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顔が見える繋がりの大切さ!

2024.07.28



「タライを囲む」、この風習は既に数十年前に日本の生活から姿を消しています。しかしお互いが顔を突き合わせ、やり方や声、笑顔を見る、聴くことは、なんと人間的で文化的生活なことでしょうか?大人が作り出した便利で自動的な生活は、引き換えにこれらの豊かさを失っていることを自覚しなければなりません。全自動洗濯機が朝の忙しい時間を短縮し、効率的な生活を生んでいることは事実ですが、写真のような豊かなコミュニケーション、学びの場を作り出すことはできないのです。

子どもたちはこのようなアナログ的な生活形態の中でこそ、心と体を使い、鍛え、知恵を絞り、人と笑顔、表現を交わしながら必要な対話能力を獲得していきます。スマフォや映像、無機質で受動的、人工的刺激の強いデジタル機器が、子どもの成長にとって良いはずはありません。

また、たとえ幼い子ども同士のやり取りにおいても、その言動は正解ばかりではありません。正解ではなく「今の時点で最も良い方法、解決策」を見出す。この努力を個人、または複数人で試行錯誤していくことに人間としての存在価値があります。もちろん協同して行うことが正しくないことに向けられれば、「共謀」といった行動として非難されることにもなります。しかし、子どもの世界では「許されること」として、大人が寛容に対応していくことも大切だと思います。

子どもの楽しむ声は騒音でしょうか?子どものいたずらは許されないことでしょうか?大人の世界がゆとりを失った時に、子どもは邪魔で余計なことを行う対象として疎まれることにつながります。また、このような視方は「老いる」ことにもエイジズムという言葉で向けられています。加齢への嫌悪をさしているのですが、昨今ではアンチエイジングが盛んになっています。確かに見かけが年老いていくことは誰もが好むことではありません。しかしいつの日か、しわは増え節々は痛くなり、人間は衰えていくのです。その事実は認め、自己の役割を見つめていけば、心はむしろ若返っていくことでしょう。深刻なのはエイジングを自分以外の他者に向け嫌う傾向です。自身もいつかは老い、出来ていたことが出来なくなるようになります。先に生きた人々の尊厳を忘れてはなりません。家族が介護を経験すると、その家庭で育った子どもは、とても他者の状況に同調できる若者に育つと言われています。老いる、苦難の乗り越え方、立場の違いなどを学習しているからです。

過去の生活に戻るわけにはいきませんが、「タライを囲む」的生活を見直し、「生きること」、「成長すること」について考えを深めることが必要な時代です。

カテゴリ:生き方

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