お知らせ

愚かな人間

2023.11.14

ガザの病院では燃料不足のため 暖房の効く1か所に新生児が集められています


おはようございます。
イスラエルのパレスティナに対するジェノサイト(大量虐殺)にも匹敵する戦闘が続いています。憎しみを憎しみで返していては永遠に闘いは収まらず、罪のない一般市民の被害は拡大し続けていくでしょう。学べない人間の姿は既に数千年を超えています。食料も水も絶たれライフラインも寸断されたガザ地区の人たちの命が危うい状態です。
【パレスチナ問題の根源は「2つの悲劇」にあるとも言われています。1つは、ユダヤ人が2000年の長い歴史の中で世界に離散し、迫害を受けてきた悲劇です。やっとの思いで悲願の国(=イスラエル)をつくり、それを死守していきたい、二度と自分たちが迫害されるような歴史に戻りたくない。そんな強い思いをユダヤ人はもっています。もう1つは、パレスチナの地に根を下ろしていた70万人が、イスラエルの建国で故郷を追われたという、パレスチナ人の悲劇です。いまパレスチナ人が住んでいるのは、ヨルダン川西岸とガザ地区という場所です。国にはなれないまま、イスラエルの占領下におかれているのが現状です。周辺の国にも多くが難民として暮らしています。ガザ地区は、日本の種子島ほどの面積に約200万人が住んでいます。非常に人口密度が高く、塀やフェンスで囲まれ、人やモノの厳しい封鎖が続いていることから「天井のない監獄」とも呼ばれています。イスラエルと武力衝突があると、空爆を受けて亡くなる人もたくさんいるし、地域一帯が瓦礫になって、住宅や道路、水道などのインフラも破壊されます。国連が学校や病院を運営したり、食料を無料で配ったりしているけど、我々が当たり前に思っているような最低限の生活さえできない状況です。一方、ヨルダン川西岸は完全な自由はないものの、今はイスラエルから物資や資金が入り、許可があればイスラエル側に働きに出ることもできます。】
ラジ・スラーニさんは長年人権活動を行ってきたパレスチナ人弁護士です。イスラエルにも弁護士の友人がおり、どんな宗教を信仰しようと同じ人間であることを主張しています。何度もイスラエル、パレスチナ双方から拘束拘留され、心理的圧迫を受けてきました。それでも今なお訴え続けています。
イスラエルが人工的な壁を作ったことは、過去のドイツ東西分断、朝鮮半島同様、同国民、多民族間が感情を行き来することを妨げ、お互いの心が非人間化を生むこととなります。相手を知らないことほど「恐怖」、「不信」、「不安」は募り、やがて「敵意」、「憎しみ」へと心が動いていきやすいこととなるのです。そのことを「人間は乗り越えられていない」と危惧しています。

カテゴリ:戦争

子どもと共に成長するのは大人?

2023.11.11

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仲間は 遊びの提示者でもあります

0歳児クラスの発達は目覚ましく、1時間前にできなかったことが目の前でできるようになることもしばしばあります。少し目を離したすきに発達は進むのです。しかし私たちでさえその瞬間を写真で残すことは難しいことです。子どもたちにとっては自分自身の勝ち取った発達を、一緒に喜んでくれる大人の存在を何より必要としていますので、カメラ片手にというわけにもいきません。

集団の場にいることは、誰かから何かしら影響を受けるということです。よくある事例ですが、きょうだいが多い家庭では、兄、姉、妹、弟と一緒に過ごすことで様々な心持が生まれます。自分より先の発達を行く存在に対しては、「憧れ(かっこいいな)」、「希望(あんなふうにやりたい)」等の意欲を持ちやすいと言えます。逆に年少者に対しては「弱い者、幼い者」に対するやさしさ、いたわりなどの感情が育っていくことが期待されます。劣悪な環境ではなくある程度の「嬉しさ」や「明るさ」がある家庭であれば、このような育ちの環境はたくましく育つため好都合だとも言えます。

保育園などの集団の場は上記の家庭環境に似通っています。「おもしろそう」と感じる他者の遊び方はとても刺激的です。また、年配者、日頃会ったことのない人、たまにお散歩ですれ違う人等、出会う場面も密度も異なる人との接点は、子どもたちの心の持ちように大きな影響を与えているはずです。子どもは三頭身でかわいらしく見えるようにできています。それはかわいがってもらうための人間が持ちおあわせた成長のための戦略でもあります。

私にも孫がいます。1日一緒にいると子育てが一段落した身には、孫が立ち去った後「どっと疲れが生じる」のも現実です。しかし、1時間も経たぬうちにまた会いたくなります。本当に子どもの持つ吸引力?は凄いとしか言えませんね。まったく!((*^_^*)

カテゴリ:子育て

クマの出没

2023.11.11

「なめとこ山のクマ」宮澤賢治alt

パニックになる 慣れてしまう 様々な姿は どうして起きるのだろうか
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「海童神社」長崎県新上五島
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こんにちは!
野生動物の里への出没頻度が10年前?くらいから増してきています。サル、シカ、イノシシは農作物、植林苗を食べてしまうことから農業、林業従事者を悩ませています。今年は輪をかけ出没が目立っていますが、とうとうクマが食べ物を求め人里に現れてきてしまっています。クマは本来山奥で生活し、ブナやどんぐりの実、植物、果物を主食とする雑食性の生き物ですが、アリや昆虫などもたんぱく源として食べています。特に冬眠前の秋は体内に脂肪を蓄積しなければ冬を越せないため、活動が活発になります。以前は十分な自然があったため生息域に変化はありませんでしたが、昨今はクマの生活場所が少なくなり人との接点が増しています。。
何故そのようなことになったかは、広葉樹を伐採しスギやヒノキなどの針葉樹(建築資材用)を植林したことで、クマが食べるものが減ってきている(クマは人工林では生きていけないのです。)、温暖化による気候変動など人間の活動が影響していることが多いと言われています。クマがやむを得ず人を襲い命まで奪ってしまったことは放ってはおけませんが、一概に野生動物を悪者扱いすることは間違っていると考えます。元々クマは動物性の食生活をしてきたわけではなく、人を襲うのも身に危険を感じた時に限られていたはずです。また、食べ物がなくシカや家畜(牛)の味を覚えてしまったことも一因です。最近では車の音や人間が作り出した人工的空間にも慣れてしまい、一定の距離を保った共存が難しくなってきています。
日本に限らず狩猟生活を営んでいた人々は、マタギの狩りや漁師の捕鯨に見られるように、食物を得るために生き物を殺すことに関し、「山の神の使い」として崇め魂を鎮めてきました。クジラも同様(クジラ塚)です。命を奪うことに関して感謝と怖れ、崇めることを忘れなかったのです。現代社会ではまるで人間がすべてを支配しているかのような振舞をしています。小さな虫たちも生き物同士の共生関係の中で、意味を成し生きていることを忘れてはならないと思います。自然界のバランスを勝手に破壊してきた人間は、罪深い生き物と言わざるを得ません。毎日流される一方的にクマを敵視するような報道は、何も知らなければ鵜呑みにされてしまうことでしょう。人間は立ち止まり考える必要があります。いったい誰がクマを追いつめたかを。

カテゴリ:生き物・自然・人間

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