お知らせ

暑い時期のお散歩 子ども目線

2023.08.10

避難車は輻射熱対策にもなる


暑い日ですが、日陰を選び、避難車に乗り輻射熱を避け、日陰の多い公園までお散歩に行きました。子どもたちにとって外の世界を体験することはとても大切です。今日は風もあり昨日までより涼しさも感じられたため、短時間を外で過ごすにはチャンスです。れんげ組のお友だちについてきてもらい、保育人数が少ない時ならではの異年齢組み合わせも、いつも一緒にいる仲間だけではない心の育ちに有効です。大きい子からすれば「お世話しよう」、「なんとなく落ちつく」、小さい子からすれば「何でも上手だね」、「あこがれ」等の感情が湧き出てくることもあるでしょう。そんな心情の現れを喜びをもって大人は受け止める必要があります。

健康面では部屋の中で冷気に当たり、汗をかかずに過ごすばかりを避け、適度に汗をかき体内の循環を促していくことも必要です。ですが必要以上に汗をかく、体温をあげすぎることは、熱中症の危険が高まるため、健康を保つための見極めと管理が重要になります。避難車での移動もアスファルトからの輻射熱を防ぎます。無理して歩くことは、背の低い子どもたちにとっては熱をまともに受け、非常にリスキーな行動です。そのような基本的知識と臨機応変な事態への対応力を、日ごろから心がけておけば、病気や事故につながる確率も低く抑えられます。

乳幼児の心と体は密接に関連しています。心が負に傾けば、病気や事故の確率は増しますが、どのようにコントロールするかは、経験と乳幼児心理学、保健、遊びなどをバランスよく学んでいる専門家にゆだねるべきところはお任せください。例えば入園直後の慣らし保育は、まさに心の安定を得られていないお子さんが、リスクの高い状況を避けるためにとても大切な対応です。
「子ども主体」、「子どもの人権尊重」とは、大人の都合に左右されず、健康を維持し成長を保証されることです。もちろん保育園は社会生活を送り家計を支え、さらにキャリアを積み、自己の人生の充実と社会貢献に頑張っておられる保護者様を大いに応援していきます。かたや子どもたちにとっても大事な時がありますので、緩急使い分け、ポイントを意識し上手にお互いが幸せな時間を過ごせるように心がけていけば心配はありません。

カテゴリ:子育て

子育てを楽しむ!

2023.08.09

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子どもたちは「変化」も「同じ」も大好きです。人体はどのようにでも形を変えられます。電車や車が暗く小さな闇のなかへ突入し、勢いよく元の空の下へ飛び出すことができるトンネルは、子どもたちにとってワクワクする興味の対象物です。自らの身体をつかって、子どもたちの多様な欲求と楽しさを引き出すことは、頭で考えたことを身体で表現する、とても創造的な方法でもあります。

私は昔パントマイムを習っていましたが、その時、身体は訓練次第では部分々を動かすことで、多様な表現ができることを体で覚えました。マルセル・マルソー(来日経歴あり)、エティエンヌ ドウ クルーなどのフランスの芸術家は「思考する身体」という考えの元、創作活動を行い、見事な舞台を見せてくれました。マイム(言葉ではなく動きや表現で伝える)はどちらかと言えば、日本人のように控えめな民族にとっては、見慣れないコミュニケーションだと言えます。しかし、最近では文化も欧米化が進み、今の世代はむしろ積極的な表現が好まれるように変わってきていると思います。

身体を訓練とまではいかなくても、発想次第では子どもたちの興味を引き出し、意欲的生活へと導くことは可能です。力のあるお父さんであれば、自分の身体を使い飛行機、登り棒、ぶら下がり(ブランコ)等身近で愛情あふれる遊び場を提供することさえできます。素敵ではありませんか。肩車、おんぶ、つま先に乗せてペンギン歩きもできますよ!これらの運動は子どもたちのためであると同時に、大人の運動不足解消、子どもたちの育ちの喜びを共感する行動とも言えます。子どもの笑顔に知らず知らずのうち、汗びっしょりとなって心も楽しくなっていきます!

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カテゴリ:子育て

「長崎原爆の日 記念式典」

2023.08.09

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原爆詩集「八月」 合同出版編集部-編
ピカドン 橋本弘美(広島市千田小学校二年)
ピカドンのときは、ぼくはちいさかった おかあちゃんおかおや からだのけがはしらない いまごろになって、かおのきずからガラスがでてくる、もう三べんもでてくる、二へんまでは 小さかったからしらない いまは二年生です。いまごろかおから またがらすがでてくる ときどきおかあちゃんがさわっている。ぼくはそれを見ると もうピカドンが なければよいとおもう。

十八の姉と別れる 西田郁人(広島市崇徳高校二年)
乳と乳との間に 深傷を負うて 更に記憶喪失して 水を・・・水を・・・と叫びながら 哀れに死んでいったあねの姿 十八の姿は美しかった
静かな蚊帳の中で 「これが最後の姿ですよ」 母の声も涙をおびて 親子兄弟は 姉の逝くのを見守った 十三であった僕も そこに伏せて大声で泣いた。 やさしかった 美しかった 正直だった 吾姉よ。
天よ 汝は姉に十八の年月しか与えていない それは運命と云っても 平和の先導者と云っても あまりにも悲しい出来事ではないか。
原子爆弾 その言葉こそ 全人類の破滅のことばだ。

おはようございます。冒頭から心が重たくなる詩を載せました。「今日があってよかった」この気持ちを忘れないようにしなければならないと思います。
【長崎に原爆が投下されて9日で78年です。被爆地・長崎は9日一日、犠牲者への祈りをささげるとともに、ロシアのウクライナ侵攻で核兵器の脅威が高まる今こそ、核兵器のない世界の実現と「長崎を最後の被爆地に」という願いを国内外に発信します。ことしは6月に核兵器を全面的に禁止する初めての国際条約、核兵器禁止条約の締約国会議がオーストリアで開かれ、長崎の被爆者は現地を訪れ、核軍縮の機運を高めようと悲惨な被爆体験を証言しました。一方、ことし2月以降はウクライナに軍事侵攻したロシアが核兵器をちらつかせる威嚇を続けていて核の脅威が高まっています。このため長崎市の田上市長は、ことしの平和宣言で核兵器の使用は現在進行形の危機だとして、今こそ核兵器のない世界を実現しようと訴えることにしています。ことし、被爆者の平均年齢は84歳を超えました。長崎ではことし3月、主な被爆者団体の1つが高齢化を理由に解散しました。被爆の記憶をどのように若い世代に引き継ぎ、世界に訴え続けていくかは被爆地・長崎にとって差し迫った課題となっています。】
残念ながら今日の「長崎原爆の日 記念式典」は台風接近のため、被爆者をはじめ各国首相、関係者の出席はなく大幅な縮小となりました。しかし、どれだけ年月を経ようと、私たちは残酷な事実を各々の年齢によって学び記憶し、考え続けていく義務を持っていると思います。年齢によって「人が死ぬこと、苦しみ」に対しては、それなりに心が動きます。苦しみ、喜びは自らの経験の中で積み重ねられてきた思いです。戦争という負の経験、あってはならない経験を伝えることは、とても苦しい事でもあります。しかし幼児、小学生、青年期それぞれに響く言葉や思いの中で、伝えていくことがやはり大切だと思います。一つとして同じ命はありません。その尊厳を教え伝えることに年齢はないはずです。行ってらっしゃい。

カテゴリ:戦争

「ヒロシマ原爆の日 8月6日」を忘れない!

2023.08.07

はだしのゲン


おはようございます。台風の影響が心配されます。備えを怠らないようにしましょう。
昨日は広島市に原子爆弾が投下され78年が経った日です。戦争の記憶も世代の交代によって薄れていきます。人間は記憶を忘れることで生きていけるのも確かですが、戦争による多大な犠牲が存在した事実は、努力することで決して忘れ去ってはならない記憶です。
教科書問題では「はだしのゲン」が教材から削除されました。クローズアップ現代(はだしのゲンはなぜ消えたhttps://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/episode/te/L5JNVQJYWQ/)では独自のアンケート調査を実施し、その疑問に客観的に答えを見つけようとしました。【広島市は平和教育を教育の原点、最重要課題と掲げています。10年前からは独自に平和教育プログラムをつくり、「ひろしま平和ノート」という副教材を使った教育を年間3時間、実践しています。プログラムが始まった背景には、広島市教育委員会が行った調査で、原爆投下の年や日時を正確に答えられる小学生が全体の33%にとどまるなど、被爆に関する知識や平和に対する意識が、子どもたちの間で希薄化しているという課題がありました。】
そこには教育現場が抱える様々な問題があります。この教材は小学校3年生で扱っているため、発達段階や現代にそぐわない(残酷性、犯罪、天皇の責任、浪曲などの描写)という意見もあります。確かに78年前の事実は、今を取り巻く文明社会からすれば臨場感はありません。理解もしにくいです。しかし、歴史はすべて現代文明から理解を試みても分からないのが当然です。当時の時代背景、日本の政治体制を理解できる年齢でなければ意味をなさないともいえます。「二度と起こしてはならない戦争、核爆弾使用」をどの年代にどのように伝えていくかは考えるべきことだと思いました。行ってらっしゃい。

カテゴリ:戦争

子育てをたのしむには?

2023.08.04



初めての場所、初めての素材、初めての人、初めての食事、生まれて年月が短い乳幼児さんにとっては、驚きや恐ろしさ、不思議と興味は並大抵の大きさではないと思います。当然感じたことに対し心に起こった感情を体験することは免れません。大人はその感情に関して時に同調し、時に安心させるため抱き上げ、声をかけスキンシップを自然な形で行います。自分を包んでくれる大人の腕、胸、暖かさ、声、香りによって子どもたちは心を落ち着かせ、平常を取り戻します。同じものに再び出会ったとき、以前よりも怖さは少なくなっているかもしれません。反対に忌避するものとして長い間、心に横たわってしまうこともあるでしょう。「強い刺激」は、極端な反応を起こしかねませんので注意が必要です。

日本人は子どもを育てるために様々な方法を編み出してきました。貧困が続き、仕事をしながら子守をしなければならない状況は日常茶飯事だったと思います。どんな調子のどんな歌を唄いかけ、どんな遊びを持ち掛ければ、子どもたちが落ち着くかを子どもと一緒に楽しみながら、試行錯誤して見つけてきたのだと思います。

効果的なものは「わらべ歌」として今に伝えられています。「はやし歌-泣いたカラスがもうわろうた-子どもがびっくりして泣き止んでしまう」、「子守歌-おんぶして、抱っこして歌と揺れるリズムで安心へ」、子どもの感情コントロールはまだまだ未熟な年齢においては、大人の知恵と助けが必要です。寂しい、悲しい、そんな負の感情を体験したとき、少し心が和らぐようにしてあげること、有頂天になってケガをしそうなとき静かに集中できる環境を用意することで、子どもは自分自身の心を自発的に納めていけるようになっていきます。そのような方法は親から子へ保育士から子へ、伝承されていくべき大切な文化だと思います。大人でも音楽や芸能を見たり聞くことで、自らの心を納めますよね。子どもたちにも歌や手足を使った文化が必要です。人生を大いに楽しんでいる時代だからこそ、遊ぶための環境はたくさん用意されるべきです。親、祖父母、仲間、保育士はそのために必要な大きな要素です。家族として、教育者としてそれぞれの立場の中で、目の前にいる未来に大きな可能性を秘めた存在である子どもの権利を守っていかなければなりません。

カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!

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