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「雨ニモマケズ」に秘められた願い

2023.10.05

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おはようございます。
心の時代~宗教・人生~(NHK Eテレ)、シリーズ宮澤賢治 久遠の宇宙に生きるシリーズが終わりました第6回最終回「デクノボーとして生きる」では、賢治の理想とした生き方を伝えています。
【貧困に悩む東北の民の中で、金貸し業を営む宮沢家は裕福でした。彼の父は悪人正機説(阿弥陀の慈悲は善人より悪人に注がれ、人はたとえ罪を犯しても、虚心に懺悔すれば阿弥陀仏の慈悲によって救われる)を説く、熱烈な浄土真宗の信者でした。しかし賢治は自分だけが幸せであることに罪悪感を持ち、浄土真宗を捨て、(山や川、草や木もすべて仏性を持って成仏する)という日蓮の「天台本覚論」、法華経にひかれてゆきます。特に常不軽(じょうふけい)菩薩の生き方に感銘を受けました。
(常不軽菩薩)
増上慢(正しい教えを得ていないのに得たと思い込んでおごり高ぶる者)の人々が満ちあふれる時代に、一人の菩薩がいた。彼はどんな人をも拝んで「私はあなたを敬い、決して軽んじません。あなたはきっと仏様になるお方なのですから」といった。遠くに人を見れば、その人のもとに駆けつけて同じことを告げた。「馬鹿にしているのか」と人々は怒り、罵り、石を投げ棒で打ちすえようとするが、その菩薩は決して怒ることなく身を避けて、なお同じことを述べ続けた。人々は彼を「常に軽んじない者」ということで、常不軽菩薩と呼んだ。】
デクノボーは常不軽菩薩のことを指してます。
また、ところどころに「行ッテ」とあるのは、地涌の四菩薩(「上行菩薩=卓越した善行をなす者」、「無辺行菩薩=際限なき善行をなす者」、「浄行菩薩=清らかな善行をなす者」、「安立行菩薩=よく確立された善行をなす者」)を示し、全てに「行」の字が入っているところに、「行動」を尊ぶ『法華経』の精神が表れているのです。賢治は「行う」ことに大きな価値を持っていました。どんな理想もたとえ小さな一歩でも、目に見える形で進めていくことが大切です。そんな頑なな心に感じ入りました。行ってらっしゃい。

雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋(怒)ラズ イツモシヅカニワラツテイル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキ小屋ニイテ 東ニ病気ノ子供アレバ 行ツテ看病シテヤリ 西ニ疲レタ母アレバ 行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニソウナ人アレバ 行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクワヤ ソシヨウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイウモノニ ワタシハナリタイ

カテゴリ:宗教・文化

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