お知らせ

生ずること滅すること

2021.07.12

おはようございます。大そうなテーマを掲げましたが、まだまだ人生を語るほどには生きていません。思えば高校生のころ、体育祭、文化祭の終わりにフォークダンスを行い、気になる人と手をつなぐことにドキドキしながら過ごした時間が懐かしく思い出されます。そして、なぜか最後に体育祭のシンボルとしてクラスメートと夜遅くまで残り、丹精込めて作った張りぼてのマスコット(高さは様々ですが、中には10m近くのものもあった。竹の骨組に新聞紙を張り、その上から模造紙を貼り重ね最後に着色。管理教育の校長をヒットラーになぞらえた政治的な作品、漫画のキャラクターなどなど)を燃やしました。中には爆竹を仕掛けてあるものもあり、その最後は巨大な炎の中で壮絶に燃え尽きていきました。後には何とも言えない哀しさと「さあ、切り替えるぞ!」といった前向きな心も生まれました。思いを込めて皆で喧々諤々と作り上げた象徴を、自らの手で消し去る。私はまだ60歳ですが、若い時には若さなりの生滅を感じ、そこまでの過程で生じる躍動感と終わるときの虚しさは、何とも言えないものだったと振り返ります。終わりがあってこそ生きるということも輝いてきます。対であることは人生には多々あるものですね。苦楽、表裏、雨晴れ、外中・・・そして生滅。失うものがあるからこそ得ていることに感謝し、味わい尽くし大切に日々を生きていかねばならないと思います。今日はなにをしましょうか?私の小さな力で何ができますか?そんな問いを忘れず過ごせることを「ありがたい」と感じます。「生きてるだけで丸儲け」、そんな庶民的な言葉がとてもいとおしく感じる今日この頃です。

カテゴリ:私見

- CafeLog -