子どもとの真剣勝負!
2025.02.08


本日は保育参加ありがとうございました。園長が不在にてご挨拶できず失礼いたしました。小さくなればなるほどお子様にとっては父母様が第一となります。普段の保育そのものをご覧いただけたかどうかは分かりませんが、保育士からお聞きいただけたのではないかと想像しております。集団の中で過ごすことは日々新しさとの出会いです。ご家庭と集団生活で子どもたちの姿が大きく異なるのは必然です。大好きな父母様から離れ、保育園で精一杯生きている子どもたちの姿は、健気で強く優しくそして寂しさからの甘えが生じることが当たり前なのです。保育士は親御様の替わりはできません、しかし精一杯子ども心に寄り添うことは可能です。
昨日から今日の子どもたちの姿をみて保育を考えてみました。保育士が真剣になって隠れている姿は、まさに子どもと対等にやり取りし向き合う姿です。この姿こそ子どもの「やるよ!」といった意欲を引き出します。大人は子どもに負けない知恵と体力を持ち合わせています。その現実を目の当たりにした子どもは、「もっと、もっと」と心が躍り出すのです。ここにこそ保育士としての支援力が発揮されるのです。そしてその楽しさを観ていた別の子が「わたしもやりたい!」と集まってくるのです。ここからが教育の始まりです。立ち尽くすばかりでは、子どもは「楽しくありません」、「没頭できません」、「怪我のリスクも高まります」、安全確保だけを考えることは逆にリスクを増すことにもつながります。
もちろん怪我のない様に子どもと環境との相互作用を見守り、個々の身体力と行為を見つめる目線は専門家として必要です。また、玩具を使う子どもたちに「こんなやり方もあるよ」と励ます、提示するなどの導きも大切な支援です。この「子どもとあそびに没頭する(養護・教育)」と「子どもの安全を確保する(養護)」、「子どもの成長を見通した支援をする(教育)」は、バランスよく実践されなければなりません。偏っているかどうかをいつも心の中で自問自答すべきです。
よく考えてみてください。子どもたちは何故「親、先生に叱られる」ことがあっても、叱った大人に「あそぼう?」と誘いついてくるのでしょうか?それは「あそび」のときに真剣に楽しさを分かち合う人であることを良く分かっているからだと考えます。「遊ぶ時」も「叱る時」も私のことを真剣に考えて寄り添ってくれる!これがあるからだと思います。
昨今子どもの居場所問題が言われます。「なぜ自分の居場所が見つけられないのでしょうか?」まさに幼少期からの過干渉ではない、大人から関心を向けてこられなかった子どもたちの大きな心の闇だと考えています。そんなことはあってはなりません。子どもたちはもちろん親御さん、どんな人にも「心の居場所」は必要不可欠なのです。
万が一不幸にも子どもに安心できる居場所がないのであれば、社会が作らなければなりません。そんな世の中では本当はいけないのだと思います。
カテゴリ:教育