お知らせ

自然、人的災害の記憶と戒め

2021.07.03

 おはようございます。梅雨も末期となり、今年も線状降雨による被害が懸念されています。昨年一昨年、さかのぼれば震災や河川氾濫で人的物的に大きな被害を被った皆様は、今なお復旧に携わっておられる方がいらっしゃること、大切な人を失い心の傷を持ち続けておられる方等、忘れてはならない災害の悲惨さ、恐ろしさがこの先も記憶に残る事実として当事者の皆様にのしかかっていくことと考えます。自然災害ばかりではありません。車が突っ込み、たくさんの未来ある子どもたちの将来を奪ってしまった人間の自惚れによる過失も新しい記憶です。大津の事故、横浜の親子死亡事故等が発生し、まだ年月も浅いにもかかわらず輪禍は増える一方です。自然がなすこと、人間がなすこと、前者は一見人間はかかわりないように思われますが、実は、森林伐採、温暖化、植林(人口針葉樹)等数々の自然破壊が遠因でもあります。後者は文明化による便利さに溺れる人間の浅知恵、機械は凶器に代わることもあることを忘れ、機械の不具合に責任を転嫁してしまう自己中心的考え方を平然と語ってしまう人間性の欠如が認められること。元をただせば文明に翻弄される人間自身が諸因であることは避けられないと思うのです。
 大きな問題を身近な自分事としてとらえる。「もし私たちの住む町が災害にあってしまったら。もし自分の子どもが事故で命を落としてしまったら」。災害や事故は起きてしまってからでは、結果、被害を認められない思いが強く残り、自己や他者を責める心だけが膨れ上がり、自他ともに心は苦しくなるばかりではないでしょうか?現状を変えていくには、行政や他人に任せているばかりではなく市民一人ひとりが、どんな小さなことでも良いから、これだと思うことを実践していくことだと思います。という私も日常生活で中々できていないのも事実です。真摯に反省し心がけていくほかありません。人間は過ちを繰り返します。しかし過ちから学ばなければなりません。現状を変える難しさは人間の何千年という歴史が物語っています。先人に学び同じ轍を踏まぬようにしていくことは大切ですが、きっと繰り返します。それ以前に踏みとどまること、自問自答、他者との対話を繰り返す中で結論を出していかなければならないと思います。最善を尽くす。「無事は有事の如く、有事は無事の如く」幕末の志士、久坂玄瑞の言葉を思い出します。

 

カテゴリ:私見

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