自我の育ち
2026.03.07


「じぶんでやりたい」、「わたしがやるわ!」は、この頃から育っていく強い自分作りのための動機です。しかし自分だけではできないこともたくさんあるため、「やりたいのにできない!」といった矛盾した現実が立ちはだかり、どうしたらよいか分からなくなってしまうこともあります。
身体が出来ていても頭がついていかず、その逆もありで心には「イライラ ムシャクシャ」が積もってしまうことが度重なります。保育士は子どもがそんな状況に陥った時は、ある程度心が落ち着き納得できるまでそっと見守り、頑張っている姿を子どもが分かりやすいように、本人に代わり表現(言葉やしぐさ)してあげる(代弁)ことが必要です。
あまりに過度に欲求が満たされない状況、時間が続いていくと、子どもなりにストレスは大きくなり、チックやねじ曲がった表情が現れるようになってきます。その事は子どもからのSOSとしてしっかりと受け止める必要があります。
子どもたちは家庭では養育者、保育園では保育士等が包容力をもって対していれば、そこが一番の「安心」と「安全」を感じられる場所になるのです。そのことによって、自由に遊びまわり、物、素材、音楽、自然、絵本、仲間と積極的にかかわりたいといった欲求が芽生えます。その時こそ「教育」の機会と捉えなければなりません。
乳幼児における「教育」とは、決して知識を身につけることではないことをお伝えしておりますが、人間の教育とは「機」を大切にしなければなりません。そのことは乳幼児期がどんな発達段階であるかを掴むことによって理解できます。「あきらめない」、「がんばる」、「たちなおる」、これも何度も言っていますね。
ですから園庭の様に、自然物と道具や玩具との接点がいつでもあれば、子どもは飽くなき挑戦をいつまでも続けられます。しかし室内は意図的に物の配置や手順を明確にしておかなければ、子ども自身が「指示待ち」となり、頭を使う(物事の手順や方法)機会が生まれにくくなります。
人間は環境に左右されやすい生き物です。ましてや幼い時期は、広ければ「走りたい」、ごはんがあれば「食べたい」等と、自己の欲求にまっしぐらに向かいやすい時期ですので、おもちゃや絵本の「見える化」は、子ども自身がどこに何があるのかを考え、欲求を満たしなおかつ後片付けへの見通しなどを育てやすい環境と言えるのです。
また生活習慣は人間であることに尊厳(清潔・生命への感謝)をもつための大切な日常習慣です。よって手を洗う、拭く、椅子に座るエプロンをつける、いただきますをする等の手順や動線が、子どもなりに分かりやすくなっているように「見える化」されていることが大切です。
排泄、おむつ交換、着替え、食事などの生きている限り行う必要のある習慣に対し、正しい方法を心と体に根付かせるためには、養育者、保育者がより丁寧に子どもと一緒にその時間を過ごす(ゆったり・笑顔・気持ちの共有)方法と、子ども自身が行いやすいような環境(小さな椅子で着脱)をしっかりと用意することが必要になるのです。
カテゴリ:教育
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