目先の価値観にぶれない!
2023.12.27

おはようございます。
知的障害者のスポーツはパラリンピックが最も注目されていますが、スペシャルオリンピックス【SOは知的障害のある人たちがスポーツを通じて社会参加をする場を作っている国際組織で、パラリンピックとは全く違った価値観で成り立っている。知的発達障害のある人の自立や社会参加を目的として、日常的なスポーツプログラムや、成果の発表の場としての競技会を提供。】は「競争原理」よりも、「誰もが参加できる」が前面に押し出され、暖かな応援の声や拍手に包まれた障害者スポーツの世界です。
私自身も体育会系でバドミントン、野球、サッカー、バスケット、剣道等数々のスポーツをどちらかというと見るよりも行うことで自身の技の向上や、チームとしての勝ち負けにこだわってきました。山登りも自分に負けたくない一心でついつい無理をし、今年の夏は熱中症になりかけ身の程を知ることとなり反省でした。
SOは障害のない人も一緒に取り組むスポーツを「ユニファイドスポーツ」と名付け普及に力を入れています。スポーツの語源は「デポルターレ(ラテン語)」、「義務から離れる」、「気晴らし」といった意味だそうです。表彰台も大勢が並び喜び合い、頂点を争わない価値観を持つSOはまさに「行うことの楽しさ」を「誰もが楽しみ共有する」といえます。競技スポーツが国ぐるみのドーピングなどで人間性を欠くような状況となっている昨今、「頂点」ではなく「共に認め喜びを分かつ」スポーツのあり方が、最も語源に忠実で意義あることのように思えます。
大坂・関西万博、東京オリンピックなど巨額の税金を投じて実施する催しは何のためにあるのか?今まで大々的に行われてきた幼稚園、保育園の行事等、いったい誰のために、何のために行われているのかを考え直し、「ひとり一人の幸福」を前提とした意義や価値観を押さえ、ぶれないようにしていかなければ、間違った価値観(華やかさ、目先の力の向上)に陥ってしまうのが眼に見えています。今の世の中の自殺者の数、学校へ行けない子ども、虐待、様々な人間関係から起こる事件は、そもそもの意義や原義からかけ離れることで起きています。考えるべきです。行ってらっしゃい。
カテゴリ:スポーツ
その時(年齢に適した)の発達の大切さ!
2023.12.26

子どもたちにとっては自分で靴を履いたり、ボタンをかける、ファスナーを上げ下げするよりも、友だち、先生のものを対面でやる方がやりやすいようです。自分では見えにくいし、見えない個所を手探りで行うことは確かに難しいですね。見えないということは、該当箇所までの距離感を身体で覚えていないとうまく操作できません。これは視覚に頼っていることが大半のために、手探りに慣れていないから起こることです。
このような力を育てるには手探りの遊びをしていくことが良いと思います。子どもは「なんだろうね?」、「さあ 当てることができるかな?」等の誘い文句に大変興味を持ちます。習慣(着脱・排泄・食事・睡眠・手洗い)は子どもたちにとって面白みがないため、ついつい億劫になりがちです。すべてを遊びで誘導するのはこれもまた問題がありますが、手洗いで水を出しているとついつい水遊びになってしまうのも、興味ある素材が目の前にあればごく自然な行動なのです。
そのような身支度と遊びの区別ができるようになるには、時間の経過による心身の発達を待たなければなりません。いずれは生活と学びは子ども自身の中で分離していきます。その区別がほぼ存在しないのが乳幼児期なのです。これは極自然なことで無理な我慢を強制していくと、心が満たされず欲求不満を残し年齢を重ねていくこととなります。その不満はいつの日か「反抗」、「拒絶」といった強い態度で安心できる対象に向けられることになります。反抗期は一般的には誰にでもあることがほとんどですが、屈折した行き場のない「思い」が、乳幼児期に重なることはとても危険なことです。「欲求を満たす」は幼い時期ほどどうぞ尊重してあげてください。その思いが十分満たされた子ほど早く親から離れていきます。
子どもたちにとって何が大切か?それは最終的に親から離れ自立し、ひとりの人間として自分の世界を縦横無尽に生き抜くことです。親から離れず自立できない若者、子どもから離れられない親が多くなる世の中は、自立、自律できない見かけだけが大人の人間を増やしていくことに繋がります。学習も早ければよいのではなく、「発達のその時期、瞬間を十分に過ごす」ことが最も大切なのです。「積み残しがない発達過程」を経験できるように家庭と教育保育機関で協力していくことが大切です。
カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!
キャンサーギフト
2023.12.25

おはようございます。
【七十二候が冬至の初候に変わり、乃東が芽を出し始める頃となりました。乃東とは、冬に芽を出し夏に枯れる「夏枯草 (かこそう)」の古名で、紫色の花を咲かせる「靫草 (うつぼくさ)」の漢方名でもあります。ウツボグサは、日当たりの良い山野の草地に群生し、夏至の頃に枯れていきますが、この枯れて茶色くなった花穂が「夏枯草」です。夏枯草は、古くから洋の東西を問わず、漢方として用いられてきました。この生薬を煎じて飲めば、利尿・消炎作用があり、煎液は、ねんざ・腫物・浮腫の塗り薬として、また、うがい薬にも用います。英名は、「all-heal = 全てを癒す」。和名は、花の形が矢を入れる「うつぼ」という道具に似ていることから付けられました。今回の候は、夏至の初候「乃東枯(なつかれくさかるる)」と対になっています。】


「キャンサーギフト」という本があります。【北の島・礼文島の冷たい風の中で咲く花々に思いを寄せた写真家の杣田さん。2021年秋に命を終えるまでの間、礼文島に暮らし、ガイドブックや写真集、エッセイ集など12冊もの著作を遺しました。病床で受けたラジオ深夜便のインタビューで語ったのは「死を意識した時に輝く現実がある」という言葉。遺作のフォト短歌集『キャンサーギフト』には、生命に対する力強いメッセージがこめられていました。】
ラジオで初めて知りました。病気(ガン)になることで「天からの贈り物」と受け取ることができる心情を表していらっしゃるそうです。この気持ちにたどり着くまでは、ご自身が言葉では言えないような葛藤を超えた時間があったことを想像します。だからこそ多くの人の心を打つ写真と短歌となっています。私自身現物を読んでませんので多くは語れません。しかしご本人がラジオで語られるお話は、とても感慨深い言葉の数々でした。たとえば「植物は開花しているときが一番輝いています。ですが花が枯れ、葉も茎も枯れやがて腐って土に帰り栄養分となって次世代の力となる。」この言葉一つとっても、人が老いて、病に斃れ、やがて命が尽きても、必ず次世代につながっている、いいえ、つなげなければならない使命感を感じます。いかがでしょうか? 行ってらっしゃい。
カテゴリ:生き方