発達をみつめるまなざし!
2025.07.20

先の発達(過ぎた発達)を行く子どもたちと過ごすことは、お互いへの心と体の良い発達に結びついています。毎日過ごす場所でないことだけでも、子どもたちにとっては刺激的な環境と言えます。
ブロック、新聞紙と玩具、ボールと保育室(すみれ)、ホール(広い場所)といった関係性の中で生まれるものは、いったいなんだろう?と年齢、発達差を考えていました。
昼礼(毎日行う打ち合わせ、報告、子どもの様子や発達の確認対話)で保育士に訊ねてみると、写真で想像するよりも現実的な話が聞けます。例えば「新聞が入ったビニール袋を持つ、つくし組の子」に関心があるかと思えば、実はその「袋そのものにだけ興味がある。」、「ボールの性質よりも扱う大人に興味がある。」といった現実に突き当たります。
異年齢の関りを期待する大人の目線で写真を見ていると、「こうあってほしい」といった独りよがりな大人の視方が先行してしまうこともあるのです。例えば子どもに必要以上の飾りつけをしたり、大人の趣味嗜好を押し付けたり、そんなことをしなくても子どもは「最もかわいらしい笑顔、しぐさ、笑い声」で十分に大人に愛らしさを伝えています。その様な視方とどこか似ていたなと反省します。
子どもたちの発達をどのように観ていくのか?「親の欲目」、「教師の願い」が、子ども心を惑わすことがないように気を付けていくべきだなと思い返します。子どもはひとり一人が個別的な人格を持ち、発達の道筋やスピードはもちろん異なることを改めて自覚しなければなりませんね!
言葉の発達、排泄習慣、食事、着脱など目に見える事実に関し、大人はついつい「せっかち」になってしまいます。でも子どもたちに「やらせよう」、しつこく「教化しよう」とすることは、結局は子どもの健やかな心と身体の成長を妨害する結果になる可能性があることは、理解しておかなければなりません。
最後の写真を見てください!子どもたちは縦横無尽に体を躍動させ、斜面やマットの柔らかさ、高さに挑む心の強さを発揮し、身体の巧緻性を獲得しています。わずか数年でこのような判断力と身体使いを習得できることこそ驚異的な発達だと思います。サバンナの生き物は必要性(強者に命を奪われないため)に迫られ、生まれてすぐ立ちあがりしばらくすると走れるようになります。
しかし人間は「知恵」を育てるためこの過程が非常に弱く時間をたっぷりと必要とするのです。その様なスパンで観ていくと、少しくらい習慣が出来なくても心配する必要はないと思います。それよりも今の発達で獲得している頭と身体の成長を、個々が十分に遊びを通して使い切れるような、考えと見方を巡らせ環境を与えていくことの方に力を注いでいくことが大切だと思います。思い切り心身を使った子は様々な習慣の「自立」、「自律」も速い傾向にあります。それは「意欲」、「欲求の満足」を十分に体験してきたからに他なりません。
カテゴリ:発達
天王陛下モンゴル訪問
2025.07.20

おはようございます。
天王陛下が6日~8日間の日程でモンゴルを訪問されています。国際親善はもとより戦中、戦後に旧ソ連によってたくさんの日本人兵士、開拓民がモンゴルに抑留され過酷な環境で働き続け命を落とした方々の慰霊も大きな目的です。
【両陛下は戦後80年のことし、戦没者の慰霊などのため、上皇ご夫妻が平成6年から翌年の「戦後50年」にかけて巡られた先の大戦の象徴的な地域を訪ねられています。4月には「玉砕の島」の1つ小笠原諸島の硫黄島を、先月は激しい地上戦が行われ20万人以上が犠牲になった沖縄と被爆地・広島を訪問していて、9月には長崎も訪問されます。今回のモンゴル訪問は国際親善のためのものですが、期間中、天皇陛下は18年前の前回訪問で訪ねた日本人抑留者の慰霊碑を皇后さまとともに訪問して犠牲者の霊を慰める予定で、今月2日の記者会見では「歴史に思いを巡らせつつ、日本人死亡者慰霊碑に供花をし、心ならずも故郷から遠く離れた地で亡くなられた方々を慰霊し、その御苦労に思いを致したいと思います」と述べられていました。】
6日中日新聞にはモンゴルでの日本人抑留者を看ていた当時のモンゴル人看守のチョグソムジャブさんの思いを伝えています。「日本へ帰りたい」とつぶやく日本人をひとりの人間としてみるように心が変わり、極寒の地で故郷を離れひもじい生活をする人々が、仲間が亡くなった時、自分の少ない食料の豆をすりつぶして、墓前に供えている姿を忘れられないと語っています。それから長い年月が過ぎ日本人に取材を受け、元抑留者との再会を願っているとのことです。実現はされてはいませんが、戦争という何も生まない争いの惨さとその中にも、同胞あるいは敵味方に分かれていたとしても、人間同士の思いは残るものだと心に強く感じました。戦争は二度と起こしてはなりません。
カテゴリ:政治・国際状況
ICCの危機は世界の民主主義の危機
2025.07.20

おはようございます。
トランプ大統領の関税政策や移民排斥が日本の政党にまで影響を与え始めています。インバウンドで来日する大勢の外国人旅行者、外国人労働者の増加などに対し、日本人の雇用や習慣が侵されていると叫び、日本ファーストを叫ぶ団体の出現。ICC国際刑事裁判所所長赤根智子氏は危機に直面する世界情勢について心底心配している。
【被爆者団体の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」がノーベル平和賞を受賞した。唯一の戦争被爆国の被害者の苦痛や苦悩が人類全体の記憶に刻まれる。被害者の尊厳の回復、そして希望の灯ともしびとなる。今、世界中のあらゆる地域で、様々な重大な人権侵害が武力紛争の中で多発している。しかし、私はこうした個々の事象とは別に、世界全体で「法の支配」に逆行する、より大きな流れがあるのではないかと危惧している。国際刑事裁判所(ICC)は現在、存続の危機に直面している。ウクライナと武力紛争するロシアは、私を含む複数の裁判官に対して逮捕状を出している。昨年はICC全体が大規模なサイバー攻撃を受けた。パレスチナを巡る武力紛争では、ICCと職員に制裁を加えようとする動きが米国内で起こり、発動は現実的なものとなりつつある。厳しい経済制裁が科された場合、ICCは世界中の銀行との取引が止まり、あらゆる活動が即座に困難となる。ICCは国家や団体から独立した司法機関であり、脅しに屈することは決してない。目の前にある裁判業務に専念するだけだ。政治的圧力に屈した不作為や作為があれば、それ自体が裁判所としての「死」を意味する。大国が思うがままに行動し、ICCを潰すようなことを日本を含めた国際社会が許すならば、「法の支配」の崩壊を招くことは間違いないとさえ思う。日本はICCにとって最も重要な国の一つである。ICCへの分担金拠出額は1位で、裁判所の活動を財政的に大きく支えている。しかし、それ以上に、日本は、民主主義と平和主義に裏打ちされ、法の支配に基づく開かれた国際秩序を外交の柱とし、法整備支援を含む多くの地道な活動を行ってきたアジアの大国であり、それに対する信頼と期待は大きいのだ。ICCが歴史的な危機に直面している今、日本への期待は一層高まっている。ICCがこの困難を乗り越えて存続するためには、石破首相と岩屋外相をはじめとする日本政府の力強い政治・外交活動、これを支える日本国民の支援の声の高まりが不可欠である。現代の国際秩序の形成において重要な役割を果たしてきた日本の誇りと威信にかけ、ICCが制裁を受け、その存続が危ぶまれるような現在の危機を看過するようなことは決してしないと私は固く信じている。これを裏切らないでほしい。ICCの存続が打ち砕かれてからでは何をしても手遅れだろう。世界中の戦争の惨禍に苦しむ被害者の希望が託されていることを忘れないでほしい。そうした希望の灯を消さないでほしい。-読売新聞オンライン 12日全文】
日本は重要な立場にあると思います。様々な利害損得を考慮している場合ではないと思います。戦争以外の手段で日本国民は「決死の覚悟」を持たなければ、戦渦に巻き込まれてしまうのではないかと感じます。今後を背負う子どもたちの未来が明るい世界となるように、目に見える努力しなければなりません。投票は見える努力のひとつです。
カテゴリ:政治・国際状況
シャボン玉とんだ!
2025.07.20


毎週毎週繰り返される月曜日、お家で過ごしちょっぴりさみしさも抱えながら、しかし元気を出して保育園生活を過ごしています。楽しいことがあれば子ども心ははずみ、賑やかな時間を過ごすことが可能になりますが、心配事や体調が悪い、よく眠れなかったなどのリズムがうまくいかなかったときに、心がくじけやすくなったり、健康が悪化してしまうことは幼い子どもによくあることです。
そんな時は決まって「ママ、パパ」、「お家」が恋しくてたまらなくなります。仕方ないことです!3~4歳くらいまでは最も信頼するご家族が一番の「安心感」なのです。健康を損なわないうちに、ゆっくりすごせる環境に移動できるようにお願いしたいところです。案外お家に戻ると「ケロ」と治ってしまうこともありますが、乳児の病気は気持ち半分ですが、様子がいつもと違う時はやはり早めに「お家でゆっくり」を優先してあげてほしいです。
さて今日は水遊びとシャボン玉がメインでしたね!子どもたちはフワフワ浮かび、キラキラ光るシャボン玉が大好きですね!どこまでも追っていき捕まえる、手で「パチン!」とするなど、いつまでも飽くことなく遊んでいます。ここでも海苔の器やジョウゴ、皿などの道具片手に何とかシャボン玉をつかまえようと笑顔でチャレンジしています!
身体や頭、道具を使ってみたくなる素材である「シャボン玉」、子どもたちにとっての「憧れ」と真夏に「大切な人と遊んだ記憶」、そんな楽しさと嬉しさが混ざり合う馴染み深い素材を大切に伝えていきたいですね。
シャボン玉は子どもにとっては「魔法の球?」に見えるのでしょう。得体は知れぬが安心して遊びこめるとても不思議な対象なのだと思います。私の知っているある保育園で「シャボン玉製造機」を作った園長がいました。なんと特許を取られたと十数年前に聞きました。
でも私は素朴な方法がどちらかというと好きです。花火で言えば線香花火のドラマティックな燃焼過程(最後ははかなく火ダマが落ちるあの瞬間)、シャボン玉は1本のストローからそっと息を入れたときの膨らみ、そして虹色に光るあの模様の美しさが大好きです。私にとっては谷内六郎や原田泰治に通ずるノスタルジーな感覚、淡く美しさあふれる色使いのいわさきちひろのような透明感、ユーミンの「海を見ていた午後」などの感覚がよみがえります。昭和を代表する芸術家の情景を思い出させる風物それがシャボン玉です。
そして「シャボンだま」歌の作者にとっては悲しい思い出でもあるのです。【この曲の作詞者である野口雨情の初めての長女みどりは、生後7日目で亡くなっています。この時代は、衛生面でも栄養面でもいまよりずっと悪く、産まれてすぐに命が絶えてしまうことはさほど珍しいことではありませんでした。ある日、野口雨情は、シャボン玉遊びをしている子供たちと遭遇し、亡くなった長女が無事に大きくなったら同じくらいの年頃だろうなと思いながら1番の歌詞を書いたそうです。シャボン玉の曲が完成した後ですが、野口雨情の四女が2歳で亡くなっています。七五三では女児は三歳になると神様に感謝を伝えにお参りしますが、三歳まで生きるというのが第一の目標地点だったのです。まずは三歳まで生き延びるのが目標だった時代ですから、「屋根を超えて飛び立てるギリギリのところで壊れてしまったシャボン玉」に四女への思いを感じるのは私だけでしょうか。あと少しだったのに・・・・。
この時代は、産まれてきた子供が三歳を迎えるのも大変な貧困時代。医療も乏しく、流行病があればたくさんの子供が亡くなっていました。この曲は、浮かばれない魂が成仏できるようにという気持ちを込めた歌だという説もあります。「シャボン玉」を発表したのが、大日本仏教コドモ会が発行していた児童雑誌『金の塔』でした。仏教の雑誌から出したのも意味がある、そう考えられているのだろうと思います。産まれてすぐに亡くなってしまうような悪い風は吹かないでほしい。子供達よ、大きく成長していっておくれ。そんな願いが込められた歌なのでしょう。】
雨情の心情を思い、現代に生きる子どもたちの幸せと、できることは懸命にしてあげるべきが大人の役割であると、思いを新たにいたします。
カテゴリ:教育
大人のあるべき姿
2025.07.12
子どもたちの発達の差異は、偶然上手くかみ合う時もあればそうではない時もあります。進んでいる子にとっては「ものたりなさ」が残ります。まだ手前の発達段階の子にとっては、自分の楽しさ以上を求めることはありません。
これらの食い違いが集団には生じることが常のため、他クラスの子と交流することが有効になってきます。月齢が高い低いからと言って、必ずしも異なる発達段階ではないため、混ざり合うことによって「しっくりする」関係性も有りだと思います。
これは何も子どもたちだけの世界に限ったことではなく、何となく相性が合うおばあちゃんと乳児さんといった関係性を見つけ出す努力も必要だと思います。だからこそ様々な波長を発している、不特定多数との接点を持っていくことで、何かしら唯一の関係性をつくることも可能になってくるのです。
だから子どもたちには、そのような機会を積極的に作っていきたいと考えます。子ども自身は「男の人が苦手」、「賑やかの人が好き、苦手」等々、人に対しても個々異なる感覚を持っています。そんな相性に引き合わせていくことも、大人の環境準備と言えるのではないでしょうか?
人生は好きもあれば嫌いもある、良いもあれば悪いもある、上もあれば下もある、このような不変の2局的対立を避けることはできないのです。であるならば衝撃的、刺激的なものは避けるにしても、できるだけ様々に出会わせてあげたいものです。
モノはと言えば、タライに入った水の感触、シャワーヘッドをもって方々に水かけ、柔らかなぬいぐるみの感触、様々な長さや形を持つすくうための道具、人に対しては、おすもうさん、心身に障がいを持っている人、高齢者、外国の人・・・等々、様々な多様性の中で生活している人々に出会うことは、人生を豊かにそして自身の能力を伸ばしていく力にもなっていくはずです。
このような機会を逃してはなりません。そのためには、大人自身が様々なことに興味を持ち生活している背中を見せていくべきです。子どもは大好きなご家族、保育者、尊敬する人の背中を見て育ちます。大人自身が好き嫌いを超え、しっかりと大地を踏み締めていくことが、結局は子どものたくましい成長にもつながっているのです。
これらの食い違いが集団には生じることが常のため、他クラスの子と交流することが有効になってきます。月齢が高い低いからと言って、必ずしも異なる発達段階ではないため、混ざり合うことによって「しっくりする」関係性も有りだと思います。
これは何も子どもたちだけの世界に限ったことではなく、何となく相性が合うおばあちゃんと乳児さんといった関係性を見つけ出す努力も必要だと思います。だからこそ様々な波長を発している、不特定多数との接点を持っていくことで、何かしら唯一の関係性をつくることも可能になってくるのです。
だから子どもたちには、そのような機会を積極的に作っていきたいと考えます。子ども自身は「男の人が苦手」、「賑やかの人が好き、苦手」等々、人に対しても個々異なる感覚を持っています。そんな相性に引き合わせていくことも、大人の環境準備と言えるのではないでしょうか?
人生は好きもあれば嫌いもある、良いもあれば悪いもある、上もあれば下もある、このような不変の2局的対立を避けることはできないのです。であるならば衝撃的、刺激的なものは避けるにしても、できるだけ様々に出会わせてあげたいものです。
モノはと言えば、タライに入った水の感触、シャワーヘッドをもって方々に水かけ、柔らかなぬいぐるみの感触、様々な長さや形を持つすくうための道具、人に対しては、おすもうさん、心身に障がいを持っている人、高齢者、外国の人・・・等々、様々な多様性の中で生活している人々に出会うことは、人生を豊かにそして自身の能力を伸ばしていく力にもなっていくはずです。
このような機会を逃してはなりません。そのためには、大人自身が様々なことに興味を持ち生活している背中を見せていくべきです。子どもは大好きなご家族、保育者、尊敬する人の背中を見て育ちます。大人自身が好き嫌いを超え、しっかりと大地を踏み締めていくことが、結局は子どものたくましい成長にもつながっているのです。
カテゴリ:教育