「山下清」生き方と言葉
2023.11.16
長岡の花火(貼り絵) 山下清

裸の大将放浪記 芦谷雁之助

おはようございます。
【「みんなが爆弾なんか作らないで、きれいな花火ばかり作っていたら、きっと戦争なんて起きなかったんだな。」ほかにもこんな文章も。「戦争と言うものは一番怖いもので、一番大事なものは命で、命より大事なものはない。命を取られると死んでしまう。死ぬのは何より一番辛いもので、死んでしまえば楽しみもなければ苦しみもない。死ぬまでの苦しみが一番辛い。戦争より辛いものはない。」】
山下清さんは1920年東京浅草生まれ、風邪が元で消化器を患い、軽い言語障害、知的障害の後遺症を負いましたが、学童期よりちぎり絵に熱中し才能を開花させました。日本国内を放浪したくさんの貼絵、ペン画を残し「はだかの大将放浪記」というテレビ番組も製作され、素朴な性格は多くの視聴者を魅了したのです。ドラマの挿入歌「野に咲く花のように(小林亜聖 作曲・杉山政美 作詞・ダカーポ 歌)」は芦谷雁之助演じる山下清の役柄にもピッタリの素晴らしい歌でした。人間にとって何が大切であるのかを教えられ心に残っています。
長野県茅野市に「山下清・放浪美術館」があり、去年今年と続けて訪ねました。親子で運営し作品の展示も年に1~2回展示替えされています。そればかりではなくお客さんが少なければ(大体少ない様です)毎回丁寧な説明、エピソードもお話ししてくださいます。その内容がとても面白く、作品や山下清画伯の人柄を10倍楽しむことができます。おまけに入場記念で好きな「ちぎり絵はがき」をいただけます。こんなお得で素朴な美術館は他にはないと思います。子育てに余裕ができたら、諏訪湖のほとりにある原田泰治美術館と合わせて訪ねてみてください。とても素敵ですよ!

裸の大将放浪記 芦谷雁之助

おはようございます。
【「みんなが爆弾なんか作らないで、きれいな花火ばかり作っていたら、きっと戦争なんて起きなかったんだな。」ほかにもこんな文章も。「戦争と言うものは一番怖いもので、一番大事なものは命で、命より大事なものはない。命を取られると死んでしまう。死ぬのは何より一番辛いもので、死んでしまえば楽しみもなければ苦しみもない。死ぬまでの苦しみが一番辛い。戦争より辛いものはない。」】
山下清さんは1920年東京浅草生まれ、風邪が元で消化器を患い、軽い言語障害、知的障害の後遺症を負いましたが、学童期よりちぎり絵に熱中し才能を開花させました。日本国内を放浪したくさんの貼絵、ペン画を残し「はだかの大将放浪記」というテレビ番組も製作され、素朴な性格は多くの視聴者を魅了したのです。ドラマの挿入歌「野に咲く花のように(小林亜聖 作曲・杉山政美 作詞・ダカーポ 歌)」は芦谷雁之助演じる山下清の役柄にもピッタリの素晴らしい歌でした。人間にとって何が大切であるのかを教えられ心に残っています。
長野県茅野市に「山下清・放浪美術館」があり、去年今年と続けて訪ねました。親子で運営し作品の展示も年に1~2回展示替えされています。そればかりではなくお客さんが少なければ(大体少ない様です)毎回丁寧な説明、エピソードもお話ししてくださいます。その内容がとても面白く、作品や山下清画伯の人柄を10倍楽しむことができます。おまけに入場記念で好きな「ちぎり絵はがき」をいただけます。こんなお得で素朴な美術館は他にはないと思います。子育てに余裕ができたら、諏訪湖のほとりにある原田泰治美術館と合わせて訪ねてみてください。とても素敵ですよ!
カテゴリ:生き方
欲のコントロール
2023.10.27
観てみたい映画 「子どもの時間-野中真理子監督 2001年」さいたま いなほ保育園
http://nonaka-mariko.com/kodomono-jikan

世界は相次ぐ紛争で混沌とし命が軽んじられ、国内では物価高、文明化がもたらす孤立、虐待、事件、軍拡、環境汚染が相次いでいます。人間は果てしのない欲望をコントロールできず「宇宙の原理」、「見えぬ存在」に背いているような気がしてなりません。古の巨人は現代にも通ずる言葉で「欲」の制御を発信しています。欲は人類発展のために使わなければ、人間を堕落させると・・・・・。
イスラエルはどうしてもハマスを壊滅させたいと願います。それは長年お互いが命を奪い合った「恨み」に根源があります。その行為を繰り返していれば永遠に終わりは訪れません。大国も私益を優先し拒否権発動を交互に主張しあっていたのでは埒(らち)が明きません。文明社会はますます争いを複雑化させ、便利なはずの世の中を作ったにもかかわらず、その発展が「人間の孤立」を生み出しています。
「シンプルであることが大切です。」人間が真に精神的に発展していくためには、「欲」の使い方を間違ってはならないと思います。少子化はなぜ進むのか?これも現代人の生き方が文明社会の影響で変わってきたからだと思います。「何も知らない」、「器が空っぽ」であることは、様々なエネルギーがその中へ流入できる状態を示しています。ところが世界はほとんど何もかもがその質量ともに、酸いも甘いも経験しながら人間同士の関りを通じて得られる過程(労苦)を経ず、事前にほとんど分かってしまいます。そのことは欲を満たすために行う純粋な行動を飛び越え、醜悪な感情や敵対の構造を生み続けています。子どもたちは純粋な欲望を自己の成長のために使います。まさに濁りのない原点を見せてくれています。その純粋な生き方に大人は範を示し、人生が生きていくに値する素晴らしい世界であることを見せていく必要があります。そろそろ気付いたことを実践に移すべきです。身の回りを見渡してみてください。きっと一つや二つは、自分が手を差し伸べることで「変えられること」があるはずです。行ってらっしゃい。
http://nonaka-mariko.com/kodomono-jikan

世界は相次ぐ紛争で混沌とし命が軽んじられ、国内では物価高、文明化がもたらす孤立、虐待、事件、軍拡、環境汚染が相次いでいます。人間は果てしのない欲望をコントロールできず「宇宙の原理」、「見えぬ存在」に背いているような気がしてなりません。古の巨人は現代にも通ずる言葉で「欲」の制御を発信しています。欲は人類発展のために使わなければ、人間を堕落させると・・・・・。
イスラエルはどうしてもハマスを壊滅させたいと願います。それは長年お互いが命を奪い合った「恨み」に根源があります。その行為を繰り返していれば永遠に終わりは訪れません。大国も私益を優先し拒否権発動を交互に主張しあっていたのでは埒(らち)が明きません。文明社会はますます争いを複雑化させ、便利なはずの世の中を作ったにもかかわらず、その発展が「人間の孤立」を生み出しています。
「シンプルであることが大切です。」人間が真に精神的に発展していくためには、「欲」の使い方を間違ってはならないと思います。少子化はなぜ進むのか?これも現代人の生き方が文明社会の影響で変わってきたからだと思います。「何も知らない」、「器が空っぽ」であることは、様々なエネルギーがその中へ流入できる状態を示しています。ところが世界はほとんど何もかもがその質量ともに、酸いも甘いも経験しながら人間同士の関りを通じて得られる過程(労苦)を経ず、事前にほとんど分かってしまいます。そのことは欲を満たすために行う純粋な行動を飛び越え、醜悪な感情や敵対の構造を生み続けています。子どもたちは純粋な欲望を自己の成長のために使います。まさに濁りのない原点を見せてくれています。その純粋な生き方に大人は範を示し、人生が生きていくに値する素晴らしい世界であることを見せていく必要があります。そろそろ気付いたことを実践に移すべきです。身の回りを見渡してみてください。きっと一つや二つは、自分が手を差し伸べることで「変えられること」があるはずです。行ってらっしゃい。
カテゴリ:生き方
救難信号を見落とさない 聴き落とさない
2023.10.15

おはようございます。
またまた新聞です。「視座」これも同じく10月15日(中日 視座 内田 樹 氏)の2面に度々登場する方で私が愛読する文章の一つです。今回は「救難信号を聞き落とさないでね」でした。内容は修学旅行の高校生への講演依頼なのですが、生徒高に一番響いた内容が「救難信号を・・・・」だったそうです。
【「助けて」という救難信号を発信している人がいる。君はそれを聴き取った。周りを見渡すと誰も気づかないらしく、そ知らぬ顔で通り過ぎてゆく。でも、君には「助けて」が聴こえた。だとしたら、それは君が「選ばれた」ということである。だったらためらうことはない。近づいて、手を差し伸べなさい。・・・(中略)「ああいですよ」の後の「どうもありがとう」から「何か」が始まることがある。他の人には聴こえない「助けて」が君には聴き取れたのだからそれは君ひとりのために用意された機会だったのだ。「天職」に人が出会うのはたいていこの「ちょっと手を貸してくれる?」に応じたことによってである。】
我が子の救難信号、父母の救難信号、同志の救難信号、そして通りすがりの人々の救難信号、それぞれの人が発する「たすけて」は、方法もニュアンスも異なりますが、自分の直観を信じ人の心の波風を感じたならば、声をかけ「お話してみよう」そんな気持ちにさせてくれる文章でした。行ってらっしゃい。
カテゴリ:生き方
「らんまん」から学ぶ生きる気概
2023.09.29


おはようございます。今日も日中は暑くなりそうです。ラグビーはサモアに28-22でなんとか勝てました。厳しい試合でした。この力が次の試合にいかされるように、負けたとはいえサモアの素晴らしい力に拍手を送りたいです。
朝ドラ「らんまん」が終焉を迎えました。牧野富太郎、小学校中途退学でも熱意と思いで理学博士になった植物学者です。牧野先生の植物への愛情は並外れており、東京大学(当時は東京帝国大学)の門をたたき、標本造りに貢献、フィールドワークが大好きで多くの新種も自らが命名した数【命名は2500種以上(新種1000、新変種1500)とされる。自らの新種発見も600種余りとされる。】は驚くほどでした。「雑草という草はない」、「一つ一つの草に名前がある」という素晴らしい言葉も残しています。心の底から草花を愛していたからこそですね。植物に対して平等な目線で接した先生は、庶民的で決して偉ぶらず、学歴がなくてもただただ「植物が好き」という一心で植物図鑑を残し、多くの研究資料、植物画を作りました。10月から撮りだめのビデオがない事を思うと少し寂しいですが、また新たな楽しみも見つけられる機会が増えると考えると、これもまた良いことです。

何事も「一意専心」!毎日を一つのことに心と身体を割いていると、あっという間に日暮れがやってきます。そんなひと時、十五夜の月を眺め風流を感じる心も忘れず過ごす余裕だけは忘れないようにしたいと思います。行ってらっしゃい。
カテゴリ:生き方
同行二人
2023.09.28

おはようございます。秋風がさわやかです。
「同行二人」お遍路さんの傘や衣服に書かれているこの言葉には深い意味があります。人間は結婚して家族を増やし子孫を繫栄させていく大事な役割を持ちます。しかし最後には一人でこの世を去らなければならない運命も背負っているのです。たとえ夫婦で遍路を歩んだとしても一人に等しい、しかし弘法大志様だけはいつもそばにいてくれる。そんな意味です。
【たとえ誰か友達や、家族や、恋人とふたり以上でお遍路を巡礼していたとしても、その場合でもあなたはお大師さまとふたりっきりで巡礼しているのだと説いているのだ。すなわちこの世でお遍路を共にしている者、恋人や、結婚相手や、仲のいい友達や、子どもなどは、あなたにとっていないも同然の存在だということである。お遍路において本当に重要なことは、この浮世で肉体を共にしながら歩く相棒のことを考えたり思いやることではなく、精神を清らかに孤独に保ちながら、強烈な孤独感のそばにお大師様だけを引き連れて歩みを進めて行くことなのだ。
ぼくたちはこの世で、他人を思いやることや誠意をもって対応することが大切だと教えられる。しかし仏教的に究極的に考えれば、この世で肉体を共にしている者など夢まぼろしの偽物の幻想に過ぎないのかもしれない。そんなものに執拗に構っている暇があるんだったら、いっそすっぱりと潔く精神を孤独に保って、悟りへの道を歩めとお遍路は教えているのかもしれない。人間が集団や群れとして悟りを開くなんてありえない。悟りを開くときにはいつでも、人は孤独である。この「同行二人」は、お遍路に限らず人生という巡礼の道にも当てはまるのではないかとぼくの心の中では感じられた。どんなに仲間と楽しい時を過ごしていたとしても、どんなに愛する人と結ばれている時でも、心の中に清らかな孤独を忘れず、その孤独にたったひとりを触れさせるべきである。
究極的な孤独を共有するのは弘法大師であるとは限らない。それはお遍路における絶対的存在の象徴であり、結局は空海でなくても、神様や、仏様や、大いなる魂や、大自然や、宇宙でもいいのだろう。思い描く究極的な孤独の共有相手は、それぞれの人の宗教観や死生観やものの見方に左右されるのではないだろうか。もしもそのようにして誰もが究極的な孤独を心の中に持ち合わせれば、矛盾するようにぼくたち人間は決して孤独ではなくなる。それは誰もが究極的で清らかな孤独の色彩を心の中に描くことによって、「孤独」を大切に抱く者同士としてぼくたちはその思いを知らず知らずのうちに共有することができ、矛盾を引き起こすように究極的な孤独によって孤独とは正反対の究極的な共有が出現する。孤独と共有は輪廻転生を描き、ぼくたちはもうひとりじゃない。-みずいろてすと から引用】
正しいか否かは問題ではなく一つの考え方です。孤独は人間にとって必要なことです。それは真の連帯を得るために、どうしても必要な過程だと思います。「孤立」とは真の「孤独」を体験していないがために生じてしまうとも感じます。行ってらっしゃい。
カテゴリ:生き方