対等、同等、共存
2021.08.19
人間は目に見えるような弊害がないと、深刻にとらえたり、中々動こうとはしません。今日も「手ぶら登園」を勧める業者から朝一番に営業の電話がありました。「紙オムツも数を気にせずどんどん使ってもらえます。」この言葉に非常に危うさを感じました。大量消費社会が私たちの住環境や意識に何をもたらしているか。これは既に目に見える環境変化、人間の思考の無秩序性を見渡せば一目瞭然です。また、すべての番組がオリンピック一色になった日々に比べ、パラリンピックの放映はなんと少ないことでしょうか。放映権に左右される姿勢を疑問なく日常にさらけ出していることに疑問を感じます。パラの語源はギリシャ語の「並んで立つ、共存、対等、同等」という意味だそうです。「パラリンピックを誰もが楽しめるスポーツとしてとらえる、障がい者に対する既定や見方を変える。」が前提だといわれていますが、SGDSや様々な人権がうたわれている今だからこそ、民間企業にも働きかけが必要ではないでしょうか。オムツの問題も子育てや育児に対する姿勢を「物で解決できる」、テレビ放送も「スポンサーがつかないから放送しない」等、地球や人権に優しいとは言えない理念の無い実態がまかり通っています。私はスポーツで自分の限界まで頑張る人の姿をたくさん視たいです。紙おむつは最小限の使用に心がけ、ゴミを少なくしたいです。民意は一国民が作るものでもありますが、企業のトップが方向性を決めていることも事実です。縄文期から共生、共同を伝統として根付かせてきた日本人として、今こそ「私」から離れた思想を発信する好機が、このパラリンピックでもあると思うのですが?
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