「見通し」の大切さ!
2024.06.24

子どもたちは様々な環境に対し、自らの身体をコントロールしうまく動かし適応しようとしています。これは脳だけの判断ではできることではありません。むしろ先に末端が地形、形状、感触などを体験することで、その情報が脳へ伝わっていると考えられています。これが学習と言われる人間の成長には欠くことができない発達の過程です。
おそらくマット遊びは今日が初めてではなく、前年度から雨の日などに行っている活動だと思います。園庭にある築山とは異なり、柔らかでフワフワした感触は、自分自身の体重をどこへ持っていくのかを、体が掴んでいないとバランスを崩してしまいます。それなりの感触の見通しを持っているからこそ、思い切った動き(マット上を走る、転がる)に挑戦することができます。余裕ある表情も経験があるから故の笑顔、楽しさの表現なのです。
また「楽しいことの見通し」は、マットを運ぶなどの準備も皆で力を合わせ行うなどの行動に繋がっていきます。もちろん子どもにとっては物を運ぶことさえ「あそびの一部」です。ですが結果的に個々が「このマットで楽しみたい」といった動機を持ち、偶然にも行動が一致したときに、「皆で力を合わせる」ことは、ひとりではできないことも、「仲間がいれば可能になる」を経験することとなるのです。今の段階は完成された協力ではありません。しかし、「協力」という気高く、崇高な人間力は、幼い時から、今日のような経験を繰り返す中で培われていくものだと考えます。
これらの心の成長も、個々の子どもがやってみたいと思う遊びが元となっています。「あそび」は子どもたちの成長の元です。いわば我々大人の仕事と同じです。その権利を保障し、守っていかなければ人類の未来は危ういと思います。
カテゴリ:発達
あそびから学ぶ
2024.06.24

したにも 落ちたぞ!

うまくはいったようだね こうして物の大きさを学んでいます
今日も子どもたちの様々な様子が見られました!絵具という素材、水が混ざったときの変化、絵の具同士が作り出す様々な色等々、絵具という素材の感触と色の変化は子どもたちにとって、とても不思議に感じられる対象です。初めての感触、使い方に戸惑い、躊躇し「やらない」という選択肢もあってよいのです。いつの日かおもしろさを体感する日がやってくると思います。それまでは楽しみに待つことといたしましょう。
年少の子どもへの優しさ(一方的な配慮?)、それでも幼いなりに遠慮や気遣いをして、そっと「お返しする」かわいい場面、こども心の繊細さが映し出されています。子どもたちはこのような感情のやり取りを体験しながら、友だち同士の言葉や行動の方法を学んでいるのだと感じます。
最後は箱の中に木のナイフでしょうか?収納しようと掌で押し込んでいる姿ですね!形状が異なる箱とナイフをどうしても箱の中にしまいたかったのでしょう。少々無茶な感じもありますが、目で確認し入ると考えたと思います。上手に(偶然に)?斜めに置かれたことで、箱の中にナイフは収まりました。このように何度も試していると、ピッタリくることもあります。そこで長さ、幅、高さ、細い、太いなどの形状の違いを学んでいくのだと思います。
幼い子どもたちは自在に動かすことができるようになった手指を使い、様々を試します。長さを図るわけではなく、ほぼ直観でドンドンと思いをぶつけていきます。そして偶然にも思いが達成されたとき、深い満足感と次回への記憶として心の中に刻み込まれていくのです。
カテゴリ:発達
こども心
2024.05.11

ブロックをつなげる、積み木を積む、並べる、パズルを当てはめる等の遊びは、結構な根気と集中力を必要とします。それぞれの好みや発達に合う課題を自己選択することで、欲求を満たしさらに難解な自己のイメージを作り上げようと頑張る力も、やはり小さくても積み重ねられた達成感、成功体験があってこそです。無理なく達成感を持てる素材、「つなげる」といったシンプルな玩具の扱い方さえ分かっていれば、どれくらい自分で時間をかけて遊ぶかは本人の自由です。
このような様々な環境が室内では重要です。あまりにも難しい課題ばかり、全身を使わない道具や玩具ばかりでは、子どもたちは「力をいっぱい使いたい!」といった、欲求が溜まってしまい、心がそわそわ、むしゃくしゃし、「怒り」、「鬱屈」などの感情に押しつぶされてしまう状況さえ起こってきます。身体を動かしたいといった気持ちは、自分の身体を発達させたいといった自然な欲求なのです。だから雨が降ろうが、災害が起きようが子どもたちには大切な機会なのです。
また、子どもたちにとって「自分の心を自由自在にコントロ-ルすること」はとても難しいことです。ある程度大人に理解してもらいながら、自分の欲求を満たすことができる環境を用意される必要があります。さらに子どもは日常生活品に対してもとても興味を持っています。ある程度慣れてくると、大人が「これを触ってもらうと困るな」というものに限って盛んに扱おうとします。そんな時、頭ごなしに叱るのではなく、ぜひ子ども目線から考えてみてください。叱られるよりも「感じた楽しさや思いに共感してもらう」ことが、本人の大きな力となります。密度の濃い関り云々というよりも、子どもの気持ちの理解者であるように努力することが、子どもの大きな心の満足、安心感を生み出します。そこが出発点で健全な成長発達が進んでいくと思います。
カテゴリ:発達
限界のない子どもの世界!
2024.04.29


子どもたちは毎日同じ環境で過ごしていくことで、自らの心を安心感で満たし、余裕の中で様々な玩具と自然環境に働きかけていくことの楽しさを味わい始めていきます。このような遊び方が見られるようになれば、子ども自身の判断、行動を私たちはむしろ学ぶ目線へと変えていくことができます。もちろん子どもの安全と健康は最優先ですが、発達といった観点では子どもの物や人への関わり方から学ぶべきことは非常に多いのです。「子どもに学ばせてもらっている」この気持ちを持つことが、子どもの力をさらに伸ばしていくヒントに気付けるようになります。
直観的に子どもは遊びの楽しさを味わえる場面や人を選んでいきます。大人がどのような環境ときっかけを与えられるかは、子どもにとって大きな魅力となっているはずです。その期待を大きく持てる対象に子どもは集まり、楽しさを積極的に味わいたいのです。この貪欲さに限りはありません。給食の時間が来ようが、誰が何をしようが自分の欲求を満たしきるまではその場を離れようとしません。考えてみると寝食を忘れてまで「あそび」に熱中できるのは、理性が十分に働かないこの時期にしか体験することができないとも言えます。限度はあります。しかしその限界をぎりぎりまで過ごすことでも子どもの力は伸びていきます。怪我と病気にだけは最低限の養護的視点を外すことはできませんが、「限界を見ない心持」にこそ、人間の発達の可能性が秘められていることも確かなことだと思います。
カテゴリ:発達
過去の発達に寄り添う姿
2024.04.21

不思議なものですね!人は過去にたどった自分の道を進んでいる仲間に、とてもやさしく寄り添うことができるものなのです。斜面がちょっと怖くてハイハイをしていると、土、身体使いなどを見せてくれたり、おにーさんおねーさんは一生懸命考えて、おとうとやいもうとがやりたいことを探り当てようとしています。ただただ園庭という場所で一緒に時間を共有するだけで、このような関係性が生まれてきます。これは大人が作ろうとしてできるものではなく、子ども同士自らが働きかけあうことでできる関係性です。
多世代で生活する意義は、まさにこのような子ども同士の屈託のない関係性に原点があります。もともと人間は助け合うようにできているのです。親子、祖父母が一緒に生活していればよいのですが、昨今はそのような大家族が少なくなってきました。現代社会で今必要な環境は、戻りようのない大家族生活ではなく、他人同士でもしっかりと関係性を作りあえる社会の在り方だと思います。そんなに難しく考えることはなく、シンプルに子どもたちの世界のように自己開示し、受け止めあうことで自然に生きていくことができるはずです。
以前ゴリラの社会についてお話したことがあったと思いますが、様々な生き物はそれぞれに独自な社会性を持ち生活しています。人間以外の生き物は「生きる」ということに真っすぐだと思います。ただただ自分たちの種族を保存することのために忠実です。人間は様々な科学技術を駆使し生活を豊かにしてきましたが、その豊かさに序列をつけ、優劣の差に満足することで生きるようになってから争いが絶えなくなりました。その価値観から抜け出し共同生活を守っていくことは、「自分が自分が・・・」の自己中心的発達段階(3-4歳)を過ぎ、協働社会を学んできた今を生きる人間の大きな課題だと考えます。ですが、それは大上段に構えた理屈ではなく、今日、そして明日顔を合わせる大切な人たちと楽しく想像力を持って生きていくことなのです。
身近な子どもたちの存在は、「シンプルに生きることが大切だよ!」と呼び掛けています。大人はその声に耳を傾けなければなりません。
カテゴリ:発達