お知らせ

フランシスコ教皇の死

2025.05.05

alt「焼き場の少年」きょうだいの火葬を待つ少年の写真前で核廃絶を訴える教皇

おはようございます。5月の連休もあとわずかですね!
「平和を実現する人々は、幸いである その人たちは神の子と呼ばれる マタイ五章9節」4.21に亡くなった教皇フランシスコは日本の広島長崎にも訪問し、精力的に平和のために身を惜しまず貢献した方でした。その遺徳を偲ぶとともに、聖書の平和の意味を掘り下げてみたいと思いました。
【キリストが私達に告げる平和は、何か難しいこと、遠いこと、大変なことによって「実現する」の平和ではないと思うのです。日々のささやかな歩み、その中での一つ一つを通して実現する、そんな「平和」をイエス様は示されている。そう思うのです。以前、記したことがありますが、聖書のいう「平和」はシャロームという言葉です。これは「こんにちは」から「さようなら」まで、「ご機嫌いかが」から「ハーイ」まで、実に豊かな広がりがある言葉です。日常の挨拶から始まって家族、親族、共同体、国家まで、地上の動植物から神様まで、実に幅広い意味をカバーしているのが聖書の「平和」です。平和は、相手を信じ、相手との関わりを築く呼びかけから始まる。難しい議論からではなく、相手への信頼を込めた呼びかけから始まる。平和を実現する歩みはそこから始まることを心に記し、他の人との喜ばしい信頼関係を形作って行く私達でありたいと思います。山梨英和こども園HP 園長の言葉より抜粋https://www.yamanashi-eiwa.ac.jp/kodomoen/6762/】
我が家は浄土宗ですが熱心というほどではありません。ただ仏教、キリスト教、イスラム教、老子の道教や孔子の儒教等々については学ぶように心がけています。心に宗教心を持つことはこれからの「人生」という荒波を乗り越えていく時に、そっと近くで寄り添ってくれる道しるべでもあります。そして人間がこの世の中で様々な生き物と共生する存在であることを知らせてもくれます。フランシスコ教皇は世界各国を訪れ、貧困、病い、戦争で苦しむ人々に祈りを捧げました。宗教者が自らの居場所から積極的に飛び出し、現代社会に警告する姿は実践者である宗教者の崇高な姿だと思います。為政者はよくよく心に言い聞かせてほしいものです。

カテゴリ:宗教・文化

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