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子どもの自我と自己中心性

2025.06.01

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「自分を強く主張する」、人生の中でこれほど「自己中心性」を発揮できる、また発揮しなければならない時期は、これから先それほど経験できるものではありません。自己主張は自分の言いたいこと、表現したいことをたとえ言葉が未熟な時代でも、自発的に自分を伝える意欲的な態度と言えます。

だから「しっかりと自分をつくり始めている」と捉えることが必要だと思います。親様として大人として「こまったな」と思うこともあるかと思います。しかしこの場面でもしトラブル以前に大人が止めてしまえば、自己の思いを主張する前に「大人の力」で気持ちのぶつかり合いすらなく事は通り過ぎていきます。

その事は子ども自身が頭を使い、感情が動き考えることを必要としません。つまりは大人が全部やってくれるので、今後も自己の感情を動かす必要もなくなるのです。これは「他律」を助長していくこととなります。「自立」し「自律」できる人格を持つためには、自分自身を自分勝手だろうが一度は表出することが必要です。

その行動によって反応する相手の行動は写真の通りです。「取り合い」が起こることでお互いが「怒り」、「悲しみ」といった感情に出会い味わうことが出来るのです。そして自分が抱いた感情(取った爽快感、取られた悲しみ)や立場がいつの日か逆転したときにこそ、何回かの場面の積み重ねで、はたと「気付き」が生まれます。しかし相手の身体を傷つけてしまいそうなときは放ってはおけません。ある程度争う場面を経験すれば十分です。

その後大人からの語り掛けも大切です。双方の気持ちに耳を傾け受け止めた上で、「こんな方法(ほかにも車があったよ、少し待ってみようか)もあったね」と目をしっかりと視て語り掛けてあげることは、大人の大切な支援だと考えます。たとえ言葉として伝わっていないにせよ、次も同じ行動であったとしても、真剣な大人の表情と目線、口調は幼い子どもたちにもしっかりと伝わっているはずです。

良くはない例です。大人が大きな声で叱る時、子どもたちは一瞬凍り付きます。大人の真剣で強い「怒り」が伝わってくるからです。子どもたちは何に恐怖を感じているかは一目瞭然です。「大人の強くて恐ろしい権威」です。大人の権威は子どもの心を委縮させ、大人に逆らえない弱さを思い知らせてしまいます。大きな声は必要ありません。真剣に「いけない」を伝える、「自分や友だちを傷つけるから」を表情と目線で伝えるので十分です。

でなければ「大人の権威」に従順で、顔色をうかがう癖が身についてしまいます。「自分で考える」がなくなり、権威ある人の言われるがままの人格となっていきます。極端な事例ですが最近の事件で「親に試験、勉強と言われ続けてきたことが、事件を起こした原因だ、親が悪い」と言い放った若者がいました。

「他律的に育つ」の恐ろしさを伝えています。だから自我の芽生え、本人の自己中心性が起こすトラブルは、とても貴重な体験なのです。誰にも左右されず自分自身の感情で起こした行動なのです。大人はそのような学びの機会を十分に尊重しながら、心身が必要以上に傷つかないようにすることにこそ心を向け、子ども心に寄り添うべきだと考えます。

カテゴリ:発達

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