子どもの見通しの育ちと自然
2026.02.22

たくましくなってきたつくし組のこどもたち、園庭でも自由奔放に興味を持った事物に果敢に挑んでいます。いつしか危なっかしさも影を潜め、自信をもって取り組む様子は、観ていて心の底から嬉しい気持ちが湧き上がってきます。
1年近く保育園の園庭で過ごしていれば、「どこに何があって」、「ここからは何が見えて」、「備品やおもちゃはこんなふうに使うとおもしろいと」いうことも分かってきます。これが何度も目にしているもの、風景、人に対する「見通し」だと考えます。それはイコールいつもそこに有るといった「安心感」にもなっています。
季節がうつろい自然は徐々に姿を変えていきます。その変化に伴い植物、昆虫も大きく姿を変えていきます。その変化は、しばらくなかったものが久しぶりに現れる、そのことによって体験したときの「感動」がよみがえる瞬間でもあります。自然の変化は春夏秋冬そのスパンが長いため、日常の物品や人との接点とは、また異なる感覚だろうと思います。
数十年を重ねることで「待ち遠しい夏休み」、「はやくスキーがしたい」、「カキが食べたい」などのスパンの長い「見通し」は育っていきます。こればかりは長く生きることでしか、得られる感覚ではないかもしれないと思います。
だから子どもたちにとって自然はとても面白く、そして「挑みがいが大きい」相手です。いつまでたっても答えが出ない、今日も明日も今年も来年も、いつも何かしら未知の部分が浮かび上がってくるのが自然だと思います。しかし毎年の繰り返しを経験することで、暖かくなってきた春先には梅がいち早く花を開き、鳥のさえずりもいっぱい聞こえるようになってくるのだ、といった変化に気付ける感性が育っていきます。
そうすることによって「待ち遠しい」といった心も育っていきます。春が来るから、夏が来るから、冬が来るから、それなりの楽しみが見つけられる自然だからこそなせる業でもあります。
子どもには自然が必要です。それは人間では作り出すことのできない多様性が存在し、子どもばかりか大人の感性をも磨く要素を含むとてつもない魅力力を持っているからだと思います。
カテゴリ:教育
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