お知らせ

こども心

2024.05.11



ブロックをつなげる、積み木を積む、並べる、パズルを当てはめる等の遊びは、結構な根気と集中力を必要とします。それぞれの好みや発達に合う課題を自己選択することで、欲求を満たしさらに難解な自己のイメージを作り上げようと頑張る力も、やはり小さくても積み重ねられた達成感、成功体験があってこそです。無理なく達成感を持てる素材、「つなげる」といったシンプルな玩具の扱い方さえ分かっていれば、どれくらい自分で時間をかけて遊ぶかは本人の自由です。

このような様々な環境が室内では重要です。あまりにも難しい課題ばかり、全身を使わない道具や玩具ばかりでは、子どもたちは「力をいっぱい使いたい!」といった、欲求が溜まってしまい、心がそわそわ、むしゃくしゃし、「怒り」、「鬱屈」などの感情に押しつぶされてしまう状況さえ起こってきます。身体を動かしたいといった気持ちは、自分の身体を発達させたいといった自然な欲求なのです。だから雨が降ろうが、災害が起きようが子どもたちには大切な機会なのです。

また、子どもたちにとって「自分の心を自由自在にコントロ-ルすること」はとても難しいことです。ある程度大人に理解してもらいながら、自分の欲求を満たすことができる環境を用意される必要があります。さらに子どもは日常生活品に対してもとても興味を持っています。ある程度慣れてくると、大人が「これを触ってもらうと困るな」というものに限って盛んに扱おうとします。そんな時、頭ごなしに叱るのではなく、ぜひ子ども目線から考えてみてください。叱られるよりも「感じた楽しさや思いに共感してもらう」ことが、本人の大きな力となります。密度の濃い関り云々というよりも、子どもの気持ちの理解者であるように努力することが、子どもの大きな心の満足、安心感を生み出します。そこが出発点で健全な成長発達が進んでいくと思います。

カテゴリ:発達

限界のない子どもの世界!

2024.04.29





子どもたちは毎日同じ環境で過ごしていくことで、自らの心を安心感で満たし、余裕の中で様々な玩具と自然環境に働きかけていくことの楽しさを味わい始めていきます。このような遊び方が見られるようになれば、子ども自身の判断、行動を私たちはむしろ学ぶ目線へと変えていくことができます。もちろん子どもの安全と健康は最優先ですが、発達といった観点では子どもの物や人への関わり方から学ぶべきことは非常に多いのです。「子どもに学ばせてもらっている」この気持ちを持つことが、子どもの力をさらに伸ばしていくヒントに気付けるようになります。

直観的に子どもは遊びの楽しさを味わえる場面や人を選んでいきます。大人がどのような環境ときっかけを与えられるかは、子どもにとって大きな魅力となっているはずです。その期待を大きく持てる対象に子どもは集まり、楽しさを積極的に味わいたいのです。この貪欲さに限りはありません。給食の時間が来ようが、誰が何をしようが自分の欲求を満たしきるまではその場を離れようとしません。考えてみると寝食を忘れてまで「あそび」に熱中できるのは、理性が十分に働かないこの時期にしか体験することができないとも言えます。限度はあります。しかしその限界をぎりぎりまで過ごすことでも子どもの力は伸びていきます。怪我と病気にだけは最低限の養護的視点を外すことはできませんが、「限界を見ない心持」にこそ、人間の発達の可能性が秘められていることも確かなことだと思います。

カテゴリ:発達

過去の発達に寄り添う姿

2024.04.21



不思議なものですね!人は過去にたどった自分の道を進んでいる仲間に、とてもやさしく寄り添うことができるものなのです。斜面がちょっと怖くてハイハイをしていると、土、身体使いなどを見せてくれたり、おにーさんおねーさんは一生懸命考えて、おとうとやいもうとがやりたいことを探り当てようとしています。ただただ園庭という場所で一緒に時間を共有するだけで、このような関係性が生まれてきます。これは大人が作ろうとしてできるものではなく、子ども同士自らが働きかけあうことでできる関係性です。

多世代で生活する意義は、まさにこのような子ども同士の屈託のない関係性に原点があります。もともと人間は助け合うようにできているのです。親子、祖父母が一緒に生活していればよいのですが、昨今はそのような大家族が少なくなってきました。現代社会で今必要な環境は、戻りようのない大家族生活ではなく、他人同士でもしっかりと関係性を作りあえる社会の在り方だと思います。そんなに難しく考えることはなく、シンプルに子どもたちの世界のように自己開示し、受け止めあうことで自然に生きていくことができるはずです。

以前ゴリラの社会についてお話したことがあったと思いますが、様々な生き物はそれぞれに独自な社会性を持ち生活しています。人間以外の生き物は「生きる」ということに真っすぐだと思います。ただただ自分たちの種族を保存することのために忠実です。人間は様々な科学技術を駆使し生活を豊かにしてきましたが、その豊かさに序列をつけ、優劣の差に満足することで生きるようになってから争いが絶えなくなりました。その価値観から抜け出し共同生活を守っていくことは、「自分が自分が・・・」の自己中心的発達段階(3-4歳)を過ぎ、協働社会を学んできた今を生きる人間の大きな課題だと考えます。ですが、それは大上段に構えた理屈ではなく、今日、そして明日顔を合わせる大切な人たちと楽しく想像力を持って生きていくことなのです。

身近な子どもたちの存在は、「シンプルに生きることが大切だよ!」と呼び掛けています。大人はその声に耳を傾けなければなりません。

カテゴリ:発達

泣く、笑う、意欲、集中、リズム!

2024.04.06



朝は泣いているおともだちがほとんどでしたが、「いかがですか?」、園庭での遊びを見ているとまるで違う姿が映し出されています。「子どもってこういうものですね!」。「たのしい」、「おもしろそう」を見つけることができれば心は安定していきます。室内の環境は家庭やそこに続くご家族様の記憶を思い出しやすいこともあり、中々寂しさから抜け出すことができませんが、屋外、園庭の世界、自然環境が発する魅力は、「さみしさ」さえどこかへ吹き飛んでしまうほど子ども心をくすぐり、「集中の世界」へと引きずり込んでいきます。「あの車を使いたい」、「スコップで土をすくってみたい」そんな欲求が次々と押し寄せてくるため、泣いている暇などありません!活動量が増せば当然お腹も空きます、だからおやつ(補食)は大切になります。お昼ごはんまで活動するためのエネルギーを蓄えておかなければならないからです。こうして、集団の場において「遊ぶ」、「食べる」、「寝る」、「排泄する」のリズミカルな生活が形作られていくのです。「泣く」、「笑う」、「動く」、「心を働かせる」、これらはすべて蓄えられているエネルギーを消化していきます。空っぽ、満タン、この刺激こそ成長の元です。

さらに「見るのが初めての遊具、築山」、「様々な植物に満ち溢れた環境」への挑戦意欲も焚きつけられます!初めて山に登る子どもたちは、その多くがハイハイの姿勢です。「怖さ」が心を満たすことで本能が働きます。この感情こそ身を守るためには必要な心です。怖いもの知らずでは必ず「大きなけが」を伴う結果を生みだしかねません。幼くても「怖いからしゃがむ」、「お尻をつき滑り降りる」、「四つ這いで登る」の選択ができることがとても大切です。身体使いは理屈ではありませんので、このような少し怖い経験も必要です。このようなケースにいつも大人が先走り、「座って」、「そこで待ってて」等と行動の指示をしてしまうと、指示待ちとなり子ども自身の危機管理能力は育たなくなります。普段から発達を理解し、子どもの力を信じることも自分で考える、安全な方法を身体で覚えるといった視点でとても重要です。

したがって保育士は今この瞬間に「どんな動き方、移動、選択」を子どもたちが行っているのかを注意深く観察します。この「視る」という行動の中に、どれだけの知識と経験を基にした予測の力を持っているのかが、保育士、教育者の力量とも言えます。初任の保育士はその守備範囲が狭量であることが当たり前です。だからこそ経験と学びの力を実践に映し出している、中堅以上の保育士との連携が非常に大切となります。よって「風通しの良い職場環境」、「信頼し合える関係性」の構築が保育者集団の目標でもあるのです。

ご家族の皆様はお子様をどんな子にお育てになりたいですか?そんな問いをご自身に課しながら、どうぞ子育てを楽しんでください。「痛痒い」、「苦し楽しい」等、両極端を表す言葉がありますが、子育てはまさにそんなドラマティックな日々の連続なのです。我が家にもいまだに母親が保育士とやりとりした、毎日の「お便りノート」が我が家の家宝として本棚に君臨しています。「こんなに子どものことを気にかけ」、「これほど楽しむことができた乳幼児期」は、それ以後子どもたちが自立の度合いが増していくにつれなくなっていきます。どうぞ「今」を楽しんでください。第二子、三子とお子様が増えたとしても、唯一のひとり一人のお子様との絆つくりは今この瞬間現在進行形です。

カテゴリ:発達

発達の個人差

2024.04.06



1歳児クラスの子どもたちは、具体的に形を成している物(野菜、イチゴ、プリン等)を使ってイメージを膨らませていく時間が長いと思います。分かりやすい玩具を使いお母さん、コックさん、運転手さんになり切って(つもり遊び)集中していくことで、ひとり遊び、仲間との関りに集中し楽しい時間を過ごしていきます。この遊びを繰り返すことが大切です。繰り返すうちに自ずとブロックや積み木、あるいは粘土、土、水等変化にとんだ素材を見立てる力が育っていきます。

例えばブロックの車にしても「これは救急車」と自分なりのイメージで命名し遊べるようになってくるのです。そんな発達は大人が準備してどうこうなるものではなく、子どもたちの心が熟して(発達して)くれば自ずと起こる変化です。どんな発達も「今」この時を十分に過ごしていくことが、回りくどいようですが次のステップへ進む力となるのです。ただし、保育士は「そろそろこの素材でどうだろうか」と次の段階のがんぐ、プログラムを意図的に用意していくことは必要です。これが子ども主体の環境を整えるといった観点です。

また次の発達への移行時期は個人差がありますので、決して他の子と比較しないことです。歩くまでが早かったと言っても、ハイハイの時間が短ければ足腰の強さが不十分であることも考えられます。ですがそれすら個性であり、歩きだしてから本人がその弱さを補完する機会が必ずやってきます。自然に任せ見守り、本人の心身の発動を促す、この姿勢で良いと思います。発達のスピードや生活習慣の時期に親があまりにもナーバスになると、その心は必ず子どもたちの心にも影響を及ぼし、神経質で不安いっぱい、自身のなさなどに繋がってしまいます。「だいじょうぶ、だいじょうぶ」これが大切ですよ!

カテゴリ:発達

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