現へと導かれていくことでしょう。

私たち大人は子どもたちに何を望むのか、どんな力の育ちを期待しているのか?その道筋をよく考えなければなりません。子どもにとっての表現とは、感動体験があってこそ「表現しようとする意欲」につながるのです。まずは「経験ありき!」の道筋を計画する、もしくはつなげることが、子どもの「やりたい」をさらに伸ばしていくことを私たち大人は心に持っておきたいものです。

カテゴリ:教育

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