お知らせ

ラグビー ノーサイドの精神

2023.09.20

ノーサイド
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おはようございます。蒸し暑さも今週以降変化が訪れるようです。
18日に行われたラグビーワールドカップフランス大会で、日本はイングランドに12対34にて破れました。さすが強豪国です。日本もスクラムでは決して引けを取らず、対等に近い戦いぶりでした。戦法もディフェンス裏側に意外性のあるキックを蹴り込み、イングランドを十分に驚かせたことでしょう。しかし、自力で勝るイングランドは、プレッシャーを地道にかけ続けることで、4つのトライをとりチームの底力を見せつけました。強豪チームに学びポジティブにサモア戦に向かう気概を持っている日本チーム、がんばってほしいです。
ラグビーは誠に素晴らしいスポーツです。激しいぶつかり合いで感情が動きそうになる場面もお互いを尊重する姿勢、ノーサイドになれば勝ち負けに堺無くお互いの健闘を称えあう真摯なスポーツなのです。また、レフリーと選手の関係性も不思議なほど選手は従順であり、抗議やアピールは一切ありません。かといってレフリーが権威的ではなく、ゲーム中にホイッスルで反則を明らかにするやり取りの中にも、選手に対し事前警告や判定に従う選手に対し、感謝の言葉を欠かすことがありません。良くレフリーの言葉を聞けばわかると思います。人間が生きていくうえでとても大切な約束、思いやりを忘れないラグビーの試合。日本チームだけではなく他国同士の試合についても、やり取りを観たくなります。
【ラグビー憲章】
①品位(INTEGRITY)
品位とはゲームの構造の核を成すものであり、誠実さとフェアプレーによって生み出される。
②情熱 (PASSION)
ラグビーに関わる人々は、ゲームに対する情熱的な熱意を持っている。ラグビーは、興奮を呼び、愛着を誘い、グローバルなラグビーファミリーへの帰属意識を生む。
③結束 (SOLIDARITY)
ラグビーは、生涯続く友情、絆、チームワーク、そして、文化的、地理的、政治的、宗教的な相違を超えた忠誠心へとつながる一体的な精神をもたらす。
④規律 (DISCIPLINE)
規律とはフィールドの内外においてゲームに不可欠なものであり、競技規則、競技に関する規定、そして、ラグビーのコアバリューを順守することによって表現される。
⑤尊重 (RESPECT)
チームメイト、相手、マッチオフィシャル、そして、ゲームに参加する人を尊重することは、最も重要である。

カテゴリ:スポーツ

「子どもの権利」を保障しなければ!

2023.09.19

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決定的瞬間! この不思議 快感! やってみなけりゃ 分かりません 本日のベストショット!!

手先、指先が十分使えるようになってくると、自分の好みや集中できる対象の選別に個性が現れてきます。保育は様々な環境を提供することで、子どもたちひとり一人の意欲が湧き上がる機会を設け、主体性を引き出していくことが大切です。「だれもがおなじではない」のです。したがって大人が「こうしてほしい」という願いのために、あまりにも物事を押し付けていくことは危険です。何が危険かといいますと、子どもは心の中で「やりたくない」と思っていても、大好きな大人から言われることに従おう、ホメられようと思う心が強く、その信頼に応えていきたいと知らず知らず考える傾向にあるからです。このような心の働きはもう少し先となりますが、習い事などの提供においては慎重になることも大事だと考えます。

子どもたちは様々な素材(新聞、広告)の使い方、自然物の性質、お日様を受けてできる影、へんてこな形の野菜(ヒョウタン)等々、見て、触り、匂いをかぎ、吹いて、つまんで、素早く水に足を着地させ・・・、物の性質の面白さを五感をフルに活用することで発見していきます。その様子はまさに「水を得た魚」そのものです。その集中力と意欲を止めることほどナンセンスで子どもの権利を阻害することであるのは言うまでもありません(危険回避は別)。
さらに私たち保育者は、人的環境としての関りに専門性を意識しなければなりません。それは、否定的言葉は極力使わない、結果論や大人の価値観で決めつけない(だから言ったでしょ、決まってるでしょ)、大人都合で子どもを扱わない(安全確保のためゲージの中に押し込まない等)、映像や目的のないおもちゃのバラマキはしない、今は話し掛けるべき時か(集中しているときに話しかければ邪魔をすることになる)、どんな言葉をかけるか(疑問形「どれだけ、いくつ、」、選択「どちら、何色」)、ナレーション(子どもが行っている様子を言語で表現する「クルクルだね」、「パシャーン とんだね」-オノマトペ 言葉が未熟でも子どもは聞いている)・・・・、等子どもたちが素材に親しみ、考えや行動をさらに深め発達を支援します。
また、感動や不思議に共感共有することで、身近な人への信頼感を育て、「自分自身を肯定する(自己肯定感)」を身につけられるように、日々子どもの遊びを見つめ、どんなかかわり方がベストであるのかを探求していく必要があります。写真一枚一枚には、そんな子どもたちの成長を願う、切実な思いを写し込もうとしている保育者の気持ちが込められていることを、ご理解いただければ幸いです。

カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!

大人の反応の大切さは人間を育てる!

2023.09.15



乳幼児期の子どもたちの生活は、欲求が満たされることを第一に考えなければなりません。心の成長(欲求)と体の発達は常に一緒に伸びていきます。あそびの欲求が満たされれば心は落ち着き、生理的な欲求(食べる、寝る)が発動します。神経で言えば交換神経と副交感神経が入れ替わり、バランスよい休息と発達を得られるリズムが出来上がっていきます。

さらに写真では「三項の関係」も見うけられます。これは自分が指さしている絵(ゾウさん)が、好きな動物であること、知っている生き物であることを、懸命に指で指し示し、保育者の顔を見て同意を求める心の現れです。心の中は感動と表現したい気持ちであふれているのです。今は言葉を持ち合わせていないだけです。

ここを見逃してはいけません!大人はすぐさま「そうだね、ゾウさんだね かわいいわ 先生も大好きよ」とあふれんばかりの笑顔を伴って、言葉(音)を返さなければなりません。その応答をこまめに行っていくことが、言葉を獲得する土台につながっていくのです。言葉やルールは大人の権威や威圧によって教え込むのではなく、子どもが自分の力で勝ち取っていくものです。「人は人によって育てられて初めて人間になれる」ことを心に留めておかなければなりません。

その支援はどんな方法が正しいのかは綴っているとおりです。叱責や我慢で真の忍耐や思いやりが育つのであれば、劣悪な環境で育っている子が忍耐強さを身につけられるということになります。大きな間違いです。「愛情を受けて育つ」の具体性は、この大人の丁寧な「映し出し」がとても大事です。「何度言ったら分かるの」、「赤ちゃんじゃないのだから」といった、決めつけの言葉を浴びせていくと、子ども心はねじ曲がったり、ふさぎ込んだり、いつも不安を背負ってしまったり、「こうなってほしいという大人の願い」とは裏腹に、自信のない気持ちの弱い子どもになっていってしまいます。

保育者、親の発する言葉、表情は人格形成に大きな影響力を持っています。自己を振り返り今がそうでなくても「気付く」ことが何より大切です。常に自己を省みることを忘れてはなりません。心底気付けば子どもも大人も自分で変わることができます。子どもはまっすぐですが、大人の視方、考え方は、自分で自分を邪魔することもあります。だからこそ「人の言葉に耳を傾け」、「自制を忘れず」の構えが必要です。「六十にして耳順う(したがう)-孔子」では、遅すぎることもあるのです。

カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!

桐生悠々

2023.09.15

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おはようございます。晴天が続きます。
9月10日に80年目の命日を迎えた桐生悠々は、気骨あるジャーナリスとして毎年社説を飾っています。言論人として戦時下何度も弾圧されました。しかし軍部を批判し、新聞報道の神髄を貫いた氏の功績は偉大です。有名な言葉として「言いたいことを言うのは権利の行使、言わねばならぬことを言うのは義務の履行」があります。心に留めておくべき名言です。遺言ともいわれる最後の個人誌「他山の石」に掲載された「科学的新聞記者」原稿です。政府、報道等マスコミに対しても、常に批判検討の目線を外してはならないと思います。
【《この頃の新聞に至っては、…全然社会を無視して、時の政府の反射鏡たらんとしている。輿論(よろん)を代表せずして、政府の提灯(ちょうちん)を持っているだけである。そして彼等(かれら)は矛盾極まる統制の名の下に、これを彼等の職域奉公と心得ている》《今日の新聞は全然その存在理由を失いつつある。従って人はこれを無くもがなのものとしているけれども、他に代(かわ)ってその機能を果たすものなきが故に、彼等は已(や)むを得ずなおこれを購読しつつある。…今日のだらしない状態である》《将来の新聞は科学的でなくてはならない。現在に於(おい)て、全くその態度を一変しても、決して早くはあるまい》《神秘主義を尊奉するに至っては、その存在理由を失うのは明である。見よ、彼等は既にその存在理由を失わんとしつつある。試みに街頭に出て、民衆の言うところを聞け、彼等は殆(ほと)んど挙げて今日の新聞紙を無用視しつつあるではないか》】

カテゴリ:教える・伝える

水 朽ち木 小枝

2023.09.13

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まあ さっきのジョウロだ ここへ注ぐためだったの 答えは濡れた枯草が物語っていますね!

個々の子どもによって夢中になれる遊びは異なります。それぞれの興味に応じて自分の好みまたは得意な場所、物、人との関りを選択して遊びこんでいきます。園庭環境はとにかく自由度が大きいため、子どもたち相互も「おもちゃを取り合う」という状況が発生しにくくなります。また遊びと遊びをつなぐ道具(押し車・縄跳び・タイヤ他)、担任以外の先生もいるので、多様な感覚に出会うチャンスが室内よりも格段に増します。

雨上がりの園庭でどんな遊びをしているのか覗いてみました。おもしろかったのは、朽ち木の時ですね。ひとりの子が一所懸命に小枝で柔らかくなっているところをほじっているのです。何かを発見したいとか、確かな目的があるわけではなく、とにかくひたすらほじり返すのです。その楽しそうな様子に同じ年齢の子が集まってきます。そして同じことをする子、異なる素材(ジョウロの水)を上から注ぎ関わろとする子等、多様な人間関係が芽生えてきます。なんでそのようにしているかは不明ですが、水がかかることで朽ち木の状態も変わり、何だか科学実験のようです。おもしろいですね。

この状況を見て思います。「子どもたちは探究心旺盛な小さな研究者だと。」ただし自他の身の安全や健康を省みることがないため、安全、安心は大人が確保していかねばならないこと(日陰遊びへの導入、小枝がケガの原因にならないよう見守る)。そしてシロツメや猫じゃらし、カヤツリソウ、シークワサー等、個性ある性質や形を持つ草花、実を見立てて遊ぶヒントとなるように支援していくことが、子どもが自分で伸びていくため、大人がなすべき環境準備とお手伝いだと考えます。

カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!

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