クマと人間の接触
2025.11.03
なめとこ山の熊 宮澤賢治おはようございます。
クマとの遭遇による人的被害が多発しています。特に生息数の多い東北地方では件数が増え、人里に現れ人家や倉庫内にも侵入し、深刻な事態を招いています。国は「緊急銃猟(狩猟が認められていない場所であっても緊急を要する場合市町村長の許可で許可できる)」執行、自衛隊を派遣し、最悪の場合に備えていますが、相手は一筋縄ではいかない猛獣であること、重ねてハンターが民家が立ち並ぶ場所での発砲による人的被害を怖れ、対応が進んでいるとは言えない状況です。
元々クマは神聖な生き物と位置付けられ、神に近い存在として扱われてきました。様々な風習や物語にもクマとの接点は大切に扱われています。特に知られている文化が「マタギ」という今はほぼ継承されなくなった職業(猟師)の存在でしょうか。東北地方の山村集落では人間が生きる糧を得るために、クマを殺し肉を食べる、熊の胆(薬・滋養強壮)、皮を売り生活のために金銭やコメ、豆、野菜などを購入し細々と生活してきました。残さず血の一滴まで使い切ることで、自然物、山の神への感謝と畏怖の念を伝えてきたのです。
宮澤賢治の童話にも「なめとこ山の熊」で、人間とクマとの関係性がとても分かりやすく描かれています。クマは本来生きる為にブナの実などを食べる雑食性の生き物です。子育てや冬眠前に食べ物が枯渇し致し方なく山里に下りてくることで、不幸にも人間と出くわし敵と認識し「やられる前に仕掛ける」といった行動につながると専門家は説明しています。
自然を破壊し他の生き物を脅かす権利など人間にはありません。気候の変動はもはや止める術もなく悪化の一途をたどるばかりです。他の生き物との「共生」を心底願うならば、私たちは自然破壊の引き金である山の開発、進みすぎる科学技術にあぐらをかくのではなく、AIが必要とする多量な電力を賄う必要があることを理由にして、原発を容認するべきではないと考えます。人間はすべての生き物の支配者ではありません。大いなるものへの尊厳を考えるべき時です。
カテゴリ:生き物・自然・人間
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