お知らせ

WBC大谷選手を地上波でみられないなんて?

2026.03.14

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おはようございます。
【ネットフリックスがWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の日本放映権を、前回大会の5倍である約150億円で独占取得したという。日本のテレビ局がネットフリックスに太刀打ちできなかったことは偶然ではなく、欧米で当たり前な「スポーツ配信の有料化」という波が、ついに日本に到達した瞬間だ。谷翔平を観るためにネットフリックスに月額料金を払わなければならないと思うと、抵抗感を感じる人もいるかもしれない。ただ、岡部氏は「スポーツ団体、WBC、FIFA、UEFA、プレミアリーグだろうとお金が必要」と指摘する。視聴者がネットフリックスに払う月額料金は放映権料としてWBCなどのスポーツ団体にいき、最終的にスポーツ選手の育成・強化とスポーツの普及につながる。世界中の放映権料が高騰する中で、日本だけが無料でスポーツを観る体制を維持しようとすると、「育成、強化、普及にお金が回らない」(岡部氏)ことになってしまう。無料でスポーツを観られる環境を手放すのは痛みを伴う。しかし日本が世界基準のスポーツエコシステムの中で生き残るためには、その転換は避けられないだろう。大谷翔平が地上波テレビで観られなくなる日が本当にくるとすれば、それは日本のメディア産業とスポーツビジネスが新しい一歩に踏み出す日でもあるのではないだろうか。《ビジネスインサイダージャパン》】
中々歓迎すべきこととしてとらえらえないですが、選手の育成、スポーツ業界の活性化に一役買っていると考えれば、それも必要なことなのでしょう。日本人選手が世界で活躍する姿はそのことに関わらず嬉しいことです。

カテゴリ:スポーツ

愚行三昧?

2026.03.14

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おはようございます。
他国に言いがかりをつけ、自国の思うようにしていこうとする強引な手法!旧日本陸軍も中国大陸の利権をめぐって盧溝橋(ろこうきょう)事件を仕掛け日中戦争を起こしました。続いて満州事変、そして東南アジアの利権を巡り、アメリカ、欧州と対立し国際連盟を脱退、太平洋戦争へ突入したのです。
プーチン大統領率いるロシアがウクライナに侵攻し、今もなお戦闘が続いています。理由はウクライナ領内に生活するロシア系住民を迫害から守るためという理由ですが、もっぱら帝政ロシア時代ロシア領であったウクライナを取り戻し、超大国を築きたいのが本音のようです。
アメリカはトランプ大統領以前にも、ブッシュ大統領の時、3.11同時多発テロをきっかけにイラクに大量破壊兵器があるだろう、を理由に世界を巻き込み多国籍軍がイラクを制圧しましたが、結局大量破壊兵器は見つかりませんでした。トランプ大統領はブッシュ大統領よりも強引さで凄まじく、法律を無視し関税のごり押し、ベネズエラの大統領拘束、イラン最高指導者の殺害、爆撃による一般市民の殺傷までも結果行っています。SNSで国民を誘導し勢いに任せた政治実践は、世界を破滅に向かわせているのではないかとさえ感じます。
中国は香港から自由を奪い、海上での軍の活動が東南アジア諸国に脅威を与え、台湾を中国本土に帰属させようと、武力による威嚇も辞さない姿勢を示しています。国内事情で経済成長率が減退し、国民の視線を国内から逸らせようと軍事費を増大し、国民を団結させようとしているようにも見えてきます。
このような大国の思うままの暴挙とやりたい放題に対し、日本を含む国々は団結し正しい考え、言動を地道に遂行していくべきだと思います。大国の圧力に屈することなく、信念に基づき相手への尊厳を忘れることなく、信義を通し対応していくことで天は動くと信じたいです。

カテゴリ:政治・国際状況

自我の育ち

2026.03.07





「じぶんでやりたい」、「わたしがやるわ!」は、この頃から育っていく強い自分作りのための動機です。しかし自分だけではできないこともたくさんあるため、「やりたいのにできない!」といった矛盾した現実が立ちはだかり、どうしたらよいか分からなくなってしまうこともあります。

身体が出来ていても頭がついていかず、その逆もありで心には「イライラ ムシャクシャ」が積もってしまうことが度重なります。保育士は子どもがそんな状況に陥った時は、ある程度心が落ち着き納得できるまでそっと見守り、頑張っている姿を子どもが分かりやすいように、本人に代わり表現(言葉やしぐさ)してあげる(代弁)ことが必要です。

あまりに過度に欲求が満たされない状況、時間が続いていくと、子どもなりにストレスは大きくなり、チックやねじ曲がった表情が現れるようになってきます。その事は子どもからのSOSとしてしっかりと受け止める必要があります。

子どもたちは家庭では養育者、保育園では保育士等が包容力をもって対していれば、そこが一番の「安心」と「安全」を感じられる場所になるのです。そのことによって、自由に遊びまわり、物、素材、音楽、自然、絵本、仲間と積極的にかかわりたいといった欲求が芽生えます。その時こそ「教育」の機会と捉えなければなりません。

乳幼児における「教育」とは、決して知識を身につけることではないことをお伝えしておりますが、人間の教育とは「機」を大切にしなければなりません。そのことは乳幼児期がどんな発達段階であるかを掴むことによって理解できます。「あきらめない」、「がんばる」、「たちなおる」、これも何度も言っていますね。

ですから園庭の様に、自然物と道具や玩具との接点がいつでもあれば、子どもは飽くなき挑戦をいつまでも続けられます。しかし室内は意図的に物の配置や手順を明確にしておかなければ、子ども自身が「指示待ち」となり、頭を使う(物事の手順や方法)機会が生まれにくくなります。

人間は環境に左右されやすい生き物です。ましてや幼い時期は、広ければ「走りたい」、ごはんがあれば「食べたい」等と、自己の欲求にまっしぐらに向かいやすい時期ですので、おもちゃや絵本の「見える化」は、子ども自身がどこに何があるのかを考え、欲求を満たしなおかつ後片付けへの見通しなどを育てやすい環境と言えるのです。

また生活習慣は人間であることに尊厳(清潔・生命への感謝)をもつための大切な日常習慣です。よって手を洗う、拭く、椅子に座るエプロンをつける、いただきますをする等の手順や動線が、子どもなりに分かりやすくなっているように「見える化」されていることが大切です。

排泄、おむつ交換、着替え、食事などの生きている限り行う必要のある習慣に対し、正しい方法を心と体に根付かせるためには、養育者、保育者がより丁寧に子どもと一緒にその時間を過ごす(ゆったり・笑顔・気持ちの共有)方法と、子ども自身が行いやすいような環境(小さな椅子で着脱)をしっかりと用意することが必要になるのです。

カテゴリ:教育

ブロックの見立て

2026.03.07









それなりに心も身体も育ってきた「たんぽぽ組」の子どもたち!この保育園で過ごすのも残り16日(お休みを除いて)になってしまいました。担任の先生はもちろん、ひとり一人に関わった保育士、給食の先生みんなが成長を喜んでいます。

0、1、2歳児クラスの3年間、あるいは2年間を楽しく過ごせたかな?お別れにはまだ16日もありますが、なんだか感慨深い思いになっているのはご家族様はもちろん、係わりあった職員全員が抱く思いですね。写真に写っている「16日」を見て保育士の強い思いに気持ちが昂ります!

さて、今日はBブロックを使った子どもたちの、創意工夫に溢れた作品とあそび方の多様性に、思わず「成長したね!」と感じています。素材が目の前にあるから個々の方法で働きかけ、独自な物を作っていきます。そして仲間がいるから、気になって同じものを作り、お互いの嬉しさを確認する、2人の世界(望遠鏡・動物恐竜作り)を作る等の人間関係の育ちも自らが作り出していきます。

絵本をみるや自らの経験をもとに、「いいなー」と思ったものを、自分の手指で再現していく力は、指先などの身体使いと、イメージを作り出す力が育ってこなければできる事ではありません。

また、窓枠につなげたブロックを立てることで、ピッタリな長さを作り出す様子などは、長さや形(窓枠)への興味があるからだと想像します。さらに窓から入ってくるお日様の強い光は、きっとブロックの色をさらに鮮やかに見せているのではないかと思います。そのことに気付いているかもしれません。

子どもたちは同じブロックを使っていても、日々成長していることで、見方も遊び方も発展しているのだと考えます。乳幼児が絵本や遊びの中で「もういっぺん!」を繰り返すのは、繰り返しの中に潜む楽しさのクライマックスを待ちわびる「うれしさ」と、いつも新しい何かを発見できる喜びがあることを分かっているからに違いないと思います。

そんな子どもたちとの触れ合いがあるから、保育士という仕事は「大人としての人間」をも成長させてくれる存在であると考えます。育児、保育が単なる「作業」に成り下がってしまえば、「楽しみ」は失せることでしょう。すべてが億劫で面倒な作業になってしまっては、子どもが成長できません、同時に大人も「親」として、「保育士」としての成長はそれまでとなります。

子どもにとっては「産んでもらい」、「育っていくこと」は人間としての最上級の喜び、大人にとって「産み」、「育てること」は、子どもの無垢な心と常に心も身体も伸びようとする自然な力から、「勇気」や「愛」、「慈しみ」の心をいただくこと。この両方の「感謝の心」があってこそ、成り立っていく関係性なのだと思います。

カテゴリ:教育

雨上がりの園庭

2026.03.07

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雨上がりの園庭・・・・・、自然の様子に変化があれば敏感に反応するのが子どもたちです。それだけ子ども自身が自然に近い存在であることも確かだと感じます。

元々人間は自然と一体になって生きてきた「動物」です。サバンナに生きていても、近代化され人工物に囲まれた生活をしていたとしても、本能の奥底にある「生」への渇望、欲は変わらないと思います。特に人間は脳を発達させ、無から有を試行錯誤することで道具や作物を育て、自らの生活を想像し豊かにできる能力を培ってきました。

今日の活動にもそんな自然に対する興味と関心が満ち溢れています。水たまりを見つけた子、実はこの水たまりは数年前にできました。掘ったのは子どもたちです。たまたま水が溜まったときに、誰かだ小さなスコップで削り始めたのです。一人が夢中で掘っていると、一人二人と増えそして穴は大きくなり、また雨が降れば水がたまります。いわば歴代の伝統的遊びとして繰り返されているのです。

「穴」、「水たまり」はなぜか子どもたちの興味をそそり、様々な「お試し」をしたくなる気持ちが膨れ上がるようです。今日は「カリン」をそっと浮かべ、その性質を楽しみながら試している様子が写し出されています。この物体はなぜ水に浮くのか?では葉っぱは?石は?・・・・次々といろんなものを水たまりに放り込むことで、その正解を見つけ出そうとしているかのようです。

ミミズへの関心も同じです。この「ニョロニョロ動くものはなに?」最初の不思議を感じます。「手で触ってみたいけど少し怖いな!」次に抱く感情です。だから直接触れなくても良い方法を探します、あるいは過去に年長の子が行っていた方法を思い出し自分でもやってみます。

手から伝わる「ブニュ?ヌル?」っとした感触は不思議をさらに深めているような気もします。ミミズも雨が降ると地上に出てくることがあります。人間に見つかってつつかれて迷惑なことだと思いますが、子どもが様々を知るためにとても役立っていることを考えると、ミミズさんに「ありがとう」を言いたい気持ちにもなってきます。

ミミズは土壌の分解者と言われています。たくさん住んでいる土は、葉や土を食べ落とされた糞が肥料となり、移動する際のトンネルは土壌の通気性をよくすることが知られています。その事が結果的に肥沃な大地を作り出し、作物が育ち人間が生き延びるための糧となるのです。

地球環境への貢献度はその数からすれば多大なものです。子どもたちが、その科学性や地球環境の問題にたどり着く確率は、高いものではないかもしれませんが、生まれて出会う未知の生き物との接点によって、いつの日か「人間ひとりのためではない地球」に気付いてくれればよいなと願います。

地球の美しさは理屈抜きで、生きていることの実感を育て、呼び覚ましてくれます。時にその力が子どもたちの肉体を鍛え、震えあがらせることで、心を強くたくましくし、絶望の淵に立った時這い上がる勇気を作りあげるのであれば、あえて子どもたちには「自然の中で暮らす」ことをできる限り体験させてあげたいと考えます。

「雨上がりの園庭」はとても小さな存在です。しかし分かる人にとっては、9年前から絶えることなく数えきれないほどの新しい命を生み出し、そして消えていった場所でもあることをわかる人もいるでしょう。その中で大人よりも鋭い感性を持った子どもが毎日あそび、生活するだけでも、とても大きな価値があることを皆さまにも知っていただければ幸いです。

カテゴリ:生き物・自然・人間

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