お知らせ

いわさきちひろ 没後50年

2024.11.17

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赤いシクラメンの花は きょねんもおととしも そのまえのとしも 冬のわたしのしごとばの紅一点 ひとつひとついつとはなしにひらいては しごとちゅうのわたしとひとみをかわす。 きょねんもおととしも そのまえのとしもベトナムの子どもの頭のうえに ばくだんはかぎりなくふった。 赤いシクラメンの そのすきとおった花びらのなかから しんでいったその子たちの ひとみがささやく。 あたしたちの一生は ずーっと せんそうのなかだけだった。『戦火のなかの子どもたち』本文より 文・いわさき ちひろ

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おはようございます。
いわさきちひろさんが亡くなって50年です。10月6日の中日新聞日曜版では氏の足跡と、子どもたちへの愛、戦争で生まれた苦しみや哀しみへの思いを美しい絵と共に伝えています。「子どもは幸せで、平和でなければならない」という信念を持ったちひろさんは、長野県の「安曇野ちひろ美術館」、東京の「ちひろ美術館」で出会うことができます。二度と起こしてはならない戦争を、子どもを描いた素晴らしい絵から考えてみるのも入りやすいと思います。「決して戦争をしないこと」、武器を持ち最悪の事態を迎えたとき、大切な人を思いながら武器を使わないという選択ができるのでしょうか?それほど人間は優秀なのでしょうか?一度でも生身の人間が殺し殺される状況となった時に、判断する冷静さを持続できないことは、先の戦争で明らかになっています。その反省から作成された現憲法を変えることは、戦争へと近づいていくこととなります。戦争体験者がこの世を去ることで、今後ますます悲惨さを伝える貴重な機会が失われていきます。いわさきちひろさんが残した作品から何を読み取ることが出来るのか?意識を持って真摯に捉えようとする観る側の目線にかかっていることだと考えます。

カテゴリ:戦争

日本原水爆被害者団体協議会 ノーベル平和賞受賞

2024.10.23

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「本当にうそみたいだ」と頬をつねりながら、涙を流す被団協代表箕牧智之代表委員の姿がとても印象的でした。それだけノーベル平和賞の団体受賞は唐突で驚くべきことだったと思います。過去にも佐藤栄作氏、オバマ氏等の政治家等の受賞が主流でしたが、2017年国際NGO、「ICAN」=「核兵器廃絶国際キャンペーン」が政治と一線を引く平和推進団体として選ばれて以来2つ目の団体受賞となります。
被団協は世界で唯一の原子爆弾被爆国として、その悲惨さを世界へ地道に発信している団体です。その地味な活動がなぜ世界的な平和賞に選ばれたのでしょうか?その意味を当事国として重く受け止めなければならないと思います。政治的に日本は今もなおアメリカの「核の傘」に守られる立場をとっており、「核兵器禁止条約」には不参加です。せめてオブザーバー参加をと願うことが、市民の立場としては納得いく考えだと思うのですが?【歴代総理は、核兵器禁止条約について、これまで次のように説明している。「核兵器のない世界という大きな目標に向け重要な条約だが、核兵器国は1国たりとも参加していない」条約には、アメリカやロシア、中国など、核兵器を保有する国々が参加していない。そこに日本だけ加わって議論をしても、実際に核廃絶にはつながらないというのだ。日本としては、核兵器保有国と非保有国の双方が加わるNPT=核拡散防止条約の再検討会議の枠組みなどを通じて、唯一の戦争被爆国として双方の橋渡しとなり、現実的に核軍縮を前に進めることを優先する立場だ。】
そんな議論をよそにガザ、ウクライナでは今も無差別な爆撃で市民が犠牲になっています。そして解決しない報復の繰り返しはいずれ禁じ手である核攻撃に進みかねない状況を生み出しつつあります。その脅威に歯止をかけるのは、政治だけの世界ではもはや不可能なのかもしれません。この意味においても今回の受賞は、最後の砦である一般市民に訴えかける貴重なチャンスと捉えられているようにも感じます。
人間は叡智ある生き物のはずです。世界で起こっている紛争、気候変動は他人ごとではありません。いつの日か巻き込まれる時がやってくることは、どんなに理屈が正しくても結局のところ戦争は、見境ない殺戮に麻痺する人間の過去の姿が物語り、最近の猛暑、災害などの気象災害で思い知っているはずです。

カテゴリ:戦争

証言を読んで

2024.08.25

民間人に多くの犠牲者を出した沖縄戦
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おはようございます。
中日新聞で戦争を体験した人々の証言が連載されています。どのお話も人間がなすこととは思えぬ残酷さにあふれています。18日は沖縄戦に従軍したアメリカ兵ハーベイ・ドラホスさんの話でした。追いつめられた日本軍は、夜間住民をアメリカ軍から見える最前線を歩かせ発砲を誘うことで、アメリカ兵の位置を知り攻撃に利用していたようです。人間(民間人)を盾にしてまで戦おうとした事実は狂気に満ちています。お互いがお互いを破壊しあうことの愚かさを伝えています。氏は瀕死の重傷を負いましたが、生き残ることができたら「人を助けることをしよう」と誓い、地域の災害救助に携わったそうです。戦争を二度と起こしてはならないと心に誓うべきですね。為政者はその糸口となるような兵の配備、武器製造輸出について厳しい目線で最大限力を尽くさなければならないと思います。憲法改正には慎重になるべきです。明文化されることでさらに軍拡は進みます。
中日歌壇(8.18)
五年生で玉音放送聴きし日よ高射砲弾運んだ日なりき
あの夏の学童疎開の七歳の母に届けたしおにぎりと氷菓
玉音放送、学童疎開、戦争を経験してない我々にとって分からない言葉が含まれています。この言葉を紐解き、理解しようと思うところからが、戦争の理解、不戦の大切さを学ぶ機会となります。

カテゴリ:戦争

終戦の日に考える ヒロシマ、長崎原爆の日

2024.08.15

長崎 精霊流し
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おはようございます。今日は「終戦の日」です。
79年前の8月9日11時2分に長崎に原子爆弾が投下され7万人の市民の命が犠牲となりました。長崎では戦争に限らず昔から亡くなった人の魂を鎮めるために精霊流しが行われています。
【精霊船の由来とその伝統 精霊流しは、夏の終わりのお盆期間に特別に行われる、日本の伝統的な行事です。この儀式では、故人の魂を慰め、安心してあの世へ旅立てるように、精霊船を海や川へと流します。お盆には、家に戻ってきた祖先の魂を再び霊界へ送り出す「送り火」という行為とも似ています。一般に、送り火は8月16日に各家庭の玄関でろうそくを灯すことで知られていますが、お盆を祝う時期は地域によって異なり、7月に行う場所もあります。精霊流しの起源にはいくつかの説がありますが、最も有力なのは「彩舟流し」という、中国から伝わった伝統が日本で変化したものだとされています。江戸時代に日本に来た中国人によって行われたこの儀式は、亡くなった人々を海に流すことで供養する目的がありました。また、大きな船を建造して供養後に燃やす習慣もありました。その他にも、提灯を小舟に乗せて流す地方の習慣や、供物を草で編んだマットに包んで流す習慣が発展してきたという説もあります。これらはすべて、お盆に故人を追悼し、敬うための伝統的な行事の一つです。精霊流しは、原爆の犠牲者や震災の被害者を含む多くの故人を悼むイベントとして、お盆に行われています。】
この行事を知ったのはさだまさしが歌った「精霊流し」がきっかけでした。歌詞と行事の意味は異なっていますが、哀愁を帯びたメロディーは、人の生死のはかなさや人生の悲哀を感じさせます。各地にも灯篭流し等の行事は随所で見られます。京都の大文字送り火も死者を尊ぶ先祖供養の行事です。終戦の日を迎え、6日の広島、9日の長崎原爆投下、戦争で犠牲になった多くの人々を悔やむとともに、先祖を大切にし、二度と人間同士が争いによって命を落とすことがないように願わなければなりません。

カテゴリ:戦争

暑さと戦争

2024.07.28

長岡の花火 山下清 作(貼り絵)
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山下清 名言 みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりつくっていたら、きっと戦争なんか起きなかったんだな。

おはようございます。
うだるような暑さに毎年考えるようにしていることは、やはり戦争のことです。海や山などのレジャーが真っ盛りなこの時期にこそ、肉体と心の限界をも想起する暑さの中で、わずか数十年の間にどれだけの忘れがたい悲しみが生まれたことか、この現実を忘れず思い返していくことが、平和な世の中に暮らしている私たちの義務であると思います。
沖縄戦、本土空襲、南京大虐殺、シベリア抑留、中国残留孤児、日本が関わる戦争関連の歴史だけでも数多くあります。これが世界ともなればベトナム戦争枯葉剤散布、ナチスのユダヤ人虐殺、イランイラク戦争、ルワンダ虐殺・・数え上げれば切りがないほど殺戮の事実が存在しています。人間はかくも好戦的で残虐であることを心に留めておかなければ、きっと同じ悲惨を繰り返す本性を持っているのでしょう。だからこそ定期的にこれらの悲しみを思い出さなければならないのです。戦争体験がない世代はなおさらです。本物の悲惨はまさに「人間が人間でなくなる」行為行動に対し、何とも感じなくなるほど恐ろしいことです。現在も続いている身近な「戦争」も他人事ではなく、自分事として捉えていくようにしたいですね。

カテゴリ:戦争

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