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突然の来訪者から考える

2024.09.25

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お外遊び・・・・・・自分のルーティンの中で安心し、今日何をするのかを頭の中で整理しているのかもしれません。誰もが大人も子どもも段取りや見通しの中で自分の行動を決定していきます。関心のある遊びについては積極的に行動へとつながっていくのです。

そんな折に突然現れるサプライズは、子どもの非日常への興味と意欲をかき立てます。外界はそんな刺激に満ちた世界なのです。特に自然の中で生きる生き物は、常時その場所で飼育されている生き物とは異なり、人間の予想通りにある場所にいてくれるとは限りません。突然目の前に現れます。この「突然」は「めったに現れない姿」に触れることでもあります。驚きは日常を飛び越え心に強く刺激を与えます。

この瞬間こそ大人は丁寧に子ども心に寄り添わなければなりません。「大きな足だね」、「緑色だね」、「ペタッと貼り付いているね」、それも子どもに分かりやすい具体的な言葉を用い、表現していくことが「自らの感動」を理解してもらったという満足感に繋がっていきます。単純に「おもしろいね」、「驚いたね」の大人の言葉の中に「なに?」が表現されていることがとっても大切なのです。

子ども心が決してワクワクしない基本的習慣や室内遊びにおいてはどうでしょうか?後片付けや着替え、手洗い、いただきますの所作等の順序や手順は、子どもにとって夢中になってやれることでしょうか?答えは遊びほどではないですね!であるならば少しでも大人は子ども自身が「見通し」を持ちやすいようにすべきだと思います。次にやることを子ども自身が分かれば、たとえ夢中になれなくても「手をごしごし洗えてきれいにできたね、凄いね」の誉め言葉一言で、子どもはとても嬉しくなり次も頑張ろうと喜びを思い出し行動が定着するはずです。これが先生と呼ばれる責任を背負った人が行える子どもの導き方だと思います。

あそび以外で保育士の否定や制止の言葉が多くなるのは、環境が子どもにとって限定されている(玩具の個数・部屋の面積・友だちとの距離・雰囲気)、保育士の「~すべき・~あってほしい」等の子どもへの願い、希望が強い場合が重なって、良い所よりも負の力へと目線が向かっていることも原因の一つです。

これらの集団の場での対応は、子どもの環境を考え直す、保育士自身のアンガーマネージメント、客観的な子どもの視方、支援方法が現行で良いかどうかの見直しなどを積極的に進めていく必要があります。保育士もひとりの人間である以上「怒り」、「悲しみ」、「やるせなさ」等の心情に陥ることはもちろんあります。

しかしそのような心持を客観的に分析し、冷静に対応を検討し合える職員集団を目指さなければ、いつまでたっても保育の方法は変わらないと感じます。私は自園の保育士の力を信じています。しかし気づきを実際の行動として職員集団が自覚し、実行できるまでは時間を費やさなければなりません。自己を振り返り、他者よりも先に自分が変わっていくことを目指す必要があります。そんな瞬間は上目線で伝えても育つものではありません。自分たちでボトムアップする苦労を伴うものだと思います。

カテゴリ:生き物・自然・人間

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