お知らせ

教育の機会は子どもの選択を尊重すべし!

2023.10.19

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はい ここにはいってね!

今日も様々な発見と挑戦がありました。生き物(カエル・バッタ)は条件がそろうと突如現れることがあります。その体験が子どもたちの心の中で次の機会の期待へとつながります。さらに進むと「どんなところにいるのだろう」、「いつ頃出てくるのだろう」、「何を食べるのだろう」などの興味へと移っていきます。

「触れる」という自己の意思による行為は、体験を重ねるほどに、どのように持ったらよいか、「ここを強く持つとつぶれてしまう」、「足を持つと足を切り離して逃げていく」といった虫の身体の性質、戦略にまで思いを馳せることができるようになっていきます。秀でた意欲や能力が一人ひとりの子どもたちの誰のどこに潜んでいるかなどは、たとえ親ごさんであっても分からないことかもしれません。

だからこそ大人の影響をあまり強くすること【「気持ち悪い(虫を見ただけで)」、「キャーっと逃げる」】等の言動は子どもの前では慎まなければなりません。大好きで信頼できる人の反応は、子どもたちはそのまま受け取り真似をします。それによって昆虫、植物、両生類、魚、鳥などへの興味の道は閉ざされてしまうかもしれません。何も学者を目指そうなどと言っているのではありません、「選択の機会」を大人の先入観でなくしてしまってはならないと思うのです。子どもたちには選ぶ権利があります。どんなことに関心を示すかは子どもにより様々ですので、是非無理なく出会う出来事が、子どもたちの判断にゆだねられることを願っています。

集団の場であそんでいると自然に、同じ遊び方が好きな子で集まります。また、順番を待ったり、先を争うなどの場面が生じます。これがまさに子どもたちの学びの場面です。我慢ができない、怒ったり、悲しむこともあるでしょう。ですが、この心の動きがあるからこそ他者に譲ることもできるようになるのです。子どもたちの世界はさほど合理的ではないと思います。力でねじ伏せられる、勢いに押されたりすることも頻繁です。そんな機会があるから小中高と進むにつれ「人間関係の駆け引き」を身につけるための下地が出来上がっていくのです。一足飛びに「礼儀正しさ」等が身につくことはあり得ませんね。

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「どんな木を育てますか」  第五十一候「蟋蟀在戸 (きりぎりすとにあり)」 10/18~10/22頃

2023.10.18

星の王子様とキツネ 


おはようございます。
【七十二候が寒露の末候に変わり、戸口で秋の虫が鳴き始める頃となりました。“キリギリス”とありますが、昔は「蟋蟀 (コオロギ)」のことをキリギリスと呼び、秋に鳴く虫の総称でもありました。コオロギは「コロコロ」「リィーリィー」、鈴虫は「リーンリーン」、松虫は「チンチロリン」と鳴き、秋の夜長を賑やかに楽しませてくれます。
ちなみにキリギリスは「ギーッチョンギーッチョン」と機織りのように聞こえることから、別名を機織り虫というそうです。】
「どんな木を育てますか(社説)」15日の新聞は考えさせられる記事満載でした。劇作家テレーサ・ルドヴィコさんの話です。氏は日本の子どもたち向けに脚本を書き、演出を手がけました。皆さんは「星の王子さま-サン=テグジュベリ」の話をご存じかと思います。内容は分かりにくいと言えばそれまでですが、友になったキツネの言葉「本当に大切なものは目に見えない」は、このお話の主題でもあります。【人間らしさとは、希望とは・・・。経済優先の混沌とした現代社会への問いかけが詰まっていました。】
子どもたちの心に種をまくことは、これからの世の中を生きていくために必要なことだと思います。本当に子どもたちに残せるものは何でしょうか?それはお金でも土地でも名誉でもないと思います。「目には見えないもの」きれいな水と空気、人生を豊かにする思想や差別、戦争のない平和かもしれない。子どもたちが今わからなくてもよいのです。分かるようになる年齢で分かってくれるように種をまくことが大切です。

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暑い時期のお散歩 子ども目線

2023.08.10

避難車は輻射熱対策にもなる


暑い日ですが、日陰を選び、避難車に乗り輻射熱を避け、日陰の多い公園までお散歩に行きました。子どもたちにとって外の世界を体験することはとても大切です。今日は風もあり昨日までより涼しさも感じられたため、短時間を外で過ごすにはチャンスです。れんげ組のお友だちについてきてもらい、保育人数が少ない時ならではの異年齢組み合わせも、いつも一緒にいる仲間だけではない心の育ちに有効です。大きい子からすれば「お世話しよう」、「なんとなく落ちつく」、小さい子からすれば「何でも上手だね」、「あこがれ」等の感情が湧き出てくることもあるでしょう。そんな心情の現れを喜びをもって大人は受け止める必要があります。

健康面では部屋の中で冷気に当たり、汗をかかずに過ごすばかりを避け、適度に汗をかき体内の循環を促していくことも必要です。ですが必要以上に汗をかく、体温をあげすぎることは、熱中症の危険が高まるため、健康を保つための見極めと管理が重要になります。避難車での移動もアスファルトからの輻射熱を防ぎます。無理して歩くことは、背の低い子どもたちにとっては熱をまともに受け、非常にリスキーな行動です。そのような基本的知識と臨機応変な事態への対応力を、日ごろから心がけておけば、病気や事故につながる確率も低く抑えられます。

乳幼児の心と体は密接に関連しています。心が負に傾けば、病気や事故の確率は増しますが、どのようにコントロールするかは、経験と乳幼児心理学、保健、遊びなどをバランスよく学んでいる専門家にゆだねるべきところはお任せください。例えば入園直後の慣らし保育は、まさに心の安定を得られていないお子さんが、リスクの高い状況を避けるためにとても大切な対応です。
「子ども主体」、「子どもの人権尊重」とは、大人の都合に左右されず、健康を維持し成長を保証されることです。もちろん保育園は社会生活を送り家計を支え、さらにキャリアを積み、自己の人生の充実と社会貢献に頑張っておられる保護者様を大いに応援していきます。かたや子どもたちにとっても大事な時がありますので、緩急使い分け、ポイントを意識し上手にお互いが幸せな時間を過ごせるように心がけていけば心配はありません。

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子育てを楽しむ!

2023.08.09

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子どもたちは「変化」も「同じ」も大好きです。人体はどのようにでも形を変えられます。電車や車が暗く小さな闇のなかへ突入し、勢いよく元の空の下へ飛び出すことができるトンネルは、子どもたちにとってワクワクする興味の対象物です。自らの身体をつかって、子どもたちの多様な欲求と楽しさを引き出すことは、頭で考えたことを身体で表現する、とても創造的な方法でもあります。

私は昔パントマイムを習っていましたが、その時、身体は訓練次第では部分々を動かすことで、多様な表現ができることを体で覚えました。マルセル・マルソー(来日経歴あり)、エティエンヌ ドウ クルーなどのフランスの芸術家は「思考する身体」という考えの元、創作活動を行い、見事な舞台を見せてくれました。マイム(言葉ではなく動きや表現で伝える)はどちらかと言えば、日本人のように控えめな民族にとっては、見慣れないコミュニケーションだと言えます。しかし、最近では文化も欧米化が進み、今の世代はむしろ積極的な表現が好まれるように変わってきていると思います。

身体を訓練とまではいかなくても、発想次第では子どもたちの興味を引き出し、意欲的生活へと導くことは可能です。力のあるお父さんであれば、自分の身体を使い飛行機、登り棒、ぶら下がり(ブランコ)等身近で愛情あふれる遊び場を提供することさえできます。素敵ではありませんか。肩車、おんぶ、つま先に乗せてペンギン歩きもできますよ!これらの運動は子どもたちのためであると同時に、大人の運動不足解消、子どもたちの育ちの喜びを共感する行動とも言えます。子どもの笑顔に知らず知らずのうち、汗びっしょりとなって心も楽しくなっていきます!

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子どもを育てる=大人がしっかりと生きること

2023.07.28

大暑
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おはようございます。気温が36度と聞いてもさほど驚かなくなるのは、慣れることに対する人間の適応力なのでしょうか?今日も厳しい暑さが続きます。健康維持に留意していきましょう。
【七十二候が大暑の次候へと変わり、熱気がまとわりつくような蒸し暑い頃となりました。土が強い陽気を受けて熱を発することや、熱そのものを「土熱れ (つちいきれ)」といいますが、まさにこの時期の蒸し暑さを体現している言葉といえます。また、じっとりと蒸し暑いことを表す「溽暑 (じょくしょ)」は、陰暦6月の異称にもなっています。
よくニュースや新聞などで耳にする「夏日」や「真夏日」。この「夏日」とは最高気温が25℃以上の日、「真夏日」30℃以上の日のことを指しています。加えて2007年からは、35℃以上の日を「猛暑日」と呼ぶようになりました。またこの時期、夜になっても気温が下がらず、寝付けない日がありますが、このような一日の最低気温が25℃以上の日は「熱帯夜」と呼ばれ、真夏日や真冬日とともに、気候の統計値に用いられています。】
明日土曜日は本園にて4回目?の「フードバンク」を開催いたします。暑い最中ですが、ぜひお出かけください。地域の方、心優しいスタッフが待っています。この機会は食べ物を必要としている人たちのためだけの集まりではありません。どなたでも参加できます。買い物でスーパーへ行くのと異なるのは、「誰かと接点を持つことを大切に思う」これだけだと思います。挨拶を交わすだけかもしれません。ですが、伴う笑顔に触れ、「会えた喜び」、「笑顔を返し返される」ことで、その日1日を幸せな気持ちで過ごすことができるかもしれません。人は自分のテリトリーで待ち構えているだけでは何も変わっていきません。動いてみることで何かが変わっていくこともあります。お待ちしております。行ってらっしゃい。


子どもは大人を真似て育ちます
同じ空間にいることで、様々な影響をお互いが与えあっていきます。ひとつの器、壊れたバケツの取っ手を大事に直そうとする姿、水浸しの友だち、優しく見守る保育士、「友だちと同じことを楽しみ、思いを共有する」。この五感を働かせた活動が、どれほど子どもたちの心を揺さぶっていることか、言葉が未熟である子どもたちは、なおさら視る、聴くに対し敏感な感性を持っています。入ってくる情報はきっと子どもたちにとって新鮮で、驚きに満ちていることばかりだと思います。

人間は医学的には20歳から、表面的には40歳あたりから老化が目立ってきますが、脳の老化は少し異なるようです。努力次第で脳は若さを保つことができるようです。食や睡眠などが影響を与えていることも知られています。という意味では子どもたちは、環境さえ用意すれば、努力しなくても自然に高い感受性を身につけていくことが可能な時代だと言えます。五感で感じたことを、もち得る経験と脳組織をフル回転し、さらに神経細胞同士の連携を高めています。瞬間的に学んだことは深く記憶として残り、思考と行動の原動力となっていくのです。

「物を大切にする詳細」、「人にやさしくする心根」、「丁寧に人を扱う様子」、「落ち着いた声の速さと大きさ響き」これらは、すべて目の前の大人の自分に向かう姿勢がモデルとなっているのです。そのように考えれば子どもに対する言葉、姿勢について保育士というプロフェッショナルは考えなければなりません。「表現の個性」と「養護」、「教育」は別問題です。皆様のご家庭においてもやはり「言葉」、「行動」などの環境は、子どもが最も信頼しているご家族に対しては、そのまま真似、伝わる可能性が大きいのです。

最近は上記以前の「子どもの人権」が、全く考えられていない事件ばかりが起こっています。これも加害者の家族(親やきょうだい自身)が、自分の育ちの中で人権を踏みにじられてきた可能性が高いと考えられます。大切に育てられてきたのであれば、少なくとも自分の子どもやきょうだいの命を奪うような結末にはならなかったはずです。貧困や育てるにふさわしくない社会となっているならば、この根本を解決していかない限りは、また同じような事件は起きていくでしょう。「機会を作れる人」、「子育てが一段落した人」、「専門家」は立ち上がらなければなりません。「自分さえよければ・・・・」から離脱し、隣人に目を向ける時は「今」しかありません。

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