にこにこママフェスタ
2024.06.02
おはようございます。
先週日曜日に泉人にて「にこにこママフェスタ」が開催され、相変わらずの盛況で若い親子連れでにぎわいました。卒園生の皆様、保護者の皆様もおいでいただき嬉しく思います。ありがとうございました。
蟹江町は若い家族が増えつつあります。見合った子育て支援策やインフラ、制度などが充実していくことを期待します。いつかは子どもたちも年老いるものです。そのためにも長期的見通しを持ち、今現在高齢を迎えている人々とも接点を作り、多世代が助け合っていける、民間レベルのつながりを模索していかなければなりません。そのためにはあらゆる公共施設、営利組織が社会に還元していく「心意気」を、形として現わしていく必要があります。
保育園の行事にも保護者の皆様の参加が少しづつ増えているようで嬉しく思います!どうぞ皆様の地域社会、人間関係、繋がりがより豊かになり、助け合い、刺激しあうことで良き街作り、人作りが盛んになっていくことを心より願っています。「千里の道も一歩から」、「ローマは一日にして成らず」、たとえ小さな歩みであっても、おひとりの勇気ある試みに賛同される方は必ずいます。保育園を安心地帯としてどしどし活用していただければよいのです!そんな前向きなお話をぜひお待ちしています。レッツエンジョイライフ!です。
先週日曜日に泉人にて「にこにこママフェスタ」が開催され、相変わらずの盛況で若い親子連れでにぎわいました。卒園生の皆様、保護者の皆様もおいでいただき嬉しく思います。ありがとうございました。
蟹江町は若い家族が増えつつあります。見合った子育て支援策やインフラ、制度などが充実していくことを期待します。いつかは子どもたちも年老いるものです。そのためにも長期的見通しを持ち、今現在高齢を迎えている人々とも接点を作り、多世代が助け合っていける、民間レベルのつながりを模索していかなければなりません。そのためにはあらゆる公共施設、営利組織が社会に還元していく「心意気」を、形として現わしていく必要があります。
保育園の行事にも保護者の皆様の参加が少しづつ増えているようで嬉しく思います!どうぞ皆様の地域社会、人間関係、繋がりがより豊かになり、助け合い、刺激しあうことで良き街作り、人作りが盛んになっていくことを心より願っています。「千里の道も一歩から」、「ローマは一日にして成らず」、たとえ小さな歩みであっても、おひとりの勇気ある試みに賛同される方は必ずいます。保育園を安心地帯としてどしどし活用していただければよいのです!そんな前向きなお話をぜひお待ちしています。レッツエンジョイライフ!です。
カテゴリ:子育て
自然は最大の教師!
2024.05.27
おはようございます。
昨日「お出かけ留学(カフェマンマ 主催行事)」が本園にて実施されました。参加人数は体調を崩された方もあり親子1組(母・3歳児・7か月児)でしたが、「以前から本園に興味をもっていました」、とのお話を伺い嬉しい気持ちになりました。近くの園なども見学に行かれたそうですが、キャラクター色が強く考え方が合わなかったとのこと。
お母さまは長崎の農家で生まれ育ち、自然に触れ農作業を体験することで、毎日どろどろになって過ごしたけれども楽しかった思い出が今も心にあり、お子様にもそんな体験をさせたいとご希望されています。残念ながら在園は2歳児クラスまでであること、在園児でなくとも今後の子育て支援事業(グチャグチャ遊び・お子様と一緒にヨガ・園庭開放等)にはご参加いただけることをお伝えし、あっという間に時間が過ぎていきました。
来年「年少さん」のお子様も、園児さんとすぐに馴染み、触発されながら楽しそうに、めいっぱい活動し、その表情は常に笑顔で躍動感にあふれていました。
園庭は子どもたちにとって興味深い場所である必要があります。現在の大半の幼保施設が草は1本もなく、キャラクター遊具、商品がたくさんの環境です。子どもたちにとってそのことが良い環境かどうかを決めるのは、保護者様です。子どもたちの「思い」はどうなのでしょうか?「こどもまんなか社会」とは、子どもの心を慮り、子どもの主体性を尊重することです。キャラクターは憧れでもありますが、ある年齢に限定された一過性の対象であることに変わりはありません。限度と飽きることは時間の問題です。「真の興味や持続性」は、身近な生き物や自然の中にこそ答えがあります。幼少期に十二分に生き物、自然に触れておくことは、身体的能力、免疫力、人間同士の深い関係性など計り知れないほど大切な基礎、土台を作ってくれます。その重大性に気付かなければ、健全な子どもたちの育ちどころか、人間社会は自らで幕を閉じることになりかねないと危惧します。
カテゴリ:子育て
「わらべうた」の大切さとあふれる人間味
2024.05.27
おはようございます。
5月15日中日新聞「子育て」のページに、「子守唄・わらべうた学会」を立ち上げた西舘好子さん(作家井上ひさし氏の元妻)の願いが掲載されていました。このような会によって「子育て文化」を残そうとするのは、もはや「末期」とも述べていますが、なぜ「子守唄・わらべ歌」が大切かいえば、歌の中に「空想力、いたずら心、子どもらしさ」が含まれているからです。絵本の読み聞かせも同じように、唯一の親子、保育士と子どもの間にしか生まれようのない、オリジナルな感情の共有が、「この時間」の中には存在しています。既成の歌では生まれようのないオリジナルに溢れるわらべ歌は、愛情を持ちあう両者間でしか味わえないのです。
私も園庭、保育室で子どもと遊んでいるとき、時々目の前にいる唯一の子どもの雰囲気や特徴、好みを捉え自由に替え歌を作り歌いかけることがあります。どうしても歌いかけたくなるような「愛らしさ」を、子ども自身が持っているからです。「いっぱいお話して!うたって」と願う素直な瞳は、「育てたい」と願う大人の母性をくすぐります。わらべ歌は音階も少なく単純で覚えやすい(童謡とは異なるため逆に覚えにくいとも言えます)ため、普段の子どもとのやり取りの中で使われてきたのだと思います。
「たんぽぽ たんぽぽ むこうのおやまへ とんでいけーー ♪」たったこれだけのフレーズで子どもと目の前のタンポポを通じ、身体を使いたんぽぽの綿毛となって、どこかへ飛んでいくあそびができます!「うたとあそびとこどもへのおもい」この3つが重ね合わされた時、大人と子ども、子ども同士の心の中に、柔らかでふんわりとした心持が育ちます。これは歌唱指導や聞かせる歌ではありません。「一緒に感じる情」とでも言っておきましょう。分かりにくいお話だと思います。でもお伝えしたい「子育ての心」でもあります。
カテゴリ:子育て
「こうでなければ」からの脱出!
2024.04.29
「みざる きかざる いわざる」
日光東照宮
「子どもは大人の言うことは聞いてないが、するとおりに行う」児童精神科医「佐々木正美さん」の言葉です。表題の「こうでなければ・・・」では日常茶飯事に大人から子どもたちに降り注がれる言葉として、「またか・・」といった思いが強いように感じます。
大人は自らが生きてきた証、信念を「こうでなければ・・・」といった思いで子どもに押し付けがちです。しかし言うほどに子どもは押し黙り、また同じことを行い叱られる、つまりは聞いていないのです。大人の権威や恐怖からは「とりあえずは黙っていよう、しばらくすれば治まる」といった危機回避手段のみが発動しているのかもしれません。力で抑え込んでも結局は子どもの理解、行動の更新は期待できないということなのです。
ではどうすればよいのでしょうか?子どもには「理論よりもルール(義務・禁止・許可)」がすっきりと頭に入ります(哲学する赤ちゃん-アンソン・ゴプニック 亜紀書房)。この基本を押さえておき、くどくどと何度も制止する、理屈を導き出そうとする、理由を話すを繰り返すのではなく、シンプルに説明すべきです。「だから言ったでしょう」、「何度言わせるの」等の言葉がついつい出てきてしまうのも、「説明したのになぜ分からないのか?」といった「こうでなければ・・・」に基づいています。
もう一つは子どもや多様性を持った人々の「生きづらさ」があるならば、その要因を取り除いていくということです。「思いを受け止められていない」、「否定されている」、「もっともっととせかされる」、「親の言うことに子どもを載せようとしている」等の一方通行のコミュニケーションでは子どもは納得できません。やはり「自分の言うことを聴いてもらっている、受け止めてもらっている」ことを感じていてこそ、「聞く耳」を持つことができます。
日光東照宮
「子どもは大人の言うことは聞いてないが、するとおりに行う」児童精神科医「佐々木正美さん」の言葉です。表題の「こうでなければ・・・」では日常茶飯事に大人から子どもたちに降り注がれる言葉として、「またか・・」といった思いが強いように感じます。
大人は自らが生きてきた証、信念を「こうでなければ・・・」といった思いで子どもに押し付けがちです。しかし言うほどに子どもは押し黙り、また同じことを行い叱られる、つまりは聞いていないのです。大人の権威や恐怖からは「とりあえずは黙っていよう、しばらくすれば治まる」といった危機回避手段のみが発動しているのかもしれません。力で抑え込んでも結局は子どもの理解、行動の更新は期待できないということなのです。
ではどうすればよいのでしょうか?子どもには「理論よりもルール(義務・禁止・許可)」がすっきりと頭に入ります(哲学する赤ちゃん-アンソン・ゴプニック 亜紀書房)。この基本を押さえておき、くどくどと何度も制止する、理屈を導き出そうとする、理由を話すを繰り返すのではなく、シンプルに説明すべきです。「だから言ったでしょう」、「何度言わせるの」等の言葉がついつい出てきてしまうのも、「説明したのになぜ分からないのか?」といった「こうでなければ・・・」に基づいています。
もう一つは子どもや多様性を持った人々の「生きづらさ」があるならば、その要因を取り除いていくということです。「思いを受け止められていない」、「否定されている」、「もっともっととせかされる」、「親の言うことに子どもを載せようとしている」等の一方通行のコミュニケーションでは子どもは納得できません。やはり「自分の言うことを聴いてもらっている、受け止めてもらっている」ことを感じていてこそ、「聞く耳」を持つことができます。
カテゴリ:子育て
明石市の挑戦
2024.04.21
おはようございます。
兵庫県明石市は人口30万6千人程の中核都市(丁度春日井市と同じくらい)です。蟹江町の約10倍の人口が居住し、子育て支援行政が自治体の中では進んでいます。子育てしやすい場所として移住をアピールもしています。大学時代、私は西明石に住んでおりました。保育の道を歩み始めたきっかけ(当時は男性保育士は稀で、市を訪ねたところ保育園の見学をすぐに手配してくれました)もこの地からご縁をいただき今を迎えております。
産前から子育て期間に関する相談や「離婚後の養育(中日新聞)」、「おむつの宅配で孤育てを防ぐ(日経新聞)」など子育てについて先駆的な取り組みも行っています。前者については民間の問題という風潮の中、公が介入し養育費、面会交流などを積極的に取決め、親の離婚後も経済的貧困や安心して両親の元で安心して成長していけるような道筋を制度化し、見守り体制も整えています。親権の在り方で合意が見られないときも、子どもの声を家庭裁判所に届ける「子どもの手続代理人」という制度も設けていますが、中々普及が進んでいないのも現実問題であるようです。一方後者は生後3ケ月から満1歳までの期間、3,000円/月相当分の育児商品を無償で受け取ることができる制度で、「弧育て」とならないように支援していくことを目的としています。親が行政から監視されていると感じないように、さりげない気遣いの元進められている支援です。
先駆的支援制度は今後も加速度的に進んでいく少子化に対する気の長い支援です。人間が脳を大きくし知能を発達させる手段を選択したのは、元々協同で子育てをすることで、よりたくさんの子どもを育て人類を繁栄させていくためです。現代社会が親だけの育児となった時、とても大きな負担が発生することは進化の過程で明らかなことです。どうやって親以外の養育支援体制を現実化していくかが急がれます。
カテゴリ:子育て