子育て支援施設 ハリプー
2025.02.24





おはようございます。https://ecoken.co.jp/econos/halipuu/
少し前に一宮にあります「つなぐの森 ハリプー」子育て支援施設を見学に出かけました。「株式会社エコ建築考房」がデザイナーと協力して作り上げた、乳幼児から低学年向け?の遊び場です。入場料と予約が必要ですが、中々面白い造りになっていますよ!こればかりは訪れてみなければ分かりませんので、ぜひ来館をお勧めいたします。室内のため天候にも左右されることなく楽しむことができます。水分補給のみOKで食事は外のテーブル、ベンチでとれますよ!予約のため混雑もないと思いますが、ご心配の場合はお問い合わせください。
ほぼすべてが木材を使い、木の香りや感触が楽しめます。最近は「木育」と言って、木の恩恵や自然を理解し将来自分たちが生活するための住環境を考えていくことも大切となっています。「心がほっとする空間」、「夢中になれる空間」、子どもも大人も気持ちが穏やかになる「ハリブー」に行ってみませんか?
カテゴリ:教育
子どもとの真剣勝負!
2025.02.08


本日は保育参加ありがとうございました。園長が不在にてご挨拶できず失礼いたしました。小さくなればなるほどお子様にとっては父母様が第一となります。普段の保育そのものをご覧いただけたかどうかは分かりませんが、保育士からお聞きいただけたのではないかと想像しております。集団の中で過ごすことは日々新しさとの出会いです。ご家庭と集団生活で子どもたちの姿が大きく異なるのは必然です。大好きな父母様から離れ、保育園で精一杯生きている子どもたちの姿は、健気で強く優しくそして寂しさからの甘えが生じることが当たり前なのです。保育士は親御様の替わりはできません、しかし精一杯子ども心に寄り添うことは可能です。
昨日から今日の子どもたちの姿をみて保育を考えてみました。保育士が真剣になって隠れている姿は、まさに子どもと対等にやり取りし向き合う姿です。この姿こそ子どもの「やるよ!」といった意欲を引き出します。大人は子どもに負けない知恵と体力を持ち合わせています。その現実を目の当たりにした子どもは、「もっと、もっと」と心が躍り出すのです。ここにこそ保育士としての支援力が発揮されるのです。そしてその楽しさを観ていた別の子が「わたしもやりたい!」と集まってくるのです。ここからが教育の始まりです。立ち尽くすばかりでは、子どもは「楽しくありません」、「没頭できません」、「怪我のリスクも高まります」、安全確保だけを考えることは逆にリスクを増すことにもつながります。
もちろん怪我のない様に子どもと環境との相互作用を見守り、個々の身体力と行為を見つめる目線は専門家として必要です。また、玩具を使う子どもたちに「こんなやり方もあるよ」と励ます、提示するなどの導きも大切な支援です。この「子どもとあそびに没頭する(養護・教育)」と「子どもの安全を確保する(養護)」、「子どもの成長を見通した支援をする(教育)」は、バランスよく実践されなければなりません。偏っているかどうかをいつも心の中で自問自答すべきです。
よく考えてみてください。子どもたちは何故「親、先生に叱られる」ことがあっても、叱った大人に「あそぼう?」と誘いついてくるのでしょうか?それは「あそび」のときに真剣に楽しさを分かち合う人であることを良く分かっているからだと考えます。「遊ぶ時」も「叱る時」も私のことを真剣に考えて寄り添ってくれる!これがあるからだと思います。
昨今子どもの居場所問題が言われます。「なぜ自分の居場所が見つけられないのでしょうか?」まさに幼少期からの過干渉ではない、大人から関心を向けてこられなかった子どもたちの大きな心の闇だと考えています。そんなことはあってはなりません。子どもたちはもちろん親御さん、どんな人にも「心の居場所」は必要不可欠なのです。
万が一不幸にも子どもに安心できる居場所がないのであれば、社会が作らなければなりません。そんな世の中では本当はいけないのだと思います。
カテゴリ:教育
養護と教育の詳細
2025.01.19

子どもたちは外へ遊びに行くとなると、やらなければならない事は分かっています。保育園では自分でやる必要がある事も分かっています。楽しいことが待っているのも分かっているので頑張れます!格闘していますね。このような粘り強さが良く育っていると思います。もちろんすぐに行えたわけではなく、自分なりの心の葛藤と親御さんを始め、暖かで細やかな大人の眼差しと待つ心、支援があってこそです。なんせ人間修行2~3年生ですからね!大きな目線でゆったりと見ていく必要があります。
あそびはと言えば、まだまた物、素材、遊具、仲間との接点はより感覚的です。自分自身の手、指、足、目、耳、皮膚の感覚を頼りに、重み、形、色、温度、性質(ガサガサ、サラサラ、ベトベト、ツルツル、ゴワゴワ、スルスル)を感じ取って楽しんでいるのです。多少の規則性や手順は、大きな子のやり方を真似しているまでかもしれません。
だから目で見て「おもしろそうだ」と感じると、すぐに興味が移っていくという光景は、今の発達段階では顕著なのです。「集中力がない」などと捉えがちですが、むしろ物事をキャッチする「感覚能力が高い」と捉えてよいとも言えます。感覚的、直感的に自分が扱ってみたいと感じた玩具、遊びの方法は、大人の思考で意味を感じられなくても、子どもが物事を理解していくうえで必要な過程であることは確かなのです。「すべてに意味を見出さない言動」がたくさん存在するのが、時にかわいらしく、愛すべき対象なのだと思います。
「サラサラ、ベトベト・・・・」等の事物の状態や感覚を現わした言葉は、専門用語で「オノマトペ」と言います。今の発達段階の子どもたちには、この表現で物事の性質を伝えることが有効です。日本語は特にこの表現方法が発達しています。英語表現には無いイメージを伝えることが出来る力があるのです。(言語の本質-今井/秋田)
したがって大人がオノマトペを使い言動に共感することで、子どもたちは分かってもらっていることに安心し、増々心が落ち着き(養護)、豊か(教育)になっていきます。養護と教育両方の観点で相乗的に効果を発揮するということが言えます。ご家庭でも試してみて下さい。子どもがにっこり笑って応答してくればそういうことなのです。
カテゴリ:教育
素材のおもしろさ
2025.01.19

慣れている素材とそうでない素材、最初はどれも初めてですが、ドロドロ、シャビシャビ等の変化に対しては、初めは触れることに躊躇がある場合もあります。その子の取り組みの姿勢をよく見て、決して無理せず本人がやりたいと思う気持ちを待ちます。
水、泥、絵の具などの素材は砂、土と同じで、変化に富んだ性質を持っているので、いつかは子どもたちが夢中になる対象となり、その性質から創造力や構成力など様々な使い方、おもしろさや知恵をもらえることは間違いありません。ただ質感をどのようにとらえるかは人それぞれです。
デカルコマニ―(絵具を画用紙でサンドイッチして開く)は、開いた瞬間に最初観た状態と異なることに「驚き」、「楽しさ」などの感情が湧きたつことでしょう。クレヨンは指に力を入れることで、より鮮明な線や面の色が見られることが分かるでしょう。何にでも触れてみてその結果を知ることで、さらに様々な方法を使い触れ楽しめることを理解していきます。
今日はいつもの部屋ではない場所で過ごしました。一緒に過ごす相手はいつもの仲間と、おにーちゃんおねーちゃん!保育園という場所に慣れきっているこの時期だからこそ、安心して過ごすことが出来ます。時間の経過とは、心も体も成長し安心感をベースに活動できる力をもたらしてくれました。
これからもどんどん新しい環境や事物にも触れ、自分の体験として蓄積し、少しのことで動じない、たくましい心と体を身につけていってほしいと願っています。
カテゴリ:教育
物を大切にする!
2024.12.22

これは 保育園で一番長持ちしている車です!
観る、扱うのが初めての物品は、子どもたちにとって強い興味の対象となることが多いです。大人でも新しいものは着てみたい、使ってみたいが当然ありますので、子どもにおいてはなおさら強く引き付けられますね。そんな新しさは使い込んでいくうちに色あせもします。
しかし使い込むことで次に現れる感情は愛着です。そして愛着を持った物品に対しては、大切にしなければ、壊さないように、丁寧に扱う等の気持ちも湧いてきます。言葉で直接教え伝えることが必要かもしれません。ですが色を塗り替えたり、故障を直したりすることで、子どもたちがしばらく見かけなかった好きなおもちゃを再び目にすることで、大人が大切にしているおもちゃであること、その気持ちに気付くことも大切だと思います。
何度も何度も修理され着こなした服、つぎ跡があるズボンや服などは最近では目にすることが少なくなりましたが、ボロボロになったバスタオルを大きな雑巾にして再利用することもできます。リサイクル、リユースも大切ですが、一つの物を使い切る大人の姿勢が感じられることも、子どもたちの教育には必要な環境であると考えます。
すべてにおいて為していくことは大変ですし今の時代には無理がありますが、子どもたちに「もったいない」、「使い切る」、「物の命」、「作った人の思い」等を感じさせていくことは、生き物や、ペット、飼っている小動物の命に対する捉え方にも影響するものと考えます。何でもかんでも簡単に捨ててしまっては、いつかは躊躇なく人の心を命をも捨て去ることに、罪の意識を感じない心の持ち主となりかねないかもしれません。
「物を大切にする」とは、「人を大切にする」に通じ、「ごみを捨てない」にもつながります。ひとつ一つの物品、自然、公共物に対する態度は、大人の背中から学んでいきます。子どもに対し恥ずかしくない大人でなければなりません。生活を丁寧にしていくことで、子どもたちは環境から学びます。その価値観は潔癖や散らかりに対する神経質な考え方、行動とは意が異なります。時期や時間といったスパンの中でタイミングを考え、方付けを図っていけばよい問題だと感じます。
カテゴリ:教育