お知らせ

ゴジラ ー1に涙あり!

2024.01.11

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ゴジラ -1を映画館で観ました。私の義兄のお勧め(泣ける)で、昔のゴジライメージしかない私にとっては半信半疑で足を運びました。舞台は太平洋戦争終戦間際、特攻から逃れたパイロット(神木隆之介)が南の島でゴジラに遭遇し、機銃を発射しなかったことで整備兵(青木宗崇)と2人だけが生き残る。帰還後孤児を育てる典子(浜辺美波)に出会い一緒に暮らすことに・・・・。その後は劇場でご覧ください。
キャストは神木、浜辺、吉岡、佐々木、青木等豪華俳優陣で固め、時代考証も優れ中々の見ごたえでした。戦争、核、命(自己犠牲の否定)、日本の政治体質等を扱ったヒューマンかつ現代の問題も含む秀作といえます。兄の言葉は本当でした。改めて現代に問いかける内容は、ゴジラという人間が作り出した化け物でさえ、神が想像したとも言うべき存在として自然を踏みにじっている人間への、「警告」でもあるような気がしてなりません。監督の山崎貴さんは「永遠の0」、「ALWAYS 三丁目の夕日」他多数を手掛けました。一見平和な日本であっても、一歩間違えば危険な集団心理、自然の脅威が待ち構えていること、人間の「善と悪」は紙一重であることを心に留めておく必要があると感じました。興味のある方はオールアバウトニュース ゴジラにて「ラストに賛否両論? 『ゴジラ-1.0』で議論を呼んだ“6つのポイント”を徹底考(ネタバレあり)をお読みください。興味深い内容です。

カテゴリ:宗教・文化

フランク・ロイド・ライトの建築物から学ぶ

2023.11.29

明治村にある 旧帝国ホテル中央玄関と池(関東大震災で類焼防止のためこの池水を使った)

【知多半島の常滑(とこなめ)は、常滑焼として知られるやきものの産地ですが、ライトが求めるスダレ煉瓦(250万個使用)をつくるのに、常滑から20㎞ほど南の粘土山から採れる青みを帯びた内海粘土(うつみねんど)が適した土だということがわかりました。ライトはわざわざ現地まで足を運んで、自身の目で確かめるほどの熱の入れようでした。】

おはようございます。
明治村に「帝国ホテル2代目(ライト館)」が移築されています。
【フランク・ロイド・ライトは建物の設計にかかる前にいつも「まさに自然の中に溶け入るようにしっくりと納まるように、そしてその地の風景、その地の生命のリズムを乱さぬように建物を建てるべきだ」と語っています。つまり「位置、配置、方向、方位や大きさ、高さまで配慮して設計デザインすることが大切である」と考えています。ライトは「自然と建物の一体化」という基本概念を持っています。その為常に「風や光、緑、そして景観までも室内外に取り入れることが大切」と語り具体的な設計では「外から中へ、中から外へと空間を連続させる」と述べています。実際の建物を見ると、その発言に違わず中から見る庭も室内の一部に見え、外から見ると室内が庭の一部に見えるように設計されているのです。こうしてライトは「中と外の連続性」という発想にこだわり、また建物の室内空間をドアや壁などで仕切って固定するのではなく、オープンにしてかつダイナミックな動きをもたせるつまり「箱の組み合わせではなく、動きのある空間のつながりで住まいをつくる」と語っています。ライトは「空間の流動性」が大切だと考えたのです。】
建築物にここまで思いを込めて作る事例はそれほどないと思います。人間と共生する自然に深く共感し建物にもその考えを取り入れた氏は、日本の四季を通じた生活や芸術(浮世絵)に愛着を持っていました。その場所に住んでいることを当たり前と考えず、貴重な日本人の誇りとして残し伝えていくことが大切です。行ってらっしゃい。

カテゴリ:宗教・文化

歌の魅力

2023.10.26

熟年のアリス
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若かりしもんたよしのり
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先週そして今週とフォークソング、ニューミュージックで名をはせた2人の巨匠(谷村新司、もんたよしのり)がこの世を去りました。谷村新司さんは「アリス」3人のフォークソンググループを組み、「チャンピオン」、「遠くで汽笛を聞きながら」等歌い継がれる曲もたくさんありました。ソロとなってからは「昴」を作詞作曲歌唱し中国との親善にも尽くした音楽家です。とても素晴らしい一人の人間でもありました。もんたさんはもんた&ブラザーズを結成し、少ない曲数でしたが「ダンシング・オールナイト」が160万枚の売り上げを記録するなど活躍されました。お二人とも病気による70歳台での逝去となり、まだまだ活動が期待されていただけに残念でなりません。

私もフォーク全盛だったころギター片手に夢中になってコピーしたものです。過ぎ去りし日々に哀愁も感じますが、「今が大切」であることに変わりはありません。人生には決別がつきもの、新たな出会いも一緒に伴うわけですから、下を向かずポジティブに生きたいと思います。年齢を得てから出会った好きな歌手に「絢香さん」がいます。シンガーソングライターですが、歌唱力が凄く素敵な表現者です。素晴らしい楽曲が多いですが、中でも「花子とアン-NHK朝の連続ドラマ」主題歌「にじいろ」は元気をもらえますよ!

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「にじいろ」作詞作曲 絢香 2014年アルバム「レインボーロード」 
これからはじまるあなたの物語 ずっと長く道は続くよ にじいろの雨降り注げば 空は高鳴る 
眩しい笑顔の奥に 悲しい音がする 寄りそって 今があって こんなにも愛おしい
手を繋げば温かいこと 嫌いになれば一人になってくこと ひとつひとつがあなたになる 道は続くよ
風が運ぶ希望の種 光が夢の蕾になる

なくしたものを数えて 瞳閉ざすよりも あるものを数えた方が 瞳輝きだす
あなたが笑えば誰かも笑うこと 乗り越えれば強くなること ひとつひとつがあなたになる 道は続くよ

La la la la la la la la la…

これからはじまるあなたの物語 ずっと長く道は続くよ にじいろの雨降り注げば 空は高鳴る

カテゴリ:宗教・文化

「雨ニモマケズ」に秘められた願い

2023.10.05

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おはようございます。
心の時代~宗教・人生~(NHK Eテレ)、シリーズ宮澤賢治 久遠の宇宙に生きるシリーズが終わりました第6回最終回「デクノボーとして生きる」では、賢治の理想とした生き方を伝えています。
【貧困に悩む東北の民の中で、金貸し業を営む宮沢家は裕福でした。彼の父は悪人正機説(阿弥陀の慈悲は善人より悪人に注がれ、人はたとえ罪を犯しても、虚心に懺悔すれば阿弥陀仏の慈悲によって救われる)を説く、熱烈な浄土真宗の信者でした。しかし賢治は自分だけが幸せであることに罪悪感を持ち、浄土真宗を捨て、(山や川、草や木もすべて仏性を持って成仏する)という日蓮の「天台本覚論」、法華経にひかれてゆきます。特に常不軽(じょうふけい)菩薩の生き方に感銘を受けました。
(常不軽菩薩)
増上慢(正しい教えを得ていないのに得たと思い込んでおごり高ぶる者)の人々が満ちあふれる時代に、一人の菩薩がいた。彼はどんな人をも拝んで「私はあなたを敬い、決して軽んじません。あなたはきっと仏様になるお方なのですから」といった。遠くに人を見れば、その人のもとに駆けつけて同じことを告げた。「馬鹿にしているのか」と人々は怒り、罵り、石を投げ棒で打ちすえようとするが、その菩薩は決して怒ることなく身を避けて、なお同じことを述べ続けた。人々は彼を「常に軽んじない者」ということで、常不軽菩薩と呼んだ。】
デクノボーは常不軽菩薩のことを指してます。
また、ところどころに「行ッテ」とあるのは、地涌の四菩薩(「上行菩薩=卓越した善行をなす者」、「無辺行菩薩=際限なき善行をなす者」、「浄行菩薩=清らかな善行をなす者」、「安立行菩薩=よく確立された善行をなす者」)を示し、全てに「行」の字が入っているところに、「行動」を尊ぶ『法華経』の精神が表れているのです。賢治は「行う」ことに大きな価値を持っていました。どんな理想もたとえ小さな一歩でも、目に見える形で進めていくことが大切です。そんな頑なな心に感じ入りました。行ってらっしゃい。

雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋(怒)ラズ イツモシヅカニワラツテイル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキ小屋ニイテ 東ニ病気ノ子供アレバ 行ツテ看病シテヤリ 西ニ疲レタ母アレバ 行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニソウナ人アレバ 行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクワヤ ソシヨウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイウモノニ ワタシハナリタイ

カテゴリ:宗教・文化

天皇・皇后両陛下のインドネシア訪問

2023.06.22

インドネシア伝統舞踏(レゴンダンス)

おはようございます。今日は雨の確率が高いです。そろそろ地面も適度な潤いが欲しいところです。
さて、天皇、皇后両陛下がインドネシアを訪問されました。日本と戦前戦後を通じ深い関係を持っている国ですが、皇族が熱い歓迎を受けられることは、とても嬉しいことです。しかし、戦中、戦後は暗い歴史も存在しています。日本は戦中に国を支配し、天然資源を殖産興業のために獲得しようと、人民を重労働させ亡くなった方も大勢います。教育も日本式に行い、国民の文化、伝統、習慣を強制的に変更したことも事実です。様々な文化的生活を持ち込んだことは一面豊かさも保証しましたが、国民としての真の発展を願った方法であったとは言えません。また、日本人も終戦後多くの兵が残留し、インドネシアの独立のため戦いました。忘れてしまってはならない歴史があることを、この皇族訪問で改めて心に刻むことも日本国民の責務であると思います。このことは決して後世に残す負の遺産ではなく、「後世が戒めとすべき正の遺産」であることを認識しなければなりません。
インドネシアは「祈りの国」でもあります。【インドネシアでは国家原則「パンチャシラ」による決まりで、「生まれたときから何か宗教を信仰しなければいけない」というルールがあります。それと同時に「どの宗教を信仰してもいい」という平等な権利も認められているのです。だから無宗教の人もいなければ国が定める宗教もなく、多様な宗教が信仰されているのです。】ほとんどの国民がイスラム教信者ですが、古代はヒンズー教が主流でした。ジャワ島はポロブドゥール(仏教遺跡)、バリ島はヒンズー教、不思議な音階を持つガムラン(楽器)、伝統舞踊(ケチャック・レゴン・バロン)、バティック(ろうけつ染め)等多彩で豊かな文化を持ち、多民族、多宗教、多文化で古来より多様性の中で協調し生きてきた民族です。日本でも沖縄地方は歴史的に中国や欧米諸国との外交で多様性を発揮し、うまく付き合った歴史、民俗性を育んでいますが、インドネシアは様々な影響をも自国の特徴にしてしまう優れた国民性を持っていると思います。様々な国から学ぶことも必要ですね。行ってらっしゃい。

夕刻
体を使い指先を使い、雨の日は園庭とは違い保育士が素材を提示しなければ、心も体も時にコントロールが効かなくなります。上手に動と静を組み合わせながら、心が楽しさで充ちていくように環境設定します。今日などは朝から「雨ふり、気温低い、暗い」など昨日とは正反対のお天気です。体の調子を整えていくだけでも幼い心身にはパワーが必要になります。大人はこのような時こそ、それぞれの個性の塊であるひとり一人が、安定して1日を過ごしていくように配慮しなければなりません。気持ちが下向きになったり、むしゃくしゃするのは子どもたちも同じ、何十年か先を生きる私たちは、このような日を乗り越えられるヒントや活動で少しばかり背中を押し、手助けをしていきます。自分で楽しさを見つけ今日1日が子どもたちにとって充実した時間となるように、雨の日も風の日も嵐の日も寄り添っていきたいのです。

宮澤賢治 「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋イカラズ イツモシヅカニワラッテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ䕃ノ小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒヒドリノトキハナミダヲナガシサムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズサウイフモノニ ワタシハナリタイ

カテゴリ:宗教・文化

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