お知らせ

雨の日

2026.03.07

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久しぶりの雨降り、いつもなら園庭で様々な自然と広々としたスペースで、道具や遊具を使い思い切り遊んでいるのですが、今日はお部屋の中であそぶ1日です。

子どもたちは雨降りのお外を眺めながら、どんなことを想像しているのでしょうか?保育室から雨を感じるのは視覚しかありません。地面は濡れ光を反射し、鏡のように様々を映し出してもいます。また生き物たちはどこかに隠れているかな?そんな姿も本当は目の前で見たり、直に手で触れたりすることで理解はさらに深まるはずです。

雨の日に屋外で活動することは、今の年齢では体調を崩すきっかけになってしまうこともあると思います。さらに現代人の生活はエアコンや快適な室内環境に浸ってしまっているため、抵抗力は脆弱だと思います。最近の若者はパーソナルスペースがないと生活できないとも言われています。あまりに環境が快適すぎると生き物は逆に命を縮めることにもなってしまいます。

例えば3人部屋とか、ひとつのテントで5人で寝るとか、とても無理だとも聞きます。それだけ他者との距離感に敏感で、誰にも邪魔されることのない自分のスペースが必要なようです。なぜそのようになっていく傾向にあるのでしょうか?

豊かな生活や文化は豊かな心を育むはずにも拘らず、「孤立化」や「排他性」が際立つ現代社会をも生み出しています。協力しなくても生きられる社会は、「ひとり」に閉じこもっているがゆえに、災害や緊急事態に身体も心も持ち崩してしまうことになるかもしれません。適応力はある程度の不足によってこそ身につく力でもあります。

環境への適応は自然ばかりではなく、人間同士の距離感や習慣、お国柄などにも左右されます。欧米人はハグやキスで親近感を表現しますが、東洋人はある程度の距離感を持つことが、相手を尊重する姿勢だと受け止められています。

また日本人には古くから添い寝やおんぶなどの文化があります。体形の特徴もあるのですが、働きながら育児をしてきた日本人にとっては、背中に子どもを負うことで両手が空くため便利だったとも言えます。また肩口から養育者の肌や表情がよく分かる、愛情も感じやすく、同じ視線で物を観るなどの利点もあったから定着したともいえるのではないでしょうか?

雨降りの日は晴れの日よりも全身の活動量が少なく、範囲も小さく、そして仲間同士の距離も近いため、お互いが接触しやすい環境だと言えます。その事はぶつかり合いの機会も増すことを示していますので、人間同士知恵が必要になってきます。

子どもたちの「今」は、まだそのような環境の変化に対応することが難しい段階だと言えます。だから大人がコントロールしていく必要があります。同じ場所にいる時間を減らし、同じ仲間との一緒の時間を減らし、いつもと異なることを行う等、1日の活動の流れに変化をもたらすことで、心や体がぶつかりにくい関係性を作り出すことも大切な配慮です。

カテゴリ:生き物・自然・人間

中日俳壇に感じる時代

2026.03.07

alt迷惑にならぬよう うまく手すりを使用して紙面を開き読んでいます!親指はつり革をひっかけ?

おはようございます。
久しぶりに「中日歌壇・俳壇」に目を通しました。息子世代はすでにスマフォから情報を得ており、新聞は元々とってもいないとのこと、我が家はいまだに新聞を読む習慣を維持しています。非効率、お金がかかると言われても、毎日の習慣、幅広く、好みだけではない情報を得るために譲れない紙媒体でもあります。すべて読み尽くせば新書分1冊の文字数がありますが、中々そこまで毎日読み込むこともできていません。日曜版は結構隅々まで読み込む中で「中日歌壇・俳壇」は、「なるほど・・・」と目の付け所に感心させられる「歌、俳句」に出会ったりして、嬉しくもなります。そんな中から好きな「歌」を選んでみました。

「邪魔なれど横目でチラ見の新聞も絶滅危惧種の朝の地下鉄」 わたしは車通勤ですが、このような光景はつい最近までは健在だったと思うのですが、今はスマフォに替わっていますね。何を観ているのか分からない様子は、少し不気味で恐ろしくも感じてしまいます。

「エアコン効いてる部屋で原発はダメとふ記事をふむふむと読む」 これは自分にも言えることで、何かしら気恥ずかしさを感じてしまいます。「言うは易し」と言いますが、このような課題を解決していくことこそ必要なことと評者は書いています。

「正義の名のもとに浴びせる石つぶて今日標的にされるのは誰」 現代社会を言い当てていますね。無責任に無記名で批判する人に「言葉に責任をもって!」と言いたくなりますね。対話こそ今国会にも会社にも地域にも家族にも最も必要な、非効率的人間同士の手順だと思います。
次は俳句です。

「花束で止めるタクシー春の雪」 「いやーー いいですねー」卒園式 卒業式 送別会 帰り道に突然の春の寒さ、何度も経験したことがある体感ですね。何とも言えない春の嬉しさと裏返しの寂しさの感情を想いだします。 
名句で締めくくり「心揺さぶる言葉の数々、感謝を込めて「ありがとう!」。

カテゴリ:文学 世相

名鉄百貨店、近鉄パッセ営業終了

2026.03.07

altさようなら名鉄ビル 近鉄パッセ
alt名鉄イメージカラー「赤」のエスカレーター手すり

おはようございます。
名古屋駅馴染み深かった百貨店が営業を終えました。私が子どものころ住んでいたのが西枇杷島、衣料品などの少し特別な買い物、父のお土産、母の美容院に付き合わされたのも名鉄だったと記憶しています。昨今では高層ビルやはやりの地下商店が軒を連ね新しい名古屋駅としてにぎわっています。名鉄は少し古臭い感がありましたが、私たちの年代にとっては何度も足を運んだ場所でした。名鉄バスセンターも何だか画期的なバスの発着場(今でいえばトミカの駐車場)、ビルから豪快に坂道を降りていく雰囲気が子ども心に胸躍る存在でした。時代と共に変わっていく名古屋駅、入札会社が物価高騰のあおりを受け辞退し、再開発が延期となってしまいました。心に残る名鉄ビルがなくなってしまうのは名残惜しいことですが、再開発を楽しみにしておきたいと思います。他界した父母との思いで深い名古屋駅は心の中では永遠に生き続けていきます。

カテゴリ:歴史

4年を過ぎた戦争

2026.03.07

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おはようございます。
「力による民主主義のおしつけ?」ともいえる強国の身勝手さは留まる所を知りません。イランへのアメリカ、イスラエルの軍事力行使が28日起こりました。ベネズエラに続き味をしめたのか、中間選挙への影響を見越してか?核兵器放棄交渉中の武力による威圧、指導者殺害?は一般市民も巻き込み、国際社会の批判は必至です。このような暴挙を民主主義の範を見せるべき国が行うことで、権威主義国家も一層武力による防衛を正当化し、世界の情勢が不安定化することは避けられなくなります。
日本やカナダ、ドイツ等々に対しても、自国の防衛力を高めること(核保有)を要求するアメリカトランプ大統領の言動は、NPT【核拡散防止条約-核不拡散 アメリカ、ロシア(締結時はソ連)、イギリス、フランス、中国を核保有国と定め、それ以外の非保有国への拡散を防止する。核不拡散義務は核保有国、非保有国ともに負う。(第1条,2条、3条)核軍縮 核保有国は誠実に核軍縮交渉を行う義務を負う。(第6条)原子力の平和利用 原子力の平和利用は締約国の権利である。(第4条)核拡散防止条約は5大国の核兵器寡占体制(独占体制)であるが、同時に保有国に核軍縮を義務づけていることが重要。国際社会としてはぎりぎりの現実的対応であり、非保有国は保有国の核軍縮義務の実行を迫らなければならない。同時にこの寡占体制には限界があり、維持は困難であることも現実であることを認識し、これがあるから大丈夫というのではなく、さらに実効性のある核兵器禁止条約をめざすことが必要となろう。)】の崩壊をも進め、もはや止めようがないようにも見えます。国内においても反トランプ、反戦争の動きや主張は繰り返されていますが、権威を持った大統領は、アメリカ国民の予測をはるかに上回った悪行をしているように見えます。連邦裁判所の判決を罵り、さらに関税を強化する、政権に反対したIT企業を締め出す等の思い付きに近い行動が、人の命の危機に係わる状況を巻き起こしています。数十年後市民が正気を取り戻した時、必ずや弾劾されることになると思います。世の中に悪や極端な清貧が栄えた歴史はありません。ルーマニア革命のように善良な市民が立ち上がった時、間違った独裁は惨めな形で終幕する運命にあります。大国、強大な軍事力は、その使い方を間違えば破滅への扉を開けることとなります。

カテゴリ:戦争

行事や交流を通して培われる心(質より量の時代)

2026.03.01





人の心と体は元々多様性に満ちた存在だと思います。受け入れようと思えば、未知の宇宙空間にも匹敵するほどの寛容な思いと動きに満ちているはずです(老子)。しかし生きる時間が長くなればなるほど、先入観や思い込みがそれらの広大な可能性を狭めていってしまうようにも思います。

誕生日はこの世に生まれた「命」を愛おしみ、生んでもらったことに感謝し、当たり前ではない日々を精一杯生きることを誓う日でもあります。幼い頃は父母、祖父母、保育者に無条件に受け止められることで、精一杯成長できるようによく食べ、よく遊び、よく寝ることで、頭と身体を成長させていくべきです。

何を祝福され喜んでもらっているかを子どもはよく分かっていません。しかし自分自身が喜ばれる存在であることは、徐々に理解できるようになっていきます。過剰な期待ではなくただただ存在していることだけが、大人にとっては喜びそのものです。考えてみればこの世に生まれるだけでも、それは「奇跡」と言える出来事です。

今日はお雛祭り【子どもや孫の幸せを祈り、病気や災いをさける心が、人形を中心とする節句行事「ひな祭り」を創りあげました。日本で産まれ、育まれてきたひな祭りは、まさに世界にどこにもない日本の貴重な伝統文化です。】も行いました。みんなで歌を唄い紙芝居(絵本)を観て、誕生月の子はお内裏様とお雛様になって成長を喜びあいました。

子どもたちに対する大人(親等)の願いは、健康に元気にすくすくと心も体も成長してもらいたい。ただこれだけで良いと思います。昨今は子どもに過剰な期待を押し付け、幼い頃から習い事に時間を費やしていますが、本来その時間は子どもが遊ぶことで様々な力を培う時間でもあるのです。

子どもの発達は「その時」を大切にしなければなりません。習い事で「あそび」、「なかま」との時間を過ごせないことは、将来子どもが大人になり力が逆転したときに、大きな反動(反抗、暴力)となって身近な人に向けられることもあります。子どもにとって心からたのしい「あそび」、「なかま」を奪っていないかどうか、振り返ってみる必要があります。

そして今日明日と児童発達支援施設「Fululu(フルル)民間施設」の子どもたちが、各10人遊びに来ます。ダウン症、自閉的傾向、こだわりの強い子等様々な子がいますが、園庭で遊んでいる姿はどの子もとても嬉しそうです。大きく異なる姿はそれほど目立ちません。

保育園の子どもたちも最初は少し戸惑いますが、回数を重ねていくことで、この機会がきっと他者とのやり取りに大きな影響を及ぼしていくことと思います。どんな子でも初めていく場所や会う人に対しては、「不安」、「警戒」等の心が働きます。同じ仲間と数か月一緒に過ごしている今の時期は、「安心感」がしっかりと心にあると思います。そんな時こそ「交流事業」の機会をたくさん持つべきだと考えます。

幼少の頃は人間関係の「質」より「量」が大切であることは確かです。たくさんの多様な人たち、人間関係に触れていくことが、オープンで理論的かつ優しく、思いやりのあるグローバルな人間性を育てるスタートラインになるものと信じます。 

カテゴリ:教育

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